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『英雄』の願い

「さて、ここで一つ問題がある」


 地下での作業を終え、地上に戻ってきたソウとアカシア。

 空が微妙に白み始め、やや明るい空気が満ちるアジトの入り口で、ソウはアカシアに向かって言った。


「……何よ?」

「実はな。さっき俺は切り札の一つを切っちまったんだが、それは分かるか?」

「……まあ、だいたいは」


 地下で三人を一蹴してみせたあのカクテル。あれがソウの切り札であることは、バーテンダーに詳しくないアカシアでも分かる。

 だが、その切り札を切ったからどう、という点は分からない。


「さっきのカクテルは、結構疲れるんだよ。いや、強がった、死ぬほど疲れるんだ。で、もともと俺は、さっきのを使う予定がなかった」


 疲れている、などとファジーな表現をしているが、ソウの額には大粒の汗が浮かんでいる。

 余裕のある態度は崩していないし、不敵な笑みもそのままだが、声はかなり真剣だ。


「……つまりあなたは、想定よりも疲れてる?」

「ああ。ぶっちゃけ──ギリギリかもしんない」

「ちょっと!」


 それは、今まで勝利を確信していたらしきソウが見せた、初めての揺らぎだ。

 そして、悪い事は重なるようだった。


「……来たか」


 倉庫の前で陣取っていたソウとアカシアの前に、散っていたはずの外道バーテンダー達が戻ってきた。バラバラにではなく、まとまってだ。

 彼らは一様に、表情に苛立ちを浮かべている。

 その数、およそ二十。


「……元気な間に動き回って仕留めるつもりだったが、ちと頑張れなかったな」


 ソウは軽く言いながら、腰の銃を引き抜いた。それから、アカシアを庇うようにずいっと一歩前に出る。

 そして、先程までの弱々しい口調を一変させ、その身に覇気を漲らせた。


「アカシア。俺が迎えに行くまで、中に隠れてろ」

「……あなた、さっきはギリギリって」

「はっ、冗談だ冗談。こんな雑魚、百人や二百人集まっても俺の敵じゃねえさ」


 ソウの言葉が、強がりなのか本気なのか、アカシアにはもはや判断ができない。

 しかし、彼の決意だけはしっかりと伝わってきた。アカシアを守るという意志だけは、本物だと思った。

 アカシアはそこで初めて首を横に振り、ソウの言葉を拒んだ。


「嫌よ。嫌。私だけ隠れてるのは、もう嫌」

「こんなときに、駄々こねてんじゃねえよ」

「付いてきたのは私の我がままなんだから。私のことはもう、気にしないで。それで、最後は見届けさせて」


 アカシアの願いを聞いたソウは顔をしかめ、自問自答する。

 自分はなぜ、この女の同行を許可したのだろうか。

 普通に考えれば、あの場で置いてくるべきだった。そっちの方が、やりようはいくらでもあった。

 だが、それをしなかったのは自分だ。


「……正義か」


 ソウはふと、アカシアが大事に握りしめたままの『カメラ』に視線を移した。

 彼女の正義はそこにある。自分で見たものを、自分で記録するための道具。それを使って、自分の信じる正義をこれまで貫いてきたのだろう。

 そんな彼女の意志をくじくのは簡単だった。強引に気絶させて置いてくれば、もっと自由に動けただろう。

 しかしそれをしなかった。結局はその青い情熱にほだされたというだけだった。



『ソウヤ・クガイ』を、正義の味方だとでも思っているような彼女に──……。



「ったく。自分の身は自分で守れよ」


 ソウはアカシアへの意識を切り離し、戦闘へと意識を移した。

