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名前の無いカクテルブック

「……退屈ね」


 手にたぐり寄せた古臭い本に目を落とし、銀髪の少女が呟いた。彼女は現在、薄暗く埃っぽい古い書庫の中にあり、言葉通り退屈そうに作業している。

 書庫はそれほど広くない。分厚く大きな本を収める本棚が十あるか否かくらいの広さだ。自然光はほとんど入らず、さりとて湿度や温度は本のために魔法で管理された、人には不快で本には快適な空間である。

 しかし、いくら快適な条件であろうと埃まみれでは、人も本も気分が悪いことだろう。


「フィアールカ。そもそもなぜこんなことになったのか分かっているのか?」


 フィアールカと呼ばれた少女の隣で、少女の何倍もテキパキと作業をこなしていた眼鏡の青年が、苛立ち気味に尋ねた。作業の手を止め、カツカツと床を踵で鳴らしている。

 その言葉に、フィアールカは相変わらずつまらなそうに答える。


「……さぁ。まったくこれっぽっちも心当たりはありませんわ、オサラン」

「貴様が! 仕事中に大変なヘマをやらかしたからだろうが!」

「……それは聞き捨てならないわね」


 オサランにどやされるが、それにフィアールカはムッとした。

 当然彼女であっても、自分が今ここに居る理由自体は知っている。知っているが、それが納得できるかどうかはまた別の話だ。


「私はただ、この私にセクハラしてきたデブを殴り飛ばしただけですのに」

「そのデブが、大口の依頼主だってのが問題なんだが……」

「それなら、私が手を出す前にあなたがどうにかするべきだったわね、オサラン」


 フッと氷のような冷たい笑みを浮かべるフィアールカ。その言い返しにオサランはイラッとしつつも、反論できずにいた。

 フィアールカは容姿や能力は大いに評価できるが、その性格は一切評価できない。

 そんな彼女のお目付役がオサランであり、彼女と反りが合わなそうな依頼主との接触を見逃してしまったのは自分の責任だ。

 オサランはそう思うからこそ、今回は自ら志願して、フィアールカと一緒に作業を行っているのだ。


「そもそも、こんな古臭いだけの資料を、今更整理する意味があるのかしら」

「貴重な資料だぞ。我々『練金の泉』の初まりから受け継がれているものもあると言われていてだな」

「そんな大変なものなら、とっくに違う形で保管されているでしょうに」


 オサランの諌める声に、再びフィアールカはため息で答える。

 彼女達がいるのは、彼女達が所属するバーテンダー教会『練金の泉』本部、その地下資料庫。

 貴重な資料が保管されているとは聞いているが、その古く貴重な資料が『現存する』という一点に重点が置かれているだけの、物置き。

 主要な情報はとっくに受け継がれていて、ここにあるのはただの情報の抜け殻だ。

 そう思っているからこそ、フィアールカは面倒臭そうに整理作業を行っている。


 この部屋の資料の確認と整理、ついでに掃除がフィアールカに課せられた罰だった。

 フィアールカがどう思おうと、それなりに貴重な資料に変わりないので、末端の者に作業を行わせるわけにもいかない。さりとて、それなりに権力を持つ者は基本的に忙しく、こんな作業をさせてはいられない。

