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明るい農村! 〜昭和初期の新婚さん異世界奮闘記〜  作者: 氷室玲司


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第3話 エリザの訪問

パルム村へ来て3日が過ぎた。

初日のドタバタの後は、屋敷や蔵の確認、田畑の世話、家畜の世話…やる事が山ほどあった。


ヨーゼフやエリザたち村人と知りあったものの、差し当たり家事に追われて外に目を向ける余裕がなかったりする。


家屋敷それに田畑も一緒にこちらに来ているのだから、当然といえば当然なのだが。


今日も朝から多江は井戸端でせっせと洗濯に、耕作は田畑の世話へと向かうのである。


「ふ〜、おとうやおっかぁがいねえと忙しいなあ…でも、弱音ははいちゃなんねぇ。ため息ついたら幸せが逃げちまうだ」


多江は澄んだ青空にたなびく雲を見上げ、たらいから洗った衣服を取り上げると物干し竿に手際よくかけていく。


足元をニワトリたちが走りまわり、小屋からハナコの呑気なウモォ〜という鳴き声が聞こえてくる。


(…この屋敷の中だけはなんも変わんねえ。ならば、オラのやる事も変わんねえだよ。)


今度は縁側を固く絞った雑巾でせっせと拭きながら、多江はつぶやく。


独り言が増えているのは、実は寂しいの裏返しなのだが、それに気づいてしまうともっと辛くなる…できるだけ考えないようにしているだけなのだ。


さて、次の仕事すべえ…

また多江がつぶやく。


そんな時に門の方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「タエさ〜ん、エリザです。入っていいですか?」


「エリザさん!あら〜、どうぞどうぞ」


声の調子が思わずあがる。

ローザの手を引いて、籠を持ったエリザが門をくぐり庭へ入ってくるのを、満面の笑みで多江は迎えた。


「タエ〜、こんにちは」

「ん〜、こんにちは、ローザもごきげんだねー」


ぎこちなく頭を下げる幼児を見るとなんともいえず元気が湧いてくる気がする。


多江はしゃがんで亜麻色の柔らかい毛を撫でると、飛び込んでくるローザを抱きかかえた。


「あら、ローザはえらくタエさんに懐いちゃったわねー、結構人見知りする娘なのに珍しいわ」


「オラは昔からなぜか子供に懐かれやすいだよ、たぶん友達みてえにみえるのかね?」


「イサクもいきなり懐いてたしね、フフフ」


「アハハ…はしたねえとこ見せちまっただな」


エリザは首をかしげいたずらっぽく微笑むと、持ってきた籠を多江に差し出す。


「こないだお茶とぬか漬け?をご馳走になったじゃない?今度はこっちの番かなって。良かったらこれ、食べて欲しいな」


籠の中には固そうに焼きしめた香ばしい匂いがするパンのようなものと、多江の見たことのある野菜、無い野菜、そして蒸れたような匂いのする白い布につつまれた固形物が入っている。


「へえ〜、一杯もってきてくれただな!…でもオラが見たことのないもんもあるし、どう食べたらいいかわかんねえな…」


「あ、やっぱり?わたし達と食べ物が違うってのはわかったんだけど、ここに住むならこういった食材が手に入るって知っといたほうが良いかなって」


「はい、その通りだね。オラ達も畑で採れた旬のものだけってわけにもいかねえし、旦那さまにも色んなもの食べさせてあげてえし」


「だから今日はタエさん、一緒にお昼ゴハン作らない?もし時間あればだけど」


「面白そうだね!こっちの人たちがどんなもん食べるか知りたいな、オラ」


多江はエリザの気づかい、おそらく村に少しでも馴染むようにこうして声をかけてくれていることに、感謝の気持ちで胸がいっぱいになる。


「わざわざ本当にありがとうございます…エリザさん」


「エリザでいいわよ。わたしと同い年なんでしょ、気を使わないで、タエ」


「ん、わかっただよ…エリザ」


多江が前に立って勝手口から炊事場へ向かおうとすると、ローザは多江の手をとりトテトテと一緒に歩こうとする。


「ローザもいく〜」


はにかんだ笑顔で多江を見上げてくる。


「ん〜?ローザもお手伝いできるかな〜」


「あらあら…」


(オラも子供ができたらこんな風に手を繋ぐんだべな)


