第3話 勇者パーティの崩壊
王都・白塔の作戦室は、紙と怒声で満ちていた。
「なぜだ、数字が合わない!」
勇者エリオス・グランが拳で机を叩く。震えた机の上で、書簡が勝手に列を揃え、端をきっちり合わせた。
整いすぎた書類。気味が悪いほどの秩序。それは彼の苛立ちを、逆に浮き彫りにした。
「エリオス様……やはり報告のとおりです。東方の廃村が一夜で復興。古神殿は完全修復済み。観測塔は“地脈の歪みが消えた”と――」
「黙れ、イレイナ。そんなことがあるか。整地に何年かかると思っている」
魔導士イレイナは怯えた目で唇を噛む。
彼女の視線は、つい先ほど“勝手に整列”した図面から離れない。
(……カイル。お前なのか?)
名前が喉まで上がるが、エリオスは飲み込んだ。
追放を言い渡したのは自分だ。雑用係。道具運び。焚き火番。
だが、彼が去ってから――すべてが面倒になった。
荷物は迷子になり、食糧は腐りやすくなり、道は泥濘み、行軍は遅れ、会議はまとまらない。
誰もが、ほんの少しずつ“段取り”で躓いた。
勇者は剣を振る。段取りは下々の仕事。――彼は、ずっとそう信じていた。
「とにかく出る。辺境の魔窟を叩く。俺の剣で“秩序”を示してやる」
「……はい」
◇
王都を出て半日、勇者一行は森の手前で足を止めた。
道が、急に歩きやすくなっていた。
泥溜まりは端に寄せられ、落ち枝は片側に寄せられ、茂みの間に“最短の導線”が見える。
誰かが整えた――いや違う。世界が勝手に道を開けている。
「気に食わんな」
エリオスは剣の柄を強く握る。
整っている。整いすぎている。
視界は遠くまで抜け、死角は浅い。
――“迷い”の余地がない。
「罠は……ありません。魔力の流れも滑らかで……」
斥候が困惑の声を漏らす。
「進め」
森の中は奇妙な静けさだった。
魔物の気配はあるのに、出てこない。
彼らの動線が互いに干渉し、ぶつからないよう最適化されている。
待ち伏せは成立せず、挟撃は成立せず、戦闘は起きない。
剣を振る場面すら訪れない行軍は、勇者の“英雄譚”から拍子抜けを奪った。
焦燥は苛立ちへ、苛立ちは粗雑な命令へ。
「――野営だ。ここに陣を張る」
「しかし、エリオス様。風下です。煙が――」
「黙れ! 最短で片づく場所を選んだ。ここが最短だ」
そこは、確かに“片づく”場所だった。
風は煙を真上に立て、火の粉は遠ざかり、薪は効率よく燃え、荷は端へ寄り……
整っていた。
――整いすぎて、誰の功にもならないほどに。
◇
深夜。
焚き火の周囲で、剣士と弓手が言い争っていた。
「お前が薬草袋を持ってるはずだろ!」
「いや俺じゃない、神官の鞄に入れた」
「俺は受け取っていない!」
乾いた笑い声が漏れる。
「カイルなら“重いのは手前、軽いのは奥”って並べたのに」
「やめろ。その名を出すな」
エリオスの声は低く尖っていた。
言った瞬間、焚き火の側の鞄が“ころん”と転がり、蓋が開く。
探していた薬草袋が、一番上に出てきた。
誰の手も触れていないのに。
沈黙。
焚き火がこぼした火粉が、まっすぐ夜空に昇る。
――世界そのものが、元雑用係の流儀に揃っている。
(俺が、秩序だ)
エリオスは歯を噛みしめた。
勇者の剣など要らないと言われている気がした。
◇
翌日、目的地の魔窟へ。
洞窟の口は黒く、冷たい風を吐き出している。
だが、内部は妙に安全だった。
段差は低く、岩は角を落とし、毒沼は“淵”に寄っている。
