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第2部 第6話 感情の街、夢を紡ぐ工房

 アルグレア再構築から三ヶ月。

 かつての“欲望の都”は、いまや“感情の街”と呼ばれていた。


 街路には歌声が満ち、路地には絵描きが集まり、

 香辛料と詩が同じ値段で取引されていた。


 ――秩序が消え、自由が整えられ、ようやく人々は“作る”ことを覚えたのだ。


「思ったより、綺麗に散らかってますね」

 カイルは微笑みながら工房通りを歩く。

 通りの両側には、木工、ガラス、言葉、音楽――

 “形にならない作品”を売る小店が軒を連ねていた。


「で、どこが目的の場所だ?」

 エリオスが後ろから問う。

「“夢を紡ぐ工房”――新しい職能です。

 感情を素材として扱う、次世代の職人たちですよ」


「感情を……素材に?」

「ええ。悲しみを糸に、喜びを染料にする。

 彼らは、人の心から“夢”を織るんです」



 工房〈ノクターン〉。

 扉を開けた瞬間、柔らかな音が響いた。

 それは風鈴とも、心臓の鼓動ともつかない音。


 奥では、一人の女性が糸車を回していた。

 白い布に、淡い光が流れ込んでいく。

 それは“夢の断片”――人々の眠りから採取された感情エネルギーだ。


「ようこそ。設計者様ですね」

 彼女は振り返った。

 瞳は琥珀、声は春の雨のように柔らかい。

 名を――メリア。


「あなたの理論に惹かれました。

 “余白の秩序”……私たち夢職人は、それを“感情の秩序”と呼んでいます」


 カイルは軽く笑って頷いた。

「あなたたちは、感情を壊さずに扱える。

 秩序官の時には考えられなかったことです」

「壊さないためには、まず“触れない”ことです。

 夢を織るには、少しだけ距離が必要なんです」


 その言葉が、なぜか胸に残った。



 メリアの案内で、工房の奥へ。

 壁一面に吊るされた布には、無数の光の糸が走っていた。

 それぞれが“誰かの夢”。

 笑い声の残り香。

 涙の色。

 未練の形。


「……全部、記憶ですか?」

「はい。けれど、それを作品にすることで、人は“忘れる勇気”を持てるんです」

「忘れる勇気……」

「忘れるって、逃げることじゃありません。

 心に残しておくと、動けなくなる。

 だから、夢にして手放すんです」


 その言葉に、カイルの胸の奥が揺れた。

 思い出す――リサの最後の笑顔。

 “あなた自身も、整えてくださいね。”

 彼女の声が蘇る。


「……俺も、そろそろ片づけ時かもしれませんね」

「心を、ですか?」

「ええ。壊した神々と、壊れた世界の記録。

 整理整頓のまま、置きっぱなしでして」


 メリアはそっと微笑んだ。

「では、お手伝いしましょう。

 あなたの心を、ひとつの夢に織って差し上げます」



 夜。

 工房の灯が揺れる。

 メリアの指先が糸車を回すたび、カイルの胸の奥から光が生まれた。

 幼少の記憶。

 追放の日の怒り。

 初めて“整える”力を持った日の誇り。

 そして、あの日――神を壊した寂しさ。


「……それが、あなたの夢の糸です」

 メリアが糸を束ね、布に織り込む。

 布の上で、光がひとつの形を描いた。


 ――歪な円。

 半分だけ満たされた輪。

 秩序神が去った夜、空に残った“半円の月”。


「これが、あなたの夢」

「……綺麗だな」

「未完成です。

 完成させるのは、あなた自身ですよ」


 メリアの指が、彼の手に触れた。

 温かかった。

 その瞬間、カイルの中の“整理整頓”が、ほんの少しだけ乱れた。



 翌朝。

 街では新しい流行が始まっていた。

 “夢布ドリームクロス”――人々の夢を織り込んだ布を身にまとう文化。

 それは単なる装飾ではない。

 感情を共有し、他者を理解するための装い。


 だが、同時に“副作用”も始まっていた。

 他人の夢を身につけた者が、他人の感情に“染まる”現象。

 それは、街全体を静かに侵食していった。



 庁舎の屋上で、エリオスが報告を読む。

「“夢を見すぎて、現実に戻れない”奴が増えてる」

「予想より早いですね……」

「また神の二番煎じか?」

「いいえ。今度の神は、人の“優しさ”そのものです。

 ――夢を通じて共感しすぎて、個が溶けていく」


 カイルは胸ポケットから、リサの欠片を取り出した。

 光は静かに明滅していた。

「リサ、今度は“夢”が人を縛り始めました。

 ……それでも、俺は整えます」



 夜、工房ノクターン。

 メリアは織機の前で立ち尽くしていた。

 布が――泣いていた。

 織り込んだ夢の糸が震え、嗚咽のような音を立てている。


「……あなた、まだ眠っていないのね」

 メリアは目を閉じた。

 布の奥から聞こえる声は、誰かの祈りのようでもあり、悲鳴のようでもあった。


 その中心に、微かに光る“影”があった。

 それはリサに似ていた。



次回 第2部・第7話「夢を喰らう街」

――“夢布”の流行が、街の人々を繋ぐと同時に溶かしていく。

カイルは“心の共有”の危うさに気づき、メリアと共に“夢の底”へ潜る。

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