【ピクシーレッド】
「とりあえず、適当にスペース作って座れよ」
言ってソウは、アカシアを家の中に入れた。
アカシアは未だ心臓のバクバクを抑えられないまま、二度ほど深呼吸する。
「明かりはつけないの?」
「まだ周りにウロウロしてっかもしれねえのに、わざわざ姿を見せたいのか。助けた甲斐が無い奴だな」
「ちょ、ちょっと聞いただけじゃない……」
先程の発言は我ながら軽卒だったとアカシアは反省する。そのあと、暗闇の中でちょっとずつ見えてきた部屋の様子を確認する。
気になるのは、なんといっても酒瓶だろうか。
「いったいどれだけあるのよ」
「さあ。数えたことはねえけど三桁は無いんじゃねえか」
ソウの部屋は、広さはさほどでもない。浴室とトイレと、居間と寝室、それにキッチン。間取りだけ見ればやや余裕はあるが、典型的な男一人の部屋だ。
だが、そのキッチンから続き、床は当然、壁際に並んだ棚などに所狭しと酒瓶やポーション瓶と思われるものが並んでいた。
アカシアはつい最近までバーテンダーについて調べていたので、並んでいる種類がなんとなく分かる。俗に言う定番品が多いが、ちょっと古いレシピを漁って見ないと出てこないような珍しい銘柄も存在している。中には古ぼけた瓶でラベルが読み取れないものもあった。
ただ、高級とされるものはあまりないように思えた。
その呆れるくらいの生活感の無さと、ボトルを中心とした世界に、アカシアは圧倒的な場違い感を感じずにはいられない。
「キッチンの方は良く使うのと空き瓶。部屋の方は未開封。んで地下にあんのがちゃんと保存するやつな」
「地下まであるの……?」
「大家に無許可で掘った」
「…………」
あまりにもあっさりと告白された暴挙に、アカシアは開いた口が塞がらなくなった。
ソウはアカシアが動きを止めたのに気づき、仕方ないと自分から率先して部屋に入っていった。
居間にもキッチンと同様のボトル、それに銃専用のメンテナンスキット。それら作業用の机に、普段使いのテーブルが一つ。カーテンは締め切ってあった。
ソウは普段使いのテーブル近くにあるボトルをぞぞっとずらして、隙間をあけた。
「ほら、一応人間二人がくつろぐ程度のスペースはあるだろ」
「え、いや、そういうことじゃなくて」
「どういうことでもいい。とりあえず、まずは事情を話せっての」
「……そう、よね」
ソウが作ったスペースにアカシアは腰を下ろした。ボトルと、恐らく銃に関する小物以外は最低限の部屋で、ますます生活感を希薄に感じながら。
真っ暗な部屋の中で、アカシアは先程までの事情を洗いざらい話した。
クーデターに関わりそうな重要な案件、その現場を押さえてしまったこと。その際に、相手に見つかって追いかけられる羽目になったことなどだ。
話を聞いて、ソウは感想の代わりに大きなため息を吐く。
「お前やっぱり馬鹿だろ? 暗闇の中でフラッシュなんて焚くか普通?」
「ち、違うのよ! 後ろから急に声をかけられたせいで手元が狂って……」
アカシアは慌てて弁明するが、実際のところは抜けていただけだ。酔って正常な判断ができていなかったゆえ、フラッシュを焚いてしまったに過ぎない。
ソウはあわあわと弁明するアカシアを置いて、一人考え込む。
「問題は。バッグだな。置いてきちまったんだろ?」
「……ええ」
「じゃ、その中のもんで、あんたの素性はバレてるだろうな」
それにはアカシアも同意見だった。バッグの中には財布や名刺などが入っているため、アカシアの住所や勤め先なども簡単に分かるだろう。
「となると、のこのこ帰るわけにもいかねえな」
「……そうね。でも、どうにか騎士団の詰め所まで行ければ」
自宅や会社に戻ることは困難だろうが、アカシアにはカメラがある。先程確認した結果、決定的な瞬間を撮ることには成功していた。
とすれば、後はそれを騎士団に持ち込み、しばらく保護してもらうだけで良い。
そうアカシアは考えたのだが、ソウは怪訝な表情で否定する。
「信用できるのか?」
「え?」
