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5/12

俺はまた、間違えたのか?

 ……暑い。


 その日、俺を起こしたのはいつもの目覚まし時計の騒音ではなく、寝苦しいほどの室内の暑さだった。


 薄い夏用の掛け布団を鈍い動作で退かしながら身体を起こす。小学六年生の未だ発展途上の身体はねっとりと汗で濡れていて気持ち悪かった。


 そのままベッドから降りて窓を開ける。時間は六時半。空を見れば、青空と呼ぶに相応しい雲一つない空が広がっていた。


 今日も暑くなりそうだ。


 ……休みたい。


 まぁ勿論そんなことは出来ないのだが。


「それにしても、こう暑いと……」


 思い出すな。


 六年前、俺が前世の記憶を思い出したその日を。


 そして、俺が俺の、峰岸ハジメの父親を殺した、その日を。


 確かその日は雨で、車の中もクーラーが効かず蒸し暑かった。


「……」


 俺はため息を一つ吐くと、熱気が溜まった自室を後にした。






 クーラーの効いたリビングでトーストを齧りながら、俺はテレビで天気予報を見ていた。朝食を済ませて、マンションの三階にある家を出る。


 外に出ると、気温はもはや夏のそれだった。六月も中旬、初夏であるから当然なのだが、あまりにも暑い。一瞬、本気でクーラーの効いた家に戻ろうとしたが、学費を払ってもらっている以上、学校に行かない訳にはいかない。これでも前世では苦学生でお金の重みというモノは嫌というほど味わっている。


 十数分ほど歩けば、学校の校門が見えた。そこで俺は、もはや見慣れた小さな身体を見つける。


 校門の学校の名前が書かれた場所に背を預けるのは、秋月だ。耳の聞こえない彼女は時折左右を見てはため息を吐いて、そわそわとしている。


 ……待てをされた子犬みたいなやつだな。


 そんな秋月はもう一度左右を見て、俺の姿を見つけたのだろう。まるで飼い主を見つけた子犬のように嬉しそうに微笑むと、とてとてと小走りで近づいてくる。


 あーもう走るな。転ぶぞ。


 俺は少々の呆れと共にそう思うのだが、ただまぁ、


『おはよう! ハジメ君!』


 そんな風に笑顔で挨拶が出来るようになったのは、良いことだ。


 あの日、秋月が勇気を出して変わった日からもう一か月が経っている。転校してからは二カ月か。最初はずっと俯いて暗い雰囲気しか出していなかったこいつを思えば、たぶんこれは十分な進歩なんだろうな。


『ハジメ君?

 どうしたの?』


 感慨に頷く俺を見て不思議そうに眼を丸くする秋月に、俺はこいつの頭を乱暴に撫でて、


『何でもない』


 俺たちは並んで歩きだした。


 下駄箱で靴から上履きに履き替えながら、俺はふと気付いたことを尋ねてみる。


『なぁ、秋月』

『なに?』

『暑くないのか?』


 初夏ももう半ば真夏のそれに近い今、それでも秋月は長袖を着ている。勿論皆が皆衣替えをして半袖になっている訳ではないが、秋月のように長袖を着ているのは本当に少ない。


 秋月は筆を滑らせて、


『お母さんが、長袖で行きなさいって』


 母親が?


 ふむ、そう言えば秋月は体育の時間も冬のジャージでやってるよな。最近聞いた話ではプールの授業も母親に止められているらしい。


 日光に肌が弱いのか?


 そこらへんは身体が丈夫な俺には分からない感覚だ。


『そっか』


 特に気にした訳でもない。


 俺はこれ以上聞くことなく歩きだした。秋月がとてとてと隣りに並ぶ。


 そして、俺たちの教室の前についた。


 閉められた扉を開けて入れば、差してくるのは無数の視線だ。


 クラスの隅で固まって、俺を、いや正確には俺達を睨みつけているやつらがいる。秋月をいじめた男子のグループだ。あいつらは俺達が教室に入って来た瞬間あからさまに舌打ちをした。


 俺は気にせず席に座る。秋月もだ。今までのようにビクビクと怯えるようなことはせず、席に着いた。


 あの日、秋月が変わってから、しかしいじめは終わらなかった。


 今でも秋月は無視をされたりしている。だが、程度はかなり下がった。以前のように秋月の悪口をワザとらしく言うこともなければ、あいつを傷つけることもない。まぁ陰口くらいはあるがその程度今までだってあったようなモノだ。


 そういう意味では、これも進歩と言えるのかね。


 いや、マイナスの値が少しマシになったって言うほうが正しいか。。


 それでも、やっぱり一か月前よりは状況は改善されたはずだ。


 何より、秋月が良く笑うようになったのだから。


 とはいえだ。


 俺は席につき、考える。


 正直、今のままではいけない。


 以前、秋月に聞いたことがある。


『秋月、平気か?』


 その問いに、あいつはこう答えたんだ。


『うん!

