【ダイキリ】(1)
はっはっは。
荒い息を吐きながら、少年は森の中を駆ける。
深い森だ。辺りの緑が僅かに差し込む日光を取り合い、所狭しと並んでいる。
ほとんど人の手の入らないそこには、道らしい道もない。お世辞にも走りやすいとは言えない獣道を、少年は懸命に進む。
前へ、とにかく前へと足を進める。
何か途方もない恐怖に追われているように、その顔には焦りや恐怖が見える。
いや、事実少年は追われているのだ。
少年が後ろを振り返る。
『グォオオオオオオオオオ』
少年と目があった瞬間、緑色のコケに覆われた熊のような獣が咆哮をあげた。
少年は足がすくみそうになるのをこらえ、それでも逃げる。
このままでは追いつかれるのも時間の問題。少年の足は熊のそれとは比較にならない程遅い。未だに追いつかれていないのは、熊が状況を楽しんでいるからに他ならない。
「あっ!?」
舗装されていない獣道、そこに転がった倒木に少年は足をかけた。
咄嗟に体勢を立て直そうとしても、遅い。振り返るとそこには暗い影があった。
「あ、あぁ、ああ」
少年は無様に涙を流しながら、のしのしと近づいてくるその怪物を見上げる。
全長はゆうに二メートルを超える怪物。全身を高密度な筋肉が包み、腕一本が少年の身体ほどもある。抵抗したところで、なんの意味もないことは明らかだった。
『ギィィオオオオオオオオ』
熊が、勝ち鬨の声を上げた。
少年に微かでも希望が残っていたのなら、それはこの瞬間に消え去ったことだろう。
少年は目を瞑る。身を縮め、耳を塞ぎ、せめて最後のひと時が痛くないことを祈った。
「『ジーニ』!」
だから、その男の声が聞こえた時、何が起こったのかを見てはいなかった。
いつまでもやってこない死をビクビクと待っていた少年の身体を、一人の男が叩いた。
「ボウズ、大丈夫だ、安心しろ」
「……え?」
少年は目を開ける。
そこには、先ほどまでの巨熊の姿はなく、少しだけ無愛想に笑う男がいた。
旅の装備、革の服に革のコート、無精ひげの似合わない端整な顔立ち。そしてその手には『銃』のような武器。それが『銃口』から白い煙を吐いていた。
一瞬、少年は安堵する。だが、次の瞬間には、再び恐怖が蘇った。
「あ、あいつ、まだ」
「ん?」
少年の指差した方角を男は見る。
そこには、先ほどの熊が体勢を立て直し、再び立ち上がろうとする姿があった。
「あー、吹っ飛ばしただけだからな。まぁ安心しろ」
まるで慌てる様子もなく、男は彼方の方角に目を向け、叫ぶ。
「ツヅリ!」
「じゅ、準備万端です! お師匠!」
声の方角。倒れた巨木の上に陣取って、一人の少女が『銃』を構える。
余裕のある男とは対照的に、その手は震えていた。
「【ダイキリ】!」
「了解! 復唱します!」
だが、男の言葉に迷う事なく返事をし、少女は腰につけたポーチから、三つの弾丸を取り出した。それぞれの色は、赤、黄色、そして氷色。
それらをスウィングアウトした『銃』のシリンダーに込め、宣言する。
「基本属性『サラム45ml』! 付加属性『レモン15ml』、『アイス』! 系統『シェイク』!」
宣言が終わると同時、準備を終えたと答えるように、銃が鈍く唸る。
「魔力供給OK! シェイク開始します!」
言ってから、少女は手に持った銃を頭の高さまで持ち上げて、手首のスナップを利用してそれを振る。
時間にすれば、ほんの数秒。
その僅かな時間で、熊は起き上がり、少年達に向かって走り出していた。
「ね、ねぇ!」
「大丈夫だ」
少年は男に縋るが、男は優しげに、ぽんと少年の頭をなでる。
「お待たせしました!」
少女は叫び、銃口を、今にも男達に殴り掛かりそうな熊に向けた。
「【ダイキリ】! 召し上がれ!」
少女の持った銃が火を吹いた。
いや、それは少し控えめに言い過ぎだろう。
銃から放たれた二頭の火龍が、我先にと競いながら疾駆し、熊の巨体を呑み込んだ。
熊は大声を上げることすら出来ず、一瞬にしてその身を灰と化す。