 対する相手は、警戒しながら、慎重に様子を窺っていた。倉庫の前にボリジの姿はない。代わりに立っているソウとアカシアを見て、大体の事情は察しているようだ。


「言え。仲間は何人だ?」


 油断無く銃を構えている連中の内、一人が代表してソウに尋ねた。


「聞いて驚け。百人はいるぜ」

「……気配がない。どうやら、今はお前達だけのようだな」


 ソウの軽口をはったりと見た男は、周りに指示を飛ばす。


「男は殺しても良い。とにかく、確実に仕留めろ」

「ちっ、そうなるかよ」


 じりっとした殺気に、心地よさすら感じてしまいそうだった。

 ソウはそれまで戦っていた『バーテンダー』としての意識を、さらに一段階落とす。



 生き残るためになんでもする。そういう状態に自分を落とし込む。

 すっと視界の余分な情報が消え、目的と手段がどんどんと鮮鋭化していく。

 目の前に居るのは敵ではない。ただの『標的』だ。

 持っている武器で、的確に、一人ずつ──



「ぐわっ!?」


 直後、ソウと睨み合っていた敵集団の背後から、悲鳴が上がった。

 何事かと、目の前の集団に混乱が走る。


「仲間か!?」


 誰かが叫ぶが、ソウはその質問には応えなかった。

 ソウは既に、先程までの戦闘状態を解除し、油断はせずに傍観の姿勢に入っていた。


 暫くすると、バーテンダー達に威嚇攻撃をした者達が、音も無くその場に姿を見せた。その数は十五ほど。数の上ではこの場にいる外道バーテンダー達の方が多い。

 だが、少しでも戦いの経験があるものなら分かっただろう。

 その十五人が、少なくとも自分たちよりは格上であることが。


 再びの膠着状態のあと、新たに現れた集団のうち一人が前に出た。小型の銃を構えた長髪の男だ。そんな彼は、表情の一切を覆い隠す『仮面』を付けている。

 男だけではない。その場に現れた第三者は全員が意匠の似た『仮面』をつけていた。


「……『豪腕のボリジ』率いる集団だな?」


 その質問に答える声は上がらない。全員が萎縮しているというのもあるが、単純に回答者の不在がある。

 ボリジが率いていない集団なのに、そうだとは答えにくい。

 無言でいる男達に代わって、ソウが通る声でその質問に答えた。


「合ってるぜ。ただし、ボリジは夢の中だ」


 ソウの声に反応し、その場に居た者のほとんどが、ソウの方を向いた。


「……な」


 そして、最初に質問を投げた長髪の男は、ソウに気付いて少しだけ反応した。

 しかし、その戸惑いも一瞬。すぐに気を取り直し、集団に向かって宣告する。



「我らは『賢者の意志』。大人しく降伏しろ。逆らっても痛い目を見るだけだぞ」



『賢者の意志』とは、この国で三つしかないSランクバーテンダー協会の一つだ。

 もっとも古い歴史を持つと言われ、所属するものはその素性がほとんど知れない。

 何故なら彼らは、協会の命を受けて活動するときには、正体を隠す『仮面』を付けることになっているからだ。

 それ故に『ソウヤ・クガイ』の顔を、ほとんどの国民は知らない。名前や『蒼龍』の異名だけが『ソウヤ・クガイ』を示すパーソナリティであった。


 しかし『賢者の意志』にとって、個々のパーソナリティは問題ではない。組織全体の実力でもって解決にあたる。それだけのことである。

 周囲との癒着も個人個人のしがらみもなく、どんな依頼でも的確に成果を上げる。それこそが『賢者の意志』の矜持であり、同時に顔でもあった。

 果たして、そんな協会に名指しで追及されれば、大体の人間は尻込みするというものである。


