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異世界ざまぁ短編集

捨てられた私が幸せになる話[元旦那は地獄]

作者: 葉月いつ日
掲載日:2026/02/26

「エリナ、君との結婚生活は、私にとって苦痛でしかなかった。今日、この瞬間をもって離縁する。今すぐこの家から出て行ってくれ」


 外は激しい雨が降っていた。

 結婚して三年間、夫であるエドワードのために身を粉にして働いてきた。


 彼は貧乏貴族の三男坊だったが、私の実家である商家からの莫大な援助と、私の魔力による領地経営のサポートで、今や“若き有能な伯爵“と持て囃されるまでになった。


 その彼が、私の目の前で、見知らぬ若い女の肩を抱き寄せている。


「エドワード様……本当なのですか? 私は、あなたの力になりたくて、これまで……」


「黙れ。君のその“地味で実務的“なところが鼻につくんだ。見てみろ、このミリアを。彼女こそ、真の聖女。君の持つ古臭い魔力とは格が違う。君のような『用済みの女』に割く時間は一秒もない」


 ミリアと呼ばれた女は、勝ち誇った笑みを浮かべて私を見下ろした。


「“おば様“、お疲れ様。エドワード様の隣には、もっと華やかな花が必要なの。泥にまみれた雑草は、お庭へお帰りなさい?」


 私は言葉を失った。

 私がこの三年間、彼に捧げた魔力。


 領地の枯れた大地を蘇らせ、流行病を封じ込めてきた私の“浄化の力“。それを彼は“古臭い“と切り捨てたのだ。


「……わかりました。後悔なさらないでくださいね」


 翌日、私は、最低限の荷物だけを手に、雨の中へと足を踏み出した。

 背後で響く、二人の下品な笑い声を、私は一生忘れないと誓いながら。



 ◇



 雨の中、街外れの宿屋へ向かおうとした私の前に、一台の豪奢な馬車が止まった。

 降りてきたのは、この国の第一王子、レオンハルト様だった。


「見つけたぞ。……エリナ、やはり君だったか」

「レ、レオンハルト様!? なぜ、このような場所に……」


 彼が差し出す傘の陰で、私の脳裏には、先ほど捨てられたばかりの家で過ごした三年間が、走馬灯のように駆け巡った。

 思えば、結婚当初のエドワード様は、今とは別人のようだった。


「君の力が必要なんだ」


 貧乏貴族の三男坊として、荒れ果てた領地を背負わされていた彼は、情熱的に私を口説いた。

 商家の娘である私は、彼の役に立ちたい一心で、持てるすべてを捧げてきた。


 朝は誰よりも早く起き、帳簿を整理し、実家の商家を説得しては、私自身の持参金を切り崩して領地の借金を返済した。


 昼は、泥にまみれて領地を歩き回った。

 私の【浄化の魔力】は、大地に直接働きかけなければならない。

 枯れ果て、毒に侵された土壌に素手で触れ、毎日祈りを捧げた。


 指先は荒れ、爪の間に土が入り込んでも、実った作物を喜ぶ領民の笑顔が見られるなら、それでいいと笑っていた。


 夜は、風邪ひとつ引かせぬよう、彼の食事や体調管理に気を配った。

 流行病が広まりかけた時は、三日三晩不眠不休で魔法陣を張り、領地を隔離して守り抜いた。


『エリナ、君は僕の女神だ。君がいなければ、このヴォルガ領は終わっていた』


 かつて彼が囁いた言葉は、すべて嘘だったのだろうか──。


 領地が豊かになり、彼が“若き有能な伯爵“と社交界で持て囃されるようになると、彼は次第に家に寄り付かなくなった。