 ハジメ君がいるから!』


 ……うん、その言葉自体は正直かなり心を打たれた。言うなれば自分の娘に『お父さん大好き!』と言われたような感じだ。父親になったことはないけど。


 だが、問題は秋月の俺に対する依存なんだ。


 真面目な話、俺と秋月はずっと一緒にいられるわけではない。


 これから中学、高校と上がって行くにつれて進路や目指す場所でバラバラになって行くんだ。


 そんな中、ちょっとばかし大げさかもしれないが秋月が俺に依存したままでは絶対にいけない。


 誰かを頼ることは悪いことでなないけど、頼り過ぎれば自分がダメになるんだ。


 だから少しでも多く、人を知って、ちゃんと自分で歩けるようにならなければならない。


 少なくとも秋月は、それが出来るだけの勇気があるんだから。


 秋月は変わった。ならこれからも変われるはずだ。


 こいつは、優しくて強い、幸せになっていいやつなんだから。


 誰かを頼って、誰かに頼られて、そうやって多くの人を信じて生きていけるようになって欲しい。


 ……絶対に、俺のようにはしたくない。


 という訳で、今日の昼休み、俺と秋月は珍しく教室ではなく図書室に来ていた。秋月へのいじめは程度こそ下がったがそれでも継続されている。あそこで他の友達を作れると思うほど俺はバカではない。なら、まだ初対面の人間との方が友達になりやすいはずだ。


「……」


 ……いや、無理じゃねぇ?


 よく考えたら俺は友達の作り方を知らない。一人でいる方が楽という根暗な俺だ。今更何をどうしたら友達が出来るか何て分からなかった。


『ハジメ君?』


 秋月が俺の服を引っ張る。そう言えばまだ、こいつを図書館に連れて来た理由を話してなかった。


 ……腹括るか。


 秋月の不思議そうな視線を受けながら、俺は図書室を見渡した。小学校の図書室だけあって昼休みはかなり人が少ない。


 しかもいるのは、大半が高学年だ。まぁ、低学年は中で本を読むよりも外ではしゃぐヤツのほうが多いからな。歳が近いなら俺としても都合がいい。


 さて、誰に話しかけたもんか……出来れば知っているやつがいいんだが……


「……ん?」


 ……あいつは。


 図書室の隅の机の更に隅の椅子に腰かけて本を読む生徒がいた。眼鏡を掛けた長い黒髪の生徒だ。見覚えがある。えっと何だっけか、ちょっと変わった名字だったんだよな。


「確か、五月女……」


 下の名前が出てこない。


 まぁ当然か。俺が三、四年生の時、同じクラスだっただけのやつなんだから。


 とはいえだ、丁度いい。


 俺は秋月の手を引き、そいつへ近づいた。


 秋月が目を丸くしているが、まぁ頑張ってもらうとしよう。


「なぁ、ちょっといいか?」


 声を掛ければ、五月女は一瞬目を丸くして、それから左右をきょろきょろと見てから自分を指差す。


「……私?」

「あぁ。えっと、俺のこと覚えてるか?」


 ここで首を横に振られたら俺は途方に暮れていたかもしれないが、運がいいことに五月女はこくりと頷いた。


「うん……峰岸君、だよね?」

「あぁ。お前は五月女だよな?」

「うん」


 確認が取れたので、


「じゃあこいつと友達になってやってくれ」


 そう言って、秋月の背中を押し、五月女と向き合わせる。


「……え?」


 それが五月女の回答だった。


 俺が事の顛末を簡単に話すと、五月女はとても意外そうに俺を見て来た。それから、少しだけ考えるように俯いて、


「……うん、分かった」

「いいのか?」

「えっと……うん。私でよかったら」


 五月女は、ひどく自信がなさそうな態度だ。


 確か、同じクラスの時もそうだった。そんなに印象に残る記憶はないけれど、こいつは自己主張がほとんどなくて、いつも貧乏くじを引かされていた覚えがある。


 ……もしかしたら、似た者同士なのかもな。


 こいつと秋月は。


 ともあれだ。


 俺は、状況が分からず目を丸くしている秋月を振り返ると、


『秋月、喜べ』

「……?」

『こいつがお前の友達になってくれるそうだ』

「……!?」


 秋月の丸くなっていた目が、驚きのそれになる。


 それからいつになく早く筆を滑らせて、


『どういうこと!?

