小悪党なりのお酒の美学
所変わって、現在地はバー『システム・ナイン』である。
今日の客入りはまずまずなようで、バーテンダーであるラバテラは、にこにこ笑顔のままテキパキと仕事をこなしている。
そんな様子を見つつ、ソウは向かいの女性に尋ねた。
「とりあえずは、おめでとうか? 新しい企画が通ったってことで」
「ええ。ありがとう」
言って、ソウとアカシアは静かにグラスを合わせた。
今、二人はカウンターではなく、店の中の奥まったボックス席に居た。カウンターが埋まりかけていたというのが理由の一つ。
もう一つは、あまり人に聞かれたくない話をするときは、カウンターでないほうがやりやすいからだ。
そして今日、ソウを誘ったのは他でもないアカシアである。ツヅリに内緒で話をするために、取材のあと、ソウをここに呼び出したのだ。
「しかし『ソウヤ・クガイ』から一転、庶民派バーテンダー協会の密着取材とは、思い切った舵取りだな」
「良いじゃない。フォックスさんにも違う『バーテンダー』の記事が読みたいって言われたわけだし」
昼の話は、その簡単な打ち合わせである。
知名度はなくとも地道に活動しているバーテンダー協会の『今』に密着し、未来の『英雄』を見つける。というのがコンセプトらしい。
そして、その最初の協会に選ばれたのが『瑠璃色の空』であった。
「ま、俺はどうでも良いけどよ。ツヅリや他の新人どもにぜひ密着してくれ」
「あなたは、そういうの向いてないものね。身に染みたわ」
アカシアは苦笑いを浮かべる。実際、たった一日でこの『ソウ』という男に密着するのは半ば無理だと諦めてはいるわけだ。
「ツヅリは食らいついてきてるんだぜ?」
「若さが違うもの」
「やめろやめろ。女からそう言われると面倒な話にしかならん」
珍しくソウが焦ったように言って、グラスの中身を口に含んだ。
ロックグラスの中で揺れる琥珀色に、アカシアはしばし見蕩れていた。
「ん? ウィスキーに興味があるのか?」
「……ええ。確かに、興味がないと言えば嘘になるわね」
その答えに、ソウは少し上機嫌になる。ボックス席から背筋を伸ばし、カウンター奥に並んでいるいくつものポーション瓶を指差し数える。
「そうかそうか。じゃあ、どんなのが良い? 適当に勧めてやるぞ」
「いえ。実はもう、銘柄は決めてあるのよ」
「あ?」
ソウはカウンターを覗き込んでいた姿勢で、目だけをアカシアに向ける。
アカシアは、少し緊張しつつ、はっきりと言った。
「『オリジン』が、飲んでみたいわ」
ソウはその返答に、屈託のない笑顔で返した。
「お前にしては面白い冗談だな。『オリジン』なんて都市伝説の産物を」
「あなたの家にあったわよね? ラベルが読めないほど古いボトル。あれのことよ」
「…………」
アカシアのもう一度の踏み込みに、ソウは一瞬真顔になり、そして降参するように手を上げた。
「はいはい。分かった分かった。俺の負けだよ」
「……じゃあ、本当に?」
アカシアが恐る恐る尋ねると、ソウは悪びれた様子も見せず、唇の端をにっと上げて言った。
「どうしてバレたんだ? 俺が『オリジン』を盗んだってことがよ」
アカシアは、心臓がドクンドクンと跳ねているのを実感している。
それを落ち着けるために、いつも頼んでいる【ジン・リッキー】を口にした。口の中に広がるスッキリとした炭酸が、静かに焦燥を洗い流してくれる。
「まず、私に『オリジン』のことを教えてくれたのはリナリアさんよ。知り合いなんでしょう?」
「ああ」
「彼女から、パフィオとボリジはあの日『オリジン』の取引を行っていた、って教えて貰ったの」
そう、最初に得た手がかりを口にして、アカシアは頭のなかで何度も推論を重ねた答えを、静かに反芻する。
ソウは面白がるように、アカシアを煽った。
「で、それがどうした? 俺なんかもともとその場にいなかったんだぜ? どうして俺が『オリジン』を盗んだなんて話に繋がる?」
「それがまず間違いよ。あなたはあの時あの場所に居た。取引の場に居たのよ」