男は、その光景をなんでも無さそうな顔で眺め、少年は唖然と見ていた。
『魔法』という物を、少年は生まれて初めて見たのだから。
「お師匠っ! やりましたーっ! 私やりましたよ! 褒めて褒めて!!」
先ほどあれだけ恐ろしい熊を屠った少女は、そんな底知れぬ実力を微塵も感じさせない爛漫な態度で、男のもとに駆け寄る。
「この馬鹿!」
「いたっ!」
そして、男は少女の頭を叩いた。
「な、何するんですか! 仕事を終えた可愛い弟子に向かって!」
少女は当たり前に憤慨する。
だが、男はその少女の態度に、怒りとも呆れともつかぬ表情で淡々と言う。
「まず一つ。【ダイキリ】の付加属性は基本、『ライム』だ。『レモン』じゃない」
「……に、似たようなものじゃないですか……」
「ああ、似たようなもんだ。だからお前はまず基本を覚えろ、アレンジすんな」
「……ふぁい」
初っ端から凹まされた少女に、男は更に追い打ちをかける。
「二つ、付加属性に『シロップ』を入れ忘れた。配合比率、1ティー分」
「……そんなのほんのちょっとですよ。お師匠も時と場合によるって……」
「だから基本を押さえろって言ってるんだよ。基本は『入れる』だ」
「……へーい」
ちぇっ、と唇を尖らせる少女に、イライラとしながら男は更に言う。
「そして三つ、これが一番大事なことだが……」
男はわなわなと身体を震えさせ、余裕のある表情を崩して怒鳴った。
「お前シェイク長ぇんだよ! ビビったわ! 死ぬかと思ったわ! かっこつけて任せた手前平気な顔してたけど、内心ちびりそうだったわ!」
その必死の形相に、さすがの少女もすまなそうな顔をする。
「だってしっかり混ぜないで不発するよりは、ちゃんと混ぜて確実に発動させた方が──」
「それもそうだけど長過ぎんだよ! あの半分以下で十分! お前シェイクは上手いんだから自信持てよ!」
「……すいませんでしたぁー」
ついに少女はふてくされて、俯いてしまう。
男はその姿を見て、はぁーと大きくため息を吐いた後に、少女の頭を撫でた。
「まあ、それにしても、良くやった。ちゃんと実戦で発動できたことは凄いぞ」
そうすると、少女はすぐに機嫌を直して男にドヤっとした笑顔を向ける。
「で、ですよね! もう、私ったら天才ですかね!」
「調子に乗るな」
今度はこつんと軽く叩いたあと、男は少年に顔を向ける。
「と、大丈夫だったか?」
「う、うん」
少年は俯く。さっきまでの光景のあまりの現実感の無さに、まだ混乱しているのだ。
「とりあえず、今日のところは帰るぞ。親が心配している」
「……その……」
「ん?」
「助けてくれて、ありがとう」
少年はそれでも、素っ気なく礼を言う。
「気にすんな。仕事のうちだ」
男は照れ隠しとも本音ともとれぬ言葉を、ぶっきらぼうに言った。
そのまま集落の方へ歩き出すも、ぼーっと突っ立っていた少女にぶつかる。
「おい、帰るから歩けよ」
「お、お師匠! お師匠!」
だが、歩き出すことなく少女が叫ぶ。
「なんだよ、うるさいな」
「あれ! あれ、見て下さい!」
「あれ?」
男は少女の指した方を見る。先ほど倒した熊の仲間が、十も二十も群れて、襲い掛かる準備をしていた。
「ぅあ……」
真っ先に、先ほどの絶望を思い出した少年が、怯えた声を上げる。
「お師匠! あれは無理っ! 無理ですよぉっ!」
少女は泣きそうな顔で男に縋り付く。半人前の彼女にもどうにかする術はない。
「あー、まぁ、どうすっかな」
男は頭をぐしゃぐしゃと掻いてから「仕方ねぇ」とぼそり、呟いた。
「ボウズ」
「え?」
男は唐突に少年に声をかけた。
「あの程度だと思われても困るからな」
「な、何が?」
男は不敵に笑い、自身の『銃』を抜き放った。
「お前に、本物のカクテルを見せてやるよ」
ここまで読んでくださってありがとうございます。
本日は、六話まで投稿予定ですので、よろしければ読んでくださると幸いです。
※0914 誤字修正しました。
※1030 表現を少し修正しました。
※1101 表現をやっぱり元に戻しました。