捨てられた私が幸せになる話[元旦那は地獄]
「エリナ、君との結婚生活は、私にとって苦痛でしかなかった。今日、この瞬間をもって離縁する。今すぐこの家から出て行ってくれ」
外は激しい雨が降っていた。
結婚して三年間、夫であるエドワードのために身を粉にして働いてきた。
彼は貧乏貴族の三男坊だったが、私の実家である商家からの莫大な援助と、私の魔力による領地経営のサポートで、今や“若き有能な伯爵“と持て囃されるまでになった。
その彼が、私の目の前で、見知らぬ若い女の肩を抱き寄せている。
「エドワード様……本当なのですか? 私は、あなたの力になりたくて、これまで……」
「黙れ。君のその“地味で実務的“なところが鼻につくんだ。見てみろ、このミリアを。彼女こそ、真の聖女。君の持つ古臭い魔力とは格が違う。君のような『用済みの女』に割く時間は一秒もない」
ミリアと呼ばれた女は、勝ち誇った笑みを浮かべて私を見下ろした。
「“おば様“、お疲れ様。エドワード様の隣には、もっと華やかな花が必要なの。泥にまみれた雑草は、お庭へお帰りなさい?」
私は言葉を失った。
私がこの三年間、彼に捧げた魔力。
領地の枯れた大地を蘇らせ、流行病を封じ込めてきた私の“浄化の力“。それを彼は“古臭い“と切り捨てたのだ。
「……わかりました。後悔なさらないでくださいね」
翌日、私は、最低限の荷物だけを手に、雨の中へと足を踏み出した。
背後で響く、二人の下品な笑い声を、私は一生忘れないと誓いながら。
◇
雨の中、街外れの宿屋へ向かおうとした私の前に、一台の豪奢な馬車が止まった。
降りてきたのは、この国の第一王子、レオンハルト様だった。
「見つけたぞ。……エリナ、やはり君だったか」
「レ、レオンハルト様!? なぜ、このような場所に……」
彼が差し出す傘の陰で、私の脳裏には、先ほど捨てられたばかりの家で過ごした三年間が、走馬灯のように駆け巡った。
思えば、結婚当初のエドワード様は、今とは別人のようだった。
「君の力が必要なんだ」
貧乏貴族の三男坊として、荒れ果てた領地を背負わされていた彼は、情熱的に私を口説いた。
商家の娘である私は、彼の役に立ちたい一心で、持てるすべてを捧げてきた。
朝は誰よりも早く起き、帳簿を整理し、実家の商家を説得しては、私自身の持参金を切り崩して領地の借金を返済した。
昼は、泥にまみれて領地を歩き回った。
私の【浄化の魔力】は、大地に直接働きかけなければならない。
枯れ果て、毒に侵された土壌に素手で触れ、毎日祈りを捧げた。
指先は荒れ、爪の間に土が入り込んでも、実った作物を喜ぶ領民の笑顔が見られるなら、それでいいと笑っていた。
夜は、風邪ひとつ引かせぬよう、彼の食事や体調管理に気を配った。
流行病が広まりかけた時は、三日三晩不眠不休で魔法陣を張り、領地を隔離して守り抜いた。
『エリナ、君は僕の女神だ。君がいなければ、このヴォルガ領は終わっていた』
かつて彼が囁いた言葉は、すべて嘘だったのだろうか──。
領地が豊かになり、彼が“若き有能な伯爵“と社交界で持て囃されるようになると、彼は次第に家に寄り付かなくなった。
そして今日、あんなにも冷酷に、私を“泥にまみれた雑草“と切り捨てたのだ。
「エドワードの馬鹿げた行状は聞き及んでいる」
レオンハルト様の静かな声が、私の回想を遮った。
「彼は知らないようだが、この国の結界を影で支えていたのは君の魔力だ。君が去った今、この国は、いや、彼の領地は早晩、崩壊するだろう」
レオンハルト様は、ずぶ濡れの私にそっとマントをかけた。
