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魔の豚  作者: 愛理 修
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夜の公園ー4

「さて、そうやってA君たちは河鹿をいじめ、担任もかばうことがなくなると、彼らの世界でいじめは放任されエスカレートしていった。そして河鹿は食べることに執着しだした。この辺の河鹿の気持ちはわかるだろう。いじめというストレスを解消するのに食欲に頼ったわけだ。やけ食い、失恋食いというものと同じだよ。ストレスが高まると交感神経の働きが過剰になってきて、副交感神経を作用させたくなる。その手っ取り早い方法のひとつが食べることだ。消化器官は副交感神経に支配されているから、食べ物を入れさえすれば、無理にでも副交感神経を働かすことができる仕組みだ。とにかく河鹿はそうやって食べるようになった。もちろんそうすれば脂肪が増え、太るというおまけがつく。それでもいじめから逃れるために、河鹿は食べつづけた。その挙句今度は、豚としていじめられることになったんだから救いがないがね。

 河鹿がしだいに、体型だけでなく心理的にも豚と化していったのは、一見とんでもないことみたいだけど、一種の憑依現象だったと考えればそれほど不思議でもないんじゃないかと思うんだ。憑依現象というのは、キツネ憑きとか悪魔憑きとかいうものさ。そういうものだったら、聞いたこともあるだろうから違和感は受けないだろう。どこそこかの誰さんにキツネが憑いたとか、こっくりさんをしていて霊にとり憑かれたなんて話は巷に溢れかえっている。ただ豚が憑いたとか聞いたことがないせいで、河鹿の話は異様に聞こえるのさ。豚やキツネや悪魔を取り払ってしまえば、憑依としては同じ現象が起こったと思えばいいだけなんだよ。そうすれば河鹿に起こったことも、珍しいには違いないが、理解し難いものとは言えない。

 河鹿の場合、急激に太ったこと、みなから豚扱いされたこと、とくに箸が取り上げられたあたりから、それが急速に進行していったんだと思う。箸を使わずに食べるようにしたのも、きっとA君たちだよ。そのころになるといじめは、誰がしたのかわからない方法でなく、あからさまになされていたのがわかる。まったくひどい話だ。子供の残酷さというのは手加減がないからね。河鹿がどういう気持ちでいたかなんて考えもしなかったろう。いじめというのは最初きっかけがあるものだけど、エスカレートするうちに、いじめることそれ自体が目的になるんだ。そこまでなったら、いじめる方もいじめられる方も理由を失い、いじめという行為だけが勝手に進んでいく。

 しかしさすがに、落ちたものをそのまま食べ、平然と床を舐める河鹿の様子にはいじめている側も驚いたみたいだ。それまでは、河鹿が豚の真似をしているですませられたものが、それだけでは通用しなくなってきたのさ。それが河鹿の真似だったのかどうかは僕にもわからない。床を舐めるぐらいだから、たぶん正気は失われつつあった。いじめは減少しただろうけど、かわりに蛇沢が河鹿を豚として可愛がり始めたことで、河鹿の豚への変貌は進行していった。

 ここでちょっと蛇沢のことについて話しておきたいんだが、僕は蛇沢というのは、小さい時、小学生あたりかな、それぐらいの時に性的暴行を受けたんではないかと想像しているんだ」

「どうしてそんなことがわかるんだ」

 私はむきになって言った。Kの推理は飛躍しすぎている。話に即しているものの、多分に想像が入っていた。しかしそれでも、聞いているうちに感化されてきている自分に私は気づいていた。A君たちがいじめの主犯だったことも、河鹿が豚になったことも、空想でなくほんとうのことのように思われてきていた。

