お前と出会えて、よかった
助けていたつもりだった。
救っていたつもりだった。
だけど、本当に助けられていたのは――
本当に、救われていたのは――
俺の方だったんだ。
彼女の優しさに。
真っ直ぐな視線に。
こんな俺を、信じてくれたあいつに。
本当に大切だと言ってくれた、あの言葉に。
だから、俺も言葉を贈ろう。
あいつが、俺に贈ってくれたように。
あの日から、一週間と少しが過ぎた。
3月27日。
秋月が、この町を離れる日。
多くの人が行き交う駅のホームに、俺達はいた。
秋月を見送るために、五月女と日野、寺崎、そして俺がいる。
もう既に、親父さんは新幹線の切符を買っていて、後は行くだけだった。
だから、ここが最後のお別れで。
最初に言葉を贈ったのは、意外にも寺崎だった。
一歩、秋月の前に立つと、寺崎は真っ直ぐに秋月を見つめて――頭を下げた。
本当に、心から、謝るように。
『ごめん、秋月。
俺は、本当に馬鹿なことした。
謝って許してもらえることじゃないのは、分かってる。
でも、他にどうしていいか分からないから。
自己満足でしかないのかもしれない。
でも、本当に、本当にごめん』
そう綴った手紙を渡して、寺崎は頭を下げ続けた。
だけど、俺達の顔には怒りも悲しみも、浮かばなかった。
だって、そうだろう?
俺は、実際に見たわけじゃないから、話に聞いただけだけど。
お前は、ちゃんと償いをしたんだ。
償えばいいってわけじゃないのは、寺崎も分かってるんだろう。
でもさ、もういいんだ。
頭を下げてるお前には見えないだろうけど、手紙を受け取った秋月は、笑っているから。
秋月は、持っていたメモに、いつものように文字を綴った。
そして、頭を下げる寺崎の肩を、そっと叩く。
寺崎が、顔を上げた。その表情には、ひどく緊張の色が見て取れる。
それは、それだけ寺崎が悔やんでいるということで。
だけどその表情は、すぐに崩れた。
秋月が、手渡してメモによって。
そこに書かれていた文字は、多くはなかった。
たったの、5文字だ。
『もう、いいよ』
それは、あの時、寺崎が初めて謝りに来た時に綴ったそれと同じ。
だけど、違う。
あの時は、嘘だったけど。
今は、本当にそう思っているんだ。
寺崎は、泣くのを我慢しているんだろう。唇をぐっと噛んで、もう一度頭を下げると、後ろに下がった。
次に、回すために。
寺崎と代わって前に出たのは、五月女だった。
彼女は、寺崎と違って泣いていた。
秋月と、初めての友達と別れることが辛いんだ。当たり前だった。
それでも、書いてきた手紙を、秋月に渡す。
『姫乃ちゃん。
書きたいことは、いっぱいあるけど。
きっとそれを全部かいたら、姫乃ちゃんを困らせちゃうから。
だから、本当に伝えたいことだけ、書くね。
私と友達になってくれて、ありがとう。
私、すごく嬉しかった。
いじめられていた私を、友達だって言って、
泣いてくれた姫乃ちゃんが。
友達で、本当によかった。
本当は、一緒にいたい。
一緒の中学校に行って、ずっと友達でいたい。
でも、私がお父さんと離れたくないみたいに。
姫乃ちゃんも、お父さんと一緒にいたいだろうから。
ここで、お別れ。
でも、
でも、
いっぱい、メールするから。
夏休みも冬休みも、絶対に会いに行くから。
私たち、
ずっと、
ずっと、
友達だよね?』
泣きながら、手紙を渡す五月女に、秋月も笑いながら、その瞳に涙を溜めて、頷いた。
『私も、嬉しい。
梓ちゃんと友達になれて、
すごく嬉しい。
私も、会いに行く。
ぜったいぜったい、
会いに行く。
だから、ずっと
ずっと
私たち、友達だよ』
そう書いて、秋月は五月女に腕を開いた。
抱きしめるように。
だけど五月女は、それに首を振る。
『それは、私じゃダメだよ』
『そう、それは本当に大切な人とね』
五月女と代わる形で、日野がメモを秋月に渡す。
彼女は、泣いていなかった。
いつものように、見ているこっちが気持ちよくなる、そんな笑顔を浮かべている。
『ひめのん。
超大好き!
またね!』
……まったく、こいつは。
簡潔にまとめられた手紙には、大きな文字でそう書かれていた。
だけど、それが薄情に映らないのは、日野の人徳なんだろう。
泣いていた秋月は、おかしそうに、楽しそうに、嬉しそうに、笑った。
『私も、優陽さんのこと
大好きです!
