白狐奇譚
その夜、尾崎要の夢の中に現れた巨大な白い狐は尊大な声音で開口一番こう言い放った。
『おい要。お前の田舎の山、さっさと開発してしまえ』
都市開発事業に携わって早十五年。中堅ゼネコンである尾崎アーバン・ソリューションズで管理職として日々胃を痛めている要にとって、夢の中でも仕事の催促をされるなど御免被りたかったが、相手が神様となれば話は変わってくる。
その白い狐は要の実家がある田舎で祀られている御狐様だったのだ。
要の田舎は、崖に面した不安定な土地にしがみつくように広がる、もはや限界集落認定も間近の小さな村だった。
雨が降るたび山から不気味な地鳴りが響き、村人はいつも土砂崩れに怯えながら暮らしていた。すぐにも溶けて流れ出すのではないかと思える濡れた急斜面の迫力を、要は今も覚えている。
夢に現れた御狐様曰く、その神通力で山全体に結界を張り巡らせて崩壊を防ぎ、三百年間ぎりぎりのところで村を守ってくれていたのだとか。
『正直もう我慢の限界なのだ。なぜ人間はあんな場所を棲み処に選ぶ』
「さあ……今まで事故が起きなかったからこそ、かえって信仰心が深まったのかも」
『神に依存するな! 不便で危険なところに無理やり棲み続けるくらいなら、さっさと都会に引っ越して文明的な生活をしたらいい。私が山を離れればあんな村は台風の一発で滅びるのだぞ』
「それは困ります」
『私のほうが困っている。あいつらが立派な鎮守の社なんかを祀ってくれたせいで、あの土地から逃げられぬのだ!』
村人なんぞどうでもいいからさっさと外に遊びに行きたいのに。白狐は地団駄を踏んでお怒りの様子だった。
要するに、村を守るのがもう面倒になったから引っ越したいと思っているのに、社があるせいで土地神となってしまい、離れられなくて不満を抱いているらしい。
『だから、要。お前の会社で山をドカンと拓いて観光施設でも作り、ついでに社を取り壊して私を解放しろ。よいな?』
「えぇ……」
狐の神様といえば都市開発は天敵で、むしろ「自然を壊すな」と祟るのが相場だと思っていたのだが、まさか「山を開拓しろ」と急かされるとは想像もしなかった。
奇妙な気分になりつつもそれなりに信心深い要は、故郷の御狐様の切実な願いと愚痴に応えるべく、会社で企画書を通して故郷の人たちに立ち退きを迫ることにしたのだった。
***
「先祖代々守ってきた山と社を壊すなど言語道断!」
「都会の空気に染まりおって、この罰当たりめ!」
「御狐様に祟られるがいいわ!」
案の定、村の集会所では老若男女問わず大ブーイングの嵐だった。
御狐様の姿が見えない故郷の人々は、山と社を守ることを大義名分に尾崎アーバン・ソリューションズと要自身を盛大に批判し、断固として村に居座ろうとした。
要にとってこの田舎は単に成長すれば出ていく一時の住処だったが、ここに骨を埋めるつもりの彼らからすれば要は幼少の頃の恩義を忘れてふるさとを売り飛ばす強欲な開発業者としか見えないのだ。
しかし、そこで動いたのは他でもない御狐様自身だった。
居座り派の筆頭である村長が立ち上がって要に指を突きつけようとした瞬間、突然天井から雨漏りが直撃し、集会所の床が派手に抜け、腰を強かに打ちつけた村長は痛みに呻いた。
災難はそれだけで終わらない。
立ち退きに反対する村人たちがいつも通りに山へ入ろうとすると決まって俄雨が降り、蜂の群れに追われ、道端で派手にすっ転んでギックリ腰になったりと、地味ながら確実な「祟り」が連発したのだ。
まさか死人が出るのではないかと要は内心やきもきさせられる。
反対に、要が測量と地質調査を指示した作業員たちには奇跡のような御加護があった。