むっちりとした指の感触に、耕作との赤ちゃんが産まれたら…と妄想が浮かび、頬が熱くなる多江。


「タエも早く子供作らなきゃね」


「お、オラはまだ結婚したばかりだから…」


「ホントに?でも、子供がいるとすごく幸せよ。この子の為ならなんだってできちゃうっていうか…毎日の苦労なんてこの子の笑顔をみたら吹っ飛んじゃうんだから」


(なんだか色んな意味で負けた気がするだよ…)


エリザのしっとりと落ち着いた雰囲気が多江には眩しくて仕方ない。


(自分も村では一番の働き者でべっぴんさんだと周りの人から言われていたんだけど…まだまだだべな)


そう思ったら胸の奥が暖かくなった。

キュッと唇を噛むが、不思議と悔しくなかったりする。


名主の一人娘だった多江には、対等の友達がいなかったので、こうしておなじ目線で話せる相手は初めてだったから。


勝手口をくぐり、土間の調理場を見たエリザが感嘆した声をあげる。


「すごく広い…しかも綺麗」


元々繁忙期には小作人やその家族まで数十名、盆や正月ともなればそれ以上の賄いをこなす場所なのだから、調理台からかまどまで複数並ぶのが当たり前で、エリザが感動する程には多江はピンとこない。


綺麗に整頓されているのも、多江からすれば当たり前すぎてエリザが何に対して感心するのか、逆に不思議に思ってしまう。


「普通だよ、オラの国では。まあ沢山の人が集まる家だったから広いだけで。

それと台所は女の聖域だからきちんとしておくのがたしなみだとおっ母から教えられてきただよ」


調理具の鍋や包丁などが整然と並び、ピカピカに磨かれチリ一つない様子に、エリザは思わず息を呑んだ。


(タエってすごい…愚痴も文句もいわないでこれだけのこと完璧に仕切るなんて、わたしには真似できないわ)


それを自慢するでもなく、穏やかに語る多江の姿をエリザは素直に美しいと感じた。


かまどの前にしゃがみこんだ多江が、薪を慎重に組み直す。


手慣れた手つきで火打石を打つと、パチッと小さな火がつき、

やがて乾いた木くずがぱちぱちと音を立て始めた。


「わぁ……ほんとに火がすぐついちゃうのね」

エリザが目を丸くして声を上げる。


「慣れだよ。風の向きと木の乾き具合がわかれば、そんなに難しくはねえだ」


火が安定すると、二人は鍋をかけた。

エリザが籠から取り出したのは、鮮やかな赤紫のビーツと、

ころころとしたジャガイモ、それに熟れたトマト。


「こっちではよく煮込んでスープにするの。身体があたたまるわ」


手早く皮をむき、包丁の刃が軽やかにまな板を打つ。

トマトを切ると、甘酸っぱい香りが土間に広がった。

多江は思わず鼻をくんくんと動かす。


「いい匂いだねぇ……うちのトマトよりずっと香りが強いだよ」


エリザはにこりと笑って、

「少しチーズを入れるとまろやかになるの。あとはパンを焼いて……」

と、籠から固そうなパンを取り出した。


多江がそれを見て首をかしげる。

「これ、固いね。どうやって食べるだ?」


「焼いてスープに浸すのよ。ほら、こうやって少し焦がすと香ばしくて美味しいの」


かまどの火の上でパンを軽く炙ると、香ばしい匂いが立ちのぼる。

多江は思わず息をのんだ。


(…なんだか、不思議だ。異国の料理なのに、どこか懐かしい匂いがする)