言ったソウの顔は、すっと暗く鋭い目つきになっている。
それまでアカシアは見た事が無いほど、光の無い目だ。
「そもそも、パフィオがこの時間に出歩けてるってのが臭い。あいつの監視は騎士団の役割だったはずだろ。ってことは、騎士団に繋がってる奴が居ると考えるのが妥当だ」
「……そんな。でも、運悪くその人に当たらなければ……」
「で、俺がパフィオだったら、真っ先に騎士団に連絡を入れるね。何も知らずにノコノコと来たあんたのカメラを確認する振りして、証拠を握りつぶせってな。詰め所で一日受付を変わるくらいわけないさ」
ソウは、その状況になっていることを半ば確信している様子だった。
アカシアは少し涙目になって、ソウに尋ねる。
「じゃあ、どうすれば良いのよ? 大人しくカメラを渡したら安全なのかしら?」
「最悪だな。カメラが手に入ったところで、あんたはもう色々と知っちまってる。俺だったら、命を奪うまでは安心できない」
「命って……冗談よね?」
「…………」
帰ってきたのは沈黙だった。それがどんな意味か察せないほどアカシアは鈍くはない。
答えの代わりに、ソウはさらにアカシアを追いつめるように言葉を続ける。
「他にも、カメラの現像をやってるとことか、他の出版関係の会社とか、あんたが行きそうな所には出来るだけ手を伸ばしてる筈だ」
「……そんな大量に、動ける人員がいるの?」
「相手の規模によるが、まぁ、考え過ぎるってことはないだろう」
ソウは事実を淡々と述べる口調で、アカシアの行先を潰していく。
彼女は自身の肩を抱き、今にも震え出しそうな身体を押さえ付けた。
「……なんで、私はただ、そんな」
ポロポロと言葉が漏れる。
焦燥と後悔で心が張り裂けそうになり、頭の中がぐちゃぐちゃとまとまらない。
とにかく、どうにかしなければ。その考えだけが回り続ける。
アカシアはやがて、ふっと表情を無くし、立ち上がった。
「どこに行く気だ?」
「決まってるでしょ! 騎士団よ!」
「騎士団は信用できないと教えたぞ」
「そんなのあなたの想像じゃない! 大丈夫よ、私は信じることにしたの!」
アカシアはそう言ってソウを置いて家を出ようとする。
「待て」
ソウは声をかけつつ立ち上がる。アカシアの手を掴み、強引に引き戻す。
「いたっ! 何するのよ!?」
アカシアはソウを睨むが、ソウは一週間前にゲスな事を言っていた人物とは思えぬほど、真剣な表情であった。
「落ち着け」
「……これが落ち着いて」
「良いから落ち着け。一杯作ってやるから、行動するのはそれからにしろ」
「……一杯だけよ」
アカシアはその手を振りほどくことも考えたが、止めた。
それだけ、ソウの手を掴む力は強く、必死だった。
アカシアが少し落ち着いたのを確認して、ソウはキッチンの冷蔵庫を開けた。
「……ボトルと割り材しか入ってないわね」
「正しい使い方だろ?」
アカシアの感想を聞き流し、ソウはレモン果実と赤い液体を取り出した。
その後、床に並んでいるボトルから、琥珀色のものを一つ。冷凍庫を開けて氷の入った桶も取り出す。最後に、グラスをキッチンの戸棚から用意した。
まな板を敷いたキッチンの作業場に、それらを展開してからソウは作業に入る。
まずレモンを六分の一にカット。端と中央の白い筋を切除し、身に切り込みを入れつつ、ナイフでグラスに直接絞る。
そのあと慣れた手つきで氷をグラスに詰め込み、それが終わるとボトルから直接琥珀色の液体を注ぐ。グラスの一割程度まで進んだら止め、最後に赤い液体でグラスを満たした。
バースプーンで良くステアしたあと、ソウはグラスを持ってアカシアの所に戻る。
「待たせたな」
「それは?」
「『オールド』のアセロラ割りだ。アセロラっつう果物があって、こいつのジュースがなかなか甘酸っぱくて面白いのさ。俺はこいつを【ピクシーレッド】って呼んでる」
底に沈んだ黄色と、鮮やかな赤色が綺麗なカクテルであった。
説明を軽く流してから、アカシアはその一杯を口に含む。
