第2部 第9話 都市の鼓動、愛の設計
――街が、脈を打っていた。
アルグレアの地面の下、空気の層を震わせるように、
低く、深く、一定の間隔で響く音。
それは鐘ではなく、
地脈でもなく――人々の感情そのものが街の心臓を動かしている音だった。
◇
庁舎の地下。
カイルとエリオスが、再構築炉の観測室に立っていた。
壁の中央には、半透明の水晶球が浮かんでいる。
街中から集まる“感情エネルギー”を変換する中枢装置――〈心臓塔コア〉。
脈動のたびに光が走り、床が微かに揺れる。
「……予想以上に反応が早いな」
エリオスの額に汗が滲む。
「ええ。市民の“心の共有”が、街の設計構造にまで影響を与えています」
カイルは手帳を開き、数式と感情波形を重ねた。
そこには、常識では説明できないほど複雑な相関図。
「秩序値と幸福値の連動……まるで“心拍”だな」
「その通り。アルグレアは今、“生きている”んです」
カイルは深く息をついた。
嬉しさと、同時に――恐ろしさを感じていた。
感情はエネルギーとして循環するが、
強すぎる“愛”や“憎しみ”が同時に流れ込めば、都市構造が崩壊する。
◇
その夜。
カイルは工房〈ノクターン〉を訪ねた。
メリアが、静かに糸車を回していた。
「街が息をしているの、聞こえますか?」
「はい。まるで心臓の音ですね」
「ええ。でも、あの鼓動は、もうすぐ止まるかもしれません」
メリアが手を止めた。
「……どういう意味ですか?」
「人々の感情が過剰なんです。
特に“愛”。家族愛、友愛、恋慕――それが都市のエネルギーを暴走させている」
「愛が、暴走を?」
「ええ。街が“好き”という気持ちさえ、計算を狂わせる」
メリアは俯いた。
「それでも、愛を消すわけにはいきません」
「分かっています。だから――設計に組み込みます」
カイルは手帳を差し出した。
そこには新たな設計案が描かれていた。
『感情統合式:都市心臓律(City Core Beat)』
――“愛”を循環させる構造。
愛を抑えるのではなく、街全体に“分配”する。
「愛を、街全体で分け合う……?」
「はい。一人が抱えきれない想いを、街全体が支える。
恋も、絆も、慈しみも、共有できる秩序に変えるんです」
メリアの瞳が震えた。
「それは……あなたの想いも、共有されてしまう」
「構いません。俺はもう、独りで整えることをやめましたから」
その言葉に、彼女の頬がかすかに赤く染まった。
◇
翌朝。
都市全域の再構築が始まった。
中央塔に設置されたコアが淡く輝き、街のあちこちで光の糸が伸びていく。
人々の想いが、糸となって結ばれていく。
母の手から子へ。
友の笑みから隣人へ。
そして、街の心臓へ。
〈感情分配システム起動〉
〈愛の総量、均等化処理開始〉
だが――。
予定外の現象が起こった。
“ひとつだけ、均等化されない愛”があった。
観測装置が警告を発する。
〈感情エネルギー偏流――源:メリア・エスター〉
「……彼女の愛だけが、街に流れない」
「なぜだ? 拒絶してるのか?」
「違います。“個人への愛”だからです。
特定の一人に向けられた想いは、構造の外側にある」
「その“特定の一人”ってのは、まさか――」
「……俺です」
◇
工房に戻ると、メリアが立っていた。
胸の位置から淡い光が漏れている。
彼女の感情が、街全体の循環を拒み、暴走を抑え込んでいた。
「あなたのために流した“愛”が、街の外に弾かれています」
「止めろ、メリア! 街が崩れる!」
「止めたら、あなたが消えるの!」
足元の床が揺れ、光の柱が塔へと伸びる。
街の空が裂け、光が脈を乱す。
「――なら、共に行きます」
カイルが手を伸ばした。
その瞬間、都市全体がまるで息を呑んだように静止する。
指先が触れた瞬間、二人の心が繋がった。
感情の奔流。記憶の断片。
リサの声、夢の街の涙、孤独な夜の祈り――すべてが重なる。
そして、カイルは悟った。
「“愛”は整わなくていい。
整わないまま、支えるためにあるんだ」
光が爆ぜ、都市の鼓動が静かに収まる。
◇
――数日後。
アルグレアは息を吹き返していた。
都市の中心に新しい塔が建つ。
その名は〈心臓塔〉。
塔の頂には、ふたつの光輪。
一つは秩序、もう一つは夢。
そして今、三つ目の輪が輝いていた。
――愛。
「どうやら、街は生き延びましたね」
エリオスが笑う。
「まぁ、“整わない設計”ってやつも悪くねぇ」
「はい。たまには、歪んでるくらいでちょうどいいです」
カイルは空を見上げた。
隣にメリアが立っている。
その手には、新しい布。
白地に三つの輪が織られている。
「この布の名は?」
「――“愛の設計図”。
でも、本当の名前はまだ決めてません」
「じゃあ、あなたが決めてください」
「どうして?」
「あなたが、最初の“設計者の恋”だから」
メリアは照れたように微笑んだ。
そして、風が吹いた。
布が空へ舞い上がり、塔の光と溶け合った。
◇
次回 第2部・最終話「再構築世界、そして――」
――世界は整い、けれど完全にはならない。
追放された“雑用係”は、神すら設計した男として、最後の選択を迫られる。
その選択が、“第三の世界”――“人間の時代”を拓く。