第2部 第7話 夢を喰らう街
――夢を見ているようだった。
だが、夢の中にいたのは街全体だった。
王都アルグレアの夜。
通りの灯りが、まるで呼吸をしているように揺れていた。
人々は夢布をまとい、眠りながら笑っている。
その表情は安らかで――そして、どこか同じだった。
「……誰も“自分の顔”をしていない」
カイルは低く呟いた。
どの家の窓からも、同じ旋律の歌が流れる。
夢を紡ぐ布が、夢を見る者をひとつに繋げていた。
◇
庁舎の中。
報告書の束が机に積まれている。
エリオスが顔をしかめた。
「“夢から醒めない”連中が三百人超えた。
医者も魔導士もお手上げだ」
「夢布を外しても?」
「無駄だ。皮膚みたいに馴染んでやがる」
カイルはしばらく黙っていた。
そして、静かに言った。
「……夢の中に入ります」
「は? お前まで寝込む気か?」
「違います。“再構築”の応用です。
夢を――概念として整えに行く」
その声に、工房の扉が開いた。
立っていたのは、メリアだった。
瞳の奥に、わずかな怯えを宿して。
「私も行きます」
「危険ですよ。夢は“境界のない世界”です」
「だからこそ、あなた一人では整えられません。
……夢は、二人で見るものですから」
◇
工房〈ノクターン〉の奥。
円形の織機が月光を受けて輝いていた。
夢布の糸が緩やかに流れ、中央に“心の門”が開いていく。
カイルとメリアは手を取り合い、静かに目を閉じた。
世界が反転する。
◇
――そこは、“夢の街”だった。
現実と同じアルグレア。
だが、すべてが柔らかく、光の粒で形づくられている。
空も地も揺らぎ、壁が呼吸するように波打っていた。
「……全部、誰かの心でできてる」
メリアが呟く。
通りの両側には、眠る人々の幻影が並んでいた。
皆、糸で繋がっている。
その糸の束の中心――街の塔が光っていた。
そこが、“夢を喰らう核”。
〈同調率:上昇〉
〈個体境界、融解中〉
声が空気の中から響く。
リサの時と違い、それは冷たい“人間の声”だった。
「……リサじゃない」
「ええ。これは“人々の集合意識”そのものです。
彼らが、“他人と同じ夢を見たい”と願った結果です」
◇
塔の中へ進むと、空間の中央に巨大な織布があった。
それは都市そのものの形をしており、
ひとつひとつの建物が“感情の色”で染められていた。
怒りは赤、悲しみは青、希望は白。
だが、すべてが混ざり合い、どす黒く濁っている。
その織布の中央――“核の織姫”が座していた。
白い布をまとった女性。
その顔は、メリアと同じだった。
「……あなたは?」
「“夢職人メリア”の感情が形を取った存在。
名を“ミラ”。
この街の人々の夢を、食べている者です」
「食べて……?」
「夢を見続けるには、誰かが悪夢を引き受ける必要がある。
私が、それを代わりに飲み込んでいるのです」
メリアの顔が青ざめる。
「私が……こんな存在を生んでしまったの?」
ミラは静かに笑った。
「あなたが優しすぎるからです。
他人の痛みを見過ごせない。
だから、私が“痛みを喰らう器”として生まれた」
◇
塔全体が震えた。
夢の糸が一斉に震動する。
ミラの周囲から黒い靄が溢れ出す。
〈共感過多:臨界〉
〈感情の同化、進行中〉
外の街で眠る人々が同時に呻き声を上げた。
「このままでは、全員“ひとつの心”になります!」
「ミラ、やめて!」
「できません。止めたら、悪夢が世界を覆う。
痛みは、誰かが抱えていなければならないんです」
「なら――分け合えばいい!」
カイルが前に出た。
「全部背負うのも、全部捨てるのも違う。
片づけは、みんなでやるものです!」
右腕が光り、“再構築”が展開される。
秩序と自由、悲しみと喜び――すべての線が交わる。
その中心で、メリアが手を添える。
「なら、私が“夢の共有”を整えます!」
二人の光が重なった。
夢布の糸が再配置され、黒い靄が虹色に変わる。
痛みは薄れ、悲しみは色を持ち、
“悪夢”が“記憶”へと変わっていく。
◇
光が収まった時、ミラの姿は消えていた。
残ったのは、一枚の布。
そこには一言だけ織られていた。
「痛みは、共に在る。」
メリアの頬を涙が伝う。
カイルは静かに彼女の肩に手を置いた。
「あなたの夢は、人を縛らなかった。
それだけで、十分です」
彼女は微笑んだ。
その瞳に、初めて“個人の想い”が宿っていた。
◇
現実世界。
目を覚ました人々は泣き、笑い、互いに抱き合った。
夢布は淡い光を残し、静かにほどけていく。
その糸は、夜風に乗って空へ消えた。
「……終わったか」
エリオスの声。
カイルは小さく頷いた。
「ええ。今度こそ、本当に整いました」
「で、あの職人の女は?」
「休ませてます。……しばらくは夢を見ない方がいいでしょう」
カイルは窓の外を見る。
街の夜空には、もう一つの月が昇っていた。
半円の光の隣に、新しい輪が生まれている。
「……これは、リサの“余白”と、メリアの“夢”の共鳴か」
その光は、不揃いで、美しかった。
◇
次回 第2部・第8話「揺らぐ心、設計者の恋」
――“夢を喰らう街”の事件を経て、カイルは初めて“誰かを救う”ではなく“誰かを想う”ことに気づく。
そして、世界の“設計そのもの”を変える選択へ――。