 ハジメ君!』


 どうもこうも。


『お前も友達ほしいだろ?』

『それは……うん』


 秋月は頷く。けどその顔はまだ下を向いたままだ。


 たぶん、自信がないんだろう。以前秋月は前の学校でもその前の学校でもいじめられたと言っていた。だから、知らないんだ。どうやって友達を作るのか。


 そんなこいつの頭を、俺は乱暴に撫でた。


『秋月、よく聞け』

「……?」


 秋月は目を丸くしながらも頷く。


『優しい。人のために頑張れる。笑顔が可愛い。子犬っぽい』


 秋月は分からないんだろう。俺が書きならべる言葉の意味が。


 あぁ、そうだろうさ。


 誰だって、分かるはずがない。


 自分の良いところなんて、自分が一番分かってないんだから。


『これがお前の良いところだよ』

「……!」


 いいか、秋月。


『お前には、こんなにいいところがあるんだ』


 だからな、秋月。


『そんなお前なら、頑張れるさ』

「……」


 秋月の目は、まだ迷っていた。


 だが、迷うだけ良い。


 下を向いて諦めるよりも、何倍もマシだ。


 最初からしないと諦めたやつに出来ることなんて、何もないんだから。


 ……何よりそれを、俺は知っている。


「……」

『出来るかな、私』

『お前次第だ』


 ずるい言葉だと我ながら思う。


 だけど、簡単に出来るなんて俺には言えなかった。


 だから俺は、今、自分に出来ることをしよう。


『頑張れ、秋月』


 そう言って、背中を押す。五月女の前に立つように。


 秋月はまず五月女を見て、目を反らして、それでも真っ直ぐに見ようと顔を上げた。


 五月女もかなり引っ込み思案な性格だ。秋月を前にして自分から話せないでいる。


 図書室ということもあり、周りが静寂に包まれる。


 それを打ち破ったのは、一枚のメモだった。


『私、秋月姫乃って言います!』


 いつもと違い、少々焦った様なその文字。


 秋月の顔は真っ赤だった。俺たちのクラスに転校してきた時とは全く違う。たぶん、本当に友達になって欲しい人に自己紹介することに慣れてないんだろう。


 だけど、それは本当に秋月が真剣である証明なんだ。


 だから、伝わる。


 本気の、真剣な想いは、どんな形でも相手に届くんだから。


 きっと恥ずかしくて前を向けないんだろうな。秋月はメモを五月女の方に向けて、それでも下を向いてしまう。


 だから、秋月には見えないんだろう。


 五月女の戸惑った、だけど微かに嬉しそうな顔が。


 五月女が俺を見る。どうすればいいかとそう問う視線に、好きにしろと無言で伝えた。


 そして――掴まれる一枚のメモ。


 秋月が、顔を上げた。


 五月女の視線と、秋月の視線が重なる。


 そして、


『私の名前は五月女梓です。

 よろしくね、秋月さん』


 渡される一枚のメモ紙。


 秋月は少しだけ戸惑ったように左右を見て、それを手に取り、ぎゅっと抱きしめた。


 それから、笑顔で、少しだけその目に涙を溜めて、頷いた。


 そうして数十分、俺たちは図書室で一緒に過ごした。基本的に秋月と五月女は共に引っ込み思案なので俺が慣れないながらも適当な話題を上げ、会話を進める。だがそれも最初の内だけだ。


 二、三日もすれば二人は互いに話しだし、まだぎこちないものの笑顔を浮かべるようになった。共通の趣味である読書があったのも大きい。お互いに読んだことがある本の感想を言い合い、数日も経てば俺が何もしなくても二人で話せるようになっていた。


 そして今日も、秋月は五月女と笑っている。どうやら本について話しているらしい。基本的に俺は話すことをしないので、この三人になると秋月と五月女の会話を見守る形になる。そんな訳で絶賛手ぶら中の俺は、何となしに二人が今、話題に上げている本を見てみた。


 聞いたことのあるタイトルだ。確かCMとかでやっていた親子愛をテーマにしたものだったよな。映画化するとかなんとか。


 ……映画か。


『なぁ、秋月』

「それから五月女」


 文字と言葉、二つで話しかければ、二人は俺を見て、


『今週の日曜日、これ見にいかねぇか?』

「『え?』」


 秋月と五月女、二人の疑問が重なった。


 そして日曜日。俺たち三人は隣町まで電車で揺られ、映画を見に来ていた。そんなに大きくない映画館だ。俺も峰岸ハジメになってから映画を見た覚えはないがそれでもこれくらいの大きさは普通だろう。


 だからな、秋月……


『ハジメ君ハジメ君!