「わかるんじゃなくて、ただの憶測だよ。勝手な想像と言ってもいい」

 私と違い、Kの声は夜の静寂のように落ち着いていた。

「A君の話のなかで、蛇沢の言葉らしきものがあっただろう。そこで蛇沢は、小さい時に豚にされたことがあると言っていたよね。みんなによってたかってとね。そこに僕は性的なものを感じるんだ。蛇沢は小さい時から美少年で通っていたと考えられるし、そういう少年にいたずらをするような不埒な輩もいたということは十分ありうる。君に言わせれば空想を走らせすぎということになるかもしれないが、よってたかって豚にされたというのが、僕にはどうも、蛇沢の小さい時の性的暴行の告白だったんではないかと思えて仕方ないのさ。そう空想すると、蛇沢がどういう人物だったかも理解できそうだ。性的な暴行を受けた蛇沢が、自分を豚にされたと表現するぐらいだから、それが彼にとって屈辱的なものだったことは間違いない。そんな経験の持ち主が性的なものを極度に忌み嫌うようになり、人を避けるようになっていく心境もわかろうというものだ。

 さて、ここからはほんとうに勝手な憶測を展開させてもらう。そうやって屈辱的な扱いを受けた蛇沢は、自分が豚にされたと思った。どうしてそんな目にあったのかといえば、自分が人より美しいからに違いない。彼はきっと自分の美しさを呪ったことだろう。美しいのは彼にとって忌まわしいことだった。しかもそのせいで、また襲われるかもしれないという恐怖もある。そういう葛藤を持ちつづけた蛇沢が、その美しさで人を畏怖させ、人が近づかないようにしていったのは必然だったんだよ。彼には豚にされたという思いがあり、そのことに対する復讐心もあっただろう。豚なのは、自分じゃなくて貴様らのほうだというわけさ。そしてそれを周囲にわからせるのが、彼の処世術だったんだよ。蛇沢がA君たちにしていたのがそれさ。美しさで魅了しながら、人を寄せつけず、その一方でそんな彼らを嘲るのが蛇沢のやり方だったんだよ。中二といえば、性への関心が高まるころで、そういうのを蛇沢は敏感に感じ取っていた。しかも蛇沢は、屈辱的なものだったとはいえ性の洗礼を受けていたので、A君たちよりそのことに関しては長けており、彼らを翻弄するぐらいわけなかった。もちろんそれは歪んだ性だったけどね。しかしそうしながら蛇沢は、孤立というものにはまり込んでいった。孤立は蛇沢にとって必然の結果であったが、やはり耐え難いものだったんだろう。いくら大人びていても中学二年生だ。やはり仲間というものが欲しかった。しかしその相手を見つけることもできない。そこへ、河鹿という転校生が現れたわけだ。

 蛇沢の目に河鹿がどういうふうに映ったかは、ほんとうのところはわからない。ただA君たちとは違うものとして見えたと思う。転校生というものには異人というイメージがつきまとうのが常識だ。俗にいえばよそ者ということになる。よそ者は変化をもたらすから閉鎖された社会では、最初のうちはとかく敬遠されがちだが、蛇沢にはそういう変化は好ましいものだったと想像できる。ほんとうの意味で蛇沢が一番望んでいたのは、忌まわしい過去を消し去り自分を変えることだったからだ。もちろんそれが叶わないことであるのは彼も知っていたろうが、そういう夢想にひたれるだけでも心地よかったに違いない。河鹿という転校生と親しくすることは、蛇沢にとって、いまの環境を除外し自分を変えることだったのさ。現実にはそうならなくても、そう思えれば、それだけでよかった。

 しかしくちづけ事件が起こった。性的なことを嫌悪する蛇沢にとって、それはもっとも不快なことだった。A君たちにその時の蛇沢はなまめかしく見えたみたいだが、ほんとうは蛇沢はパニックに落ちていたんじゃないだろうか。河鹿のしたことは彼に屈辱を思い出させた。変化をもたらす転校生も、ただの豚野郎だったわけさ。しかし教室を見まわした蛇沢は、A君たちも河鹿に反感を持ったことに気づいた。翌日にはいじめが始まったことを知り、彼は豚同士が勝手に事態を悪化させていくのを見守っていればよくなった。変化ができなければ、あとは破壊しかない。蛇沢に自殺願望や自虐趣味を僕が見い出すのはそのためだよ。そして、どっちつかずな態度で河鹿に接触し、両者を煽るのが、唯一蛇沢のしたことだった。

