フィアールカの誘惑
「さぁ、どうです? 協力する気にはなりましたか?」
フィアールカは半ば勝利を確信したような表情で、ツヅリとティストルに答えを促した。
だが、その怪しげなカクテルの情報を聞いたところで、ツヅリはあまり乗り気にはなれなかった。
「……私は、パスしたいかなぁ」
「あら、どうしてです?」
「どうしてって言われても」
フィアールカの心底意外そうな表情に、答えたツヅリの方が悩む。
彼女の心中には色々とモヤモヤした思いがあった。知りたいとか知りたくないとか、そういう単純な問題に留まらず、上手く言葉にできない、困惑。
あえて言えば、嫌な予感がする、というところだ。
「……うん。やっぱり、人の心を無闇に覗こうとするのは、良くないことだよ」
「……ふぅん」
ツヅリの優等生な発言に、フィアールカは意味深な息を漏らす。
銀髪の少女の得体の知れない様子に困惑しつつ、ツヅリは隣のティストルにも尋ねる。
自分よりも優等生然としたこの少女なら、同意してくれると思ったのだ。
「ティスタも、止めた方が良いと思うよね?」
「え、ええっと、そ、そうですよね」
「ティスタ?」
しかし、ツヅリの予想に反して、ティストルはやや迷いを見せていた。
ツヅリの言うことが正しいとは感じている。しかし、心情的にソウの気持ちは気になって仕方がない。だから素直に頷けない、と言った表情である。
「良いんですよティスタさん。自分の心に正直になって」
そんなティストルへと、フィアールカはすかさず口を挟んだ。
「えっと、フィアさん?」
「気になりますよね。いつでも来て良いと言ってくれたソウ様ですが、その言葉を鵜呑みにしても良いものなのか。本当は、自分の存在が迷惑になっているのではないか、と」
「っ……」
図星、と言ったところだ。
フィアールカはティストルの迷いに堂々とつけこむように、言葉を続ける。
「気になって当然でしょう。ええ、良いのですよ。私もティスタさんも、結局はただの部外者なのですから」
ビクンと反応して、ティストルは言いにくそうに口を噤む。
その反応に戸惑うのはツヅリの方だ。
「え、ええ? 私もお師匠も、そんなの全然気にしてないってば」
口を閉ざしたティストルを励ますように、ツヅリが慌てて言う。
だが、その声に応えたのもまたフィアールカだ。
「ええ。確かにツヅリさんはそう思うでしょう。ですが、ソウ様が直接、そう言っていたというわけではありませんよね?」
「それは、そうだけど」
「では結局、あの人の本心は謎のまま──そんな些細なことでも気になってしまう、ティスタさんや私の繊細な乙女心も、少し考えれば理解できませんか?」
「……いや、ティスタはともかくフィアは……」
フィアールカの一体どこにそんな繊細な心があるのかと疑問に思いつつ、ツヅリはティストルの表情を窺う。相変わらず、複雑そうな表情であった。
ティストルと知り合って以来、月に何度かの頻度で、彼女はツヅリとソウが所属しているバーテンダー教会『瑠璃色の空』の本部を訪れている。
何をしているのかと言えば、自主的に『カクテル』の勉強をしたい、といって見習いのようなことをしているのだ。
その過程で、ティストルはソウに様々なことを教わっている。言い換えれば、ティストルとソウの接点は、その時が主ということ。
その時のソウが、内心どう思っているのかは確かに分からない。
ティストルの性格を考えると、自分が迷惑になっていないかと心配するのは仕方ないのかもしれない。
「良いですかティスタさん。これは言わばカクテルの勉強の延長です。たまたま見つかった新しいカクテルを良く知るため、先生であるソウ様から教えて頂く。そういう、あなたの熱心さの延長です」
「……これも、勉強……」
「ええ。そうですとも。気にすることはありません。さぁ、私と手を組みましょう?」