「な、なんのことだか、お、俺達は別に悪い事なんて」

「もう一度言う。降伏せよ。誤摩化しなど我らには通用しない」

「くっ」


 男の冷たい声が響き、誰かのうめき声が続いた。

 がしゃん、と武器を投げる音が響く。

 誰か一人が取った行動が連鎖的に作用し、一人また一人と武装を解除していく。一切の戦闘行為もなく、その場の戦いは終結したのだった。




 集団の拘束を終えたあと、『賢者の意志』の面々はアジトにも踏み込み、ボリジやパフィオ等、ソウが無力化した人間も運び出す。

 大体の人間は気絶を解かれて自分の足で歩いているのだが、ボリジとパフィオだけは、ソウがやりすぎたおかげか、目を覚まさなかった。

 それらの搬送準備の間、大人しく事の成り行きを見守っていたソウとアカシアに向かって、集団を率いていた長髪の男が近寄ってくる。

 しかし彼は、何を言うでもなく無言でその場に佇んでいた。


「…………」

「なんだよ。俺達は哀れな被害者で、同時に功労者ですとも」

「…………それだけかね?」

「おう」


 ソウの軽薄な口調に、隣に立っているアカシアが肝を冷やした。

 だが、男はソウの態度には何も言わず、静かなため息を吐いただけだ。


「ご協力感謝する。私は『賢者の意志』所属、フォックス・フェイス。フォックスと呼んでくれ……一応、名前を聞いておこう」

「ソウ・ユウギリ」

「……ふっ、覚えておく」


 フォックスは静かに言ったあと、アカシアへも視線を寄越す。


「君は?」

「あ、アカシア・レミセスです」

「アカシア……どこかで聞いたような……ああ」


 少し悩む素振りを見せてから、フォックスは思い当たったように言った。



「君が『ソウヤ・クガイ』の特集を書いたライターか。すまないことをした」

「え?」



 その声に宿っていた感情は、まさしく同情であった。アカシアが事態を呑み込めずにいると、フォックスは少し不思議そうにしてから、説明する。


「記事の差し止めは『賢者の意志』の要請だったろう。聞いていなかったのか?」

「なっ!? そんなの全然!?」

「……そうか。説明の行き違いがあったのか」


 フォックスは少し苛立たしげな声を出したあとに、おほん、と咳払いをする。

 そして、毅然とした態度はそのままに、アカシアに告げた。


「我々は『ソウヤ・クガイ』のことを取り上げる記事を、世に出すわけにはいかない。故に、君の記事は差し止めにあった。君が悪いのではなく、我々の都合なんだ」


 その事実に、アカシアは持っていたカメラを取り落としそうになった。

 それからすぐ浮かんできたのは、行き場のない怒りと、疑問だ。

 なぜ、そんなことをするのか、理由が分からなかった。

 その感情を察したフォックスが、静かに説明した。


「もちろん、我々としては『ソウヤ・クガイ』の記事が書かれることに、なんら思うところはない。むしろ歓迎したいくらいだ」

「だったらなんで!?」

「それが『ソウヤ・クガイ』の願いだったからだ」

「……え?」


 フォックスは、チラリと周りの様子を窺った。

 容疑者達の移動準備を終えた他の面々を見て、それからソウをちらりと見、最後にアカシアに再び向き直る。


「彼は『賢者の意志』の中でも多大な成果を残した。だが彼は、その対価としての名誉や賞賛の一切を放棄した。自分は何も望んでいないのだと言うかのように。しかし、実はたった一つだけ望んだことがある。彼が唯一望んだことが『ソウヤ・クガイ』に関する、一切の情報をせき止めることだった」


