壮大かつ小さな目的
「まず、大きな問題として、このカクテルには発動条件があります」
テーブルに広がっていた飲み物を脇に避け、フィアールカは書類を広げる準備をしながら言った。
発動条件。それは魔法には良く付属しているある種の制約だ。
もちろん条件を設けないものも多いが、魔法の効果が強力かつ限定的であるほど、その発動には条件がからむ場合が増える。
仮に【ビトウィーン・ザ・シーツ】の『自白効果』が本当ならば、それなりに厳しい条件が課せられていても不思議ではない。
「それで、どんな条件なの?」
「条件は、対象が『眠っている』こと、です」
「眠って……」
呟きながら、ツヅリは自分の師が眠っている姿を想像しようと試みた。
そして気付く。
ツヅリの前で、ソウが眠っている記憶がほとんど存在しないことに。
思い返してみれば、一緒に旅をしているときも部屋は別なことが多いし、仮に一緒だったとしても、常にソウはツヅリより後に寝て、先に起きている。
唯一眠っていると評して良いのは、深酒で酔いつぶれて朝帰りをしてきた時などだ。それにしたって、本当にソウが眠っているのかは怪しいところだが。
少し思い返せば、ソウはいつも眠そうな、ダルそうな顔をしているくせに、その実そういった隙を見せることがほとんどない。
「フィア。それは難しいよ。多分だけど、お師匠って人前では寝ない気がする……」
「重々承知です。以前ソウ様が就寝中の部屋に忍び込んだことがありますけれど、有無を言わさず銃を突きつけられましたもの」
「……いや、いつ?」
「ふふふ」
ツヅリの引き気味の目線を軽く受け流し、フィアールカは上機嫌そうに笑う。
そこで、二人の話を聞いていたティストルが、控えめに一番現実的な案を出した。
「……では、ソウさんが眠るまで、三人で追跡する、みたいな話ですか?」
いくらソウが得体の知れない生態をしているとしても、生物である以上眠らないわけはない。
であるならば、三人がかりで目を付けていれば、いずれは眠るはずである。
しかし、フィアールカとツヅリの二人は、控えめに首を振った。
「残念ながら、ソウ様が本気で姿をくらませた場合、私達の誰もあの人を追跡することはできないでしょうね」
「……そうだね。最悪追跡がバレて、何か企んでいるってとこまで看破されるかも」
「そうなっては、二度とチャンスは巡ってこないでしょう」
残念なことに、この場にいる三人ではソウを追跡しきれない。
もともとそんな心得のないティストルは元より、ある程度荒事に慣れているツヅリとフィアールカの二人も、ソウほどのスキルはない。
そもそも、フィアールカの放った数十人の監視すらすり抜けるような人間なのだ。
ツヅリは、その最も単純な案を放棄しつつ、フィアールカに再度尋ねることにした。
そのあたりの認識がありつつもこの話をしたということは、何か考えがある筈と思ったからだ。
「じゃあ、どうするの? そもそも眠っている場所に踏み込むのすら難しいなら、手の出しようが無いと思うけど」
「ふふ。そこはそれ、発想の転換です」
フィアールカは残った書類をテキパキと並べながら、じんわりと唇を歪ませる。
しかし、その目には一切の弛みがない。
「チャンスはおそらく一度きり。そして、自然に眠るのを待つのは困難。であるならば、偶然に頼ることなく強引に眠ってもらう、というのが取り得る選択肢である筈です」
準備が整ったとばかりに、彼女はツヅリとティストル、二人へとそっと書類を寄せる。
改めて確認するまでもなく、タイトルは二人の目に入っていた。
『練金の泉主催、合同訓練計画書』だ。
その内容を上からさっと目を通すと、概ね書かれていた事柄はこのようになっていた。
『練金の泉、ならびに関係者の皆さんにご連絡します。
昨今のバーテンダー業界の盛り上がりは著しく、我々のような大きい協会のみならず、様々な新しい協会もその名を広め始めています。
また、それに伴い、若い世代の一部では、バーテンダーと魔法使いの垣根そのものを越えた、交流の芽も見えています。
そこで、若い世代を中心に、合同訓練という形でお互いを高め合うことを提案します。
これから先の、バーテンダーと魔法使い双方の──ひいては国の発展のためにも、是非ふるってご参加いただけると幸いです。
また、興行のような形での催しも計画しており、参加にあたって優秀な成績を収めた場合にはささやかな『景品』の授与なども検討しております。
練金の泉代表 フィアールカ・サフィーナ 』
本当の文章はもう少しだけ堅苦しいのだが、目の前のフィアールカの言い方に直せばこんなところだろう。
ツヅリはそれらをさっと読み込んでから、一度隣のティストルに目をやる。
彼女も読み終わった様子で、ツヅリの視線に頷きを返す。
それから、ツヅリがフィアールカに尋ねた。
「これ、なに?」
「ですから、合同訓練のお誘いです」
「……合同訓練?」
「序文で述べましたが、まぁ、要するにバーテンダーの技術なりなんなりを衆目に披露する、お祭りのお誘いです。基本的に『練金の泉』はそういうことを定期的にやって、小銭を稼いだり、お得意さんに向けてのアピールなどを行っているわけなのですけれど」
バーテンダーのカクテルを見る機会というのは、実は依頼の時だけではない。
新しいバーテンダーを確保するためにも、バーテンダー総合協会や、こういった大きな協会などは定期的にカクテルのお披露目を行っている。
一般的には、儀礼的な側面も持った『決闘』のスタイルが多いが、それに限った話でもない。『練金の泉』なんかは、色々と趣向を凝らした『祭り』を企画することも多い。