 おっきいね、広いね!

 ここが映画館なの!?』


 あー、はいはいここが映画館だ。だから服を引っ張るな。


 驚いたことに秋月は今まで映画館に来たことがなかったらしい。トランプも知らなかった所を見ると何か色々一般常識が危ういような気がする。


 ……それだけ、秋月は辛い思いをしてきた証明なのかもしれないな。


『ハジメ君?』


 っと、顔に出てたようだ。秋月が不安そうに俺を見上げてくる。


 俺が勝手に欝に入ってこいつに心配かけてんじゃ世話ねぇか。


 俺は苦笑混じりの微笑を浮かべると、


『何でもない。今日は楽しむぞ、秋月』

「五月女もな」


 俺の言葉に、秋月は嬉しそうに微笑んで大きく頷く。


『うん!

 行こう、梓ちゃん!』

「え、あ……うん! だから引っ張らないで、姫乃ちゃん……」


 初めての映画が楽しみで仕方ないのだろう。いつになく元気に秋月は五月女を引っ張って映画館の中に入って行った。引かれる五月女も、その顔に困った様な、だけど楽しそうな笑みを浮かべている。


 ……ちなみに、誘った手前ここまでの電車代とこれからの映画代は俺持ちだ。父の遺産を必要以上に使うのは前世で金に苦労させられたので気が引ける。


 でも、ま。


「……あいつが笑ってるし、良いよな」


 きっとこれは、無駄遣いじゃないだろうから。


 ポップコーンとジュースをワンセットずつ頼み、俺たちは指定の席に座った。秋月を真ん中に左が五月女、右が俺という順だ。


 そして、映画が始まる。


 原作を読んでいない俺はさてどんなものかと半目で見ていた。正直なところ、こういう家族愛をテーマにした作品は好きになれない。


 前世のことで。


 そして、今世のことでも。


 例え家族だろうが、人は平気で裏切る。


 家族なんて、言ってしまえば血が繋がっただけの他人なんだから。


 だから、西オサムの父親は平気で飲酒運転をして家族をめちゃくちゃにした。


 だから、西オサムの母親は平気で再婚して俺の前で自分が幸せであることを無自覚にアピールしてくる。


 こっちの気も知らないで、とは言わない。知らないのは俺が言わないからだ。


 そして言うつもりもなかった。


 言った所で、結局は、


「……何も変わりゃしねぇんだから」


 小声でぼそりと呟いてしまう。


 そうだ、言う必要はない。


 俺の本当の気持ちなんて、言ったところで誰かを不幸にするだけだ。


 ――どうして、兄さんなの!?


 ――あんたが、あんたが!


 ――あんたが死ねばよかったのに!


「……はっ、知ってるよ」


 家族愛の映画か。チョイスをしくったな。


 クソみてぇなことばっかり、思い出しちまう。


 シーンはクライマックスだ。映画の中での家族は今までのいざこざを和解し泣きながら笑いあっていた。きっとここで、本来は泣くシーンなのだろう。涙腺を欠片も刺激しないのだが。


 でもま、それは俺の劣等感からであって本当なら感動するはずなんだろう。そう思い、隣りの秋月に目を向ければ、スクリーンの光でうっすらと見えるこいつの横顔には、疑問のようなモノが見て取れた。


 少なくとも、泣いてはいない。


 それは、上手く言えないが、そうまるで、不思議がっているような。


 そんな俺を余所に、映画が終わる。秋月は何事もなかったかのように立ち上がると、


『映画ってこんな大きな画面でやるんだね!』


 ちょっとばかし的外れな感想を綴った。


 それから昼飯がてらに喫茶店による。話題は当然と言えば当然ながら先ほどまで見ていた映画だ。


 五月女はかなり楽しんでいたようだ。その目には涙の跡が見て取れる。どうやらどストライクだったみたいだ。


 ただ、予想外だったのは秋月の反応だ。映画の途中で見た時同様、秋月は初めての映画を楽しんでいたものの、だからと言って泣くほど感動はしていないようだ。まぁ、俺も秋月の全部を知っている訳じゃないから単純にそこまで感動しなかっただけなのかも知れないが。