その手の温もりが、冷え切った心に染み渡る。
「エリナ。私と共に来てほしい。君の真の価値を、私は知っている。君を“捨てた“あいつらに、本物の地獄を見せてやろうじゃないか」
三年間、彼のために押し殺し、捧げ続けてきた私の想い──。
それが一気に冷え切った思い出に変わった。
「……はい。喜んで、お供いたします」
私は──彼の手を取った。
その瞬間、私の中で“良き妻であろうと無理に制御していた魔力”が、怒りと共に解き放たれるのを感じた。
もう誰のためでもない──私自身の意志で。
◇
一ヶ月後。
エドワードの領地ヴォルガは、かつての繁栄が嘘のような、阿鼻叫喚の図に包まれていた。
まず異変が起きたのは、領地の命綱である農地だった。
エリナが毎日、泥にまみれ、素手で土に触れながら欠かさず行っていた【大地の浄化】。
その恩恵が途絶えた途端、大地は恐ろしい速度で死に体となった。
「な、なんだこれは……! 昨夜まで青々としていた麦が、すべて腐り落ちているではないか!」
エドワードが悲鳴を上げる。
目の前には、不気味な黒いカビが脈動するように広がり、大地からは硫黄のような悪臭が立ち昇っていた。
慌ててミリアを連れ出すが、彼女は鼻を回し、汚いものを見る目で畑を指差した。
「ミリア! 聖女のお前がなんとかしろ! 祈れば治るんだろう!?」
「む、無理よ! 私の力は、周囲をキラキラさせたり、お花を咲かせたりする装飾魔法なんだから! こんなヘドロみたいな土、触ったら私のドレスが汚れちゃうわ!」
「なっ……装飾だと!? お前は真の聖女ではなかったのか!?」
エドワードの顔が引きつる。
しかし、悲劇はそれだけでは終わらなかった。
領民たちの間で、かつてエリナが自らの身を削って封じ込めていた風土病【黒死紋】が再発したのだ。
「助けてくれ! 身体中にあざが……!」
「エリナ様がいれば、すぐに治してくださったのに!」
「あの人は、俺たちの手を握って、一晩中祈ってくれたんだぞ!」
診療所には入りきれないほどの病人が溢れ、領民たちの不満はついに爆発した。
「エリナ様を返せ!」
「無能な伯爵を叩き出せ!」
怒り狂った領民たちは、昼夜を問わず伯爵邸を取り囲み、連日、投石と罵声が浴びせられた。
邸宅の美しい窓ガラスはことごとく割られ、かつての栄華は見る影もない。
追い打ちをかけたのは、冷徹なまでの経済的破綻だった。
エリナの実家である商家【マクベス商会】が、エドワードへの一切の融資を引き上げ、それどころか、過去三年間で貸し付けた未払いの債務、およびエリナへの慰謝料を含めた莫大な金額を一括請求したのだ。
「エドワード伯爵。本日正午までに、一千万ゴールドの返済をお願いします。……できないのであれば、王国の法に基づき、この邸宅、ならびに貴殿の爵位を差し押さえさせていただきます」
商家の代理人が突きつけた書類を見て、エドワードは膝から崩れ落ちた。
かつて彼が“実務的で鼻につく“と笑ったエリナの事務処理能力、そして実家とのパイプ。
それが失われた瞬間、ヴォルガ伯爵家という城は、砂上の楼閣のごとく崩れ去ったのである。
「エリナ……どこだ、エリナ! お前さえいれば、こんなことには……!」
暗い部屋で、借金の督促状と領民の罵声に震えるエドワード。
しかし、彼がどれほど叫ぼうとも、かつて献身的に彼を支えた、あの慈悲深い妻が戻ることは二度とない。
その頃、王都では。
レオンハルト様の隣で、かつてないほど美しく着飾った私が、以前とは比較にならないほどの莫大な魔力で、国全体の結界を塗り替えていた。