フィアールカは、怪しげな笑みを崩さぬまま、書類をペラペラとめくる。
そしてお目当ての一枚を見つけた様子で、それを改めてツヅリに差し出した。
「その中で、特にこの模擬戦に、お二人には参加していただきたいと思っています」
フィアールカが差し出した書類には、一際大きな文字で『交流戦』とあった。
内容は『練金の泉』の若手がメインとなり、それを二手に分けた上で、それぞれに協力者が付く形での対抗戦だ。
『練金の泉』の若手を育成しつつ、他の協会も見せ場を作るチャンス。となれば、俄然力が篭ってくるというもの。
お題目は、アジトに人質を取って立てこもった『外道』と、それを救出すべく立ち上がった『連合』といった塩梅だ。
外道側、連合側ともに、協力者として外部からのベテランバーテンダーが付く。そして肝心の人質役には『魔法使い』があてがわれる。
「計画を練ってから、上に認めさせるのにやや手間がかかりましたが、許可はいただいています。バーテンダー総合協会、魔法協会ともども、交渉の準備も整っています。会場の設営など時間はかかりますが、問題なく計画は進んでいます」
書類を前にし、ペラペラと内情を暴露していくフィアールカ。
ツヅリは、その自分の認識から大きく離れたところの話に戸惑いを隠せない。
なるほど確かに、彼女の言っていることは本当なのだろう。それだけの、行動力と権力がフィアールカにはあるのだ。
ただ、自分たちはいったい、何の話をしていたのだろうか。
「……えっと、話が若干、どころじゃなく大きくなっているような?」
「ええ、ええ。確かに色々とややこしい雑事はございます、しかし、そんなものは私の目的にとっては些事です」
目的、と強調してフィアールカは、ようやく本題と目を輝かせる。
「この模擬戦ですが、もちろん命の取り合いをするわけではありません」
「……えっと、【シンデレラ】?」
「はい」
ツヅリは、以前自分が使ったことのある決闘用の『カクテル』を思い出した。
無属性特殊魔法の一つ【シンデレラ】。
そう、確かにあれならば、魔法が致命傷になると感知された段階で、場に満ちた【シンデレラ】の魔力が、対象の意識を──
「──まさか?」
「ええ。つまりこの戦いは、負けた側の『意識を奪う』方式での戦闘になります」
ようやく、フィアールカの立てた遠大な計画の着地点が分かった。
フィアールカの目的は、この模擬戦の中でソウから勝利を奪い、ソウの『意識を奪う』──つまりソウを『眠らせる』ことなのだ。
つまり彼女は、ただソウを『眠らせる』ためだけに、Sランクのバーテンダー協会を動かし、バーテンダーと仲の悪い魔法使いを焚き付け、国中のバーテンダー協会にまで参加を促そうというのだ。
その意図が分かって、ツヅリは開いた口が塞がらなかった。
「……んな、馬鹿な」
「ふふふ。そうやって大きな『目眩し』があって、初めて本当の目的は叶えられるものなのですわ。特に、バーテンダーと魔法使いの交流とあれば、どうあってもそれがメインだと思うでしょうし」
フィアールカはあくまでも余裕を崩さず、ふとその目を憎々しげに細める。
「それに、私個人としましても、実力もないくせに文句ばかりをたれる子供達に、そろそろ痛い目を見てもらおうかと、ええ」
ブツブツと個人的な怨嗟をつぶやき始めたフィアールカ。
その姿に苦笑いしつつ、静かに話を聞いていたティストルがふと尋ねた。
「えっと、何か色々と大きなことを考えてるのは分かったんだけど、少し質問して良い?」
「ええ、構いませんわ」
「その計画のことは分かったけど、私達は何をすれば良いの? 結局なんで、今日ここに呼ばれたの?」
ティストルの素朴な疑問だった。
大きな計画については分かったが、それは自分たちがここに呼ばれた理由とは繋がっていない。フィアールカ一人の壮大な計画を聞かされたに過ぎない。
それについて、ツヅリも気になったところで背筋を正す。
準備が出来たと見て取ったフィアールカは、当然のように言った。
「……もちろん、裏切りです」
フィアールカの簡潔な答えだった。
戸惑う二人に、分かりやすくフィアールカは続ける。
「私とソウ様が正面からぶつかっても、目的を達成できるとは思えない。勝機が無いとは言いませんが、確実ではない。そこでお二人の出番です」
「……えーっと、つまり?」
「はい。つまり、ツヅリさんはスパイ、ティストルさんは人質役としてソウ様の側に潜り込み、内部で混乱を生んで欲しいわけです。内側と外側、三人で協力すれば、ソウ様にも届き得ると考えています」
さらっと提案されたそれが、ツヅリには酷くえげつないやり口に思えて仕方なかった。
「あ、あの。それってば、こう、色々と卑怯というか、問題があるというか」
「何を言いますか。実戦形式の模擬戦に卑怯も何もありませんわ。それを私に教えてくれたのは、他ならぬソウ様ですもの」
以前見た、ソウとフィアールカの一騎討ちの話だと、ツヅリはすぐにピンときた。
つまり、彼女はあの時の敗北を、今でも執念深く覚えているというわけだ。ソウが言っていた『根に持つタイプ』という言葉もまた、同時に思い出した。
「ついでに、ここまで聞いてしまったお二人に、拒否権はありませんので。協力するか、私のモノになるかの二択です」
「…………」
「…………」
ニコニコ笑顔で一切笑っていないフィアールカに、ツヅリとティストルの二人は力無く俯いたのであった。
※0917 脱字訂正しました。
※1009 誤字修正しました。