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第6話 歪んだ秩序、消えた笑顔

 朝の王都は、時計のように正確だった。

 市場の露店は同じ幅で並び、客は無言で等間隔に進み、値切りの声は一度も起きない。

 吟遊詩人の歌はテンポが狂わず、子どもの追いかけっこは転ばない。

 ――誰も失敗しない代わりに、誰も笑わない。


「……音が死んでる」


 カイルは市場の真ん中で足を止めた。

 小さな男の子がリンゴを落とした。転がった実は、道の端の「果実一時置き場」のパネルに沿って正しい角度で止まる。

 彼は拾い上げ、母親の手引きで規定のゴミ箱に捨てた。

 泣きもしないし、誤魔化し笑いもしない。


「整いすぎだ」

「お前の権限のせいか?」

 背からエリオスの声。

 カイルは首を振る。

「違う。俺の“自動”は抑えてある。――外から、押してきてる」


 視界の端に、薄い銀の線が見えた。

 屋根から屋根へ、路地から路地へ、空から地へ――世界の表面をなぞるように走る“整列の糸”。

 神殿で聞いた声が、耳の奥で微かに反響する。


〈秩序は乱れを嫌う。乱れは死を呼ぶ。だから、整えよ〉


(誰の声だ……神殿の精霊じゃない。もっと、硬い)