 そして今日、あんなにも冷酷に、私を“泥にまみれた雑草“と切り捨てたのだ。


「エドワードの馬鹿げた行状は聞き及んでいる」


 レオンハルト様の静かな声が、私の回想を遮った。


「彼は知らないようだが、この国の結界を影で支えていたのは君の魔力だ。君が去った今、この国は、いや、彼の領地は早晩、崩壊するだろう」


 レオンハルト様は、ずぶ濡れの私にそっとマントをかけた。

 その手の温もりが、冷え切った心に染み渡る。


「エリナ。私と共に来てほしい。君の真の価値を、私は知っている。君を“捨てた“あいつらに、本物の地獄を見せてやろうじゃないか」


 三年間、彼のために押し殺し、捧げ続けてきた私の想い──。

 それが一気に冷え切った思い出に変わった。


「……はい。喜んで、お供いたします」


 私は──彼の手を取った。


 その瞬間、私の中で“良き妻であろうと無理に制御していた魔力”が、怒りと共に解き放たれるのを感じた。

 もう誰のためでもない──私自身の意志で。



 ◇



 一ヶ月後。

 エドワードの領地ヴォルガは、かつての繁栄が嘘のような、阿鼻叫喚の図に包まれていた。


 まず異変が起きたのは、領地の命綱である農地だった。


 エリナが毎日、泥にまみれ、素手で土に触れながら欠かさず行っていた【大地の浄化】。

 その恩恵が途絶えた途端、大地は恐ろしい速度で死に体となった。


「な、なんだこれは……! 昨夜まで青々としていた麦が、すべて腐り落ちているではないか!」


 エドワードが悲鳴を上げる。

 目の前には、不気味な黒いカビが脈動するように広がり、大地からは硫黄のような悪臭が立ち昇っていた。


 慌ててミリアを連れ出すが、彼女は鼻を回し、汚いものを見る目で畑を指差した。


「ミリア! 聖女のお前がなんとかしろ! 祈れば治るんだろう!?」

「む、無理よ! 私の力は、周囲をキラキラさせたり、お花を咲かせたりする装飾魔法なんだから! こんなヘドロみたいな土、触ったら私のドレスが汚れちゃうわ!」

「なっ……装飾だと!? お前は真の聖女ではなかったのか!?」


 エドワードの顔が引きつる。

 しかし、悲劇はそれだけでは終わらなかった。

 領民たちの間で、かつてエリナが自らの身を削って封じ込めていた風土病【黒死紋】が再発したのだ。


「助けてくれ! 身体中にあざが……!」

「エリナ様がいれば、すぐに治してくださったのに!」

「あの人は、俺たちの手を握って、一晩中祈ってくれたんだぞ!」


 診療所には入りきれないほどの病人が溢れ、領民たちの不満はついに爆発した。


「エリナ様を返せ!」

「無能な伯爵を叩き出せ!」


 怒り狂った領民たちは、昼夜を問わず伯爵邸を取り囲み、連日、投石と罵声が浴びせられた。


 邸宅の美しい窓ガラスはことごとく割られ、かつての栄華は見る影もない。


 追い打ちをかけたのは、冷徹なまでの経済的破綻だった。

 エリナの実家である商家【マクベス商会】が、エドワードへの一切の融資を引き上げ、それどころか、過去三年間で貸し付けた未払いの債務、およびエリナへの慰謝料を含めた莫大な金額を一括請求したのだ。


「エドワード伯爵。本日正午までに、一千万ゴールドの返済をお願いします。……できないのであれば、王国の法に基づき、この邸宅、ならびに貴殿の爵位を差し押さえさせていただきます」


