記者のわがまま
「さてと」
ソウは『瑠璃色の空』本部地下にある、訓練場に降りた。
ここは、協会の人間がカクテルの練習をしたり、模擬戦闘をおこなったりと、実践的な行動を学ぶための場所だ。
基本的にはがらんどうな空間だが、その一画にはとある施設が併設されている。
飲む方の『カクテル』を訓練するためのバーカウンターだ。
バーテンダーは『銃』という魔法具を用いて『カクテル』という魔法を使う。しかし、その魔法を行使するには『魔石』という魔力の結晶を消費する必要がある。
しかし、魔石をふんだんに消費しながら特訓やオリジナルの試作を行うのは、金が掛かり過ぎる。
そこで、通常バーテンダーは訓練を行う際には、魔石を水に溶かした液体『ポーション』を用いて『カクテル』を作るのだ。
また、魔石以外の各要素は副材料と呼ばれ、それは魔草などのポーションを用いるか、果実や炭酸飲料などを用いることが多い。
それらと、魔石を溶かした『ポーション』を混ぜ合わせて作る飲み物もまた、『カクテル』という名前なのだ。
魔法の完成度は、飲み物の完成度に比例するというのは、バーテンダーの常識である。
というわけで、この訓練場にはそのカクテルを試作するための様々な材料がある程度まで揃っているというわけだ。
もちろん、無断使用などすれば、在庫の管理を行っているアサリナが激怒することだけは間違いないのだが。
「ま、背に腹は代えられんさ」
と、口では仕方ないと言いつつ、全く悪びれる様子もなく、ソウはそこに並んでいる材料から、補充したいボトルを取り出す。
そしてボトルを手にすると、静かに唱える。
《生命の波、古の意図、我求めるは魂の姿なり》
彼の詠唱に応じてボトルの中の液体が光り、直後、握っていたソウの手の中に硬質の感触が現れる。
それは『弾薬化』の魔法と呼ばれるもの。そして、そこに出来た弾薬こそ、バーテンダーが魔法を使うのに必要なものである。
準備を終えて訓練場からソウが上がってくると、玄関の前で一匹の『犬』がソウを待っていた。
「なんだクフェア。寝れねえのか?」
「……くぅん」
ソウがからかうように声をかけるが、クフェアは心配そうな瞳でソウを見つめ返す。
そんなクフェアの頭を優しく撫でながら、ソウは諭すように言った。
「心配すんなって、ちょっと行って帰ってくるだけだからよ」
「……きゅー」
クフェアはペタリと耳を倒す。
こう見えて、実はクフェアは犬ではない。犬の姿をしているが、ソウが昔ドラゴンから譲り受けた幼龍なのだ。
故に知能は同年代の犬よりもかなり高い。そして魔力の流れにも敏感だ。
だから、親だと思っているソウが夜中に来ることに気付くし、今ソウが魔力を研ぎ澄ませて出て行こうとしているのにも気付く。
だが、ソウはいつもの調子を崩す事無く、クフェアの頭を撫でくり回したあとにポンと手を乗せる。
「おめえはだから、リーが朝飯の時間に寝坊しねえ心配でもしてろ」
「……わん」
クフェアに笑顔を向け、ソウは表情を改めて玄関へ手をかける。
そこで動きを止め、後ろへ鋭い声をかけた。
「……また明日、で決着付いたんじゃなかったか?」
ソウの背後で、全く隠せていなかった気配が、さらにビクリと震えた。
それでも暫くはバレてないと信じて姿を見せないが、ソウが微動だにせず待っていると、観念して姿を現す。
「……なんで分かるのよ」
「隠れよう隠れよう、って考えてっからだよ。気配を消すってのは隠れるってことじゃない。その場に居るのが当たり前って偽装することだ」
ソウの冷たい指摘に、出てきたアカシアは降参するように手を上げた。
「で、なんで起きてきたんだ?」
「それは私のセリフよ。どこに行くつもりなの?」
アカシアの指摘に、ソウは慌てる素振り一つ見せない。
「見張りつったろ。どこにも行かねえよ」
「嘘。見張るだけなら、そんなしっかり戦闘準備をする必要はないじゃない」
「見張りを舐めるなよ。いついかなる時でも、常に最善の準備をするのがバーテンダーの当たり前だっつう──」
「誤魔化さないで」
アカシアを煙に撒こうとするソウに、彼女はすっと睨みを入れる。声を荒げてはいないが、緊張と怒りを孕んだ声音だ。
ソウはもともと、誤魔化せるとも思っていなかったので白状することにした。
「今からアジトを潰しに行く」
「……何、馬鹿言ってるのよ」
その返答はアカシアの想定通りではあったが、それ故に混乱を招いた。
