第2部 第5話 再構築の大陸、第一都市アルグレア
船が大陸の港に着くころ、朝霧の中に巨大な街影が現れた。
白い尖塔群が陽光を反射し、空にまで届くようだった。
その名は――アルグレア。
「自由を祀る都市」。
「……まるで神殿の街だな」
甲板の上でエリオスが唸る。
街全体が円形構造で、中央の塔を中心に放射状に広がっている。
だが、不自然な静けさがあった。
人々は微笑みながら歩く。
誰もが“穏やかすぎる”。
露店の商人も、通行人も、言葉を交わさずただ頷き合っている。
「……空気が違う。
“選んでいない”匂いがする」
カイルは目を細めた。
足元の石畳に、微細な光の線――“自由律の残響”が走っていた。
◇
街の入り口には石碑が立っていた。
そこにはこう刻まれている。
『我らの自由は、欲望のままに在る』
それを見た瞬間、カイルの心にひやりとした感覚が走った。
自由の言葉は、同時に“責任の死”を意味していた。
「……この都市、もう“自由律”を神格化してますね」
「つまり、また神が生まれたってことか」
「ええ。今度の神は、“人間の中”に」
◇
中央塔に向かう途中、街の広場に群衆が集まっていた。
中央で演説をしているのは、一人の青年だった。
長い外套に金糸の刺繍。
瞳は燃えるような赤。
「民よ! もう秩序も王も要らない!
我らは欲するままに生き、愛し、奪い、笑う!
これこそ真の“解放”だ!」
群衆が歓声を上げる。
その姿は熱狂というより、酔いだった。
カイルはエリオスに囁く。
「彼が……“自由律教団”の後継者ですね」
「名前は?」
「聞かずとも分かります。
――“ルシエル”。リサの“もう一人”。」
その名を口にした瞬間、カイルの胸ポケットでリサの欠片が微かに震えた。
◇
演説を終えたルシエルが、二人の前に立った。
微笑は穏やか、声は柔らかい。
だがその奥に、奇妙な圧力がある。
「あなたが、秩序を壊した設計者ですね」
「ええ。あなたは“自由律の信徒”の代表ですか?」
「信徒? 違います。私は神そのものです」
言葉の意味を測る間もなく、ルシエルの周囲の空気が歪んだ。
建物の影が溶け、色が反転する。
そこに立つだけで、現実の法則が緩むような圧。
〈自由律コア・第二覚醒〉
〈新概念生成――“欲望自治”〉
「欲望は罪じゃない。
欲望を抑える秩序こそが、人を腐らせる。
だから私は、誰の欲も否定しない」
広場にいた人々が一斉に膝をつく。
誰もが恍惚の笑みを浮かべ、うっとりと目を閉じた。
「……それ、支配ですよ」
カイルの声は低い。
「欲望を制御しない自由は、檻のない牢獄です」
「違う。檻の鍵を持つのは、私ではなく彼ら自身」
「けど、鍵を“捨てさせてる”のは、あなたです」
ルシエルの笑みが薄れる。
「あなたの秩序は、まだ“他者”に依存している。
私は“完全な孤立”の自由を作る」
「孤立は、自由じゃない。孤独です」
次の瞬間、ルシエルの手が宙を払った。
光が空を裂き、街全体が震える。
〈概念干渉開始〉
〈全市民の“欲求”を共鳴化〉
人々が同時に立ち上がる。
瞳は赤く輝き、理性の色を失っていた。
欲望だけを共有する群体――“共鳴自由群”。
「カイル!」
「分かってます。――“再構築”起動」
彼の掌から光が広がり、空間に幾何学模様が走る。
ルシエルの“共鳴律”とぶつかり合い、世界が軋む。
しかし、今回は圧倒的だった。
ルシエルの力は“神の残響”ではなく、人間の群意そのもの。
秩序も自由も超えた、“集団の意志”。
「……これが、人の“欲”の形ですか」
カイルは歯を食いしばりながら言う。
「なら――これごと、整えてやります」
◇
光の奔流の中で、カイルの意識に誰かの声が届いた。
優しい、懐かしい声。
――リサだ。
『カイルさん。自由律の欠片、まだ持っていますね。
あれは、私の心の残り。
でも、それだけでは足りません。
“あなたの心”も、自由にしてあげて』
「……俺の?」
『あなたも秩序に縛られている。“片づけ続けなければ”って。
でも、人は――時々、散らかしたままでいいんです。』
カイルの目が見開かれた。
胸の中で、何かがほどける。
“正しさ”への執着が、少しだけ溶けた。
その瞬間、彼の魔法陣が変質した。
直線と曲線が混ざり合い、柔らかな形を取る。
「――“再構築:感情仕様”」
光が街を包み、人々の瞳から赤が抜けていく。
泣く者、叫ぶ者、笑う者。
欲望が、再び“個の感情”へと戻っていく。
◇
ルシエルは息を呑み、カイルを見つめた。
「……そんな再構築、理屈に合わない」
「理屈じゃなく、“気持ち”ですよ」
「そんな曖昧なものが――」
「曖昧こそ、設計の余白です」
ルシエルの姿が揺らぎ始める。
光の粒が崩れ、風に散る。
「……人は、本当に自由を使いこなせると思うのか?」
「ええ。散らかしながら、何度でもやり直せます」
ルシエルは静かに笑った。
その笑みは、どこか懐かしかった。
「――そうですか。なら、見せてください。
“やり直す世界”を。」
光が消え、風だけが残った。
◇
夕暮れ、カイルとエリオスは丘の上から街を見下ろしていた。
アルグレアの尖塔は、今や黄金に染まり、穏やかに煙を上げている。
街は破壊されなかった。
だが、変わった。
“祀る”から“暮らす”へ。
「……お前の片づけは、本当に終わらねぇな」
「終わらなくていいんです。
だって――“生きる”って、散らかすことですから」
風が吹き抜け、街の灯りが一つ、また一つと点いた。
不揃いな明かりが、夜の帳を押し返す。
◇
次回 第2部・第6話「感情の街、夢を紡ぐ工房」
――アルグレアの再構築後、カイルは“感情を素材にする工房”を設立。
しかし、そこに生まれた“夢を売る職人”が、次の災厄の種となる――。