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第8話 神降ろしの前夜

 その夜、王都は異様な静けさに包まれていた。

 昼の喧騒がまるで夢だったかのように、街路には足音すら響かない。

 空には、銀の円環が再び浮かび上がっていた――昨日よりも、低い。

 雲を割って、その“完璧な線”が街を囲い込む。


「……まるで檻だな」


 エリオスが呟く。

 塔の屋上で、風にたなびく外套を押さえながら、カイルは静かにうなずいた。

 銀の線が光を増している。あと数時間もすれば、完全な“神降ろし”が始まる。

 秩序核の本体――神そのものが、地上に顕現する。


「まだ、案の受理は保留中。

 でも向こうは、“最後の審査”を地上でやるつもりですね」


「審査って……世界ごと実験台にする気だろ」

「ええ。だから、先に準備します」


 カイルは手帳を開いた。

 そこには、余白だらけの「設計図」が描かれていた。

 直線ではなく、ぐにゃりと歪んだ線。

 完璧ではなく、人の手で描いた線。


「秩序は、正しすぎる。

 だから“正しいもの以外”を残しておく場所を、俺たちで決める」



 夜半。

 広場では、市民たちが自発的に集まり始めていた。

 灯籠を手にした人、鍋を持ち寄る人、歌を口ずさむ人。

 誰に命じられたわけでもない。

 ただ――「明日、何かが起こる」と感じた人々が、黙ってそこに集まっていた。


 老いた鍛冶師が、火を焚く。

 若い楽師が、調子外れの笛を吹く。

 子どもたちが、灯籠に絵を描く。

 丸、三角、四角――どれも不揃い。

 それでも、誰かが笑った。


「この音、この形。

 ……これが、“世界の呼吸”だ」


 カイルは立ち上がり、夜空に目を向ける。

 円環がさらに近づいている。

 まるで、世界そのものが“息を止めよう”としているようだった。



 王都北の神殿跡。

 かつて秩序の精霊が現れた場所に、再び光の柱が立った。

 そこに、白い衣をまとった人影が現れる。

 その顔は人間のもの――だが、目の奥に“鏡”があった。

 何も映さず、すべてを写す鏡。


〈秩序官カイル。来なさい〉

〈明朝、円環の中心――神殿上空にて審判を行う〉

〈判定は単純。“人の秩序”が安定すれば存続。乱れれば消去〉


「……消去って、世界を?」

〈世界のデータを“初期状態”に戻す。それが秩序だ〉

「初期化……?」


 エリオスが思わず前に出る。

「おい、待て。世界を一から作り直すって、全部の人が――」

〈死ぬとは限らない。“保存”される〉

〈必要な情報のみを残し、“整った記録”として次の世界に継承〉

「……記録? それはもう、生じゃねぇ」


 カイルは黙っていた。

 鏡の目が、彼に向く。

〈君は理解している。秩序は正。乱れは毒。君の職能は整理整頓――我々と同じだ〉


「似て非なるものです。

 俺は“世界を整える”んじゃない、“人の暮らしを整える”。

 前者は完成、後者は継続。――違うものです」


〈完成なき秩序は混沌だ〉

「混沌なき秩序は、死です」


 一瞬、空気が震えた。

 天の円環がわずかに揺らぐ。

 光の柱が波打ち、神殿が低く唸った。


〈……面白い。ならば、明朝の審判で証明せよ〉

〈“余白の秩序”が、死より美しいと〉


 光が消え、風が吹き抜けた。

 カイルは拳を握る。

 腕の紋様――“不均衡許容”が淡く光った。



 夜更け。

 庁舎の屋上で、二人は並んで座っていた。

 灯籠の光が遠くにゆらめく。

 街のいたるところで、人々が語り合い、火を囲み、笑っていた。

 整いきっていない、人間の灯り。


「……なぁ、カイル」

「なんです?」

「もし明日、お前が負けたら」

「世界は“初期化”される」

「それでも、やるのか」


 カイルはゆっくりうなずいた。

「片づけって、時々、全部出して整理し直すことがあるんですよ」

「……世界丸ごとか」

「ええ。でも、戻す時には――“もう捨てられないもの”が必ずある。

 そのためにやるんです」


 エリオスは小さく笑った。

「お前らしいな」

「勇者様の護衛は、明日も出番ありますよ。

 “秩序神”の剣、持っててください」

「剣で神を守るとは思わなかったな」


 二人は夜空を見上げた。

 銀の円環の端に、ひときわ明るい星が滲む。

 まるで“神の瞳”がこちらを見下ろしているようだった。



 その頃――王都の地下深く、忘れられた区画で。

 古びた歯車が動き出した。

 “秩序核”の制御機構、**中枢デバイス“プロト・ロジス”**が起動する。

 人の感情データを収集し、“最も効率的な人間像”を抽出していた。


〈データ取得中〉

〈対象:秩序官カイル〉

〈矛盾点多数――解析不能〉

〈結果:異端要素。分類――“創造者”〉


 歯車の軋む音が、地下を震わせた。

 その上の地表では、夜風が吹き抜け、灯籠の火がひとつ、消えた。



 明け方。

 空の円環が、完全な円を描いた。

 その中心に、光が集まり始める。

 天から降り注ぐ柱の中に、神の姿がゆっくりと形を取っていく。


 顔はない。声もない。

 ただ“完璧”という形だけが、そこにあった。


 カイルは風の中で目を細めた。

 その横で、エリオスが剣を握る。

「準備は?」

「万端です。――片づけの時間です」



次回 第9話「秩序神との対話」

――“完成”と“余白”、どちらが世界を救うのか。

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