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魔の豚  作者: 愛理 修
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A君は語るー1

 A君は語る。


 我は闇の淵より甦りし

 その身は暗黒の炎につつまれ、その目は憎悪に満ちた悪鬼の如し

 おおいなる夜の翼と鋭き牙をもて、いま我は報復せり

 我の名は魔の豚なり


 のっけから妙なことを言い出してすみません。えらく時代がかった、言葉なり呪文なりと思われたでしょうが、僕がこれから話そうと思っている話は、この言葉にまつわる、ある事件のことなのです。笑われるかもしれませんが、いまでもこの言葉を諳んじることがことができるほどに、僕にとっては、いや僕たちにとっては、印象深くて忘れられない事件でした。なにしろ、そのころの僕たちといえば、世の中のことがまだわかっていない、多感であることだけが特権の中学生だったからです。


 さて、僕が通っていた中学というのは、九州の片田舎で、まわりは田圃や畑ばかりというところでした。もちろん公立で、小学校を卒業したらそこへ行くのがあたりまえで、私立なんてのはあったのかなかったのかわからないというころの時代の話です。といっても、昭和の初めとか、東京オリンピックのころといった古い話でなく、道路は舗装されていましたし、ファミコンでしたけど、テレビゲームもありました。


 鉄筋の三階建ての校舎に講堂を兼ねた体育館とプールがあって、田舎だけに、広い運動場が自慢の学校でした。校門のところで桜の木々が枝を伸ばし、運動場の片隅には首のなくなった二宮金次郎の像が立っていました。首を探して、薪を背負った金次郎が、夜な夜な校内を徘徊するという怪談もありましたが、僕が話そうと思っている話には、まったく関係のないことです。


 みなさんもよくご存じだとは思いますが、いじめというのは、むかしからありました。それがいまみたいに社会問題になるかならないのか違いで、いじめる者といじめられる者との関係は、時代に関係なくどこにでもあるものです。

 僕が中二のときのクラスの、蛇沢秀太郎へびさわしゅうたろう河鹿守かじかまもるという二人の生徒に起こったことも、それにからんだ、しかし異様なものでした。


 

 

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