鍋の中ではビーツとトマトがゆっくり煮崩れ、

淡い紅色の湯気が土間の天井にたなびいた。

二人の間に、言葉はいらなかった。

ただ、木の香と火のぬくもり、そして湯気の向こうに浮かぶ笑顔だけが、

小さな調理場をやわらかく包んでいた。


 赤みを帯びた太陽が次第に中天に登る頃、腰から手拭いを抜いて、耕作は額や首筋に滲んだ汗を拭う。


(なんとなく太陽の色も違うんだよな…やはり今までの世界とは少し違うみたいだ。でも、生きていける、大丈夫)


今しがたまで手入れをした畑には青々とした野菜が茂っており、水やりをした水滴が日に反射してキラキラと生命の輝きを放っている。


「多江さんに言われた分は収穫できたし…そろそろ帰るとしますか」


振り返ると、緑の草原や豊かな森、石造りの家並みが点在する。

その中に瓦屋根の日本家屋が一つだけ奇妙な存在感を放っているのが、なんだか愉快な気分にさせられてしまう。


荷車に収穫した野菜と農具を乗せると、耕作は荷車を引く馬の権太の首を撫で、多江が待つ家へと引いていく。


家に近づくと、屋根から白い煙がたなびき、

それと一緒に、鼻をくすぐるような香ばしい匂いが漂ってきた。


(なんだろう、この匂い……味噌でも煮干しでもない。けど、悪くないな)


「さて、多江さんは何を作ったんだろう? 味噌汁の匂いじゃないですね」


多江さんはまだ若いのに、もうすっかりこの家の主婦だ。

本来なら俺が守る側なのに、いつも支えられてばかりだな。


権太が鼻を鳴らし、まるで同じことを言いたげに首をふる。

耕作は笑いながら荷車の綱を引き直した。


「ふふ、こりゃ腹が鳴るわけだ」


◇◇◇◇◇◇


「そろそろ旦那さまが帰ってくるだ、エリザもローザもこちらにあがって一緒に食べていくべ?」


「だんなしゃま〜?」

「あらあら、移っちゃった」

「ローザに旦那さまはまだまだ早えだよ」


ローザが意味がわからずキョトンとしているのを見て、2人で顔を見合わせて笑いが弾ける。


調理場ではこの場所でお馴染みの味噌や醤油の香りではなく、ハーブやチーズといった馴染みのない匂いが漂い、もしご先祖様の霊が屋敷についてきていたら驚くべな、と多江はちらりと考えてしまう。


「あ、靴のままあがったら駄目だべ!」

「え、ええっ?…そうなの?」

エリザが土間から板敷きへ上がろうとするのを、多江が危うく止める。


(なんだべ?こちらでは靴は脱がねえもんなのかい?)


悪びれるどころか驚かれてしまい、自分がおかしいのかと感じてしまうが、ウチに入った以上ウチの流儀に従ってもらわねば、と多江は思い直して、


「オラ達はウチでは常に素足か足袋なんだよ。外の土汚れや埃をなるだけ持ち込まないように、靴は脱いで暮らすようになってるだよ」


「床がほこりもないしツヤツヤしてるわ…確かにこれなら靴のままじゃ駄目ね。解ったわ、ローザも靴を脱ごうね」


エリザが納得した様子で、上がり框に座って足をブラブラさせているローザの靴を脱がせてやる。


上がりこむなり、興味津々でツルツルした板敷を撫で回しているローザをエリザに見て貰い、多江はエリザの作ってくれたスープを鍋ごと囲炉裏にかけて、下の炭に火をおこした。