雨の予報があっても彼らが現場に入ると空は見事な快晴になり、休憩中には極上の湧き水が発見され、挙句の果てには作業員のひとりが山で松茸を大量に発見してボーナス代わりにする始末。
「神様、ちょっと露骨すぎませんかね」
あまりの扱いの差に村人たちもついには「ひょっとすると本当に御狐様が怒っているのでは……?」と恐れをなし、最終的には全員があっさりと立ち退きに同意することとなった。
迅速にプロジェクトを進めながら、要は少々呆れていた。強引な御狐様にも、手のひら返しの早い村人たちにも。
数年をかけて要は故郷の山を見事に切り拓いた。
主力はホテル併設の巨大ゴルフ場として、土砂崩れ防止のための森林を計算して残しつつ、やがて正式に鎮守の社を廃社する神事も終えると、クリスマスの時期を狙ってプロジェクトは完工を迎えたのだった。
オープン前夜、ホテルのロビーで要が最終確認をしていると、背後から軽やかな声がかけられる。
「大儀であった。見事な開拓ぶりだな」
振り返るとそこには見知らぬ女の子が立っていた。ワンピースの裾がひらひらと揺れ、雪のような白髪に煌めく金色の瞳が要の記憶を刺激する。
「……もしかして、御狐様ですか?」
「いかにも。土地の守りに力を割かなくてよくなったのでな、やっと実体化できるようになったのだ」
要はまじまじと彼女を見下ろした。
「娘さんだったんですね」
「狐と言えば美女だろう?」
なぜかドヤ顔で胸を張る彼女だが、その姿は美女というより、どう見ても小学生くらいの幼女である。
「要、お前はよく働いてくれた。褒美にお前の守護をつとめてやってもいいぞ」
「いや……急に幼い娘ができたら、あらぬ誤解を招きそうなので遠慮したいです」
「うーん。私はまだ三百歳だからこの姿が限界だなあ」
三百年を経ても、神としてはまだまだ子供らしい。要は思わずため息をつきつつ、スタッフを呼んで彼女にオレンジジュースを注文してやった。
ガラスのカップを両手で持ち、御狐様が要を見上げる。
「私に名前をつけてくれないか? 社を離れたからには新しい形が必要なのでな」
「名前ですか。じゃあ、御狐様なので『油揚げ』などはどうですか?」
「はあ!? お前のネーミングセンスはどうなっている! 却下だ!!」
森林伐採に社の破壊を望んできたうえ、人間の“ネーミングセンス”を批判してくる御狐様に滑稽さを感じつつ、要は少々落ち込んだ。
***
三百年の歴史を終えた村を離れて、人々は御狐様の指示通りにそれぞれ便利な都会に移り住むこととなった。
土砂崩れの恐怖から解放された彼らは時々真新しいホテルを訪れて、立派なゴルフ場で優雅にプレイを楽しんでいるようだった。
そして要の隣には、なぜかちゃっかりと彼のマンションに転がり込み、ネットでアニメを見ながらクリスマスケーキを頬張る幼女の姿がある。
「ノエルさん。もっと空気の良い里や森に住まなくても大丈夫なんですか? こんな都会ではなく」
「ふふん。空気に良いも悪いもないわ。そんなものはお前たち人間だけの定義に過ぎん」
要としては遠回しに「いつまでも居候しないでほしい」と伝えたかったのだが、分かっているのか、いないのか。
「文明は開かれているほうが刺激があって楽しい。どこぞの山に居座ってお前の会社に楯突く老害神でもいたら、このノエル様がぶっ倒してやるからな」
「遠慮しておきます」
いかにも洋風な名前を結局自分でつけてご満悦の御狐様を見ながら、要は再度ため息をつく。
不本意ながら、鎮守の社を廃した責任者として、この気安く物騒な神を見守っていく使命を負わされたのかもしれなかった。