『秋月、映画楽しくなかったか?』


 俺の問いに秋月は目を丸くして、


『ううん。すごく楽しかったよ?』

『そうだよね。特にラストのシーンで私、泣いちゃった』

『? どうして?』

「え……?」


 声を出したのは、五月女だ。だが、気持ちは俺も同じだった。


 確か、あのシーンは家出をしたヒロインが帰ってきて、心配した両親に抱きしめられると言ったものだった。俺は女優の名演技すげーと思いながら見ていたので感動とは無縁だったのだが、秋月がそんなことを考えていたとは思えない。


『だって、悪いのは家出をした女の子だよね?

 なのにどうして、お父さんとお母さんは悪くもないのに謝ったのかな?

 何で女の子を怒らなかったのかな?』


 ……そういう考え方もあるのか。


 意外と冷静な秋月の感想に、俺たちは顔を見合わせる。


 そんな中、秋月は美味しそうにデザートのプリンを食べていた。


それから少しして、俺たちは家路についていた。電車を降りれば、俺と秋月の家の方向は真逆になる。


 元気よく手を振る秋月に苦笑しながら俺は帰り道が同じ五月女と歩きだした。


「行くか」

「……うん」


 五月女は少々俯き気味に頷いた。


 沈黙の中、俺たちは歩く。別にこれと言って話す理由もないし居心地自体も俺は悪くないのだが、せっかく付き合ってもらったのにそれはねぇよな。


 そう思い、話しかけようとして、


「……ちょっと、意外だった」

「うん?」


 脈絡のない言葉は、きっとこいつなりに俺に気を遣っているからなんだろう。俺が首を傾げれば、五月女は本当に意外そうな顔で俺を見ている。


「峰岸君と、姫乃ちゃんが一緒にいるの」

「……そうだな」


 確かに、俺もそう思う。


 いつもの俺なら、きっと人と関わることを面倒だと思い何もしなかったはずだ。


 ただ、俺は見てしまったから。


 知ってしまったから。


 あいつの弱さを。


 目の前で不幸になる子供を。


「……私ね、正直に言うと峰岸君のこと、苦手だった。何を考えているのか分からない……ううん、ちょっと違う。何を考えててもその全部を諦めてる……ゴメン、上手く言えないけど、そんな感じがして、その」

「気持ち悪かったか?」

「……」


 五月女は答えなかった。


 それはもう肯定なんだがな。


 とはいえこれで傷付いたりはしない。


 こいつの言うことは、何も間違っていないんだから。


 俺はこのまま、沈黙が続くと思った。俺自身これ以上何か言うつもりはないし、五月女も引っ込み思案な性格だ。こんな妙な空気で会話は出来ないだろう。


 けど、


「でもね、今はそう思ってないんだ」


 続く言葉。


「姫乃ちゃんと筆談すると、すごく『ハジメ君』って言葉が出てくるの」


 それは、知らなかった。


 実際に口で話していないからメモから見える内容で俺はこいつらの会話を察してきたんだが……なんだろう、すげぇこそばゆい。


「それでね、私思ったの。姫乃ちゃんにとって、峰岸君はすごく大切な人なんだろうなって。そして、峰岸君は誰かにそんなに思ってもらえる人なんだって」

「……考え過ぎだ」


 そう、考え過ぎだ。


 誰だって、辛い時に優しくされればその人に依存してしまう。


 ただ、それだけのことだ。


「そうかな?」

「そうだよ。俺は嘘つきな人間だからな」

「……峰岸君」


 続いて紡がれた言葉に、俺は思わず足を止めてしまった。


「ありがとう」


 ……え?


