奇襲
ざっざっざ、という足音が薄暗い路地を駆けていく。
人数はわずか一人。自分が誰かに見られているという感覚もなく、不注意に存在を知らせてしまっている。
その足音に気づき、息を潜めているものが二人。
足音は二人が隠れている路地、その物陰をしっかりと確認することなく、遠ざかっていく。
足音がほとんど聞こえなくなったところで、隠れていた二人のうち、女性の方が息を吐いた。
「ほっとしてる暇なんかねえぞ。すぐに動く」
「わ、分かってるわよ」
アカシアの気の抜けた吐息に鋭い声をかけ、ソウは足音を殺して再び動き出した。
どうアジトを見つけるか、という話があった。
だが、ソウは今現在で、捕縛も尾行もする気がない。
まずは相手を自由に動かしてみて、その動き方でこちらの思惑と、相手の思考がずれていないかを判断する必要があった。
ソウが最初に述べたように、アカシアの自宅や、勤務地などには挙動があやしい人影が散見された。数はそれぞれ三人ずつ。
騎士団にはそれらしい人影がなかったことから、恐らく罠であるのも間違いない。
次に、草の根活動のように動き回っている人間は、二人組が基本。しかし、たまに一人で行動しているものがいる。
人員不足でなければ、時間ごとに片方がアジトへ報告に戻っているのだろう。
だが、相手は成果の上がらない探索に、そこらを歩き回っても見つからない、と焦り始めているように見えた。
考えをまとめると、まだ、ソウの想定内の行動である。
「そろそろこっちも動くか」
やり過ごした男の気配を探りつつ、ソウはぼそりと呟く。
それからアカシアへと、悪そうな瞳を向けた。
「お前、付いてきたからには、多少は協力する気あるんだよな?」
「……え、ええ」
ソウの嫌とは言わせない言葉の圧力に、アカシアは渋々頷く。それからソウは、しばし考えたあとに、ふっと唇を歪ませる。
「俺が思った以上に、連絡係はこまめに戻ってきてるみてえだ。となると、アジトを特定するのは簡単だが、あまり襲撃に時間をかけられねえ」
「……じゃあ、どうするのよ?」
「決まってるだろ。連中が帰ってこないように、細工してやれば良いんだよ」
そして、ソウは鼻歌混じりに腰のポーチへと手を伸ばしたのだった。
「まだ女は見つからねえのか?」
言った男は、苛立ちながら足で地面を何度も踏みつけている。
左腰に無骨な『銃』を持ち、右腰には大きなポーチと、直剣。
がっしりと鍛えられた身体と大きな体格を持つ、威圧感のある男だ。
男は、ダン、と思い切り足を踏み抜き、それからもう一度集まっている面々に尋ねる。
「まだ見つからねえのかと聞いてるんだ」
ボスと呼ばれたバーテンダー、ボリジはぎょろっとした目を部下へと向けた。
そこに集まっているのは総勢三十名ほどの集団だ。内訳は、斥候と接近戦闘を担当するものと、バーテンダーが半々ほど。
その部下の中でもまとめ役の一人が、おずおずと答える。
「す、すみませんボス。どうも女は上手く隠れてるみたいで」
部下から上がってきた声に、男はさらに苛立ちを見せる。
「女一人だぞ!? もうすぐ朝になる! 面倒になる前に見つからなきゃ俺達は破滅だ!」
「で、ですが! 女の行きそうなところは全部張ってます! どこに潜んでるのかは知らねえですが、時間の問題です!」
「ちっ」
部下の言い分を聞いて、ボリジは僅かに舌打ちだけを残した。
時刻はすでに朝の五時半。真っ暗だった空が僅かに青味を帯びている時間帯だ。
現在地は、彼らがアジトとして使っている古臭い倉庫の一つだ。埃っぽい空気とともに、木箱が並んでいる大きな部屋。
彼らのアジトは、並んでいる倉庫街の一画、その地下に作られていた。
表向きはただの倉庫であるし、ぱっと調べただけでは秘密がバレることはない。
調査の目を欺き、その地下にもまた荷物を運び込んで、色々と非正規の品物を扱っているのだ。
ボリジ達はそうやって、裏の社会では堅実に、着実に力を蓄えていた。
だが、数時間前に問題が生じる。
彼らを秘密裏に支援していた貴族、パフィオ・ペディルムと直接取引をしている場面をカメラに収められたのだ。
ボリジは一度、薄汚いアジトの地下にありながら、設えた席で優雅に座っているパフィオへと目を向けた。
「というわけですパフィオさん。一度お帰りください。朝になって姿を見咎められると、あなたの立場も危ないでしょう」
部下への態度とは打って変わって、言葉遣いは丁寧だ。
しかしそれも仕方あるまい。パフィオはボリジ達、非登録のバーテンダー──通称外道バーテンダー達にとってのパトロンだ。
取引こそすれ、もともと対等の立場ではないのだ。
そして、そんな彼がわざわざ自ら姿を見せたことは今まではなかった。
今日の取引はそれだけ、特別だったのだ。
「……私は、君達を信用していないわけではない。女はすぐに捕らえてくれると信じている。ただし」
パフィオは組んでいた足を組み替え、静かに圧を発する。
「現物をこの目で見るまでは、安心できないのだよ。分かるだろう?」
「……分かってますとも。俺達だって下手な仕事をしてるわけじゃねえんです」
ボリジは冷や汗が背中を伝っていくのを感じた。無意識のうちに、今日取引するはずだった品物のほうへチラリと目を向ける。
