クリスマス・キャロルは流れない
クリスマスは、苦手だ。ついでに誕生日とか、諸々の行事も。与えることも、与えられることも苦痛だった。
だから、
「もう、別れましょう」
クリスマス・イブの夜、付き合っていた彼女にそう言われても、大して心は動かなかったし、俺は「わかった」と素っ気なく言って、それで終わりだった。学生ではないのだから、世間がクリスマスだなんだと浮かれていても、サラリーマンの前に横たわるのは、年末進行という現実だ。それでも時間を作って、こうして彼女の希望通りデートに漕ぎつけたというのに。何だか、全てがどうでもよくなった。
別れを切り出された理由は、「愛されている実感がないから」、だそうだ。これまで何人かの女性と付き合ったが、いつも似たような理由で別れを告げられる。
誰かと深く付き合うというのは、とても労力を使う。まめに連絡を取ったり、都合をつけて会ったり、誕生日やクリスマスにはプレゼントを贈ったり。俺には、どれも面倒で仕方がなかった。特に、互いの誕生日とクリスマスは、苦痛に近いものがあった。ほしいものを聞かれてもよくわからないし、「あれがほしい」と相手に要求されると、ひどく心がざわついた。
ものも、金も、愛情も。何かを与えられるのは、返すことのできない、大きな借りを作った気分になる。だから俺は、何もいらない。与えられる喜びを知らないから、俺も他人に何かを与えることはできない。だから、相手に心を煩わされることがなくなって、むしろほっとしている。自分がひどく寂しい人間になったような気もするが、別に構わない。
「うちにはお金がないのよ」
それが、母の口癖だった。
誕生日にクリスマス、正月、それから友達と遊ぶとき、修学旅行や進学などのイベント、事あるごとにそう言われた。だから、俺は、誕生日にもクリスマスにも欲しいものは言わなかったし、進路もなるべく金のかからないものを選んできた。
そんなに言うのなら、どうして三人も子供を作ったのかと今なら言ってやるところだ。子育てに金がかかることくらい、少し考えればわかるだろうに。
俺は三人きょうだいの長男として生まれたが、記憶にある中でも、両親の仲はすこぶるよくなかった。こんなに仲が悪いのに、子作りには励んだのかと思うと、自分のこの身が疎ましくすらある。もしかしたら、望まぬ妊娠をさせて相手を縛り付ける、多産DVに近いものだったのかもしれないが、聞いていないのでわからない。聞く気も起きない。
そんなだから、俺は高校入学と同時にバイトをして金を貯め、行きたかった大学を諦めて専門学校に行き、就職した。就職と同時に家は出て、一人暮らしを始めた。
誕生日やクリスマスに、無邪気にほしいものを要求できる二人の妹が、うらやましく、妬ましかったし、二人には甘い顔をする両親にも納得がいかなかった。俺が家を出た後、二人は学費を出してもらい好きな大学に行って、バイトは自分の小遣い程度でぬくぬく暮らしていると聞いて、虚脱感を覚えた。以来、実家にはほとんど帰っていないし、ろくに連絡も取っていない。
雑踏の中に消えていく彼女を見送って、俺は家への道を辿った。彼女は、一度も振り返らなかった。駅前にこの時期だけ設置されているクリスマスツリーの周りには、カップルや家族連れが闊歩し、大きなツリーを背景にスマホを構えている。浮かれた空気の中で、自分だけが異質で、滑稽だった。俺はコートのポケットに手を突っ込んで、イルミネーションの中を人混みに逆らって歩いた。
途中、ケーキ屋の看板が目についたので、買って帰ることにした。閉店時間が近いからか、空いていて売り切れの商品も多かったけれど、運良くあいつの好きそうなものが残っていたので、それを買った。
自宅であるマンションに帰り、鍵を開けると、リビングから明かりが漏れていた。
「あれ、おかえり。早くね? 彼女どしたん?」
扉を開けると、暖房で温められた空気に身体を包まれて、知らずほっと息を吐いた。ソファでは、同居人である隼人が、一人でワインを開けていた。隼人は高校時代からの友人で、何故か気が合い、上京する時はルームシェアをするに至った。俺の人生の中では、唯一と言っていい気の置けない相手だ。
テレビには、何かの映画が映っていた。あれは確か、『クリスマス・キャロル』だ。強欲な商人が、共同経営者の幽霊と遭遇したことをきっかけに、過去・現在・未来の精霊により不思議な体験をさせられ、改心していく、有名なクリスマスの物語。