◇
三ヶ月後。
王都の王宮にて、エドワードの【領地経営失敗ならびに公金横領、および聖女詐称の加担】に関する審判が開かれた。
かつての社交界の寵児の面影はなく、ボロボロの服を纏い、髪も乱れたエドワードとミリアが、騎士たちに引きずられるようにして中央の被告席に立たされる。
そこへ、眩い光を放ちながら現れたのは、第一王子の婚約者として発表されたばかりの私、エリナだった。
最高級のシルクを身に纏い、レオンハルト様の隣で凛と立つ私に、エドワードは狂ったように叫んだ。
「エリナ! エリナじゃないか! 助けてくれ! 君がいなくて困っていたんだ、やはり君がいなければ私はダメだ! さあ、よりを戻そう! あの離縁は冗談だったんだ!」
あまりの図々しさに、会場の貴族たちから失笑が漏れる。
エドワードは惨めにも私に縋り付こうと這い寄るが、彼はレオンハルト様の冷徹な剣先によって遮られた。
「汚い手で、私の妃に触れるな」
レオンハルト様の氷のような声が響く。
私は冷ややかな視線でエドワードを見下ろした。
「エドワード様。貴方にはミリアさんがおられるのではないのですか? 彼女は私など足元にも及ばない『真の聖女』なのでしょう?」
その言葉を合図に、隣で縛られていたミリアが発狂したように叫び、エドワードの顔に掴みかかった。
「この嘘つき男! あんたが私を唆したんじゃない! 『聖女のフリをして愛想を振りまいていれば、おばさんから奪った金で一生遊んで暮らせる』って、そう言ったのはあんたよ!」
「黙れ、この性悪女! お前が『私には特別な力がある』と色目を使って誘惑したから、私は判断を誤ったんだ! 領地が滅びたのは、お前の祈りが足りなかったせいだ!」
「なんですって!? 魔法が使えないことくらい、最初からわかってたくせに! 私が贅沢三昧できたのは、あんたがエリナさんの実家から盗んだ金があったからでしょう!?」
「盗んだとは人聞きが悪い! 妻の金は私の金だ! それを全部宝石やドレスに変えたのはお前だろうが!」
衆人環視の中、泥沼の罵り合いを始める二人。
エドワードはミリアの髪を掴み、ミリアはエドワードの顔を爪で引き裂く。
その醜態は、まさに地獄絵図そのものだった。
「見苦しいですね。……あなたたちが愛し合っていると思って身を引いたのですが、その程度の絆だったのですか」
私はパチンと指を鳴らした。
すると、私の内側から溢れ出した浄化の光が、エドワードとミリアを包み込む。
ただし、それは癒やしの光ではない。
彼らがこれまで隠してきた“罪“と“汚れ“を白日の下にさらす真実の光だ。
「あああ! 体が、体が焼けるようだ!」
「嫌よ! シワが、顔が……!」
光に照らされたミリアの厚化粧は剥がれ落ち、虚栄に満ちた姿が露わになる。
エドワードの懐からは、横領した金の裏帳簿がボロボロとこぼれ落ちた。
「判決を下す」
レオンハルト様が重々しく宣告する。
「エドワード・ヴォルガ、貴殿の爵位を剥奪し、平民以下……いや、戸籍すら持たぬ【罪人奴隷】へと落とす。全財産は当然没収、これより一生をかけ、北部の死の鉱山にて、かつて自らが荒廃させた大地をその手で掘り返し続けるがいい」
レオンハルト様は、次に怯えるミリアを冷徹に射抜いた。
「ミリアと呼ばれた女。聖女の名を騙り、人心を惑わした大罪、万死に値する。貴様も同様だ。その華奢な指が折れ、爪が剥がれようとも、死ぬまで泥を啜りながら働き続けろ。そこが、貴様らに相応しい【社交場】だ」
「嫌っ……! 助けて、エドワード様!」
「離せ! 私を誰だと思っている、私は伯爵だぞ!」
