俺とあの子の出会い
日曜日。俺こと峰岸ハジメは家の近くの市立図書館に来ていた。
前世の記憶を思いだしてから五年経つ。現在小学六年生の俺はアレから一度も自分の死を確認してはいなかったのだ。
感覚的にあの夢が自分の前世であると言うことに疑いはないが、確たる証拠もない。小六にして早くも厨二病に目覚めたという可能性も無きしにあらずなのだ。いやむしろ俺ならその可能性の方が高い。
さて、今朝方目が覚めてそう思った俺は一応の確認ということで図書館のテーブルに腰かけている。新聞を見るためだ。今が西暦2033年で俺が死んだのは確か西暦2013年だからもうあれから二十年は経っている。それだけ前の事件が仮に新聞に載っているとして、それがあるとしたらこういった公共施設くらいしかないはずだ。
見かけだけとはいえ平和な日本の、それも人死にが出た事件だ。大きく一面、とはいかないがそれなりに記事になっているはずだと思う。
詳しい日付を、自分の命日であるにも関わらず覚えていない俺は唯一覚えていた三月の新聞を虱潰しに読んで行った。大体が当時話題になっていた中国との尖閣諸島問題について書かれていて、それらしい記事はない。自意識過剰が過ぎたか、あるいはやはりあれは俺の悲しい妄想だったのかと諦めかけてページをめくった俺は次の瞬間目を見開いていた。
そこに、俺の顔があったからだ。
いや、厳密には俺だった俺の顔、か。
当時コンプレックスだった不細工な顔がそこには載り、記事には簡単に書くとこう記されている。
昨日12時、○○県△△市の□□銀行に銀行強盗が入った。二時間の立て籠り後、警察が複数の発砲音を確認し突入。犯人ら3名を取り押さえることに成功した。
その事件で同市に住む23歳派遣社員、西オサムさんが死亡した。被害者の話しによれば暴行を受けた少年を助けようとして犯人達に立ち向かい、撃たれたということ。中略。その他に犠牲者はなく、暴行を受けた少年も軽傷で済んだ。
……。
「……ふぅ」
自然と、ため息が漏れた。
そうか。
……そうか。
あの子は、無事だったのか。
何だかんだで俺が死んだ後のことは何も分からなかったからな。俺が死んで、あの子も死んでたんじゃあ死に損もいいところだ。
いや、ある意味それは俺にあってるとも言えるけど。
ともあれだ。
新聞に載っている俺を見る。
……うん、とても不細工だ。ニキビが多いしひげもまともに剃られてねぇ。髪も寝癖がついてるし、もうなんていうか、見てるだけで俺が死にたくなるな。うん。
というかこの写真はいつのだ? 俺、二十歳すぎて写真撮ったのって免許の更新と短大の卒業アルバムくらいなんだが?
……履歴書のやつかな? ともあれもっとましな写真を用意してほしかった。
……いや、意外とこれが一番まともと判断されたのか? だとしたら死ねるな。いやもう死んでんだけど。
ともあれだ。俺は新聞を片し、すぐそこにあったソファに腰掛けた。
……何だかんだ言っても、俺は死んだんだな……。
そう思うと、何も思わないというほど、俺は特別な人間ではなかった。
俺は誰よりも劣っているけれど、だからと言って『特別』なんかじゃないんだ。自分が死んだのなら、その死に思案し、追悼の念くらい払う。
悲しいかと聞かれればそうだと答えるくらいには。
だけどそれ以上に、嬉しいかと聞かれれば――迷うことなく『あぁ』と答えるだろう。
意味も価値もなかった俺が、誰かを助けて死ねる――そんな上等な死を得ることが出来たんだ。
「……やっぱ俺って、変わってるのかね……?」
いや、変わっているというより、劣っているんだろうな。
自分の死より他人の生が大事なんて、それこそ人としては合っていても、生物としての人間としては間違っているんだから。
何だっけ? 生前(?)の俺が見ていたアニメかマンガで、『誰かを助けるために死ねることを喜ぶことは、形を変えた自殺願望だ』的な台詞を聞いたことがある。
……確かにな。俺らしくもない、反吐の出る考えだ。誰かを助けるなんてそれこそ俺みたいな人間失格……いや、人間失敗がするようなことでもしていいことでもないだろうに。
「はぁ」と軽い暗澹なため息。
「ふぁ」と軽い眠気のあくび。
長い時間文字を追っていたから眠くなってしまったようだ。日曜日ということでいつもなら家でグータラしている俺のらしくない行動に若い身体が眠気を訴えている。
俺は頑張って眠気に対抗した。
五分後には決着。TKO負けで俺は睡魔に敗れた。
気がつくと二時間経っていた。
うん……完全に眠っていたようだ。ソファに座った体制で固まっていたせいか妙に身体が痛い。俺はゆっくりと立ち上がると、誰にも迷惑を掛けないことを確認して背中を伸ばした。
「ふぁ」とあくびが漏れる。
そして身体の痛みが薄れたところで携帯電話を見れば、そこには5時45分という数字があった。あと十五分で閉館だ。さっさと出よう。
携帯をポケットにしまい、出口へと向かう。
その時だった。そいつを見つけたのは。
そいつは、借り出し口の所でうろうろしている不審者だった。見たところ俺と同じくらいの歳だろう。後姿ではっきりは分からないが華奢な身体と肩までの髪から察するに女の子ってところか。
何ということはない。きっと本を借りようとしているのだろう。そう思い、俺は出口へ歩き出した。一歩歩き、後ろを確認する。そいつはまだうろうろしていた。三歩行き、後ろを確認する。受付係のおばさん二人は会話に盛り上がりそいつに気付いていない。出口まであと一歩で振り返る。そいつの目に涙が見えた。
……気持ち悪い。
あぁもう最高に、
「最悪だよ……」
何が? 引き返してそいつの所に向かっている俺がだよ!