そうやって、なんの翳りもないにこやかな笑みを浮かべたフィアールカ。そんな彼女のカリスマに押されて、ティストルはふらふらとその手を──。
「だから! 騙されてるってそれ!」
伸ばしたところで、ツヅリが慌てて止めた。
「ティスタ! 目を覚まして! あのお師匠のことだから、本当に面倒だったらのらりくらりと逃げてるってば!」
「……あ、そ、そうですよね」
若干虚ろになっていた目に光を取り戻し、ティストルは慌てて手を引いた。
その様子に、フィアールカの小さな、声。
「ちっ……おっと、いえいえ」
「フィア。今舌打ちを」
「乙女は舌打ちなんてしませんよ」
ツヅリのジト目に、フィアールカは再度、翳りのないにこやかな笑みを返した。
「というかツヅリさん。さっきから一人、随分と良い子ぶってますけど。あなたには、気になることはないんですか?」
「……気になることって言っても」
そんなものはある。あるに決まっている。
一年以上の付き合いであるツヅリにとっても、師は謎だらけだ。
だが、それでも自分のことをしっかりと見て、教育してくれているというのは、なんとなくだけ、伝わっている。
だから、気になることなどあっても、気にする筋合いは……。
「そういえば先日ソウ様が、見知らぬ綺麗な女性と密談していましたけれど、それもご存知?」
「え?」
自分を納得させるための理由に、一つ大きなヒビが入った。
ツヅリがそれを自覚したとき、フィアールカはあまりにも妖艶な笑みを浮かべていた。
「ええ。随分と親密なご様子で。その時はすぐに分かれたみたいですけれど、なんていうレストランだったかしら」
「べ、別に、私は、お師匠のそんな、プライベートなんて!」
ツヅリは慌てて、手に持っていたカクテルレシピにわざとらしく目を落とす。
もちろん、気になるに決まっていた。
しかし、そう。それは決して恋愛的なそれではない。自分の尊敬する師のだらしなさは知ってはいるが、それでも気に食わないだけだ。
そういえば、以前レストランがどうだの、デートの約束がうんたらだの言っていたけれど、それはまったく関係がない。
気になるのはあくまでも弟子としてであり、決して深い意味はない。
意味は、ない。
「……ん?」
ツヅリが自分を落ち着けるために、本に記載されている【ビトウィーン・ザ・シーツ】の記述を読んでいると、気になる部分があった。
それは、このカクテルの『材料』についてだ。
「……ねぇフィア。一つだけ、聞いても良い?」
「ええ。なんなりと」
「……『オルド』属性って、カクテルになるの?」
それは、ツヅリの知識には無い事柄であった。
この世界には魔法がある。そして魔法は、基本的には『四大属性』というものに大別される。
風の『ジーニ』
水の『ウォッタ』
火の『サラム』
土の『テイラ』
それは、この世界の基本的な要素であり、一般的に『属性』と言えばこれらを指す。
カクテルにおいてもそれは基本だ。
この世界でカクテルの魔法を発動させるには、魔石を元にした『弾薬』を作る必要がある。その魔石というものは、基本的には『四大属性』のものだけだ。
稀にそのどれにも属さない『無属性』の魔石も出土するらしいが、一般的にそれを『弾薬』に用いることはない。
だが、その四大属性や無属性とも外れた、もう一つの属性も存在している。
それは第五属性とも呼ばれる──古属性『オルド』
『古』と言っても、それは性質をひと言で表しているわけではない。
古属性の研究はまだまだ途上であり、無属性との境も曖昧である。ただ一般的には、時間や空間といった要素が関わっているらしい。
一説には、古属性『オルド』と名がついたのは、とあるポーションが生み出されたのが初まりだと言われているが、真相は定かではない。
ただ、一つだけ確かなこととして──古属性の魔石は、自然には存在しない。
それは逆説的に、古属性の魔石を使った『弾薬』も存在しないということ。