「あなたの考えていることが分からないわ。現状、あなたは一人、相手は未知数。アジトの場所も分からない。そんな状況なんじゃないの?」
アジトを襲撃すると言っても、その場所が分からなければどうしようもない。取引のあった場所がアジトである保証はない。
運良くアジトを発見できたとしても、一人で勝てる見込みは……基本的にはない。
だというのに、ソウは全く緊張の色も見せずに当たり前のように返した。
「アジトの場所なんて、その辺にいる奴を適当に取っ捕まえるなり、後を付けるなりすれば良いだけだ。そして、あんたを探すために人員を割いている時が、最もアジトが手薄になっている時だ。明るくなる前にアジトを見つけて、包囲網を敷くために手薄になる瞬間。そこを上手く突くためには今行動するしかない」
理にかなっているといえば、そう聞こえた。
アカシアは少なくとも、その返答に対して思う所こそあれ、間違いを指摘はできない。
だが、それも場所やタイミングが正しいという話だけだ。
「たとえそれが正しくても、あなた一人で行かせるなんて」
「ぐだぐだうるせえな。可能だから、俺は一人でやろうとしてんだよ」
ここで押し問答している時間が惜しいと、ソウは話にケリをつける。
「とにかく、万が一、いや億が一で俺が戻って来なかったら、そんときはウチの連中に護衛してもらって総合協会に逃げ込めば良い。俺の行動がどうであれ、あんたはそれで大丈夫さ」
そして、ソウはさっさとアカシアから目を離す。自分を心配そうに見上げているクフェアに一瞥をくれてから、玄関扉に手をかける。
だが、後ろから走り寄ってきた気配が、ソウの服を掴んで止めた。
「……いい加減にしろ。無理してでも止めるってんなら、少し強引に眠ってもらうぞ」
「違うわ」
「あ?」
ソウが、じゃあ何だと尋ねる前に、アカシアは言った。
「私も連れて行って」
その答えは、ソウにも想定外だった。
ソウは思わず間の抜けた声を出しそうになり、それを引っ込めてアカシアを睨む。
「馬鹿かお前は?」
「あなたに馬鹿と言われる筋合いはないわ」
確かに、とソウは頭の中では納得しつつ、当然それを態度に出すことはない。
意固地になったような強い視線で自分を見てくるアカシアに、突き放すような言葉をかける。
「足手まといだ」
「承知の上よ」
「承知してんなら──」
「でも、私だって役に立つはずよ」
アカシアはソウを掴んでいた手を話し、緊張した顔のまま、笑ってみせる。
「相手は私を探しているでしょう? ということは、私は囮になれる」
「不要だ。そんなことよりお前を守る手間のがでかい」
「だから、別に私を守らなくても良いわ。私はただ、あなたに付いていくだけ。あなたは私のことなんて気にせずに動いてくれれば良い」
アカシアの言に、ソウは軽く舌打ちした。
「ふざけんなよ。お前はいったい何の目的で付いてくるってんだよ」
ソウには今のところ明確な目的がある。だが、アカシアには無い筈だ。
それを尋ねられたアカシアは、今にも震えそうな声で、気丈に言った。
「私は、記者なの。それもバーテンダーのことを取材している」
「記事はボツだろ」
「でも、今回のこの『写真』があれば、もしかしたらそれを覆せるかもしれない」
「……続けろ」
ソウの低い声に、内心の緊張を悟られないように気を引き締めるアカシア。
「……それで。私はバーテンダーについて、十分に取材したと思っていたけれど、良く考えたら、足りなかった」
「…………」
「バーテンダーが本気で戦う様子を、私は取材できてない。それが無いのに『ソウヤ・クガイ』の記事なんて、書いて良いはずが無いの」
アカシアの言い分は、なんとも記者としての都合に酔ったものだった。
だが、その瞳の中にある決意は固い。
何としてでも、ソウの姿をその目に収めると、語っていた。
「……本気か?」
「もちろん。駄目って言われても、付いていくわよ」
ソウはその言葉を聞いて、意志の強い瞳を見て。
盛大にため息を吐いた。
「ほんとふざけんなよ……」
そうぼやいた後にがりがりと頭を掻き、それからじとっとした目でアカシアを睨む。
だが、そこから出てきたものは、先程までの心を凍らせるような低い声ではなかった。
「……一つ。俺の言うことには絶対に従え。良いって言うまで出てくるな」
「……それじゃ?」
「……約束できんなら来ても良い。できないんなら気絶させて置いていく」
ソウの呆れたような半目に、アカシアは一も二もなく頷いたのだった。
※0612 表現を少し修正しました。
※0613 誤字修正しました。