 そんな状況で長らくほったらかしにされていた所に、フィアールカの失態は渡りに船だったというわけだ。


「……依頼はしっかりこなしたというのに……ん?」


 文句を言いつつ作業を行っていたフィアールカだが、ふとした拍子に一冊の本に目を奪われた。

 さっきまで整理していた大きな本と比べてずっと小さな、それこそ片手でも読めそうな小さな本。

 その表紙に書かれていたタイトルが気になったのではない。そのタイトルがほとんど掠れていて、読めなかったのが気になったのだ。

 チラリとオサランの様子を窺い、彼が目を離しているのを確認してからフィアールカはその本のページをめくった。


「……これは」


 そして、その記述にフィアールカは目を丸くした。その後に、うん、と一つ頷いて、彼女はその本を『処分』の山に重ねる。

 そして何事も無かったかのように、さりとてそれまでの何倍もの早さで彼女は作業に取り組む。


「オサラン。早く作業を終わらせるわよ。今日中に終わったなら、後片付けは私がやっても良いわ」

「……何を企んでいる? 貴様の口からそんな殊勝な言葉が出るわけないだろう」

「安心なさい。今回はあなたが心配するようなことはないわ」

「…………」


 つまり、他の誰かが心配しないといけないことは、あるのだろう。

 そうオサランは思ったが、ブンブンと首を振った。この銀髪の少女のやる事に一々首を突っ込んでいては、体がいくつあっても足りない。

 基本的に彼女は嘘を吐かないので、本当に自分には関係ないのだろう。

 そう思いはしたが、それまでと一変して、とても楽しそうな表情をしているフィアールカに、オサランは尋ねずにはいられなかった。


「……それは、あの、ユウギリ氏は心配しないといけないことなのだろうか?」

「まさか。あの人にだって迷惑はかけないわ。ええ。決して迷惑にはならない筈よ」

「…………」


 ということは、つまりユウギリ氏は心配しないといけないことなのだ。

 この女にとっての迷惑の基準がひどく独善的であることを、オサランは知っていた。

 知っていたが、あの得体の知れない男ならばどうにか上手くやってくれることだろう。そう信じて首を突っ込むのは止めることにした。




「今回集まってもらったのは他でもないわ」


 数日後、フィアールカは品のいい喫茶店に二人の少女を集めていた。

 集合時刻はお昼過ぎ。時刻を指定したのはフィアールカなのに、その彼女が一番遅れて店にやってきた。手ぶらではなく、何か荷物を入れたバッグを持参してだ。

 彼女は二人の少女を待たせていたことに悪びれた様子を見せず、さっと注文を済ませる。

 そして、変な緊張感のある机に注文の紅茶が届いたところで、フィアールカは冒頭の台詞を出した。


「実は、二人にも、私の計画に参加させてあげようと思いまして」


 言いつつ、フィアールカは少女達の反応を見る為に、顔を覗く。

 しかし、二人の反応は決して芳しくはなかった。


「あの、フィアールカさん?」

「なぁに? ツヅリさん? それから私のことはフィアで良いと」

「ああうん、フィア。いや、何って言うか、こっちは何一つ説明して貰ってないんですけど」


 ツヅリと呼ばれた黒髪の少女が、いつも師に向けるようなじとっとした目でフィアールカを睨んでいた。

 だが、彼女の言葉は正しい。事実、今日の彼女はフィアールカにいきなり、用件も知らされずに呼び出されたのだ。

 そんな当たり前の抗議に、フィアールカはキョトンとした表情で返す。


「どうせなら何も知らない方が、最後にビックリできるじゃない?」

「いや、まぁ。そういう気持ちは分からなくはないけど、せめて説明は欲しいなぁ。ねぇティスタ?」

「え、ええ」


 ツヅリは言いながら、自身と同じようにいきなり呼びつけられた金髪の少女に目を向けた。彼女の名前はティストル。親しい人からはティスタと呼ばれている。


「確かに私も、はい。できればその、計画? の前に説明が欲しいなと思います」


 困ったような顔で、それでも微笑を湛えたままティストルがツヅリに同意する。

 二人に揃って反論されて、フィアールカは、ふぅ、と息を吐く。


「分かりました。本当はなし崩し的に計画に参加させようかと思っていましたが、そこまで言うなら仕方ありませんわね」


 そのフィアールカの物言いに、ツヅリは『危なかった』と内心で安堵する。

 こう勢いに任せて言質を取った後に、厄介事に付き合わせるという手法は、彼女の師の得意とすることの一つだ。

 ただ、師のそれはツヅリを騙すための故意の犯行であるのに対し、フィアールカの今回の言動は天然のそれらしい。