 商家の代理人が突きつけた書類を見て、エドワードは膝から崩れ落ちた。

 かつて彼が“実務的で鼻につく“と笑ったエリナの事務処理能力、そして実家とのパイプ。

 それが失われた瞬間、ヴォルガ伯爵家という城は、砂上の楼閣のごとく崩れ去ったのである。


「エリナ……どこだ、エリナ! お前さえいれば、こんなことには……!」


 暗い部屋で、借金の督促状と領民の罵声に震えるエドワード。

 しかし、彼がどれほど叫ぼうとも、かつて献身的に彼を支えた、あの慈悲深い妻が戻ることは二度とない。


 その頃、王都では。

 レオンハルト様の隣で、かつてないほど美しく着飾った私が、以前とは比較にならないほどの莫大な魔力で、国全体の結界を塗り替えていた。



 ◇



 三ヶ月後。

 王都の王宮にて、エドワードの【領地経営失敗ならびに公金横領、および聖女詐称の加担】に関する審判が開かれた。


 かつての社交界の寵児の面影はなく、ボロボロの服を纏い、髪も乱れたエドワードとミリアが、騎士たちに引きずられるようにして中央の被告席に立たされる。


 そこへ、眩い光を放ちながら現れたのは、第一王子の婚約者として発表されたばかりの私、エリナだった。


 最高級のシルクを身に纏い、レオンハルト様の隣で凛と立つ私に、エドワードは狂ったように叫んだ。


「エリナ! エリナじゃないか! 助けてくれ! 君がいなくて困っていたんだ、やはり君がいなければ私はダメだ! さあ、よりを戻そう! あの離縁は冗談だったんだ!」


 あまりの図々しさに、会場の貴族たちから失笑が漏れる。

 エドワードは惨めにも私に縋り付こうと這い寄るが、彼はレオンハルト様の冷徹な剣先によって遮られた。


「汚い手で、私の妃に触れるな」


 レオンハルト様の氷のような声が響く。

 私は冷ややかな視線でエドワードを見下ろした。


「エドワード様。貴方にはミリアさんがおられるのではないのですか? 彼女は私など足元にも及ばない『真の聖女』なのでしょう?」


 その言葉を合図に、隣で縛られていたミリアが発狂したように叫び、エドワードの顔に掴みかかった。


「この嘘つき男! あんたが私を唆したんじゃない! 『聖女のフリをして愛想を振りまいていれば、おばさんから奪った金で一生遊んで暮らせる』って、そう言ったのはあんたよ!」

「黙れ、この性悪女! お前が『私には特別な力がある』と色目を使って誘惑したから、私は判断を誤ったんだ! 領地が滅びたのは、お前の祈りが足りなかったせいだ!」


「なんですって!? 魔法が使えないことくらい、最初からわかってたくせに! 私が贅沢三昧できたのは、あんたがエリナさんの実家から盗んだ金があったからでしょう!?」

「盗んだとは人聞きが悪い! 妻の金は私の金だ! それを全部宝石やドレスに変えたのはお前だろうが!」


 衆人環視の中、泥沼の罵り合いを始める二人。

 エドワードはミリアの髪を掴み、ミリアはエドワードの顔を爪で引き裂く。

 その醜態は、まさに地獄絵図そのものだった。


「見苦しいですね。……あなたたちが愛し合っていると思って身を引いたのですが、その程度の絆だったのですか」


 私はパチンと指を鳴らした。

 すると、私の内側から溢れ出した浄化の光が、エドワードとミリアを包み込む。


 ただし、それは癒やしの光ではない。

 彼らがこれまで隠してきた“罪“と“汚れ“を白日の下にさらす真実の光だ。


「あああ! 体が、体が焼けるようだ!」

「嫌よ! シワが、顔が……!」


 光に照らされたミリアの厚化粧は剥がれ落ち、虚栄に満ちた姿が露わになる。

 エドワードの懐からは、横領した金の裏帳簿がボロボロとこぼれ落ちた。


「判決を下す」


 レオンハルト様が重々しく宣告する。


「エドワード・ヴォルガ、貴殿の爵位を剥奪し、平民以下……いや、戸籍すら持たぬ【罪人奴隷】へと落とす。全財産は当然没収、これより一生をかけ、北部の死の鉱山にて、かつて自らが荒廃させた大地をその手で掘り返し続けるがいい」


 レオンハルト様は、次に怯えるミリアを冷徹に射抜いた。


「ミリアと呼ばれた女。聖女の名を騙り、人心を惑わした大罪、万死に値する。貴様も同様だ。その華奢な指が折れ、爪が剥がれようとも、死ぬまで泥を啜りながら働き続けろ。そこが、貴様らに相応しい【社交場】だ」


