第5話 崩れる秩序、揺れる信念
王都南門の修復から三日。
街は息を吹き返した――ように見えた。
だが、整いすぎていた。
街路はすべて直線。
家々の壁は同じ高さ。
行き交う人々の足並みまで、なぜか揃っていた。
「……これ、やりすぎだな」
カイルは通りを歩きながら眉を寄せた。
秩序権限の“自動最適化”が暴走している。
本来は「混乱を防ぐための機能」。
けれど、制御を失えば世界から“偶然”が消える。
「おい、カイル!」
背後から声。
剣を背負った勇者エリオスが駆けてきた。
息は荒い。額に汗。
「北区が……崩れた!」
「崩れた?」
「整地しすぎたんだ! 地下水脈の“遊び”がなくなって、地盤が耐えられなかった!」
胸が冷たくなった。
――整えすぎた世界は、脆い。
◇
北区。
石畳が割れ、家々がずれていた。
だが、倒壊した家は“等間隔”に並んでいる。
まるで、壊れ方すら秩序の一部のようだった。
泣き声が響く。
瓦礫の下から、小さな手がのびている。
「……止めないと」
カイルは手をかざした。
視界の中に無数の線が走る。
流れ、圧力、傾斜――秩序が見える。
「整理整頓――構造再配置」
風が渦を巻き、瓦礫が浮く。
しかし、次の瞬間――
抵抗が走った。
世界が、拒んだ。
無数の線がねじれ、視界が歪む。
整えるたびに、何かが“壊れる”。
秩序が秩序を食っている。
「まずい、暴走か……!」
エリオスが剣を抜いた。
「どうすれば止まる!」
「秩序権限を――切り離す!」
「できるのか!」
「試すしかない!」
◇
光がはじける。
カイルの右腕が淡く透け、構造の糸が絡みつく。
“整えようとする意思”が、彼自身を束ねていく。
脳裏に、誰かの声が響く。
〈秩序とは、止まることを知らぬ理〉
〈整いすぎた秩序は、死と同じ〉
――あの神殿の声だ。
「なら、壊してやるよ……自分の“整い”くらい!」
カイルは拳を握り、地面を叩いた。
光が爆ぜ、整列していた瓦礫がランダムに散る。
空気が歪み、風が乱れ、雨粒が不規則に落ち始めた。
世界が、ようやく呼吸を取り戻す。
「成功……したのか?」
エリオスの声。
カイルは苦笑する。
「まぁ、ちょっと……散らかったけどな」
その時、崩れた壁の陰から、少女が泣きながら母親に抱きついた。
生きていた。
人々の歓声が上がる。
整っていない、歪で、乱雑で、生きた音。
それを聞きながら、カイルは膝をついた。
右腕の線がまだ光っている。
秩序の残滓が、体に残った。
◇
「……お前、壊しながら救うのか」
「片づけるには、壊す工程も必要です」
カイルはゆっくり立ち上がり、息を吐いた。
「“整うだけ”が正しいとは限らない。
――人間は、少しぐらい散らかってたほうがいい」
エリオスが剣を地面に突き立てた。
「だったら俺が、お前の暴走を止める剣になる」
「護衛の仕事を、きっちりやってくれるんですね」
「……命令だからな」
二人の間に、微かな笑いが生まれた。
ほんの少しだけ、世界が柔らかくなる。
◇
夜、王都の塔の上。
カイルは星空を見上げていた。
整然と輝く星々――そこに、ひとつだけ乱れた星が混じっている。
秩序神の声が、風に溶けて届く。
〈お前は秩序を壊した。恐れぬか〉
「恐れてます。でも、止まりません。
秩序を壊さなきゃ、次の秩序は生まれない」
〈……だから人は神に届かぬ〉
「届かなくていい。
俺は、片づける人間です。
――世界じゃなく、人のために整える」
その瞬間、ステータスウィンドウが淡く更新された。
[Status Window]
称号:秩序官
能力:整理整頓LvMAX/構造最適化/秩序権限(安定)
新特性:不均衡許容(Balance Error)
「……“不均衡”を許す、か」
カイルは小さく笑った。
「やっと、人間らしくなってきたな」
◇
その頃、王都議会。
宰相は新しい問題に頭を抱えていた。
「秩序官カイルの活動領域が拡大している。
街は整ったが……人々が“決められた動き”しかできなくなりつつある」
「神に近づきすぎた者の代償、か」
宰相の視線の先には、一枚の命令書。
そこには、こう記されていた。
王命:秩序官の監視任務を強化。
担当:勇者エリオス・グラン。
目的:秩序官カイルの“人間性”を保つこと。
◇
夜風が吹く塔の上。
カイルの背後で、金の髪が揺れる。
エリオスが立っていた。
「監視任務だ」
「護衛から昇格ですか?」
「違いねぇな。……だが、お前を“人間”のままでいさせるのが、俺の役目だそうだ」
「いい仕事ですよ、それ。
――世界を整えるより、難しいかもしれませんけど」
二人の笑い声が、夜空に溶けた。
星々が瞬き、ひとつ乱れた星が流れる。
完璧ではない空。
だがそれでいい。
不揃いなまま、世界は“美しい”。
◇
次回 第6話「歪んだ秩序、消えた笑顔」
――神の声が、再び“整列”を求め始める。