 エリオスが顎で示す。

「見ろ、中央広場だ」


 広場には「秩序礼賛会」の白い旗がはためいていた。

 新興の市民団体。合言葉は「怪我をしない世界へ」。

 配っている小冊子の表紙には、整った街並みと“泣いていない子ども”の絵。


「受ける言葉だな」

「受けやすい、だな。――安全と引き換えに、余白が消える」



 宰相府の会議室。

 宰相はこめかみを押さえ、卓上の報告書をめくった。


「市場の喧嘩、ゼロ。盗難、ゼロ。迷子、ゼロ」

「一見良いこと尽くめですが……」と書記官。

「祭りの希望調査、参加希望“ゼロ”だ」


 沈黙。

 エリオスが腕を組んだ。

「怪我をしない祭りに、意味はあるのか」

「だから祭りじゃなく“式典”にしましょう、という意見が多数でな」宰相が苦笑する。

「式典にしても、拍手のタイミングまで“自動整列”されるんじゃ台無しだ」

 カイルは地図を広げた。

 王都の上空に、薄い円の模様。

 みるみる濃くなっていく。


「来るぞ――」


 窓外の空に、円環の紋章が浮かんだ。

 石畳の目地、屋根の棟線、街路樹の並びが、紋章の刻みに同期する。

 人々の足取りが自然に揃い、会議室の窓のカーテンまで“同じ揺れ幅”で揺れた。


〈告示〉

秩序核コア 市域試験運転を開始〉

〈混乱は悪。偶然は危険。誤差は削除〉


 声は、頭の中に直接落ちた。

 機械のように無機質で、祈りの余地がない。

 神殿の精霊の柔らかさは微塵もない。


「……神じゃない」

 カイルは呟いた。

「秩序そのものの意思だ」



 最初の異常は、小さな酒場で起きた。

 酔客がジョッキを倒そうとして――倒れない。

 机の“傾き”がゼロに修正され、液面の揺れは帳消しになり、泡は縁でぴたりと止まる。

 笑いが、起きない。


 次の異常は、音楽隊で。

 若い楽師がテンポを走らせた瞬間、空間の拍が彼を引き戻し、音はメトロノームのように整う。

 遊びが、消える。


 そして広場で。

 子どもたちが石蹴りを始め――石は必ず“落ちるべき穴”に落ちた。

 歓声が、出ない。


 笑顔が、消えた。



「秩序核を止める」

 カイルの声は固かった。

「位置は?」エリオス。

「上空の紋章が示す中心――王城の真上、鐘塔だ」


 二人は塔へ駆けた。

 階段を踏む足音まで、揃ってしまうのが気持ち悪い。

 途中、巡回の兵が道を開けるタイミングも“最短”で、誰一人、衝突しない。


「剣で切れるか?」

「切れない。これは“配列”だ。――ノイズが要る」


「ノイズ?」

「秩序が嫌う、不規則。笑い、ズレ、失敗」


 鐘塔の最上部に出ると、空に巨大な円環が回っていた。

 薄い銀の板の裏――世界の“設計図”が、むき出しになっている。


〈整列開始〉

〈市民の歩幅を揃えます〉

〈商談の合意時間を統一します〉

〈家庭の食事時間を――〉


「やめろ!」


 カイルは空に線を描いた。

 ランダム。

 角度も長さも違う線を、あえて雑に撒き散らす。

 風が乱れ、鳩が一斉に飛び立つ――はずだった。

 だが、乱れは丸められ、整列へ吸収される。


「くそ……」


 エリオスが剣を抜く。

「俺の番だな」

 彼は鐘の縄を掴み、深く息を吸った。


「――外す」


 鐘を、わざと外したタイミングで鳴らす。

 早すぎず、遅すぎず、“気持ち悪いズレ”。

 ゴォン、と半拍子ズレた音が王都に落ち、次の打撃はさらにズレ、三撃目でわざと空振り。

 街のリズムがよろめき、秩序核の輪郭がわずかに滲む。


「いいぞ、もっとズラせ!」

「剣より難しいな、これ!」


 鐘の不協和音に合わせ、カイルは線を下手に引いた。

 最短ではなく回り道、均等ではなく偏り、真っ直ぐではなく斜め。

 計算された“下手さ”が重なり、円環にノイズ模様が走る。


〈警告:乱れ〉

〈修正開始〉


 円環の下――空間に裂け目が立ち、白銀の影が降りた。

 長衣、仮面、規則的に羽ばたく翼。

 整列天使アラインサーバント。秩序核の代理人。


〈秩序官カイル。権限を返納せよ〉

〈君の“不均衡許容”は、都市最適の敵対因子〉


 エリオスが一歩出る。

「護衛任務につき、勝手はさせん」

〈勇者エリオス。あなたの役割は“余剰戦力の削除”。現在の最適には不要〉

「削除、だと?」


 白銀の指先が弾くように動き、鐘塔の床の継ぎ目が完璧な角度で割れた。

 エリオスは即座に跳躍し、剣で足場を“雑に”切り落とし、崩落をズラす。

 落ちた石は規則を外れ、秩序核の調整に無駄を生ませた。


「雑こそ、命綱だ!」


 カイルは天使の前に立つ。

「返納はしない。これは“人の余白”のための権限だ」

〈余白は事故。事故は痛み。痛みは悪〉

「痛みがあるから、助ける手が生まれる」

〈感情は不規則要素。削除対象〉


 仮面の奥で、青白い光が瞬いた。

 天使の翼が、同じ間隔で広がる。

 広場から笑いの気配がさらに薄れる。


(時間がない。街の“音”が消える)


 カイルは深く息を吸った。

 秩序権限を胸の内で開く。

 均し、揃え、削るためではない。

 残すために。


「――不均衡許容、全開」


 世界の線に、“余白”のパラメータが注ぎ込まれる。

 同じ長さの道に、わざと曲がり角。

 同じ高さの屋根に、わざと欠け。

 同じ音の鐘に、わざと沈黙。

 間が戻る。


〈警告:最適度低下〉

〈都市効率 -18%〉

〈幸福指標――変化なし〉


 天使の光が揺れた。

 数値に現れない“何か”が、街に戻ったからだ。

 露店で、親父がわざと値を吹っ掛け、客が笑いながら叩き、隣の子が転んで、母親が笑って抱き起こす。

 拍手のタイミングが少しズレ、歌の音程が時々外れ、楽しい。


 エリオスが剣を肩に担ぎ、息を吐いた。

「最適じゃないほうが、強い時もある」


〈結論:交渉〉

 天使の声色が、僅かに落ち着いた。

〈条件提示。三日以内に“都市秩序案”を提出せよ。人の余白を含む最適を示せば、核は後退する〉

〈不提出の場合、王都は“完全整列”へ移行――永久式典都市とする〉


 永久式典――絶えず式次第に沿って動く街。

 祭りは全て“演目”になり、笑いは台本の外へ出られない。


「三日……」

 カイルは拳を握った。

「やってやる。――人の混沌を、秩序に編み込む」


〈付言。秩序官の“人間性”監視は継続〉

 天使が仮面越しにエリオスを見る。

〈護衛勇者。あなたの役割は、彼の“ズレ”を守ること〉

「任せろ」


 光が収束し、円環は薄れた。

 街の空気に、ようやく雑談が戻る。

 小走りする足音、行列を抜ける子の笑い声、鍋から跳ねるスープ、音の粒。



 宰相府に戻ると、机が二つ運び込まれていた。

 一つは図面でぎっしり。もう一つは何もない“真っ白”の机。

 カイルは後者の前に座る。


「図面は?」と宰相。

「後で。先に、声を集めます」

 カイルは窓を開け、議場を広場に向けて開く。

 子ども、職人、旅人、楽師、気難しい学者、商人、衛兵――

 順番に、話してもらう。

 困っていること、好きな不便、嫌いな不自由。

 書記官が慌てふためき、エリオスが人の流れの“渋滞”を剣で割って通行路を作る。


「勇者の剣、役に立つだろ」

「……道具だな。片づけ道具」


 二人は笑い、机に声を積む。

 整えすぎず、散らかしすぎず。

 人の段取りで街を編む。


 日が傾き、灯が灯る頃。

 遠くの路地から、小さな歌が聞こえた。

 音程が外れ、リズムがズレ、でも、嬉しそうな歌。


 カイルの手が止まる。

 笑っている自分に気づいた。


(これが、答えになる)



 夜更け。

 鐘塔の上、風が冷たい。

 カイルは書き上げた“都市秩序案”の一枚目を握りしめ、空を見上げた。

 うっすらと円環が戻りつつある。三日は短い。

 それでも――。


「人のズレを、秩序にする。

 “正しさ”の前に挨拶。

 最短の手前に寄り道。

 均等の隣に贔屓。

 計画の末尾にハプニング」


 背で、足音。

 振り向かずにわかる。

 エリオスだ。


「監視任務だ」

「ご苦労さま。……なぁ、エリオス」

「なんだ」

「お前がつけるズレは、気持ちいいな」


 勇者は少し黙り、やがて鼻で笑った。

「褒め言葉として、受け取っておく」


 遠くで、夜警の笛が少し外れて鳴った。

 それが、心地よかった。



 その時――王都の北門が、月光の下で完璧に閉じた。

 門扉の合わせ目は直線。隙間はゼロ。

 外からの旅商人が、声を上げる。


「おい、開けてくれ!」

 返事は、同じ間隔の反響だけ。


 空に、冷たい声が落ちた。


〈試験運転:段階二〉

〈“夜間完全整列”を開始〉

〈朝まで自由移動を停止――笑顔、保留〉


 笑顔を、保留?

 背筋が凍る言葉の選び方だった。


 カイルは拳を握りしめる。

 明日、あさって、そして三日目。

 時間が、整えられる前に――人の時間を取り戻す。


次回 第7話「三日の設計図」

――“余白の秩序”で、神の円環を折り畳め。

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