第一話 雑用係、追放される
「――お前のスキル、役に立たねぇんだよ」
焚き火の炎が小さく弾け、勇者エリオス・グランの声だけが夜気を切り裂いた。
誰も俺の名を呼ばない。誰も引き留めない。視線は冷えた刃のように、ただ突き刺さる。
「片付け? 荷物? 道具管理? ……はっ。戦場で“雑巾がけ”でもしてろよ、カイル」
笑い声。囁き声。わざとらしいため息。
仲間だったはずの剣士、神官、弓手は、目を合わせることすら避けた。
俺のスキルは〈整理整頓〉。
――物を片づける。順番を整える。場所を最適にする。
戦闘にも回復にも関係のない、地味で、目立たなくて、誰でもできると笑われる“弱スキル”。
だから俺――カイルは、勇者パーティを追放された。
「明日の朝までに姿を消せ。報酬? そんなもん、貢献に見合ってないだろ」
エリオスは金の髪をかき上げ、勝利者の顔で背を向ける。
俺の手元に残ったのは、擦り切れた外套と、汚れた鞄と、沈黙だけだった。
……そうか。終わりか。
胸の奥で小さく音がした。
悔しい、悲しい――けれど、不思議と涙は出ない。
たぶんもう、泣く代わりに“ずっと前から”積み上げていたのだ。言葉にできない何かを。
◇
野営地から離れ、森の外れで焚き火を起こす。
風は冷たく、星はよく見えた。
鞄を開ける。中身は整然と並ぶ。癖、というより生き方だ。
(……最後に、確認しておくか)
ステータスウィンドウを開く。
何度も、何百回も見たはずの灰色の画面。
そこに――見覚えのない細い文字列が、微かに瞬いた。
〈整理整頓 LvMAX ――【構造最適化】〉
「……構造、最適化?」
見間違いだろうか。いや、スクロールしても消えない。
試しに、焚き火の脇に落ちていた枝と石を、直線上に並べる。
“ただ並べた”だけだ。いつもの俺の癖と同じ。
次の瞬間――森が、揺れた。
空気が収束し、地面の下で何かがほどける音がした。
枝と石の並びに沿って、土の層がスライドする。水脈が線に吸い寄せられ、地表の苔がはがれ、根が位置を変え、斜面の角度が“均される”。
「ちょ、待っ――」
“整列”は、物と場所だけじゃなかった。
世界の仕組みが、その線に従い“きれいに整う”。
轟、と鈍い音。
十歩ほど先の地面が崩れ、巨大な空洞が口を開けた。腐臭。骨。牙。
そこは、魔物の巣――夜襲を準備していた群れの巣窟だった。
(……見えていなかったのは、俺のほうだ)
膝が笑い、同時に背筋が冷たくなる。
スキル〈整理整頓〉。
それは“散らかった机”を片づける力なんかじゃない。
散らかった世界を、正しい位置に戻す力だ。
LvMAXで開示された真価――【構造最適化】。
“構造”という言葉の意味が、今ならわかる。
物の並び、流れ、優先順位、密度、圧力、魔力、理――法則の配列。
俺は、ずっと“使い方を間違えていた”。
◇
巣の奥から、低い唸り声が湧き上がる。
赤い目。濡れた牙。十、二十、もっと。
森の影がうごめき、一斉にこちらへ――
「整列」
指先で空を引く。
巣穴から焚き火まで、一本の“最短線”を描く。
ただの線だ。けれどその線は、世界の片づけ命令になる。
魔物たちの足場が滑り、牙の角度が“安全な方向”へ矯正され、跳躍の軌道が互いに干渉して――
ぶつかり合って、勝手に自滅した。
地鳴り。短い悲鳴。沈黙。
焚き火の火の粉が、静かに空へ昇っていく。
呼吸を整える。手の震えは――止まった。
「……なるほど」
エリオスたちが戦っているつもりだった“混沌”は、
俺が並べるだけで、勝手に弱くなる。
通路は最短になり、罠は露出し、無駄は削がれ、必要は強調される。
俺がやってきた“雑用”は、ただの雑用じゃなかった。
いつも道具箱の中で、一番使う物を手前に。
焚き火の位置を、風の向きと湿り気から少しずらす。
食料の並びを腐敗しやすさの順に。
荷運びの導線を、怪我しているやつが無理しない順に。
……それを、世界規模でやれば――こうなる。
気づかなかったのは、誰だ?
俺か? あいつらか?
