第3部 人間の時代編 序章 “設計者の遺伝子”
再構築世界の成立から、およそ二百年。
神々は再び現れなかった。
けれど、人間は――自分たちの“心”を神の代わりに祀り始めた。
街々に広がった感情炉は、
かつてカイル・エンバードが築いた設計理論を基礎に改良され、
世界全土を繋ぐ“感情通信網”として発展した。
人々はそれを「ハートネット」と呼んだ。
――それは、夢を分け合う仕組みでもあり、
愛を監視する装置でもあった。
◇
“心臓塔アルグレア”の頂、古い資料室。
少女が一人、埃をかぶった書簡をめくっていた。
瞳は淡い灰青、指先に小さな光を纏う。
「……“再構築理論・第零章”?」
そのページの隅に、手書きの走り書きがあった。
『完全を捨て、不完全を設計せよ。
整えることではなく、生き延びることを選べ。
――カイル・エンバード』
少女は息を呑む。
その名は、教科書でしか知らない“伝説上の設計者”のものだった。
「……これが、あの人の直筆……」
彼女の名は――リア・ノクターン。
夢職人メリアの血を引く末裔であり、
アルグレアの最年少設計官。
◇
窓の外、世界は再び揺れていた。
ハートネットの過剰共鳴。
人々の感情が、情報として暴走し、
“感情嵐”と呼ばれる現象を各地に引き起こしている。
「もう、秩序も愛も制御できない……」
リアは拳を握りしめた。
そこへ、通信石が震えた。
『――リア、聞こえるか? 南区のコアが暴走中だ!』
「主任? すぐ行きます!」
机の上の古文書を抱え、彼女は走り出した。
風の中で、書簡の端がひらめく。
“再構築世界 第零章”――
それは、この時代のために書かれた警告だった。
◇
南区の広場。
感情炉の柱が赤く脈動している。
周囲の人々が次々に倒れ、互いの感情を共有しすぎて泣き崩れていた。
「だめ、もう“心”が溶けてる……!」
リアが制御盤に手を伸ばす。
けれど、エネルギーの流れが複雑すぎる。
制御式は“人間”の演算速度を超えていた。
――そのとき。
手の中の書簡が光を放った。
文字が立体化し、空中に古い魔導式が浮かび上がる。
〈再構築補助式・起動〉
〈設計者因子、遺伝的適合者を確認〉
「なに、これ……!?」
空間に、誰かの声が響いた。
懐かしく、けれど聞いたことのない男の声。
『もし君がこれを読んでいるなら――
君は“私の心”を継いだ者だ。』
リアの心臓が跳ねた。
「……カイル?」
『世界は、また整いすぎようとしている。
だから、もう一度“間違えて”ほしい。』
光が彼女の身体を包み込む。
その瞬間、リアの脳内に膨大な設計図が流れ込んだ。
都市構造、感情式、そして――人間そのものの設計データ。
「これが……“設計者の遺伝子”……」
◇
感情炉が再び脈を打つ。
リアは目を閉じ、カイルの声を思い出した。
『整うな、リア。
世界は、散らかってるほうが美しい。』
彼女は制御盤に両手を当てた。
新しい魔法陣が展開する。
〈再構築モード:感情開放〉
〈テンペスト抑制開始〉
風が止まり、赤い光が穏やかに収束していく。
人々が目を開け、息を整える。
嵐は――止まった。
◇
リアは空を見上げた。
夜空には、かつてと同じ三つの光輪。
秩序、夢、愛。
そして、その奥にもうひとつ――淡い第四の輪が浮かんでいた。
「……“心”の輪?」
その瞬間、彼女は悟った。
カイルが遺したのは、理論でも技術でもない。
人間が人間のまま間違い続けられる自由――それこそが“遺伝子”だった。
◇
次回 第3部・第1話「設計者の娘、心臓塔へ」
――リア・ノクターンは“設計者の遺伝子”に覚醒し、
かつてカイルが封印した“第四の世界構造”を起動する。
だが、それは人類が“神の役割”を奪う、新たな再構築の始まりだった。