第7話 2人の覚悟
多江の目覚めは早い。
居間にある振り子時計が4時を告げるボーン、ボーンという音を聞くなり飛び起きて、竈門に火をつけるのだ。
ぱちぱちと薪が爆ぜ、まだ冷たい朝の台所に火の温もりが広がっていく。
夜が明けてしまうと耕作が農作業に出る。
どうしてもそのくらいから食事の支度にかからないと間に合わなくなってしまう。
隣で寝息を立てている耕作を起こさぬように、そっと寝床から抜けると、手早く着替えて台所へ立つ。
「おはようなの。いつも朝からえらいね、多江は」
「あら?イザヨイちゃんも早えね、おはよう」
土間の板敷きにどこからともなく現れ、トテトテと近付いてきたイザヨイに、多江も笑顔で挨拶する。
「ゆうべの話を聞いてたの。この家にはイザヨイが結界を張ってるから、おかしな妖怪は入らないの。
だから多江は安心なの」
えっへん!とでも言いたそうにふんぞり返るイザヨイ。
「へえ?あのごぶりんとかいう小鬼の話け?」
「うん!屋敷の護り神としてとーぜんなの!」
切り干し大根を刻みながら相手をしているうちに、床の間からゴソゴソ動き出す気配がする。
「あら?旦那さまが早起きだね、もう起きたのかね?」
「むー!じゃイザヨイは外を見てくるの。耕作とはあわないの」
「まだ言ってる…良い人だのに」
またスッと気配が消えていくのを感じながら、米の火加減を見ながら菜を作る。
コマネズミのようにちょろちょろ動き回りながらも、無駄が一切ない。
日常の手順だから、考える必要がないのだ。
表の井戸から水を汲み上げる音が聞こえ、耕作が洗顔をしていると気づくと、味噌汁の仕上げにかかる。
蓋を開けるとふわっと白い湯気が立ちこめ、煮立つ寸前で味噌を溶かしこむ。
一気に土間に香ばしい匂いが立ちこめると、小さな皿で味見。
「ん、大丈夫だべ」
いつも通りの味、いつも通りの仕上がり。
それが一番大事だと多江はふと思い、こちらにきてからの非日常をふりかえる。
だからこそ、何気ない日常を守るのが自分の義務なんだ、と改めて思うのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
土間の方から多江の朝餉の支度をする軽やかな音が聞こえる。
軽く微笑んだ耕作は洗顔を終えると手拭いで顔を拭きつつ、屋敷の横に向かい、大きくそびえ立つ蔵の前に立ち大きな南京鍵を開ける。
佐藤家は維新前からの地元では長く続く名主の家系だけあり、蔵も3つ敷地内にある。
一つは食糧の備蓄倉。
村に不作や飢饉がきた時にと、歴代の当主が定期的に米や乾物、最近では缶詰や瓶詰め、鰹節から味噌醤油、塩、砂糖…常に民を考える良い名主であったことを証明するような備蓄である。
こんな風に異世界に飛ばされても日常通り耕作たちが暮らせるのは、そこらの商店ではおよばない貯えがあるからだと、改めてご先祖様の叡智に頭が下がる思いを耕作は抱く。
しかし、今日開いたのは別の蔵。
ここには、平和な農村には似つかわしくない負の遺産が眠っていた。
維新前の統治では、過酷な年貢の徴収が相次いだ時代があったらしい。
抗議の為に一揆すら起こす時代もあったらしく、いざという時にと、やはりご先祖がかき集めた武具や火縄銃までが眠っていた。
さらに近年は徴兵から帰ってきた村の男から、治安と慰労と称して多江の父親が銃や軍刀、弾薬まで買いとり、退役後の生活建て直しを支援していたので、これまた大量に蔵に眠る羽目に。
そこに、婿に入った耕作も自らの装備を仕舞っていたのだが、昨日の話から常備しなければいけない必要を感じたのだ。
(また、武器を手に取る羽目になるとはな)
機械油や鉄の匂いが、嫌でも大陸での忘れたい記憶を呼び醒ます。
満州馬賊を相手に銃を取り自らが撃ち、倒した記憶。
奇襲を受け、部下を泣く泣く見捨て退却した記憶。
蔵の中の暗がりで佇む姿は、多江に見せる穏和な姿ではなく、人間性を封じた"軍人"そのもの。
蔵の荷物の影から、好奇心で覗いていたイザヨイは、耕作の無機質な顔を見て、背筋が凍る思いがする。
(耕作…彼もかわいそうなの。いくさ、駄目なの)
多江には一生語らず、封印する筈だった過去。
これからの生涯は良き農民として、良き夫として過ごすつもりだったが、この世界はそこまで優しくも気楽でもないらしい。
ならば…
耕作は蔵の中でも一番手前、新しい棚に置いてあった武骨な軍刀を手に取る。
旧士族野々村家の父が西南戦争で死線をくぐり抜けた佩刀。
士官学校を卒業した時に、拵えを軍刀仕立てに変えて父から渡された。
そして、満州の荒野で我が身を護った刀。
胴田貫の刃は薩摩兵の、馬賊の血を知っている。
スラリと鞘から抜き、青白く光る刀身を見つめている耕作の姿に、天井からみているイザヨイは両手を口にあてて見つめるのみ。
そんな緊迫した時間はのどかな声で打ち切られた。
「旦那さま〜っ!ごはんができただよ〜!」
直ぐに刀を鞘に納め、隠すように背後に持ち替える。
「ああ、多江さん、すぐに行くから」
その声はいつも通り穏やかで、まだ幼くみえる新妻を気遣う優しさがこもっていた。
蔵からそのまま立ち去り、母屋に入る耕作。
その背中には、すべてを背負う責任感が自然体で備わっているように見える。
蔵から見つめていたイザヨイはホッと息をつく。
「耕作の覚悟はわかったの…でも…まだフン!なの」
多江と耕作の朝の挨拶が聞こえる中、イザヨイは1人不機嫌そうにそっぽを向くのだった。