 それは、アカシアの知らない事実だった。

 調べても曖昧模糊としていた『ソウヤ・クガイ』の情報。それを分析し、推測してまとめたアカシアは、疑問にも感じていた。

 いくら秘密主義の『賢者の意志』でも、情報が少なすぎると。

 総合協会に残っている情報を頼りに、その足で歩き、人を訪ね、複数の情報を組み合わせてようやく一つ見えてくる。そんな状況だった。

 そして今、その不思議の理由が分かった。


 他でもない『ソウヤ・クガイ』本人が、それを望んだからだったのだ。


「……どうして、そんなことを?」

「さて。私はソウヤではないから、理由は分からない。君はどう思う? ソウ」


 フォックスの何気ない質問に、ソウは面倒くさそうな顔で返した。


「さあな。俺だって知らねえよ」

「……そうかい」


 フォックスはふっと声を出し、まだ呆然としているアカシアに言った。


「そんな彼に代わって、私が君に謝罪しよう」

「はい?」


 状況の変化に付いてきていなかったアカシアが、呆けた顔でフォックスを見る。

 それを確認した彼は、思い切り頭を下げた。


「本当にすまない。だがソウヤの意志を汲んでくれはしないだろうか」

「な、ちょ?」

「私ごときが頭をさげたくらいで、君の気が済むとは思わない。君の正義を軽々しく否定したのは我々だ。いくらでも軽蔑してくれて構わない」


 フォックスは腰を深く折り曲げたまま、綺麗に固まってしまった。

 それをされたアカシアは、ぶんぶんと頭を振って混乱を吹き飛ばす。そして、その謝罪をあっさりと受け入れた。


「あの、頭を上げて下さい。フォックスさん」

「……しかし」

「いえ。良いんです。確かに今回のことはすごく心残りですけれど、でも、それが『ソウヤ・クガイ』の望んだことだったら、仕方ありません」


 アカシアは結局自分の中でそう、結論を付けた。

 世の中には、自分というものを一切曲げず、最後まで我を通す人間もいる。今回の件でも、ここで徹底的に抗議し、全てを捨てる覚悟で記事を守る道もあるかもしれない。

 しかし、それで救われるのは自分の自尊心だけだ。

 自分の憧れた『ソウヤ・クガイ』は、それをされたところで喜んではくれないだろう。

 ならば、悔しくても彼の意志を尊重し、受け入れるほうが自分の性には合っていた。


「……ありがとう」


 フォックスは静かに礼を言ったあと、補足するようにもうひと言を付け足した。


「君の記事、とても良かったよ」


 それが素直な賞賛であるとアカシアが受け取るには、少し時間がかかった。

 フォックスはそんな彼女に、感想というか、要望をすらすらとぶつけた。


「『賢者の意志』の中で、ソウヤを知っている者だけが読ませてもらった。よくまとまっている良い記事だった。できることなら、君のその『カメラ』で、もっと色々な『バーテンダー』を、写してもらいたいものだ」


 言いたいだけ言ったフォックスは、アカシアの返事を待つ事はしない。それをアカシアにかける最後の言葉とし、くるりと背を向ける。

 しかし、そのまま歩き去らず、一度だけ振り返ってソウにも声をかけた。


「それと協力者君。君にも感謝を。いずれまた会おう」

「……良いけど、奢れよ」

「ははは、良いとも」


 そして今度こそ、フォックスは優雅に歩き去っていった。

 アジトは閉鎖され、現在は精鋭数人が見張りに付いている。何者かに悪用される恐れはあるまい。

 今後捕まった彼らがどうなるのかは、分からない。しかし、これ以上首を突っ込む必要はないだろう。

 空はもう明るくなってきていて、街の人々も動きだす時間が迫っていた。


「ふぁあぁあ。ようやっと終わったなぁ。よしアカシア、一杯飲みに行くか?」


 アカシアの隣で、ソウが盛大に背伸びをしながら、間の抜けた提案をしていた。


「……なに馬鹿言ってるのよ。もう朝よ」

「朝までやってる店、いくつか知ってるんだよ」

「…………問題はそこじゃないわ」



 心身ともに疲れ果てていたアカシアは、ソウのその図太い神経にかける言葉が見当たらなかった。

 ソウとアカシアにとっての、長い夜が終わった。


ここまで読んでくださってありがとうございます。


昨日の後書きで説明するべきでしたが、ソウがあの時に使ったカクテルはまだ伏せさせていただきたく思います。

基本的には、スタンダードレシピではなく、ソウのオリジナルという設定です。


※0619 表現を少し修正しました。

※0401 表現を少し修正しました。

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