第2部 第1話 暴走する自由律
――世界が、静かすぎた。
秩序神が退いた翌週。
王都は、ひとまず平穏を取り戻していた。
笑い声も、喧嘩も、日常も戻った。
けれど、何かが“ずれて”いた。
朝、市場で叫ぶ声が飛ぶ。
「値段は俺が決める!」「いや、こっちはもっと自由に売る!」
秩序を縛っていた糸が切れたことで、誰もが“自由”を名乗り始めた。
「……少し、散らかってますね」
庁舎の窓からその様子を見下ろしながら、カイルは苦笑した。
秩序を守る枠は消えた。
だが、同時に“節度”も失われつつある。
「自由と無秩序の境界、か」
エリオスが壁に背を預け、剣を手入れしていた。
「お前が“余白”を作ったら、みんな勝手に走り出したな」
「想定内ですよ。……けど、思ったより早い」
カイルは机の上の報告書をめくる。
――「西方交易路、関税拒否による独立宣言」
――「北方鉱山都市、労働者自治を宣言」
――「南方教区、神の代行を自称する『自由律教団』発足」
「どこも、“整わないまま生きたい”って言い始めてる。
けど、整い方を知らないんです。まるで、整理の仕方を忘れた部屋ですよ」
「……皮肉だな。お前が整えた世界が、今度は“自由の散らかり”で埋まってる」
「まぁ、掃除屋の仕事が増えるだけです」
カイルは軽く笑って立ち上がった。
手帳を開く。そこに、新たな記録が光る。
[Status Window]
称号:設計者
能力:整理整頓LvMAX/秩序権限(継承)/不均衡許容(安定)
新権限:再構築(Rebuild)――“壊れた秩序”を人の手で再設計できる
「行きますか、勇者殿」
「また片づけか?」
「ええ。今度は“自由の後片づけ”です」
エリオスが笑う。
「片づけ人の護衛ってのは、飽きねぇな」
◇
昼下がり。
二人は西門を抜け、大陸街道へと出た。
街道の先には、神の光が消えた後に広がる“未整備の大地”。
その空には、見慣れない紋章が浮かんでいた。
円ではない。
破片のように散った光が、バラバラの形で輝いている。
「……新しい秩序、ですか」
「いや、自由律だ」
エリオスが地面の亀裂を指さす。
そこには、人の言葉が刻まれていた。
――〈命令はいらない、導きもいらない。すべては個の選択に〉
「これを広めているのが、“自由律教団”か」
「ええ。秩序神の消失後、誰かが“神の欠片”を拾ったんでしょう」
カイルは屈み、亀裂に触れる。
途端に、頭の奥に声が流れ込んだ。
〈自由とは、枠を捨てること〉
〈痛みを拒み、欲望を解放せよ〉
その声は、耳に甘く、危険だった。
秩序神の冷たい声とは正反対――
だが、どこか同じ“極端”を持っている。
「こいつは……自由の皮を被った“制御不能”ですね」
「放っておけないな」
カイルは立ち上がり、風の中を見据える。
遠くの丘に、白い塔が一本。
その上に、光が渦を巻いている。
“自由律教団”の本拠地だ。
◇
夕暮れ、二人は塔の前にたどり着いた。
門番はいない。扉は開かれている。
中からは祈りのような歌声。
「誰にも縛られず、誰も縛らない」
「我らは神を超えた“自由”」
その中心、円壇に立つ女がいた。
金の髪をほどき、瞳は光を宿している。
その背後――浮遊する欠片のような光。
秩序神の断片。
「あなたが……教団の長?」
「ええ。名はリサ。
あなたが“秩序神を壊した男”、カイルですね」
女の声は、柔らかくも強い。
彼女の手元の光が脈打つ。
――それは、秩序核の破片。
「秩序を否定したあなたの思想を、私は信じました。
だから、世界を“完全な自由”にしたいのです」
「完全な自由……?」
「そう。ルールも秩序も要らない。
人は自分の欲望のままに生きるべき。
神を拒んだあなたが、それを証明したでしょう?」
カイルは静かに首を振った。
「俺は神を拒んだんじゃない。
“神の押しつける完璧”を拒んだだけです。
――自由には、責任という整頓が必要なんです」
リサの笑みが、少しだけ冷たくなる。
「それこそ秩序の残滓。あなたのような人が、また世界を縛るのです」
光の欠片が震え、塔全体が眩く光る。
床の文様が反転し、空中に浮かび上がる。
〈プロトコル起動:自由律システム〉
〈新管理者――リサ・フラグメント〉
「……管理者?」
エリオスが剣を構える。
カイルは目を細めた。
「自由を管理しようとする時点で、それは“秩序”ですよ」
リサが笑う。
「そうかもしれません。
でも私は、あなたとは違う秩序を作る――“誰も責めない世界”を」
光が暴れ出す。
塔の外壁がひとりでに歪み、地面が波打つ。
建物そのものが、意思を持って変形していく。
「この世界を、“誰にも指図されない形”にする!」
リサの背後で、秩序神の欠片が咆哮した。
自由律――それは“制御不能の秩序”の進化形。
カイルは拳を握る。
「……また片づけが必要ですね」
「今度は、神の亡霊の後始末か」
「ええ。けど――“人の自由”を守るために」
二人は塔の中へと踏み込んだ。
光が弾け、世界が再び、整うでも壊れるでもなく、揺れ始めた。
◇
次回 第2部・第2話「自由律の塔、起動」
――秩序を壊した“自由”が、世界を再び支配する。