「根拠は?」
「私を助けてくれたことが、その根拠よ」
それは、冷静になって考えた末の結論だ。
あの時は、誰が誰かも分からないほどの暗闇であった。辛うじてわかるのは、身長や体つき、それに足音に声と息づかい、その程度だ。
だというのに、ソウはアカシアを助けるとき、暗闇のなかでアカシアを『出しゃばり女』と呼んだ。
それは、逃げている人物が『アカシア』だと知っていないと出ない発言だ。
ソウが言い分通りに、周りのドタバタで起きてしまったというなら、逃げている人物の正体まで知っている筈がない。
暗闇の中でそれを知ることができるのは、彼女が残してしまった顔写真付きの身分証を確認できた人間。
もしくは、アカシアが焚いてしまった『フラッシュ』で、正体を判別できた人間だけだ。
「……なるほど。でもそれじゃ、俺がたまたま通りがかっただけって説を否定できないな」
「それだけじゃないわ。あなた、本当は知っていたんですってね。あの日『賢者の意志』が、アジトを襲撃する予定があるってこと」
「……それもリナリアか」
ソウは、その情報をアカシアに伝えた心当たりを呟いた。
「でもおかしいじゃない。『賢者の意志』がアジトを制圧することを知っているのなら、どうして、あなたがアジトを襲撃する必要があったのか? 考えた結果、出てくる答えは、証拠隠滅のためよ」
アカシアは、ソウが地下で戦った際の被害を思い浮かべる。
あれは、偶然の事故ではないのではないか。
アジトを襲撃する理由がない人間が、あの場にわざわざ向かった。その上で、ピンポイントに『オリジン』周りのポーション瓶が破砕しているのだ。
初めから、それが狙いだとしたら、どうだろうか。
「もともとのあなたの計画はこうよ。事前に『オリジン』のことを知ったあなたは、巧妙に偽装した『偽オリジン』のボトルを、取引の隙にすり替える。それは朝までバレることはないし、もしバレたとしても犯人の手がかりは何も無い。その状態で『賢者の意志』がアジトを制圧したとしても、『オリジン』については妄言としか取られないでしょう。そこに、あなたに繋がる道は残っていない。あなたはなんのお咎めもなく『オリジン』を手に入れられる、っていう筋書き」
だけど、と前置きして、アカシアは実際にあった出来事になぞらえた。
「当日、イレギュラー要素として『私』がその場に関わってしまった。予定通り『オリジン』を手に入れたあなただけど、私を助けたことで問題が発生した。何も残らない筈だった犯人の手がかりとして『私』が残ってしまったのね。そして『私』を助けたのはあなた。必然的にあなたは『私との共犯』を疑われる立場になってしまう」
なんの手がかりもなければ、取引される『オリジン』が偽物でも『偽物だった』という結果に終わるだけだろう。
しかし、そこに他者が介入した痕跡があれば『何者かが本物を盗んだ』という可能性が浮かんできてしまう。
追われていたアカシアの情報は、何もせずにいれば自然と『賢者の意志』へと伝わるだろう。アカシアに繋がれば、彼女を助けたソウにも繋がる。
何もせずにいれば『オリジン』は『賢者の意志』に見つかってしまう可能性があった。
「そこであなたは『オリジン』の存在そのものを消す、という方法を思いついた。『賢者の意志』よりも早くアジトを制圧し、ポーション瓶を粉々にすることで証拠を隠滅する。そうすれば、そこにあるものが、本物かどうかの区別すら付かないから、論争自体が発生しないってわけね」
その持論を展開し、アカシアはどうだ、と目線でソウに尋ねた。
「まだ弱いな。結局、それは俺以外の誰かが盗んだのかもしれないし、割れた瓶が本物だったのかもしれない。俺が盗んだという結論に繋げるのは強引過ぎる」
「最後は、私の直感よ。あの日、あなたはこの『システム・ナイン』で時間を潰していたわね? 調べたわ。あなたが頼んでいた【サラトガ・クーラー】ってカクテルのこと」