 どちらも厄介なことに変わりないが、師の方は意志が介在する分、より凶悪だろう。


 フィアールカがここから先、邪道に目覚めないことを願いつつ、ひとまずの安堵でツヅリは頼んでいたコーヒーを啜る。


「さて、ここに集まってもらったのは他でもありません。私達には一つの共通点がありますね?」

「共通点、ですか?」


 フィアールカは静かに言った。それをティストルが、見た目の印象通りの柔らかな声音で復唱する。

 ツヅリは頭の中で、きっと自分たちの持つ特異性のことだと直感した。

 となると、今回フィアールカが自分たちを呼び出したのは、大事かもしれない。


「えっと、つまり、重要なことなんでしょうか?」

「ええ。とても重要なことです」


 ティストルのおっとりとした反応に、ええ、と妖艶な笑みを浮かべたフィアールカ。

 彼女はその口で、この二人がはっきりとは認めていない事実を口に出す。



「そう。私達は全員が、ソウ様のことを想っている。違いますか?」



「ぶっ!?」

「へっ!?」



 ツヅリはうっかり、呑み込んでいたコーヒーを吐き出しかけ、

 ティストルはその白い頬を途端に紅潮させる。

 そんな二人の反応などおかまい無しで、フィアールカはマイペースに続けた。


「そう、それはとても重要な事です。しかしあの人は、いじらしくも私達になんら答えを示してはくれません。いえ、答えを下さいとまでは言いません。ですが、餌の一つくらいはくれてもいいとは思いませんか?」


 フィアールカの芝居がかった口調。しかし、ツヅリとティスタは慌てていて言葉を呑み込めていない。


「な、な、な! べ、別に私はお師匠のことなんてこれっぽっちもね!」

「わ、私がそのような風に思うなんて。恩人に対しておこがましいと言いますか……」


 二人揃っての煮え切らない反応に、しかしフィアールカはそれなりに満足しつつニヤリと笑った。


「ええ。良いのです。貴女達が素直になれないのは仕方ありません」

「だから!」


 ツヅリの抗議を当然のように聞き流し、フィアールカは芝居を続ける。


「私とて、時が来るまで答えは要らないと告げた身。ですが、気にならないと言えば嘘になる。ああ、あの人は今、私のことをどう思っているのだろうか、と」


 それから、フィアールカは持ってきていたバッグから、一冊の本を取り出した。

 タイトルが掠れていて読めないその本。しかし、人の目を引きつける不思議な本。


「そんな時、こんな本を見つけてしまいました」


 フィアールカは、その本をツヅリへと手渡した。

 ツヅリはまだ用心の目をフィアールカに向けたまま、そろそろと本を開く。そして、その内容に、驚き、目を丸くする。


「……これって?」

「そう。遥か昔に書かれた『カクテルレシピ』です」


 カクテルレシピとは、文字通り現代における『カクテル』──すなわち『魔法』の呪文書のようなものだ。

『銃』という特殊な魔法具で発動させる、訓練すれば誰にでも扱える『魔法』──それが『カクテル』であり、それを扱うものが『バーテンダー』だ。

 バーテンダーが新たな魔法を覚えるには、新たなレシピを覚える必要がある。そして、有用なレシピが発見されれば、それは瞬く間に広がって行くことになる。

 そんな中、フィアールカが取り出した本には、ツヅリが聞いたことのない幾つものカクテルが記載されていた。


「……でも、これは多分貴重だとは思うけど、これがどうしたの?」

「その本の、49ページです」

「49……」


 ツヅリは言われるがまま本を開く。そして、そこに乗っていたカクテルの名前を口にする。



「【ビトウィーン・ザ・シーツ】」



 聞いたことの無いカクテルだった。だが、これがなんだと言うのか。

 そう思いつつ、目線を滑らせて行くと、その『効果』の記述で、思わず固まった。

 フィアールカは、そこで満足気に頷き、告げた。



「そう。そのカクテルの効果は『秘密を語らせる』こと。つまり、ソウ様に上手く使えれば、あの人の『本心』を聞くことができる筈ですわ」




 そう満足気に言ったフィアールカの顔は──『氷結姫』と称される、隙の無いバーテンダーとしてのそれであった。



ここまで読んで下さってありがとうございます。


初日から間に合わなくて申し訳ありません。

またしても、幕間という名の中編になります。

隔日で更新予定ですので、お付き合いいただけると幸いです。


※0906 誤字修正しました。

※0917 誤字修正しました。

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