確かに、爽やかな甘さと酸味、それに『オールド』のコクが後ろに広がっていてとても美味しい。
なにより、甘さっぱりとした味わいが、冷たく喉を潤していくのが心地よい。
こんがらがって熱くなっていた頭を冷やしてくれる。
「どういう意味なの? 【ピクシーレッド】って」
「妖精の悪戯でな。同じ所を延々とぐるぐる回らされるってのがあるんだってよ。それが『ピクシーレッド』だ」
「……それ」
「ぴったりだろ?」
ソウの人を食ったような笑みに、アカシアは口まで出かかった文句を呑み込んだ。不覚にも、この男が言っている冗談も含めて、彼女のためのものだと分かってしまったから。
ソウはアカシアのほっとした表情を確認してから、道具の片付けにキッチンへと戻った。
「…………ねえ、どうしたら良いの、教えてよ」
アカシアは、片付けを終えて戻ってきたソウにぼそりと尋ねる。
結局、自分はどうすれば良いのか。何をすれば勝ちなのか。なんでも良いので道を示して欲しかった。
ソウはそんなアカシアを見つめてから、はぁ、とため息を吐いた。
「一番簡単なのは、あんたがここから一歩も出ず、その間に俺がそのカメラで撮った情報を使って事件を解決することだ」
アカシアは個人情報がバレているが、ソウは違う。
現時点では、それなりに有効に思える提案であった。
「ただ、さっきあんたを助けるために一度だけ顔を見せたからな。顔を覚えてる奴が居たら、俺とカメラを結びつけられるかもしれない。ここの住所は割れてるだろうから、それなりに危ない橋になるかもな」
舞い上がりかけたアカシアは、そのひと言で正気に戻る。
ソウは落ち着いた様子で、次の話をする。
もとから、最初の案はその結論を導くための前置きであったように。
「で、現実的なのは、俺の所属協会であんたを匿うこと。その場合なら、俺が怪しまれてもあんたの安全だけは保証される」
ソウの家に隠れていては発見される恐れがあるが、ソウの所属協会ならそのリスクは低い。
しかし、それはアカシアだけの話である。
「それじゃあなたの安全は?」
「あの程度の連中にやられるつもりは無いから、大した問題でもない」
アカシアはさっと顔を青ざめさせる。
彼女はソウの実力を良く知らないが、それでもバーテンダーは多対一の戦いでは不利であることは知っている。
だからこそ『ソウヤ・クガイ』は伝説になったのだ。
自分が巻き込んだ事件で、ソウを危険に晒すのは本意ではなかった。
「ちょ、ちょっと、だめよそんなの」
「だよな。俺も言っといてなんだけど、これは違うと思うんだ」
「……そ、そう」
ソウがあっさりと意見を取り下げたことに、アカシアは安堵する。
だが、続いたソウの言葉はそれを上回る混乱を与えた。
「相手からいつ襲われるかって状況は精神衛生上良くない。てなわけで、第三案だ」
そのソウの物言いは、まるで、襲われる状況そのものをなんとかしたいと言っているように聞こえた。
アカシアがきょとんとしている所で、ソウはにっと唇を歪めて言った。
「第三案。こっちから相手のアジトを特定、襲撃して、安全を確保する。これなら、回りくどいことはねえし、シンプルで分りやすいだろ?」
最後に出てきた案は、アカシアの理解を遥か後方に置き去りにしていったのだった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
いつの間にか百話まで来てました。
何か記念と思ったのですが、そういうのの準備をまったくしていなかったので、自分がいつも飲むオリジナルを出すことにしました。
描写があっさりですみません。
ここにレシピらしきものを乗せておきますので、興味があったら試してみてください。
【ピクシーレッド】
・ウィスキー = 30ml
・レモン = 1/6カット
・アセロラジュース = 適量
レモンを絞って材料をグラスに注ぎ、ステアすれば完成。
レモンは無くても良い。
ウィスキーの指定は無いが、癖が強いものよりは、癖がないもののほうが飲みやすい。