「へえ〜、部屋の真ん中にこんな設備があるのね?テーブルや椅子はないの?」


「んだ、この周りに座ってこういった汁物は食べるようにするだよ…まあ今は暑いから旦那さまが帰るまで冷めないようにね」


「タエは旦那さんを大事にするんだね〜、あんまり甘やかしちゃ駄目よ」


軽くウインクをしてエリザがからかうと、多江は頬をリンゴのように染めて反論する。


「旦那さまを大事にするのは当然だべ?オラをちゃんと護ってくださるし、頼りになるし…と、とにかくオラの国ではそういうもんと教わってきただよ、夫を常に立てるのが良き妻だって」


「ふーん…タエってかわいいねえ」

エリザがさらに声をかけると、鍋をかき混ぜる手が早くなり顔中を真っ赤にして、


「あ、ああ、もう煮えたから火を引いて…旦那さまお帰りが遅いな、もうそろそろ…」


明らかに目が泳いでいる姿を見てエリザの笑いが止まらない。

(なにこの可愛い生き物!うわ〜、照れてプルプルしてるし…結婚してるのにほんとに初々しいったら、もう、妬けてきちゃうわ!)


エリザが多江をいじると楽しいと妙な理解を深めたところで、庭先に馬のいななきが聞こえてきた。


しばらくして、土間に耕作が入ってくる。

囲炉裏端で座る3人に気づいて、

「ただいま…あれっ?いらっしゃい、エリザさん」


「はい、こんにちは。タエより先にわたしに声をかけるのはまずいんじゃないですか、コーサクさん」


エリザの言葉に多江の方を見ると、明らかに不機嫌そうにふくれっ面になっているので、思わず苦笑してしまう。


「多江さん、ただいま」

「おかえりなさい、旦那さま」

「外からも解ったけど、今日の昼ご飯はいつもと違うのかい?」

「今日はエリザがご馳走してくれるだよ、オラはなんもしてねえです」


(まいったな、取り繕っても多江さんはわかりやすい)


耕作からすれば、お客様に挨拶が先なのは仕方ないと思うのだが、見知らぬ土地での生活が耕作の想像以上に多江には辛いのだろう。


故郷から、家族から離れたことのない娘が気丈に振る舞えるのも限界がある。

小さな背を向ける多江を見て、耕作は自分の配慮が至らない事を少し悔いてしまう。


「だんなしゃま?」


立ちつくす耕作にローザがぺこりと小さな頭を下げるのを可笑しそうにエリザがたしなめる。


「ローザ、コーサクさんはタエの旦那さまなのよ、あなたはコーサクさんと呼ぶの、タエだけがコーサクさんを旦那さまと呼んでいいのよ」

「ふーん…」


「タエ、早くコーサクさんに食べさせてあげないと、ほら!」


エリザはさり気なく、気まずくならないように誘導してくれたようだ。

多江が食器を取りに席を立つ間に、軽くウインクするエリザに耕作は頭を下げて感謝しつつ席につく。


多江が盆を抱えて戻ってきた。

湯気の立つ椀と、香ばしい焼きパンのようなものが並ぶ。

味噌の香りとは違うが、どこか懐かしい温もりを感じる匂いだ。


「旦那さま、これをどうぞ」

「ありがとう。……お、これは?」

「スープにチーズを入れてみたんですって。お口に合うかはわかりませんけど、とエリザが」


多江の言葉に、エリザが軽く肩をすくめた。

「私たちの普段の食事よ。気に入らなくてもタエに文句を言わないでね」


「はは、まさか。いただきます」


耕作が匙を取ると、ほのかにハーブが香る。

舌に広がる塩気とまろやかさが、思いのほか優しい。


多江が不安げにこちらを見ているのに気づいて、

「美味しい。……これは新しい発見ですね」と、ゆっくり微笑んだ。


ぱっと花が咲いたように、多江の顔が明るくなる。

「そう? よかった……」

その隣で、エリザが満足げに頷き、ローザが真似をしてスプーンを動かしている。


囲炉裏の火が静かに揺れ、外では風が草を撫でていく。

穏やかな昼下がりの光が差し込み、

この異国の食卓にも、ようやく日常の匂いが生まれつつあった。



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