「別れた」
「マジで? クリスマスにフラれるとか、ウケる」
隼人はそう言って、からからと笑った。
「笑うなよ。そっちこそ、クリスマスに一人で酒盛りかよ」
ローテーブルには、クラッカーにスモークサーモンや生ハムを載せたカナッペと、ローストチキンがあった。
「俺、仕事だったし。クリスマスとか関係ねーもん」
「……彼女は? この前付き合い始めたって言ってたじゃん」
そっちこそどうなんだよと言うと、隼人はまた他人事のように笑う。
「別れた。クリスマスとか正月とか休めないってなると、なかなかさあ」
それを聞いた俺は、隼人に同情した。世の中には、色々な仕事の人がいて、それで世界は回っている。それを理解できない相手とは、別れて正解だったのではないか。
隼人の仕事は、レストランのシェフだ。クリスマスなど繁忙期だから、当然休みはない。今日は早番で、ディナータイムの仕込みを終えたら、上がりだったようだが。飲食の割に、意外とホワイトなのだ。
「それに、男友達とルームシェアしてるって言うと、引かれるんだよね」
「まあ、それな」
そう言って、二人でにししと笑った。もしもいつか結婚したい相手ができたら、ルームシェアは解消するだろうが、こいつ以外と一緒に暮らすのは、今のところなかなか想像できない。
「これ、店からもらったやつだけど、食う?」
「あー、うん」
俺はケーキの白い箱を冷蔵庫にしまった。そして上着をハンガーにかけ、洗面所で手を洗うと、ソファに腰を沈めた。そこに、隼人が自然な動作で俺の前にグラスを置き、ワインを注ぐ。
「独身に、かんぱーい」
そう言って、チン、とか細い音を立ててグラスを打ち合わせ、中身に口をつける。俺もワインを流し込み、カナッペを口に入れる。辛口のワインと、塩気の利いたサーモンが絶妙にマッチして、いくらでも食べられそうだった。
さっきまで軽口を叩いていた隼人は、グラスを傾けながら真剣に映画に見入っている。俺はアニメやアクション映画の方が好きなので、この映画の良さはよくわからなかった。
けれど、だからといって他のにしろとは言わない。隼人が楽しんでいるのを邪魔するつもりはない。同じように、隼人も俺が何をしていても、干渉してこない。それが、俺にはちょうどよかった。
映画のエンドロールが流れ、ワインとつまみもあらかたなくなったところで、俺は席を立った。
「ケーキ、食う?」
「お? 食う食う」
隼人は満面に喜色を浮かべる。こいつは甘いものも辛いものも好きなのだ。要するに、美味けりゃなんでもいい。
俺がケーキを載せるための小皿とフォークを出していると、隼人は電気ポットでお湯を沸かし始める。
「紅茶とコーヒー、どっちがいい?」
「じゃあ、コーヒー」
「あいよ」
隼人の淹れるコーヒーは、そこらの喫茶店のものより美味かった。豆を挽いて、丁寧に蒸らしたコーヒーは、ふくよかな香りが立って、気分が落ち着く。
「お、美味そう。どこの?」
「商店街の……名前忘れたけど、個人店っぽいとこの」
「ああ、あそこのケーキ、美味いよな!」
テーブルに並べたケーキを見て、隼人ははしゃいだ声を上げる。
俺が買ってきたのは、つやつやのチョコレートにコーティングされ、中央に金箔がちょこんと載った、大人っぽい見た目のケーキだった。甘ったるいものより、洋酒と苦みの効いたチョコが、こいつの好みだ。自分用には、色とりどりのフルーツが載った、季節限定のタルト。
コーヒーの香りを嗅ぎながら、ケーキにフォークを刺す。
「やっぱあそこのケーキ、最高だな!」
嬉しそうに食べる隼人を見ていると、買ってきてよかったと思う。
与えるのも、与えられるのも苦手だ。何かをしてもらうと、借りを作ったような気分になるし、自分の本音を押し込めて、相手に合わせるのも苦痛だ。大人になった今は、食うに困らず、ちょっと贅沢できるくらいの稼ぎもある。一人で暮らすのだって、別に困らない。
でも、こいつといるのは嫌じゃない。来年のクリスマスも、こんなふうに穏やかに過ごしたいと思うのは、きっと贅沢なのだろうけれど。
他人には何も望まない、期待しない。だから誰も、俺に何かを求めないでほしい。そう決めたはずなのに、人恋しさを捨てられない自分を、俺は嫌悪する。
窓の外には、いつの間にか雪がちらついていた。積もるだろうか。灰色の雲と、冷たい雪が、心も覆い隠してくれればいいのにと思いながら、俺はコーヒーを飲み干した。
了




