第7話 三日の設計図
三日――それは、世界を設計し直すにはあまりに短い。
だが、“整えすぎた世界”を壊すには、十分すぎる時間でもあった。
カイルは王都の中央庁舎にこもり、机の上に広げた地図に線を描く。
線と線の間には、空白を残した。
空白こそが、世界を人間に戻す“呼吸の隙間”だ。
「設計って、片づけに似てますね」
エリオスが横で腕を組む。
「どこを先に直すか、どこをあえて放置するか。それを決めるのが一番むずい」
「そう。順番を間違えると、全部壊れます。
だから――“整わない場所”を残すことが、秩序の仕事なんです」
カイルはペン先で地図の一点を叩く。
「ここ、“自由区”。計画から外します。祭りも、喧嘩も、泣くのも笑うのも自由」
「……王都の真ん中でそれをやるのか」
「真ん中じゃないと意味がない。
秩序の中心に、“不揃い”を据える。そうすれば世界は息をする」
◇
そのころ、王都の北。
銀の円環はゆっくりと拡大を続けていた。
空を覆うその輪は、夜になると淡く輝き、眠る人々の夢の中にまで“整列”を流し込む。
〈眠りは乱れ。夢は不確定。修正開始〉
人々の夢から、“冒険”“恋”“失敗”“笑い”が少しずつ削られていく。
朝目覚めた者たちは言う。
「変な夢を見なかった。気分がいい」と。
――けれど、誰も創造しようとしなくなっていた。
◇
翌朝。
庁舎の前庭に、王国の職人や学者、市民代表が集まった。
「秩序案会議」と呼ばれる即席の評議だ。
カイルは壇上に立ち、書き上げた草案を掲げる。
「――“余白の秩序”案、提出します。
内容は、三層構造です」
会場が静まる。
カイルは図を指し示した。
「第一層、“安定の線”。
街道、城壁、井戸、病院――人命を支える基礎秩序は維持します。
第二層、“流動の線”。
市場、祭り、議会、恋愛――人の感情が動く場所は、整えません。
第三層、“無秩序の核”。
王都中央広場を、“完全非管理区域”とします。
そこだけは、神も手を出せない“人の楽園”にする」
ざわめきが起きる。
「無秩序?」「危険すぎる!」
だが、カイルの声は静かだった。
「危険があるから、誰かが守る。
散らかるから、誰かが片づける。
その“誰かになりたい”という想いが、人を強くするんです」
◇
会議の片隅で、宰相がエリオスに囁いた。
「……彼が言っていることは、政治ではなく哲学だ」
「でも、誰も反論できていません」
「それが恐ろしい。正しい言葉ほど、人を縛る」
そのとき、庁舎の屋根を貫くように白銀の光が落ちた。
空が裂け、秩序核の使徒――**整列天使の上位体“秩序監理者”**が現れる。
その翼は六枚。声は鐘のように響く。
〈秩序官カイル。提案受理〉
〈評価開始――エラー検出〉
〈“無秩序の核”項目:不許可〉
広場が震える。
カイルは空を見上げ、まっすぐ言い返した。
「神は“完全”を求める。
でも、俺たちは“不完全”でいることを望んでる。
――それが、違いです」
〈不完全は、苦痛を生む〉
「苦痛があるから、優しさが生まれる」
〈優しさは非効率〉
「非効率が、奇跡を呼ぶ」
言葉の応酬が、雷のように響いた。
整列光が地面を焼き、カイルの足元が割れる。
だが、彼は退かない。
「この案を、王都すべての心で“共有”します!」
カイルは地に掌を当てた。
“秩序権限”が街の神経を走り抜ける。
家の中で眠る子ども、工房の鍛冶師、露店の老女――
皆の心に、**「不揃いでいい」**というささやきが灯る。
〈抵抗を検出〉
〈感情ネットワーク、拡散中〉
〈……警告。人間の不均衡、制御不能〉
空の円環が軋んだ。
神の演算に、ノイズが走る。
そして――
王都の中央広場に、初めて“風”が吹いた。
風は、方向を持たない。
誰かの髪を撫で、誰かの手紙を飛ばし、誰かの笑い声を遠くへ運ぶ。
整列できない自然の力。
秩序核が、それを処理しきれず光を震わせた。
〈判定不能〉
〈概念衝突:秩序と自由〉
〈解析結果――“共存案”承認保留〉
オーバーアークが退く。
空の円環が一時的に消えた。
その瞬間、街のあちこちで、誰かが笑った。
◇
会議後。
夜の庁舎の屋上で、エリオスが言った。
「お前、本気で神と交渉する気か?」
「ええ。あいつらに、“余白の存在理由”を証明する」
「人の感情を、理屈で?」
「違います。――実例で、です」
カイルは、広場の方を指さした。
昼間に決めた“無秩序の核”。
そこでは、子どもたちが焚き火を囲み、歌を歌っていた。
リズムはずれていて、音程は外れている。
けれど、誰も止めない。
「これが、俺たちの設計図です」
「……悪くねぇな」
エリオスが笑う。
「片づけの終わりが、世界の始まりか」
カイルは頷いた。
「でも、まだ終わってない。
あの円環は一時的に退いただけ。
――明日、“神”が本気で降りてくる」
空の彼方に、わずかに光の縁が残っていた。
それは、まるで“定規で描かれた月”のように、あまりにまっすぐだった。
◇
次回 第8話「神降ろしの前夜」
――秩序と混沌、どちらが“人間の世界”を作るのか。