故に、ツヅリは思った。
『オルド』の魔法は存在するのかと。
「……さて。端的に言えばイエス。ですわね」
フィアールカは、静かにツヅリの質問に答えた。
それはそうだろう。存在しないのであれば、その『オルド』に属する魔法が、こうして効果まで載っているわけがない。
だが、そうなってくると再び疑問が生じるわけだ。
「……じゃあ、どうして、こうやって『魔法』として、載っているわけ?」
「それも含めて、今回の計画としてはいかがでしょうか?」
「どういう意味?」
「それを教えるのは、私ではなくソウ様の役割なのでは、ということです」
フィアの声が、闇の奥から響くような甘い囁きに思えた。
そうだ。当然のことだが、フィアが知っていることをソウが知らないわけがない。
「ええ。やはりツヅリさんは、そのことを直接ソウ様に聞くべきです。しかし、今まで隠していたことをソウ様が素直に教えてくださるとは限りません。むしろ逆なのではないでしょうか?」
「……逆って?」
「つまりソウ様は、待っているのです。ツヅリさんが『オルド』の存在に気づき、それを自分の力で『知識』として手に入れることを。そこまで成長することを」
これはフィアールカの口車だと、ツヅリは当然分かっている。
分かっているが、自分の中に、その口車に乗ってしまいたい気持ちがあった。
純粋な疑問として『オルド』の魔法は気になる。しかし師がそれを素直に教えてくれる保証はない。そうやっていつもいつも、お預けを食らってきた経験もある。
だから、たまには師の裏をかいてやっても良いのではないだろうか。
決して、断じて、師の女性関係なんかは関係なく。
「……あの、ツヅリさん」
そんなツヅリに、ティストルがそっと声をかけた。
彼女の頭の中には、以前ソウから直接聞いたひと言があった。それは、ティストルの目の前で古属性のカクテルを用いたソウの、素っ気ないひと言。
『この属性のことは、ツヅリには内緒で頼む。時期が来たら教えるつもりだからな』
その約束がくすぐったくて、ティストルはずっとそれを守ってきた。
それが、こんな形でツヅリに伝わってしまうとは思わなかったが、知っていても知らないフリならできる。
だから今も、そんな強引な手法ではなく、ちゃんと時を待つべきなのではと、思った。
「……ソウさんは、その──」
「──分かってるティスタ。お師匠の気持ちが気になるんだよね。良いよ。私も気になることができたし、計画に協力する」
そうティストルは思ったのだが、既にツヅリの心は聞く耳を持たないようだった。
ティストルの気持ちは、今のツヅリには全然届きそうにない。
「いえ、そうではなくて──」
「なんとかして、お師匠の闇を暴いてやりましょう」
「そ、そうですね。はい」
そうなると、ティストルも、無理に止める必要もないかと思い直した。
……方法はどうあれ、確かに自分も、ソウの偽らざる本心には、興味があるのだ。
「どうやら、話はまとまったようね」
タイミングを見計らったように、フィアールカは言った。
ツヅリとティストルは、戸惑う気持ちに今だけは蓋をした。
色々ときがかりはあるにせよ、確かに自分たちにとって悪い話というわけではない。
そして何より、思った。
このフィアールカが、こうまで好意を向けているソウ相手に、危害を加えるようなことは決してないだろうと。
「うん。今回ばかりは、仕方ないから協力する」
「……はい。私も、協力します」
その二人の参戦の意を受け取り、フィアールカは優雅に紅茶を含んだ。
「よろしい。では改めて計画を説明しましょう。あの人を出し抜くためには、生半可なやり方ではいけませんから」
フィアールカは満面の笑みで二人に頷き返す。
それから、再びバッグをごそごそと漁り、今度は何か書類の群のようなものを取り出した。
その書類群の一番上には『練金の泉主催、合同訓練計画書』というタイトルが入っていた。