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HONDA Super Cub

作者: JUN♂

老人は、病に倒れていた。


長年家族のために働き、酷使され続けた体を病魔が容赦なく蝕んでいた。


老人は、その体がもう長くは持たない事を知っていた。


自分の生涯に全く悔いはなかった。家族のために捧げた一生。ひたすら働き続けた一生。


人生を振り返った。幸せだったとつくづく思った。



老人には、長年一緒に仕事をしてきた相棒がいた。


小さな店を開いた時に配達用に買ったカブだった。


新車でつやつやと光る緑色のカブが、とても愛らしかった。新しい店の船出が順調に行く事を夫婦に思わせた。


そんな夫婦のささやかな願いを打ち砕くように、店の経営は厳しかった。妻は必死に家計をやりくりし夫を助けたが、食べる物にも困る日々が続いた。


カブは外装こそボロボロになっても、全く故障もせず、わずかなガソリンでよく走る事で主の為に尽くしてきた。


重い荷物をくくりつけ、雨の日も風の強い日も、雪の日ですら共に働いた。


そしてその努力が少しずつ芽を出し、徐々に店が軌道に乗りはじめた。


子供達は結婚し、やがて孫も産まれ、夫婦はようやくささやかな幸せを得る事ができた。


カブが引退する時がやってきた。


店はより多くの荷物を運ぶために、クルマで配達する事になった。


カブは、もう必要でなくなったのだ。


だが老人は、苦しい時を共に乗り越えてきたこのボロボロになったカブを、捨てる事はできなかった。


そして、初めてキレイに掃除をしてやった。


使われなくなってしまったカブだったが、捨てられる事なくやがて倉庫の奥にひっそりと置かれていた。


開いた時よりほんの少しだけ大きくなった店は、今では息子夫婦が立派に継いでいた。


息子も父に似て働き者だった。


思い残す事は何もなかった。後は、近いうちに訪れるであろう死を受け入れるだけだと思った。


ある日、今年高校生になる孫が見舞いに来てくれた。


今時の若者らしく、内気で引っ込み思案な所があったが、それは優しい性格からきている事を老人は知っていた。


そんな内気な孫が一人で見舞いに来たのは、老人にとって意外な事だった。


じいちゃん、倉庫にある古いカブ、じいちゃんのだよね?


他愛もない話をしたあと、孫がいきなりこう切り出した。


老人は驚いた。カブがまだ倉庫にあったのか。老人が息子に店を譲り、仕事から離れて何年もたっていた。さすがにもう処分されていると思っていた。


あぁ、そうだよ。


老人は答えた。


おれ、原付の免許取ったから、おじいちゃんのカブ、乗ってもいいかな?


孫の言葉に、老人はまた驚いた。使われなくなって数年、購入してから何十年も経っている。


それはいいが、もう動かんだろう。


老人は言った。


僕もそう思ったけど、ガソリン入れてみたら、エンジン、かかったんだよ。


まさか!


本当だよ。まだ走るのは無理だけど、エンジンは、かかったんだよ。


エンジンがかかった…。


老人は信じられなかった。とっくに壊れて寿命かと思っていたのに。


まだ、走るようになるにはあちこち直さないといけないけど、おれ、お小遣いあまり無いからさ、バイトしてお金貯めて、本見ながら、自分で直して乗りたいんだ。じいちゃん、いいかな?



老人は、孫の顔を眺めながら、このまま病魔に屈してもいいと思っていた心に、温かいものが広がっていくの感じていた。


孫がカブに乗りたいと言ってくれたのが嬉しかった。そしてあのカブが、また人を乗せて走る事が嬉しかった。


まだまだ負けていられないな。


心の中でそう呟いてから、孫に言った。


カブが直ったら、おじいちゃんにも乗せてくれよ。


孫は一瞬に驚いた後に、


うん!


と顔をほころばせた。

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― 新着の感想 ―
[一言] この短い話の中に、こんなに気持ちが穏やかになる要素があったことに驚きました。逆に、直球だからこそだせる味なのかもしれません。
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