状況証拠だけだと分かっていても、アカシアがそれを信じた最後の根拠。それは、当日ソウがこの場所で飲んでいた一杯のカクテル。
「ノンポーションカクテルなんですってね。【サラトガ・クーラー】は」
【サラトガ・クーラー】は、簡単に言えば『ライムジュースのジンジャーエール割り』だ。
シロップや氷のあれこれはあるが、その中に『ポーション』は一切含まれていない。それで酔うことは、ありえない。
バーという空間で、ソウのような人間がわざわざ、酔わないカクテルを頼んでいた。
それはつまり、ソウはその日、それ以上酔うわけにはいかなかった、ということなのではないだろうか。
「お前に付き合って『テイラ』のショットを飲んだだろ」
「それ、本当は『水』だったんでしょう? そして、それがバレないように、あなたは私の伝票を持ってくれた。違う?」
あの日、アカシアはソウの思惑──これ以上は酔いたくない、というものに気付いていなかった。だが、バーテンダーである店主、ラバテラが気付いていない筈がない。
だとすれば、それくらいの気を利かせていたとしても、全く不思議はなかった。
「他にも、やけにアジトの構造に詳しかったり、あの辺りの地理に詳しすぎたり、貴族の事情を知っていたり、とよくよく考えてみれば引っかかる点が多かったわ。あなたはそれらの情報を事前に持っていて、『オリジン』を盗む用意周到な計画を立てていた。それが私の中で、もっともスッキリする結論だったわけよ」
「……くくく」
ソウは話を面白そうに聞いていたが、ふっと肯定するように薄く笑う。
「良く考えたもんだ。あんた記者よりも小説家のほうが向いてるんじゃないのか?」
「お生憎様。私はただ、真実を追うのが好きなだけよ」
「参った参った、俺の負けだって」
ソウは静かに、もう一度グラスの中身を含む。アカシアもそれに倣った。
さっきから喋り続けていたので、口の中がカラカラだった。
だが、それを押してももう一つ、尋ねたいことが残っていた。
「……ねえ。聞いて良いかしら?」
「なんだ?」
「なんで、私を助けてくれたの?」
それが、たった一つ、ソウという人間について分からないことだった。
アカシアが介入したのは、当日起こったイレギュラー要素だ。しかし、そのイレギュラーを無視することもできた筈なのだ。
アカシアを無視してしまえば、彼女一人の犠牲でソウは当初の予定通りに『オリジン』を手にすることができた。そうすれば、アカシアとソウの繋がりは生まれず、ソウに疑いの手が伸びることもない。
しかし、それをしなかった。
アカシア一人を見殺しにするのと、アジトに単身で乗り込むこと。その二つを天秤にかけて、ソウはなんの迷いもなくアジト襲撃を選んだのだ。
とても合理的な判断だとは思えない。バーテンダーらしくないとも言える。
それ故の疑問だったのだが、ソウは少し馬鹿にするように言った。
「なんでもクソもあるかよ。アカシア、お前は酒のことを何も分かってないぜ」
「え?」
そのときのソウは、いつもの不敵な笑みでもなく、さりとて爽やかな感じでもない。
どこか自然体な、心から浮かんできたような笑みを浮かべた。
「誰かを見殺しにして飲む酒が、美味いわけないだろうが」
その言葉は、どういうわけかアカシアの心にすっと染みた。喉が震えて何も言えない。
アカシアが言葉を失っていると、ソウは恥ずかしそうに頭をぐしゃぐしゃと掻き乱す。
それから、覚悟を決めた様子で言った。
「で、どうすんだ? 真実とやらに辿り着いたわけだが『賢者の意志』に報告するかい?」
ソウの言葉で、アカシアは自分がどんな人間だと思われているのか知った。
少しだけショックを受けつつ、ここは貸しにしとこうと、心で決める。
「……しないわよ。ただ、そのかわり」
「そのかわり?」
「一杯、奢らせなさいよ。あの日のお返しに」
その言葉のあと、アカシアもにっと笑みを浮かべた。それはソウが今まで見た中で、最も魅力的なアカシアであった。
「ん?」