進みやすい。戦いづらいほどに。
「エリオス様。最奥の魔核に直通する“最短ルート”が見えます」
「――突っ込め」
勇者一行は、拍子抜けするほどあっさりと最奥へ辿り着いた。
中心に黒い結晶。周囲に瘴気。
エリオスは歓呼の息を漏らし、剣を振り上げ――
剣は、虚空を斬った。
**結晶が“自動で安全距離を取った”**のだ。
瘴気が拡散され、毒濃度は低下。
魔核は“作業しやすい角度”に回転し、床には“足を滑らせにくい凹凸”が並ぶ。
世界が、勇者の剣を“危険作業”と見なして回避した。
「バカにしているのかああああ!」
剣が結晶を叩き割る。
割れた破片は、危険度順に“大小で分別され”、壁際に寄る。
スマートに終わる。
――絵にもならない、英雄譚にもならない“片づいた勝利”。
拍手はなかった。
誰も高揚しなかった。
誇りは満たされなかった。
(なぜだ。勝ったのに、勝った気がしない)
エリオスの胸中で、何かが軋む。
◇
王都に戻ると、先回りしていた噂が迎えた。
「東方の村を救ったのは、勇者様ではなく“片づけ人”だそうで」
「王都の文官街、書庫が一夜で“索引順”に並び直したとか」
「城門の渋滞、消えたらしいぞ。誰かが“最短導線”を引いたんだ」
衛兵が笑い、商人が笑い、子供が真似して道の石を並べる。
整うことが一つの遊びになり、日常になっていく。
「やめろ。秩序を弄ぶな」
エリオスの声は震えていた。
弄んでいるのは誰だ。
世界か、雑用係か、自分の自尊心か。
◇
作戦室に戻ると、長机の上に一通の書状が置かれていた。
封蝋は王紋。差出人は宰相。
エリオスは封を切る。
勇者エリオス・グラン殿
東域復興事案につき、当局は“秩序権限保持者(仮称:片づけ人)”の行動を国家管理下に置く必要を認めた。
速やかに該当者カイルを王都へ招聘せよ。
なお、貴殿の命令系統下での運用を検討する。
エリオスの視界が白くはじける。
招聘。検討。
――勇者の下に付けと言っている。
「ふざけるな」
握った手紙が音を立てて潰れた。
「俺は英雄だ。雑用係は雑用係。剣の下に並ぶのが秩序だろうが」
机の端に無造作に積まれていた地図が、勝手に広がり、四隅を“ぴたり”と揃えた。
彼の言葉を嘲笑うかのように。
イレイナが恐る恐る言う。
「……エリオス様。でしたら、先に動きましょう。カイル殿を見つけ、正式に“副官”として勧誘を」
「副官?」
「“片づけ”は貴方の手柄を大きく見せます。貴方は剣に集中できる。誰も損をしない」
「……いいだろう。だが、俺の下だ。俺が上だ。絶対にだ」
勇者は命じた。
「全隊、出る。片づけ人カイルを見つけ出す。俺の配下に入れる。拒めば――」
言いかけた瞬間、壁の燭台がふっと消え、室内の燭火が均等な間隔で灯り直した。
影は部屋の四隅へ等分され、エリオスの顔にだけ濃い影が落ちる。
(……世界が俺の“醜さ”を照らしてやがる)
彼は歯を食いしばり、マントを翻した。
「行くぞ」
◇
同じ時刻、東の村。
カイルは、古井戸の石積みに腰をおろし、村の子供たちが並べた“石の導線”を眺めていた。
小さな手で並べられた石は、拙く、愛おしい。
「ここは“左通行”。ぶつからないで歩けるよ」
「すごい。“けが人レーン”も作る?」
「作ろう。切り株は座る場所。荷は右に寄せる」
笑い声が広場を巡る。
自動最適化(Passive)は働きすぎず、人の手を先に動かす。
“やりすぎる秩序”は、混乱と同じだ。
だから、世界は彼に“権限”を返しつつ、余白を残した。