◇
森の奥で、かすかな悲鳴が上がった。
声の主を知っている。
神官の青年。夜間警戒は俺の担当だった。
追放を言い渡した夜、監視の割り振りは乱れる。
――俺がいないと、何が“手前”で何が“奥”か、誰も判断できないのだ。
足が勝手に動いた。
助ける理由はない。
でも、見捨てる理由もない。
それが“片づける人間”の性分だ。
巣穴の縁に膝をつき、上から見下ろす。
暗がりに白い外套が転がり、影が群がっていた。
「退け」
一本、線を引く。
巣穴の壁から地表へ。
その線に沿って土砂が“整理”され、滑り台のような緩斜面が形成される。
同時に、魔物の配置が“最低衝突距離”を満たすよう矯正され、互いに足を取って崩れた。
神官がこちらを見上げ、唇を震わせる。
「……カイル?」
「立て。上がれ。順番を守れ」
引き上げる。
彼を安全地帯へ押しやり、視線で残りの影を数える。
線を二本、三本。
無駄のない導線。最小の労力で最大の安全。
――“整った”瞬間、群れは瓦解した。
◇
「なにをしている!」
背後から怒声。
金の髪が月をはね返し、勇者エリオスが剣を掲げて現れた。
遅い。導線を読めない王者は、いつだって遅れてやってくる。
「勝手な真似をするな、追放者! 功を横取りする気か!」
鼻で笑いそうになって、やめた。
彼はそういう男だ。
混沌を“努力”と呼び違え、整序を“卑怯”だと断じる――王様ごっこの勇者。
「功はくれてやるよ、エリオス」
俺は立ち上がり、指先で空を撫でる。
焚き火、荷車、負傷者、魔物の屍。
ばらばらだった全てが、意味のある位置に収束していく。
彼の足元の地面が、少しだけ沈む。
逃げ道が“遠回り”になるように。
剣を振る角度が“味方に当たりやすい”ように。
視界の奥行きが“誤認しやすく”なるように。
俺は宣言した。
「――使い方を、間違えてたのはお前らだ」
「なに?」
「俺は雑用係。世界を片づける。
お前らは混ぜた。ぐしゃぐしゃにして、偉そうに踏んづけた。
混乱は、“片づける人間”がいないと、ただのゴミ山だ」
エリオスの眉が吊り上がり、剣先が俺に向いた。
「減らず口を――」
「お前に向けてない」
俺は背を向け、巣穴の奥へ視線を落とす。
まだ残っている。歪みが。
魔力の流れ、地脈の折れ、巣の根。
“乱れ”の核は、地中のさらに下。
(整える)
指先で、目に見えない“配列”を掴む。
余計なものを捨て、必要なものを取り出し、順番を入れ替え――
「――整理整頓」
地面が息を吐いたように沈み、次いで静かに持ち上がる。
水は正しい川筋を取り戻し、瘴気は最短の排出口から抜け、根は絡まりをほどいて互いを支える。
巣穴は自壊し、残党は逃げ道を失い、森は“安全”に戻った。
作業は、終わった。
◇
神官が震える口で言う。
「い、今のは……」
「片づけだよ」
簡単なことだ。
“正しい場所”に“正しい順番”で“正しい量”を並べるだけ。
ただ、範囲が少し――広いだけ。
エリオスは剣を下ろさない。
理解できないものは、彼にとって“敵”だ。
彼は俺を斬るだろう。そういう男だ。
だから俺は、彼に背を向けたまま言った。
「これで貸し借りはなしだ。二度と俺の名を口にするな」
「待て、逃がすと――」
足音がはやる。
だが、彼の足場は“遠回り”になるよう整えてある。
追いつかれない。
追いつかれたとしても――整える。
◇
森を抜け、夜明け前の蒼さが広がる丘に出る。
風が冷たい。
空は、広い。
ステータスを開く。
淡い光の中、見慣れない通知が静かに瞬いていた。
〈整理整頓 LvMAX:構造最適化〉
〈副効果:秩序権限(β)――小規模領域の法則変更が可能〉
「権限、ね……」
笑うしかない。
雑用係の延長線上に、こんな言葉が待っているとは思わなかった。
でも、しっくりくる。
片づけに必要なのは、腕力でも天才でもない。
“触っていい引き出し”を見分ける権限と、
“正しさ”に従い続ける根気だ。
俺には、その二つがある。
そして――使い方を間違えない。もう二度と。
丘の向こうに、小さな村が見える。
屋根の傾き、畑の筋、井戸の位置。
どれも“歪んでいる”。
だからこそ、俺の仕事がある。
「雑用係、ここからが本番だ」
夜が終わり、東の空が白む。
俺は外套の襟を正し、村に向かって歩き出した。
世界を整えるために。
◇
――――
次回 第二話「世界を整えるスキル、最初の奇跡」
村ひとつを“片づけ”たら、神殿が目を覚ました。