俺は自分でも分かるほど乱暴な足取りでそいつに近づいた。名前も知らない子供は俺に気付いていないようだ。その背中に、
「おい」
声を掛ける。
「……」
少女は振り返らない。
……えぇぇぇ!? どうするのこれ? 前世とはいえ人間不信の俺が見ず知らずの、それも女子に声を掛け立っているのに無視されたんですけど!?
心が、折れそうだった。もういっそほっとくかなと思ったが、そいつの涙が頭から離れない。
……子供の涙ほど、苦手なモノはない。
「おい」
もう一度、声を掛ける。
「……」
そいつは振り返らない。
俺の心が折れそうになる。
「あ、あのー……」
今度は下手に出てみた。
少女は振り返らない。
泣いていい?
意を決し、俺はそいつの肩に触れた。
瞬間、ばっとそいつがこちらを向く。心の底から驚いた、そんな表情で。持っていた本を床に落とすほどの勢いだ。
そんな反応されたら逆に俺が驚くんだが、それでも俺の方が大人(精神的にだけどな)曖昧な笑顔を浮かべて本を拾い、そいつに手渡す。
「大丈夫か? 困ってたみたいだけど?」
……正直、今俺は自分が子供でよかったと思う。もし大人の、しかも前世の俺がみたいなのが端も行かない女の子に声を掛けていたら即『お巡りさんこの人です!』と通報されていたはずだから。
女の子はしばらく呆然と目を見開き、それからよく分からない手の動きをした。ジェスチャー、に見えなくもないが上手く理解できない。
そんな俺を見て察したのだろう。そいつはポケットから小さなメモ帳とボールペンを出してさっと滑らせた。
『ごめんなさい
本を拾ってくれてありがとう
私は耳が聞こえないんです』
……そういうことか。
俺は少々失礼かもと思いながらも携帯に手を伸ばし、メモ帳を開いた。
『こっちこそゴメン。声を掛けても気付いてもらえなかったから肩に触ったんだけど、驚かせちゃったな』
『いいえ』
『それでどうしたんだ? 本を借りないのか?』
俺の質問にそいつは少しだけ涙ぐんで、
『どうやって本を借りればいいのか、分からない』
なるほど。
見たところ小学3、4年生だ。学校の図書館は使ったことがあってもこういう大きな所は初めてなんだろう。
俺も中学の時、初めて市立図書館に入った時は緊張したもんだ。
涙ぐむそいつの頭を、少々乱暴に撫でてから、
『じゃあ、カードも持ってない?』
『カード?』
持っていないようだ。
『ついてきて』
俺は少女の手を取り、カード発行の用紙が置かれている所へ連れて行った。幸い彼女は耳は聞こえなくても文字は読めるらしい。更に幸いなことに身分証明になる保険証も持参していた。
それらに必要事項を記載させ、少女と一緒に受付に行く。
受付の前で少女が不安そうにこちらを見て来た。不安そうなその視線に、俺は頭をかく。
助けて、とは言えないんだろうな……。
俺も、前世では……いや、今も、誰かに素直に助けを求めることが出来ないからよく分かる。
だってそうだろう?
もし助けてって言って――断られたら、恐いからな。
だけどそれは、俺が大人の、そして人間の汚さを知っているからだ。
ガキはガキらしく、すぐに誰かを頼ればいいんだよ。
それが出来ないのはこいつがただ単に意気地無しなだけなのか……あるいは――いや、俺には関係ないか。
誰かの助けになれるほど俺は特別なやつじゃない。今回のだってたまたまだ。だから、こいつにそんなに深く関わらないようにしよう。
俺は名前も知らないそいつのすぐ隣で、受付のおばさんにカードの発行と本の貸し出しを頼んだ。書類に不備はなかったようで五分もかからずカードが借りる本と一緒に渡される。
これで終わりだ。
俺はため息交じりに、挨拶もせずその場を離れようとした。
正直、人助けなんて恥ずかしかったからだ。いつからだろうな? 人として正しいことをすることが恥ずかしいと思うようになったのは。
そんな俺はだけど。
――ぎゅっと、握られる手。
振り返れば、女の子が俺の手を掴んでいた。
目を丸くする俺に、そいつは手を妙な形で動かす。
左手を胸の位置で横にして、そこに右手でチョップするように手を合わせる。
……わからねぇよ。
少女もすぐに察したようだ。顔を赤くして、今度はメモ帳を取り出す。
『ありがとう
あなたのおかげで本を借りることが出来ました』
「……」
「……」
「……」
「……?」
別に嬉しくなんてない。
人として当たり前のことをしただけ。
なのに、あぁどうしてだろうな。
俺は、俺は……
たったの五文字。その言葉に、込み上げるモノを感じた。
俺は、少女の髪を乱暴に撫でる。
彼女は目を丸くする。訳が分からないようだ。ならちょうどいい。
「こっちこそ、ありがとう」
告げた言葉は、きっと彼女には届かないだろう。
だけど、それでよかった。
こんなくそ恥ずかしい言葉、届いていたのなら決して口にできなかっただろうから。
俺はそいつに背を向ける。歩きだす俺を彼女は、今度は止めはしなかった。