(このくらいが、ちょうどいい)
手帳に新しいページを開き、走り書きする。
――導線は短く、余白は広く。
――権限は最小、満足は最大。
――“整えすぎない勇気”。
そのときだ。
村の入口で衛兵の喇叭が鳴り、王都の紋章を掲げた騎士団が土煙を上げて現れた。
先頭に、金の髪。剣を佩いた男。
勇者エリオス・グラン。
彼は馬上から見下ろし、声を張る。
「片づけ人カイル。王命だ。王都へ来い。俺の指揮下で働け」
広場の空気が固まる。
老女が震え、子供が石を握りしめ、村長が汗を拭う。
カイルは立ち上がり、土を払った。
小さく、微笑む。
「――順番を、間違えています」
エリオスの眉が跳ね上がる。
「なに?」
「ここは村だ。まずは“挨拶”が先。命令はその後です。
秩序って、そういう順番のことですよ、勇者様」
村人の間から、押し殺した笑いが漏れる。
エリオスの頬がぴくりと震え、怒号が喉までせり上がる。
だが、その瞬間。
王都方面から、別の軍旗が翻った。
黒地に白の牙。
――王国とは犬猿の旧敵、牙公国の紋。
先頭に立つのは、黒髪の将。
彼は馬から下り、膝をついて頭を垂れた。
「片づけ人殿。貴殿の“秩序再編”の噂は我が国にも届いている。
請う――我が国に“秩序”を。報酬も、権限も、あなたの望むだけ」
広場がどよめく。
エリオスの目が剣より鋭く光る。
プライドと焦燥が、同時に燃え上がる。
カイルは、二つの軍旗の間に視線を落とし、ゆっくりと息を吸った。
(順番は、こうだ)
心の中で線を引く。
挨拶、状況の共有、現地の安全、関係者の合意――
**“片づけの段取り”**は、外交でも変わらない。
「まず、村長の承認を得ます。
次に、王都からの招聘と、公国からの要請――条件を並べて比べます。
危険度、影響範囲、必要資材、恩恵。
整えてから、選びます」
エリオスが吐き捨てる。
「悠長な――」
「勇者様。焦りは散らかります」
風が広場を渡り、二つの軍旗の間を等分に吹き抜けた。
秩序は、ここから選ばれる。
◇
王都・宰相府。
宰相は震える手で新着の報告書に目を走らせた。
片づけ人、現地で“双方の提案を整列”し、公開の場で比較に着手。
村人を“合議”に組み込む体制を提案。
勇者は激昂、公国将は沈黙。
なお、王都の官庁街にて“未処理案件”が自動で整理され、宰相決裁が三割高速化。
宰相は天井を仰いだ。
(――この国を動かすのは、剣か。秩序か)
彼は筆をとる。
王命修正:片づけ人カイルを勇者の配下に置かないこと。
独立の“秩序官”として招聘。
勇者には“護衛任務”を付与し、功績は同等分配。
以上。
◇
広場では、まだ風が旗を鳴らしている。
カイルは村長と並び、条件表の列に新しい項目を足した。
――村の都合。
エリオスは唇を噛み、剣の柄を握りしめる。
彼の“英雄譚”は、今まさに片づけられようとしていた。
そして、彼自身も気づき始めている。
自分がずっとカイルの片づけの上に立っていたことに。
彼は吠えた。
「勝手にしろ。だが、忘れるな――最後に世界を救うのは剣だ!」
その瞬間、村の鐘が鳴った。
整えられた音色は、広場の隅々へ均等に届き、誰の耳にも同じ大きさで落ちる。
剣の音では、届かないところまで。
カイルは静かに微笑んだ。
「最後に世界を救うのは――順番ですよ」
エリオスの瞳が揺れた。
次回 第4話「王命:秩序官と護衛勇者」
――剣と片づけ、同じ机に並べられるのか。