 そんな過程のなかで河鹿が太っていったことは、蛇沢を喜ばせたと思う。豚が、ほんとうに豚になっていくんだからね。複雑な心理だが、河鹿が豚になっていくことで、これまでのすべての汚点が浄化されていくような気がしていたんじゃないかな。河鹿がなにもかも吸収してくれているみたいで。豚を飼うのが夢だったという蛇沢の言葉がそれを端的に表していると思う。つまり、豚にされた自分とそれをした豚、その両方を飼い馴らすことが夢だったんだよ。それを具現化しているのが、河鹿の豚になっていく姿だった。豚となった河鹿に餌付けをする蛇沢は幸せだったろう。河鹿のほうも、恋慕していた蛇沢に愛情を示してもらえるのを喜んでいたかもしれない。奇形な愛だが、それはそれで、誰も介入することのできない二人だけの愛だったんだと思うな。

 いろいろ反論もあるだろうけど、ここまでで蛇沢のことはやめて、話をもとに戻そう。事実はどうであれ、僕の解釈をわかってくれればそれでいいんだ。

 そういうもろもろのことが絡み合って、河鹿は豚に憑依されていった。家族は気づいてなかったようだから、それは学内でのことだったと推測できる。憑依という言葉を使っているけど、なにもほんとうに豚がとり憑いたと言っているわけじゃないよ。時間や場所が限られていることからもわかる通り、心の病のひとつだったとみるほうが妥当だろう。しかしどの病でもそうであるように、コントロールが利かなくなり、河鹿の奇行は目立つようになってきたわけだ。河鹿は学校に来れなくなり、そして昼休みの一大騒動が生じてしまった。

 たぶんその時の彼は、もう河鹿ではなく豚になってしまっていたんだと思う。むろん人間が変貌を遂げた奇怪な豚だがね。キツネ憑きの症例でも見られるように、そういう極限までに変貌を遂げた人は、その容姿までそれに似たものになってくるのはよく知られている。キツネ憑きの場合だと目が吊り上って口が尖ってくるというし、河鹿にもそれと同じことが起こったんだと思う。ただしそれを見た人には、そういう固定観念があるからそう見えるのだという説をしりぞけることはできないけどね。それでも、そのとき河鹿を見たA君たちには、それは紛れもない豚の姿だったんだろう。キツネ憑きがコーンと鳴きながら飛び跳ねるのと同じに、河鹿もブーブー鳴きながら食いあさるのだからなおのことさ。翌日には河鹿の遺体が発見されるわけだが、教室を出たあと人格が戻っていたとしたら自殺の可能性もあるだろうし、戻っていなかったら事故死と判断するしかないだろうね」

「それから河鹿が魔の豚となって甦ったというつもりかい」

 Kは顔を俯けた。下から覗き込むと、笑いを押えているのがわかった。

「すまないね。あまりにも君が話を額面通りに受け取っているものだから。君はA君の話を否定しながら、そのじつほんとうは信用しているのじゃないのかい」

「そんなことないよ」

 私は憮然として答えた。

「ま、どちらでもかまわないけど。――さて、河鹿の書き残した魔の豚に関する記述については、僕に思い当たるふしはない。豚を不浄の生き物とする宗教があったり、侮辱の言葉として豚を使用したりするのは一般的だが、魔の化身としての豚というのはあまりお目にかかったことがないからね。爪の形から悪魔との関連づけがなされることはあるが、それもたいしたものではないし。あとは、『妖豚』という怪奇小説を読んだことがあるぐらいかな。いい作品だけど、知られてはいないな。だから、魔の豚というのは河鹿の作り出したオリジナルの産物だと思う。幼稚な文面なんだけど、それを何十枚も書いていたりするとなると、どこかうす気味の悪いものを感じてしまうのは認めざるを得ない。かえって、幼稚な文面だからかもしれない。僕でもそういうふうに感じるんだから、A君たちはなおのことだったろう。文面の、報復せりなんて、明らかにA君たちに向けられたものとして間違いないだろうし」

「しかし、実際に死んだのはA君たちでなく蛇沢のほうだぜ」

 Kは呆れたようにして言った。

「そりゃそうだよ。魔の豚なんていなくて、それを利用してA君たちが蛇沢を殺害したんだから」



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