第8話 おむすびの味
耕作と多江、それにイザヨイの暮らしはようやく少し落ちつきをみせてきた。
理由の一つには、イザヨイによる屋敷の加護が大きい。
屋敷に結界を張り怪しげな存在から認知されないようにしている。
すると辺りを徘徊する飢えた魔獣たちは屋敷が見えていても認知ができないのだ。
自身の認知阻害能力を屋敷全体に広めている、座敷わらしならではの結界と言えよう。
本来は陰ながら一族に小さな幸せを与える、それが彼女のような付喪神、座敷わらしの役目なのだが、この緊急事態ともいえる他の世界への転移に彼女なりの責任を感じていたりする。
(イザヨイがしっかりしてないから、多江たちを不幸にしたの。できる事はして、ちゃんと幸せにしてあげるの)
そう思いながら、イザヨイは廊下の柱にちょこんと背を預け、小さく腕を組んだ。
多江が台所で珍しく浮かない顔をしている。
しばらく黙って鍋を見つめていたが、ふと小さく息をついた。
(ん…やっぱし食材や調味料が足りなくなりそうだあ。…蔵にあるものだって、日持ちはするけど古くはなるからねえ)
昆布や鰹節、干し魚、煮干し…色んな乾物は元来日持ちを前提にはしているが、そもそも家庭に大量に備蓄するものではない。
日常に使うものだから、普通に購入して…が当たり前なのだ。
蔵の存在、家の田畑もついてきたおかげで、当面は耕作に日本の食事を作るのには困らないが、この暮らしが何時まで続くかわからない以上、日持ちしないものから利用したり、蔵の乾物や調味料も処分しなければ…
多江にしたら捨てるという概念が勿体ねえ、に直結するのだが、蔵の貯蔵分を2人で食べきるには何十年もかかる位には貯め込まれていて、いずれはそうしないとえらいことになる。
多江が眉間に皺を寄せて蔵の方を眺めていると、すぐ脇で小さな気配がふっと揺れた。
とたんに、天井の梁からぶら下がっていた風鈴が、ちりん、と一度だけ鳴る。
台所の戸口の隅に、いつの間にかイザヨイがちんまりと腰を下ろしていた。
足をぶらぶらと揺らしながら、面白そうに多江の横顔を覗きこんでいる。
「どうしたの?多江がなんだかブスッとしてるの」
「ひええっ?…びっくりした〜、いきなり背後から声をかけるもんでねえだよ?」
(考え事をしてるのだから当たり前だあ、いつもへらへら笑ってらんねえ)
ブスッとしてるという言葉にこだわる多江。
「オラだって考えることがあるんだべ。イザヨイちゃんにはわかんねえ話だぁ」
「へえ〜?多江がまじめな顔するの珍しいの」
「何気に失礼だべな、イザヨイちゃん…」
ふくれっ面の多江が可笑しいと、ますます笑いころげるイザヨイが、真顔になる。
「それでどうしたの?」
「うん、ウチの備蓄品の始末を考えてたんだあ…蔵の中身をどうすべえとね…そのまま売りにだせる程モノがあるのはありがてえけど、2人じゃ腐らせちまうだよ」
「はあ…ひょっとしてとは思ったけど、多江は気づいてないの?」
「何のことだべ?」
「こっちにきてから漬け物の味、変わってないはずなの」
「へ?」
「蔵の食べ物が大事なことくらいわかってたの。だから、食料庫の蔵には時間停止の結界を張ったの」
思わず顔がこけし人形のように固まる多江。
理解不能と顔に貼り付いた状態だ。
「おーい…多江〜?帰ってくるの」
「はっ?びっくりさせねえで。簡単に説明してけろ」
イザヨイが立ち上がると、精一杯ふんぞり返りえっへんと得意そうに説明を始める。
「簡単にいえばあの蔵で置いとけば食べ物は腐らないし、湿気たりしない、以上なの」
「簡単すぎない?もう少し詳しくても…」
「多江にわかるように説明するのは難しいの」
「また馬鹿にしただな?これでも尋常小学校では一番だっただよ!」
「たしか5人中なの」
憤慨して地団駄を踏む多江にイザヨイは構わず続けて話す。
「これくらい当然なの…多江達を幸せにしなきゃイザヨイはいけないの。でもこれくらいしかできなくて、ごめんなさいなの」
「急にそんな顔されたら、怒れないだよ、ずるい」
ションボリうつ向く、まんまるなホッペを多江は両手で包んで微笑む。
「ありがとね、イザヨイちゃん」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
多江がイザヨイと台所でたわむれている頃。
耕作はヨーゼフに、自分たちの田畑を見てもらっていた。
「どんな理屈かわからんが、一応、ここは男爵様の領地だしなあ。
だしぬけに自分の騎士様たちより立派な屋敷がこんな辺境に現れたんじゃ、どう始末をつけるか頭を悩ませるだろうな…」
「ロマリア王国でしたね。その中の貴族様で男爵でいらっしゃるのが領主様のグラハム男爵。それでまちがいないですか?」
情報が足りなくて、まだこのパルム村がどういう村なのか、領内でも辺境とはわかったが、首都は?どのくらいの人口の国で、どんな政治をしているのか?