「嫌っ……! 助けて、エドワード様!」

「離せ! 私を誰だと思っている、私は伯爵だぞ!」


 狂ったように暴れるエドワードだったが、レオンハルト様はその様子を鼻で笑い、吐き捨てるように言い放った。


「安心しろ。貴殿らがどれほど死を望もうとも、簡単に死なせはしない。私がエリナに捧げるはずだった祝福の魔力を、貴殿らの“延命“のために使ってやろう。……苦痛に満ちた生を、永遠に呪いながら味わい尽くすのだ。連れて行け。二度と私の視界に、エリナの視界に入るな」


 二人の絶叫は、騎士たちの無慈悲な力によって遮られた。

 レオンハルト様は翻って私を振り返ると、先ほどの冷酷さが嘘のような、深い慈愛を宿した瞳で私を見つめた。


「エリナ。……これで、君を苦しめる鎖はすべて断ち切られた」


 その温かな声に、三年間凍てついていた私の心が、春を告げる雪解けのように溶けていくのを感じた。



 ◇



 審判が終わった後の、静かな王宮のバルコニー。

 私は、レオンハルト様と共に夜風に吹かれていた。


「エリナ、これで満足か?」

「はい。……心が、ようやく晴れました。復讐のためだけではなく、自分の力で正しく誰かを幸せにできる。その喜びを、あなたに教えていただきました」


 レオンハルト様は私の腰を引き寄せ、熱い眼差しで私を見つめた。


「君のその力は、もう誰かに搾取されるためのものではない。これからは私の隣で、この国の王太子妃として、そして私の唯一の愛する妻として輝いてほしい。君の魔力も、その微笑みも、すべて君自身の幸せのために使ってほしいんだ。……愛しているよ、エリナ。一生をかけて、君を慈しむと誓おう」


 その言葉と共に重ねられた唇は、雨の日に凍えきった私の心を、魔法よりも温かく溶かしていった。


 数ヶ月後。

 王都は、私たちの成婚を祝う歓喜の渦に包まれていた。


 かつての“地味な商家の娘“ではない。

 私は国中から『奇跡を呼ぶ聖妃』と称えられ、レオンハルト様の隣で、眩いばかりのティアラを戴いて大階段を降りる。


 私の【浄化の魔力】によって、国中の大地はかつてない実りを見せ、人々は飢えから解放された。沿道を埋め尽くす民衆からの祝福の嵐の中で、私はレオンハルト様の手を強く握り返した。


 捨てられた場所は、冷たい雨の中だった──。


 けれど、今、私の目の前には、愛する人と共に歩む、どこまでも続く黄金の未来が広がっている。


 一方その頃、最果ての北部鉱山では──。


 そこには、かつての華やかな生活を夢見ることすら許されない、二人の影があった。


「痛い! 痛いああああ! 重い、もう持てない……っ!」

「黙って掘れ、この役立たず! お前がもっと上手く聖女を演じていれば、俺がこんな場所で泥を啜ることはなかったんだ!」


 泥にまみれ、看守の鞭に打たれながら土を掘るエドワード。

 かつての傲慢な美男子の面影はなく、痩せこけ、歯を食いしばる顔には絶望が刻まれている。


 隣では、自慢だった髪も肌もボロボロになり、爪が剥がれた手で泣き喚くミリアがいた。


「あんたのせいよ! あんたがあの時、エリナさんを捨てなければ……! ああ、お腹が空いた、冷たい……助けて……!」


 彼らに残されたのは、レオンハルト様の魔力によって強制的に延ばされた命と、永遠に終わらない過酷な重労働。


 そして、死ぬまで互いの存在を呪い続け、責任をなすりつけ合うという──逃げ場のない本物の地獄。


 私は一度も、その暗い過去を振り返ることはない。

 降り注ぐ光の中、隣で微笑む最愛の人と共に、私は新しい人生の一歩を踏み出した。



              〜〜〜fin〜〜〜




貴重なお時間を使ってお読み頂き、本当に有難うございました。

興味を持って頂けたならば光栄です。


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