お姉ちゃんが出来たみたいで、
すごく嬉しかったです!』
その言葉に、日野は嬉しそうに笑う。
そして、手を差し出した。
秋月もすぐに意図に気付き、
パーンと音を立てて、ハイタッチ。
それから、ゆっくりと日野は下がって。
俺の番に、なった。
俺は、ゆっくりと一歩を踏み出す。
そして、秋月と向かい合った。
もしかしたら、これが本当の初めてなのかもしれない。
俺と秋月が、本当の意味で、本当に向かい合ったのは。
いつだって、俺達は、心のどこかで嘘をついていたから。
だけど今は、違うよな?
俺もお前も、もう嘘をつく理由がないから。
自然に、俺達は笑えていた。
俺は、三人と同じように手紙を秋月に渡す。
秋月は、笑顔で受け取ってくれた。
そして、目で問いかけてくる。
『読んでいい?』
俺は、当たり前だろうと頷いた。
便せんに入ったそれを、丁寧に秋月が開けていく。
そして、中を見て、手紙を読んで、
まず、秋月は驚いた。
それから、小さく笑った。
だけど、それはずっと続かなくて、
秋月の身体が、震える。
泣いて、いたから。
でも、それは、悲しいからじゃないんだ。
俺は、秋月にゆっくりと近づいて、
その、細い身体を、抱きしめた。
「初めて会ったのは、図書館だったよな」
言葉を、紡ぐ。
それは、手紙に綴ったモノと同じ。
「それから、学校で再会して
お前がいじめられて、
一緒に、補聴器探したよな?」
何だか、すごく懐かしいような気がする。
それくらい、俺にとって秋月は隣りにいて当たり前の存在になっていたんだ。
「一緒にトランプで遊んで、
映画も、見にいったっけ。
耳が聞こえないのに、変なチョイスだったよな?」
思い出す。色んな事を。
たった数か月だったけど、だけど本当に大切な思い出を。
「五月女と友達になって、
裏切られてたと思って、
でも、信じて、
本当の友達になれたよな?」
ぎゅっと、秋月を抱きしめる。
あの時の、恐怖が少しだけ残っていたから。
「プールでお前が溺れた時、
本当に、恐かった。
お前が消えてしまうんじゃないかって、
本当に、恐かった」
それから、本当に大変だったっけ?
「俺も、お前も逃げてたよな?
でも、お前は立ち向かった。
お前が立ち向かってくれたから、
俺も、立ち向かえたんだ」
きっと、俺一人では逃げてたから。
「それから、親父さんと会えて。
お前は、俺が助けてくれたって
そう、言ってくれたよな?」
腕の中で、秋月が頷く。
「でもな、違うんだ。
助けていたつもりだったけど。
救っていたつもりだったけど。
本当に助けてもらえていたのは――
本当に救われていたのは――
俺だったんだ」
秋月が笑顔を向けてくれるたびに。
ありがとうと言ってくれるたびに。
俺は、自分にそんな言葉は似合っていないと思いながら。
それでもずっと――嬉しかったんだ。
「あの墓で、お前が伝えてくれた言葉が、嬉しかった。
お前が向けてくれた笑顔が、嬉しかった。
本当に、嬉しかったんだ……
だから、俺も伝えるよ。
お前が俺を助けて、救ってくれたように」
そっと、秋月の肩に手を当てて、離れる。
真っ直ぐに、秋月を見るために。
秋月の笑顔を見て――
俺の笑顔を、見てもらうために。
「秋月、お前は言ったよな?
『生まれて来なければよかった』って。
『生まれてこない方がよかったのかな?』って。
今も、そう思うか?」
秋月は、首を振った。
耳が聞こえていなくても、
きっと、想いは届いているから。
そんな彼女に、俺は笑顔を向ける。
そして、言った。
「生きていてくれて、ありがとう」
「……!」
「俺と出会ってくれて、ありがとう」
「……」
「俺は、お前と会えて、本当によかった」
だから、
「生まれて来てくれて、ありがとう――姫乃」
「……!」
秋月は……いや、姫乃は、目を見開いて。
その目に、ゆっくりと涙が溜まって。
だけど、泣いてしまえば俺が困ると思ってるんだろう。
泣くのを、ぐっと我慢して。
だけど、だけど、
我慢できなくて、
その、綺麗な瞳から、
ゆっくりと、涙を流して。
大粒の涙を流して、
それでも、嬉しそうに笑った。
俺はたぶん、まだ変わっていない。
俺の中にある諦めは、カビのようにへばりついたままだ。
だけど、それでも。
変わりたいと、そう思っている自分が、確かにいるから。
俺は、生きていこう。
生きたいと思って、生きていこう。
迷うこともあるだろうけど、
間違えることもあるだろうけど、
だけど、それは当たり前なんだ。
俺だって、姫乃だって。
誰だって、いつだって、迷って間違えて。
進めない時もある。
逃げてしまう時もある。
だけど、一つの出会いで、何かが変わることもある。
だから、逃げても、迷っても。
歩むことだけは、絶対にやめない。
生まれ変わってもダメな俺と、
耳の聞こえない少女は、
そうやって、少しだけだけど、でも確かに、変われたんだから。