なんとか女を捕らえて、吐かせなければ。
ボリジが奥歯をぎりっと噛んだところで、地下への入り口が開き男の声が飛んで来た。
「見つけました! 女です!」
そのひと言に、場は騒然と沸き立った。
ボリジはすぐに腰の銃に手をかけ、怒鳴り返す。
「なに!? どこだ!」
「すぐ目の前です! 俺達のアジトの前まで来てやがりました!」
ボリジは喉の奥で笑った。
自分達から逃げ果せるつもりが、近づいてきてやがったのか。道理で探索範囲を広げても見つからなかったわけだ、と。
「お前ら行け! さっさと女を捕まえてこい!」
ボリジは叫び、パフィオの様子をさっと見る。パフィオも拳を握りしめ、面白そうに唇を歪めていた。
それから、どたどたと出て行く部下達に続いてボリジも外へと出た。
周りは倉庫街だ。目の前には、住宅街へと真っ直ぐに伸びる路地が続いている。そして女は、その真正面の道を選んで逃走している様子だった。
視界の遠くで、見張り二人が女に追いすがっている。それを、更に大勢の人間が枝分かれしながら追いかけていく。
住宅街には、立地的に大きな道路は一つしかない。大通りが一本あって、そこから小さい路地が幾重にも分かれている。
女一人を捕らえる為なら、何手にも分かれて道を塞いでしまえばすぐだ。
「間抜けな女だ」
ボリジは吐き捨て、自分がわざわざ動くことはしなかった。
自身の周りに六人ほどの人員を残し、部下が女を捕らえたという報告をしに戻ってくるのを待つ。
しかし、その声がすぐに上がってこない。
「……妙だな」
ボリジは、その時間の掛かり方に疑問を覚えた。
最初に逃げられた時よりも、周囲は明るくなっている。見失うという可能性はさっきよりもグンと低い筈だ。
であるにも関わらず、たった一人の女を、なぜ捕らえることができない?
不意に寒気を感じ、ボリジは周囲に目を配る。
正面には女が逃げ込んだ住宅街へと続く道。左右にはそれぞれ規格の同じ倉庫の、入り口を繋いでいる広い道。
倉庫の陰に誰かが潜んでいようと、周囲に残した人員によって、相手が近づくまでに対処できるはずだ。
……見える範囲で脅威はない。当たり前の結果だ。
そもそも、いったい自分は何を警戒しているのだろうか。相手は女一人ではないか。
そう思ったとき、ボリジの身体に宿っている本能が、彼の身体を動かした。
どこへいうわけではない。とにかく、その場から離れるために跳んだ。
「【スクリュードライバー】」
ささやきのような声が、ボリジの耳に届く。
直後、ボリジの立っていた地点に、水色の魔力の塊が飛び込んできて、弾けた。
同じように避けられたのは、三人。
ボリジの姿を見て、ギリギリ身体が動いたのだろう。
あとの三人は、その奇襲によってあっさりと吹き飛ばされた。
ボリジは追撃に備えて、咄嗟にポーチの中から弾薬とカートリッジを取り出した。
「略式!」
頭の中で、カクテルに必要な宣言を省略するためのスイッチを入れる。これによって、カクテルの完成を極限まで縮めることができる。
先程のカクテルは【スクリュードライバー】。ウォッタ属性の初歩的なカクテルであり、発動時間と効果のバランスが良い、使いやすいカクテルだ。
そして、その射程はおよそ十メートル。
だが、ぱっと見回しても周囲に敵の姿は見えなかったはず。
ということは。
「『ウォッタ』『オレンジアップ』!」
ボリジは叫び、その視線を『真上』に向けた。
案の定、そこにはニヤリとした笑顔を見せている、黒衣のバーテンダーの姿。黒衣のバーテンダーは『倉庫の屋根』から、こちらを狙っていたのだ。
そして、次弾はすでにボリジの間近へと迫っている。先程と同じ水色だ。
「【スクリュードライバー】!」
ボリジは寸分狂わぬエイミングで、迫ってきている水色の光弾を、同じ水色で打ち抜いた。
魔法同士がお互いを喰い合うようにしながら、弾ける。
その余波に構うことなく、ボリジは即座に周囲へと指示を出す。
「敵は上だ! 距離を取れ! 狙い撃ちされるぞ!」
ボリジは油断無く次弾を装填しつつ、男を見ながらジリジリと距離を取る。屋根の高さは八メートル前後。少し離れれば男はもう、迂闊にこちらを攻撃できない。
となると逃げるか、降りてくるかしなければならない。
距離さえ取れば、ひとまずこちら側が不利な立地で戦うことは避けられるわけだ。
ボリジの指示に従い、動けるものは咄嗟に距離を取った。
果たして、ボリジの思惑が完成する最中、黒衣の男は不敵に笑って言った。
「ひゅー。やるじゃん。特にでかいアンタ。ただ者じゃないな」
その馬鹿にしたような物言いに、ボリジは眉一つ動かさない。
「お前は、女とグルか?」
「冗談止してくれよ、って言いたいところだが、まあイエスか」
言いつつ黒衣の男は、足元から一つの『機械』を取り出した。それはカメラと呼ばれる、その場の風景を写し取る機能を持ったものだ。
「これが、あんたらの探してるもんだろ?」
「……話が早い。それをよこせ」
ボリジは油断無く銃を構えつつ、黒衣の男を促した。
男は口元の笑みを消さず、ボリジを挑発するような姿勢も崩さずに言い返す。
「良いぜ、ただし俺に勝てたらな」
その挑発のひと言は、冷静であるはずのボリジの額に、僅かな筋を走らせた。