第2部 第8話 揺らぐ心、設計者の恋
朝霧が工房の屋根を包んでいた。
夜の夢をほどくように、柔らかな光が差し込む。
カイルは窓辺に立ち、眠るメリアを見下ろしていた。
彼女の髪は枕に広がり、陽に透けて金色に揺れる。
その寝顔を見ていると、胸の奥が少しだけ痛んだ。
「……心まで、整えられたらいいんですけどね」
思わず出た独り言に、自分で苦笑する。
秩序も自由も、夢すらも整えてきた。
だが、“人の想い”だけは、どんな理論でも整理がつかない。
◇
数時間後。
庁舎の会議室では、アルグレア新体制の初会合が開かれていた。
「夢布事件」以降、カイルは“都市設計官”として任命され、
街の再構築方針を一任されている。
「――“心を中心とした街づくり”。
これが今後の方針です」
カイルが言うと、周囲の議員たちはざわめいた。
「感情を基準に都市を設計する? 非論理的だ!」
「秩序や法律よりも“心”を優先するなど――」
「……それでも、もう一度壊れるよりはいいでしょう」
エリオスが低く言った。
「こいつのやり方は、結果出してる。
あとは、信じるかどうかだけだ」
沈黙が落ちた。
カイルは手帳を開き、一枚の図を見せる。
それは都市全体の設計図――だが、奇妙だった。
建物の配置が、まるで“心臓の形”をしている。
「……鼓動してる?」
誰かが呟く。
カイルは頷いた。
「ええ。この街は、生きています。
そして、“人の想い”が通うたびに形を変えるんです」
◇
会議を終え、庁舎を出た夕方。
メリアが門前で待っていた。
まだ少し顔色は悪いが、瞳には光が戻っている。
「どうでした? 会議」
「まぁ、半分は納得してません。でも……少しだけ、動きました」
「あなたの言葉は、いつも遅れて届くんです。
でも、一度届いたら、誰も忘れない」
その言葉に、カイルは目を細めた。
「夢職人のあなたが言うと、説得力がありますね」
「夢と現実の違いは、誰が“隣にいるか”だけですよ」
メリアは小さく笑い、空を見上げた。
半円の月が昇っている。
あの夜、秩序神を壊した時に残った“欠けた月”。
そして、その隣に、淡い光輪が寄り添っていた。
――リサの余白と、夢の残響。
「この二つが並んでる夜は、好きなんです」
「どうして?」
「整っていないのに、ちゃんと綺麗だから」
カイルは何かを言いかけて、飲み込んだ。
代わりに、そっと言う。
「あなたの織った夢布。街の人が“お守り”として身につけてます」
「ええ。少しずつ、夢を怖がらなくなった証ですね」
「あなたがいてくれて、よかった」
その言葉に、メリアが一瞬だけ目を伏せた。
「……その言葉、もう少し早く聞きたかったです」
「え?」
「いえ、なんでも」
彼女は軽く笑って歩き出した。
◇
夜。
カイルは自室で手帳を開いた。
ページの端に、メリアが織ってくれた“夢の糸”が挟まっている。
それはまだ淡く光っていた。
『感情設計理論・補遺』
――“人を整える”とは、“愛を配置する”ことである。
文字を書き終え、ペンを置く。
胸の奥に、微かな痛み。
それは秩序でも疲労でもない。
ただ、ひとりの女性を想う痛み。
カイルは窓を開け、夜風を吸い込んだ。
遠くの工房〈ノクターン〉の灯が見える。
灯のそばに、白い影が立っていた。
メリアだった。
彼女もこちらを見ている気がした。
二人の間に、距離はあった。
けれど、同じ風が流れていた。
その風は、静かに彼の心を乱し、
そして――整えていった。
◇
次回 第2部・第9話「都市の鼓動、愛の設計」
――“感情都市アルグレア”が動き出す。
だが、人々の想いが都市構造に反映されるたび、街が“鼓動”しすぎて不安定化。
カイルは、愛そのものを“都市の心臓”に組み込む決断を迫られる――。