狂ったように暴れるエドワードだったが、レオンハルト様はその様子を鼻で笑い、吐き捨てるように言い放った。
「安心しろ。貴殿らがどれほど死を望もうとも、簡単に死なせはしない。私がエリナに捧げるはずだった祝福の魔力を、貴殿らの“延命“のために使ってやろう。……苦痛に満ちた生を、永遠に呪いながら味わい尽くすのだ。連れて行け。二度と私の視界に、エリナの視界に入るな」
二人の絶叫は、騎士たちの無慈悲な力によって遮られた。
レオンハルト様は翻って私を振り返ると、先ほどの冷酷さが嘘のような、深い慈愛を宿した瞳で私を見つめた。
「エリナ。……これで、君を苦しめる鎖はすべて断ち切られた」
その温かな声に、三年間凍てついていた私の心が、春を告げる雪解けのように溶けていくのを感じた。
◇
審判が終わった後の、静かな王宮のバルコニー。
私は、レオンハルト様と共に夜風に吹かれていた。
「エリナ、これで満足か?」
「はい。……心が、ようやく晴れました。復讐のためだけではなく、自分の力で正しく誰かを幸せにできる。その喜びを、あなたに教えていただきました」
レオンハルト様は私の腰を引き寄せ、熱い眼差しで私を見つめた。
「君のその力は、もう誰かに搾取されるためのものではない。これからは私の隣で、この国の王太子妃として、そして私の唯一の愛する妻として輝いてほしい。君の魔力も、その微笑みも、すべて君自身の幸せのために使ってほしいんだ。……愛しているよ、エリナ。一生をかけて、君を慈しむと誓おう」
その言葉と共に重ねられた唇は、雨の日に凍えきった私の心を、魔法よりも温かく溶かしていった。
数ヶ月後。
王都は、私たちの成婚を祝う歓喜の渦に包まれていた。
かつての“地味な商家の娘“ではない。
私は国中から『奇跡を呼ぶ聖妃』と称えられ、レオンハルト様の隣で、眩いばかりのティアラを戴いて大階段を降りる。
私の【浄化の魔力】によって、国中の大地はかつてない実りを見せ、人々は飢えから解放された。沿道を埋め尽くす民衆からの祝福の嵐の中で、私はレオンハルト様の手を強く握り返した。
捨てられた場所は、冷たい雨の中だった──。
けれど、今、私の目の前には、愛する人と共に歩む、どこまでも続く黄金の未来が広がっている。
一方その頃、最果ての北部鉱山では──。
そこには、かつての華やかな生活を夢見ることすら許されない、二人の影があった。
「痛い! 痛いああああ! 重い、もう持てない……っ!」
「黙って掘れ、この役立たず! お前がもっと上手く聖女を演じていれば、俺がこんな場所で泥を啜ることはなかったんだ!」
泥にまみれ、看守の鞭に打たれながら土を掘るエドワード。
かつての傲慢な美男子の面影はなく、痩せこけ、歯を食いしばる顔には絶望が刻まれている。
隣では、自慢だった髪も肌もボロボロになり、爪が剥がれた手で泣き喚くミリアがいた。
「あんたのせいよ! あんたがあの時、エリナさんを捨てなければ……! ああ、お腹が空いた、冷たい……助けて……!」
彼らに残されたのは、レオンハルト様の魔力によって強制的に延ばされた命と、永遠に終わらない過酷な重労働。
そして、死ぬまで互いの存在を呪い続け、責任をなすりつけ合うという──逃げ場のない本物の地獄。
私は一度も、その暗い過去を振り返ることはない。
降り注ぐ光の中、隣で微笑む最愛の人と共に、私は新しい人生の一歩を踏み出した。
〜〜〜fin〜〜〜
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