 目を瞬かせる俺に、五月女は嬉しそうに微笑を浮かべて、


「私ね、こんな性格だから、友達が出来なくて、本当は寂しかったの。でもね、今はそんなことないよ」


「友達がいるから」と五月女は笑った。「だからね」と続ける。


「姫乃ちゃんと友達になる切っ掛けを作ってくれて、ありがとう」

「……」


 ったく、どいつもこいつも。


 何でこー、俺の妙なところを揺さぶることを言ってくれやがるんだろうな。


 上手く言えねぇけど、正直やめてほしい。


 ……こんな俺に感謝なんて、もったいないにも程がある。


「そう思うんならさ、秋月とこれからも仲良くしてやってくれ」


 そう言って俺は、止まっていた歩みを進めた。


 五月女と別れ、家についた俺はそのままベッドの上に寝転ぶ。


 ……正直、気持ち悪い。


 何が、と明確に言えないが、気持ち悪いんだ。


 心の奥底。諦めが泥のように染みわたるそこで、何かが燻っている。


 あぁ、知っている。これが何なのか。どういう感情なのか。


 上手く誤魔化してきたつもりだが、結局俺は自分を騙すことさえまともに出来ない出来損ないらしい。


 知っているだろう、俺がそんな感情を抱いた所で意味なんざありゃしないって。


 もうずっと前に、諦めちまった感情だろう、それは。


「……くそったれ」


 気持ち悪い。


 本気で気持ち悪い。


 ……秋月の言葉が、五月女の言葉が、


「嬉しいだなんて、思ってんじゃねぇよ……」


 この、ゴミ野郎が。





『ハジメ君、元気ない?』


 翌日の朝、いつものように校門で待ち合わせしていた秋月が俺を見ての一言。


 どうやらまだ俺は昨日のことを引きづっているらしい。


 ……らしくないにも、程があんだろ。


 面倒くさい。


『ちょっとアレだ、気分が悪いだけだ』


 俺の言葉に秋月は驚いたんだろうな。その顔を不安にさせて、


『大丈夫!?

 頭が痛いの!?

 それともお腹!?

 病院行く!?』


 矢継ぎ早に繰り返される文字に、俺は曖昧な笑みを浮かべる。


『大丈夫だ。単純に気持ちの問題だから』


 そうだ、大丈夫。


 こんな気持ちなんざ、すぐ治まる。


 気持ちの切り替え方くらい、知っている。


 知らなきゃ、大人の社会じゃ生きていけなかったからな。


『そう?

 でも、何かあったらいつでも言ってね?

 私じゃ、何の役にも立てないかもしれないけど』


 そう綴って、秋月は顔を俯かせた。


 ったく、何やってんだよ俺。


 ガキに心配かけちゃ、世話ねぇだろ。


 俺はいつものように乱暴に秋月の髪を撫でて、


『行くぞ、秋月』

『うん』


 俺たちは並んで歩く。


 下駄箱で上履きに履き替えて、階段を上って行く。


 そうして教室へ向かう途中、不意に秋月が足を止めた。俺たちの教室の二つ前のクラスだ。六年一組とプレートのある教室。なんだ? 俺は秋月の視線を追って――そこで、昔の秋月を見た。


 教室の隅の席で、女子に囲まれている五月女を。


 一見すれば女子同士がただ話しているようにしか見えない。だが、秋月には分かるんだろうな。俯いている五月女の身体が小さく震えていることが。


 あぁ、そうさ。


 アレは、少し前の秋月と同じ状況なんだから。


 秋月が教室に入ったのと、俺が声を上げたのは同時だった。


「先生おはようございます!」


 勿論この時間、教師の一人もまだ教室には来ていない。だからこそあいつらは五月女を囲んでいたんだろう。予想外のことに五月女を囲んでいた馬鹿どもは蜘蛛の子を散らすように自分の席に着いた。


『梓ちゃん、大丈夫!?』


 俺も次いで教室に入れば、秋月は五月女の手を安心させるように握っていた。


 秋月の心配そうな視線に、五月女は小さく安堵したように微笑んで――次の瞬間、何かに気付いたように目を見開き、そして。


 ばっと、振り払われる手。


『え?』と無言の声を上げる秋月。


 そして、五月女が汚い字で書いた一枚のメモ紙。


『もう、私に話しかけないで』


 それは、秋月に渡されることなくひらひらと床に落ちた。


 秋月は、拾えない。


 教室から逃げるように出ていった五月女を追うこともできない。


 何も出来ないまま、嫌な沈黙だけが教室に残る。


「秋月……」


 俺は、呆然とする秋月を立たせると、その場を後にした。


 ……俺は、また間違ったのか?


 秋月の顔を見て、思う。


 今までの笑顔が嘘だったかのように暗い顔が、そこにはあった。


 その顔を、俺は知っている。


 秋月は、泣いていない。


 怒っても、いない。


 ただ、ただそれは。


 それは――人が絶望してしまった顔だった。

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