ソウがアカシアを送ったあとに自宅に向かう道すがら、見知った気配が二つ、隠れもせずに立っていた。
街灯に照らされたその二人は、ソウの姿を見つけて軽く手を上げる。
ソウは嫌な予感を感じつつ、声をかけた。
「……なんのようだ。フォックス、リナ」
「いやなに。また会おうと言ったではないか、ソウ」
「男に言われても嬉しくねえ」
言うと、今は仮面を付けていない長髪の美男が、ふふ、と嬉しそうに零す。
「変わっていないね」
「五年やそこらで、この俺が変わってたまるか」
その軽口に、フォックスは懐かしそうに目を細めた。
しかし、そのあとに少し真面目な表情になって言う。
「さて。我々が君に聞きたいのは他でもない。実は、パフィオとボリジの二人が証言しているのだ。『オリジン』は偽物にすり替えられた。その犯人はあの女に違いない、とね」
「それで?」
「…………少しは物怖じしてはどうかな」
相変わらず態度の変わらないソウに呆れるフォックス。
彼から話を引き継ぐように、リナリアがソウに告げた。
「『賢者の意志』としては、追及しないことに決めました。それが、ソウの今回の報酬ってこと、どうです?」
「ボリジの懸賞金……金貨五枚と引き換えか。破格だな」
くく、とソウは浮かんできた笑みを抑え切れなかった。
アカシアにすらバレた時点で『賢者の意志』を誤魔化せるとは思っていなかったが、今回はお目こぼしを貰ったようだった。
「それを伝えに来ただけか?」
「いえいえ、そんな程度の話なら二人で来るわけないですよねぇ」
リナリアは、少し間延びした声で言ってから、ソウに近づいてその腕を取った。
「フォックスさんの奢りですから、朝まで行きますよー」
「おいおい、教職は大丈夫なのか?」
「非常勤的な扱いなんでなんとかなりますって。今は護衛も強化されてますし」
リナリアの言い分に軽く呆れたあと、ソウはその目はフォックスへと向けた。
「んじゃ、頼むぜフォックス」
ソウは少しだけ昔を懐かしむように、フォックスの肩を叩く。
「お手柔らかにな」
フォックスもまた、ソウと同じように少し寂しげに笑う。
「あ、そうだった」
「ん?」
ソウがこれからどの店に向かおうか考えているところで、思い出したようにリナリアが尋ねる。
「良かったら、今回ソウが使った情報屋さん、紹介してくれませんか? アジトの場所や構造、集団の行動予定に構成人数の調査を一週間で済ませ、果ては精巧な『偽オリジン』のボトルまで用意してみせたっていう、凄腕さん」
ソウはそれを行った女をふと思い浮かべた。
彼女は、ソウへの負い目もあって格安で仕事を受けたとはいえ、ソウを金欠に追い込んだ張本人でもある。
特に、機密情報保持のために予約を取ったレストラン代が、一番響いた。勝手に良い酒を頼まれたし。
それを思い出し、その女狐を困らせることも考えたが、やっぱりやめておくことにした。
「残念だが俺は、人の情報を売らないことにしてる」
「ケチ」
リナリアから返ってきた言葉は、偶然にも昼間、ソウがツヅリに言った言葉と一緒であった。
「どうせ俺はケチだよ。よし。あそこにしようフォックス。あのエールが美味い店」
憎まれ口を叩いてから、ソウは頭の中で目的地を決めた。
そして今は、とりあえず色々なことを棚にあげて、人の金で酒を楽しむことにした。
なお、これからアジト一人襲撃のお説教が待っているとは、この時のソウは夢にも思っていなかった。
幕間その一完
ここまで読んでくださってありがとうございます。
幕間その一は、小話的な感じでここで完結です。
もともと小編の予定だったので、モチーフにするカクテルが全然登場しなくて申し訳ありません……
次は四章と言いたいところですが、まだちょっと分かりません。
もしかしたら、今度はちゃんと女の子に焦点があたった幕間その二かもしれません。
(カクテルに当てるとは言って無い。言いたいんですけど……)
いずれにせよ、そんなに長い期間放置にはならないと思いますのでよろしくお願いします。
※0624 誤字修正しました。