第2部 第2話 自由律の塔、起動
塔の内部は、光で満たされていた。
床も壁も天井も、すべてが淡く脈動している。
まるで“心臓”の中にいるようだった。
「……建物そのものが生きてるな」
エリオスが剣を構えながら、低く呟く。
壁が呼吸するように膨張と収縮を繰り返すたび、光の粒が漂った。
その光は、触れるだけで意識を揺らす。
心がほどけていくような――危険な甘さがあった。
〈思考制限、解除〉
〈倫理フィルター、除去〉
〈これが“自由”〉
「……声がする」
「ええ。“自由律”の声です」
カイルは眉を寄せ、掌に魔法陣を描いた。
――“再構築(Rebuild)”。
秩序の線を解析し、構造を読み取るスキル。
見えたのは、無数の光の糸。
それらが複雑に絡まり、中心へと向かっている。
その核に――リサがいた。
◇
彼女の周囲には、秩序神の断片が浮かんでいた。
破片はすでに融合を始め、彼女の身体に銀の模様を刻みつつある。
表情は穏やかだが、目だけが狂気を帯びていた。
「カイルさん。あなたの作った“余白”……とても素敵でした。
けれど、みんなその余白に不安を覚えた。だから私が埋めてあげるのです」
「自由を、あなたが埋める?」
「ええ。“選ばなくていい自由”。
だって、人は悩むことに疲れているんですよ」
カイルは無言で一歩踏み出した。
周囲の光が形を変える。床が波打ち、天井から鎖のような光が降り注ぐ。
〈自由律・制御領域展開〉
〈対象:人間思考の再構築〉
「この塔は、全人類の心を“解放”する装置。
苦しみも、選択も、責任もなくなる。
みんな、幸せになるんです」
「それは――停止ですよ」
「違います。穏やかなんです」
リサの声が柔らかく響くたび、光の鎖が増えていく。
エリオスの足首にも絡みつく。
「っ……動けねぇ!」
「自由の鎖、ですか。皮肉ですね」
カイルは左手を掲げ、腕の紋様を輝かせた。
不均衡許容が作動する。
空気中の秩序線が乱れ、鎖の一部がほどけた。
「あなたの“解放”は、支配と同じです。
人は、縛られる自由も選びたいんですよ」
リサの瞳が、冷たく光った。
「あなたはまだ“秩序”の幻に囚われている。
見なさい――自由とは、光の海」
彼女の背後の断片が爆ぜた。
塔の外壁が崩れ、空が裂ける。
光の波が街に広がり、王都全体が揺らめいた。
◇
外では、人々が笑い、泣き、そして突然、動かなくなった。
笑顔のまま、涙のまま、時間が止まる。
意識は光に飲まれ、思考が消える。
「カイル! 外が――!」
「分かってます!」
塔の天井を突き抜け、巨大な光柱が立ち上がった。
その中に、リサが浮かぶ。
身体が完全に神の断片と融合していた。
第二の神、“自由律”の誕生。
〈管理開始〉
〈秩序神の欠損を補完〉
〈全存在の思考を統合し、“争いなき完全自由”を生成〉
「……また、両極端ですか」
カイルは息を吐き、右手を突き出す。
「“再構築”――秩序と自由の境界を定義する!」
魔法陣が塔全体に展開した。
無数の光の線が、リサの光柱とぶつかり合う。
秩序と自由――互いを否定する二つの概念が衝突し、
世界が悲鳴を上げた。
〈境界定義、矛盾〉
〈融合不可〉
〈警告:理論崩壊〉
「崩壊していいんです!」
カイルの声が響く。
「世界は、壊れて、また立ち上がる。
だからこそ、“自由”が意味を持つ!」
〈非効率〉
「効率なんて要らない!」
光の波が爆ぜ、空気が反転する。
塔の上部が砕け、無数の光の粒が夜空へと散った。
カイルは地面に膝をつき、荒い息を吐く。
リサは光の中で静かに笑っていた。
「あなたの言葉、少しわかる気がします……でも、私はもう戻れない」
「戻れますよ。
“片づけ”ってのは、どんなに散らかっても――
捨てずにやり直すことですから」
その言葉に、リサの瞳が揺れた。
一瞬、彼女の中の光が弱まる。
だが、その隙に塔の中心核が暴走を始めた。
〈制御不能〉
〈自由律コア、自己進化モードへ移行〉
リサの身体が光に飲まれる。
そして――空が割れた。
◇
王都の上空に、巨大な“裂け目”が生じた。
その向こうに見えるのは、色も形もない世界――
“自由の極地”と呼ばれる、概念の海。
そこに無数の声が渦巻いていた。
〈選ばないでいい〉
〈考えないでいい〉
〈痛まないでいい〉
「……あれは、“心の避難所”だ」
カイルは呟いた。
「でも、留まれば戻れなくなる」
「どうする?」
「中に入ります」
「マジか!」
「片づけは、現場主義ですから」
カイルは微笑み、光の裂け目へと歩き出した。
その背を、エリオスが追う。
◇
光の海に沈む直前、カイルは手帳を開いた。
ページには、ただ一行。
“自由とは、散らかりの中で、自分の場所を選ぶこと。”
ページが光り、空間に吸い込まれる。
彼の姿もまた、光に包まれて消えた。
◇
次回 第2部・第3話「概念の海、そして再構築」
――カイルが“自由の中の無秩序”に沈み、心そのものを片づけ始める。