男爵というからには華族なんだろうが、どういった家柄でどのような…
疑問が次から次へと思い浮かぶのを、軽く頭を振って忘れようとする。
(焦ったところでどうにもならない。大事なのはまずグラハム男爵が話せる人であって欲しいな)
ヨーゼフがうちの水田、水車小屋をみて目を丸くしている。
この村では初めて見る光景なんだろうなと、ヨーゼフの反応をみて耕作は感じた。
ヨーゼフは、田の畦に立ったまま言葉を失っていた。
足元には浅く張られた水。
その中に、規則正しく並ぶ若い苗。
風が吹くたびに、緑が波のように揺れている。
「……これは、畑なのか?」
「田んぼです」
耕作は静かに答えた。
ヨーゼフは信じられないという顔で水面を指さす。
「水の中に作物を植えるなど、聞いたことがない。
腐らないのか?」
「腐りません。稲は水の中でも育つ作物なんです」
耕作は畦にしゃがみ込み、苗を軽く指で押さえた。
「この草は“稲”。米になります」
「米……」
ヨーゼフは眉をひそめる。
「麦ではないのか?」
「違います。麦とは作り方がまるで違う」
耕作は立ち上がり、水路の方を指した。
「まず水を引く。
それから土を柔らかくして苗を植える」
「水を張ったまま育てるのか?」
「ええ」
耕作は小さく笑った。
「その方がいいんです」
「なぜだ?」
ヨーゼフは真剣な顔で聞いた。
耕作は水面を見ながら答えた。
「水が雑草を抑える。
それに土の養分も逃げにくい」
足で軽く水を揺らす。
小さな波紋が田んぼを広がった。
「麦は毎年、土地を休ませないといけないでしょう?」
「……ああ」
「でも米は違う。
ちゃんと水を管理すれば、同じ土地で作り続けられる」
ヨーゼフは田んぼを見渡した。
水。
苗。
水車。
それらがひとつの仕組みとして動いている。
「……この畑」
ヨーゼフは呟く。
「畑ではないな」
「ええ」
耕作は頷いた。
「これは水の農業です」
風が吹く。
若い稲がさらさらと音を立てて揺れた。
ヨーゼフはその光景をしばらく黙って見つめていた。
「もしこれが本当に食える穀物なら……」
ヨーゼフはゆっくり言った。
「村一つの食い扶持が変わるぞ」
耕作は苦笑いを浮かべる。
「うちの国じゃ、当たり前の作物なんですけどね」
そんな2人に、屋敷の方から歩いてきた多江の声が。
「旦那さま〜!お昼ご飯持ってきただよ!…あ、ヨーゼフさんもご一緒にいかがですか?」
竹で編んだ籠と水筒をぶら下げ、鼻の頭に小さな汗を滲ませたままペコリと頭を下げる。
「口に合うかわかんねえけど、田んぼを見てるなら米を食べてもらおうと思って…」
竹籠の中の布巾をとると、海苔で包まれた三角、白い米の上に胡麻塩を振りかけた三角のおむすびが、つやつやときれいに並んで五つずつ入っていた。
ヨーゼフが興味津々で覗き込み、チラリと耕作を振り返る。
「もらっていいのかい?コメなんだな、これが」
頷いた耕作は多江から海苔巻きおむすびを受け取るとヨーゼフに差し出す。
「ええ、味見してください。…我々日本人の力の源です」
その言葉には、耕作の愛してやまない日本の風土への誇りが詰まっていた。
ヨーゼフは恐る恐る三角の塊を受け取った。
手の中にずしりとした重みがある。
「……不思議な食べ物だな」
指先でそっと回す。
白い粒の塊。
その一部は黒い薄い何かで包まれている。
「この黒いのは何だ?」
「海の草です。海苔といいます」
「草……?」
ヨーゼフは眉をひそめる。
だが香ばしい匂いがわずかに鼻をくすぐった。
意を決してかぶりつく。
歯が沈む。
ほろりと米がほどける。
「……!」
ヨーゼフの目が丸くなる。
「中に何か入っているぞ」
「鰹節です」
「魚?」
「ええ、乾かして削ったものです」
ヨーゼフはもう一口かじる。
しばらく無言で噛み、やがてぽつりと言った。
「……これは、腹にたまりそうだ」
米の柔らかい甘みと、鰹節のどっしりした旨味、海苔の見た目によらぬ磯の香り…
まったく馴染みはない味だが、ヨーゼフは素直に美味しいと感じた。
多江が水筒から緑茶を注いで差し出す。
「良かったらこちらも…お茶はもうご存知ですね」
受け取ると、一口喉を湿らせる。
清涼な茶の微かな苦みが味覚を洗い流しながら、喉を潤し、次に差し出された白い米のままのおむすびへの期待が高まる。
そして、ガブリと一口。
鮮烈な酸味で口内にみるみる唾液が溢れかえり、口がキュッと窄まり目を白黒させてしまう。
「な、何だこの赤いのは?」
断面に残る赤いなにかの実であろうものを見つめるヨーゼフ。
「こちらではねえのかね?梅の実を干して漬けた梅干しつー食べ物ですだよ。これも私たちは毎日欠かせねえもんです」
「それにしても酸っぱいな…」
恐る恐るもう一口齧ると、今度はこの酸味が米の甘みに絡まり、なんとも言えない調和が生まれる。
「なるほど…美味いのもだけど、これなら喉のとおりもいい、飲み物なしでもいけるな」
モグモグと顎を動かしている姿は、このおむすびをかなり気に入ったようだと耕作は感じとる。
穏やかなそよ風が吹き抜け、水車に川のせせらぎが通り抜けていく音が聞こえてくる。
畦道に座り、おむすびを齧ると、いま、ここだけは日本の風景に戻っている。
そんな錯覚すら、耕作の胸によぎるのだった。
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