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第一話 雑用係、追放される

「――お前のスキル、役に立たねぇんだよ」


 焚き火の炎が小さく弾け、勇者エリオス・グランの声だけが夜気を切り裂いた。

 誰も俺の名を呼ばない。誰も引き留めない。視線は冷えた刃のように、ただ突き刺さる。


「片付け? 荷物? 道具管理? ……はっ。戦場で“雑巾がけ”でもしてろよ、カイル」


 笑い声。囁き声。わざとらしいため息。

 仲間だったはずの剣士、神官、弓手は、目を合わせることすら避けた。


 俺のスキルは〈整理整頓〉。

 ――物を片づける。順番を整える。場所を最適にする。

 戦闘にも回復にも関係のない、地味で、目立たなくて、誰でもできると笑われる“弱スキル”。


 だから俺――カイルは、勇者パーティを追放された。


「明日の朝までに姿を消せ。報酬? そんなもん、貢献に見合ってないだろ」


 エリオスは金の髪をかき上げ、勝利者の顔で背を向ける。

 俺の手元に残ったのは、擦り切れた外套と、汚れた鞄と、沈黙だけだった。


 ……そうか。終わりか。


 胸の奥で小さく音がした。

 悔しい、悲しい――けれど、不思議と涙は出ない。

 たぶんもう、泣く代わりに“ずっと前から”積み上げていたのだ。言葉にできない何かを。



 野営地から離れ、森の外れで焚き火を起こす。

 風は冷たく、星はよく見えた。

 鞄を開ける。中身は整然と並ぶ。癖、というより生き方だ。


(……最後に、確認しておくか)


 ステータスウィンドウを開く。

 何度も、何百回も見たはずの灰色の画面。

 そこに――見覚えのない細い文字列が、微かに瞬いた。


 〈整理整頓 LvMAX ――【構造最適化】〉


「……構造、最適化?」


 見間違いだろうか。いや、スクロールしても消えない。

 試しに、焚き火の脇に落ちていた枝と石を、直線上に並べる。

 “ただ並べた”だけだ。いつもの俺の癖と同じ。


 次の瞬間――森が、揺れた。


 空気が収束し、地面の下で何かがほどける音がした。

 枝と石の並びに沿って、土の層がスライドする。水脈が線に吸い寄せられ、地表の苔がはがれ、根が位置を変え、斜面の角度が“均される”。


「ちょ、待っ――」


 “整列”は、物と場所だけじゃなかった。

 世界の仕組みが、その線に従い“きれいに整う”。


 轟、と鈍い音。

 十歩ほど先の地面が崩れ、巨大な空洞が口を開けた。腐臭。骨。牙。

 そこは、魔物の巣――夜襲を準備していた群れの巣窟だった。


(……見えていなかったのは、俺のほうだ)


 膝が笑い、同時に背筋が冷たくなる。

 スキル〈整理整頓〉。

 それは“散らかった机”を片づける力なんかじゃない。

 散らかった世界を、正しい位置に戻す力だ。


 LvMAXで開示された真価――【構造最適化】。

 “構造”という言葉の意味が、今ならわかる。

 物の並び、流れ、優先順位、密度、圧力、魔力、理――法則の配列。


 俺は、ずっと“使い方を間違えていた”。



 巣の奥から、低い唸り声が湧き上がる。

 赤い目。濡れた牙。十、二十、もっと。

 森の影がうごめき、一斉にこちらへ――


「整列」


 指先で空を引く。

 巣穴から焚き火まで、一本の“最短線”を描く。

 ただの線だ。けれどその線は、世界の片づけ命令になる。


 魔物たちの足場が滑り、牙の角度が“安全な方向”へ矯正され、跳躍の軌道が互いに干渉して――

 ぶつかり合って、勝手に自滅した。


 地鳴り。短い悲鳴。沈黙。

 焚き火の火の粉が、静かに空へ昇っていく。


 呼吸を整える。手の震えは――止まった。


「……なるほど」


 エリオスたちが戦っているつもりだった“混沌”は、

 俺が並べるだけで、勝手に弱くなる。

 通路は最短になり、罠は露出し、無駄は削がれ、必要は強調される。


 俺がやってきた“雑用”は、ただの雑用じゃなかった。

 いつも道具箱の中で、一番使う物を手前に。

 焚き火の位置を、風の向きと湿り気から少しずらす。

 食料の並びを腐敗しやすさの順に。

 荷運びの導線を、怪我しているやつが無理しない順に。

 ……それを、世界規模でやれば――こうなる。


 気づかなかったのは、誰だ?


 俺か? あいつらか?



 森の奥で、かすかな悲鳴が上がった。

 声の主を知っている。

 神官の青年。夜間警戒は俺の担当だった。

 追放を言い渡した夜、監視の割り振りは乱れる。

 ――俺がいないと、何が“手前”で何が“奥”か、誰も判断できないのだ。


 足が勝手に動いた。

 助ける理由はない。

 でも、見捨てる理由もない。

 それが“片づける人間”の性分だ。


 巣穴の縁に膝をつき、上から見下ろす。

 暗がりに白い外套が転がり、影が群がっていた。


「退け」


 一本、線を引く。

 巣穴の壁から地表へ。

 その線に沿って土砂が“整理”され、滑り台のような緩斜面が形成される。

 同時に、魔物の配置が“最低衝突距離”を満たすよう矯正され、互いに足を取って崩れた。


 神官がこちらを見上げ、唇を震わせる。

「……カイル?」


「立て。上がれ。順番を守れ」


 引き上げる。

 彼を安全地帯へ押しやり、視線で残りの影を数える。

 線を二本、三本。

 無駄のない導線。最小の労力で最大の安全。


 ――“整った”瞬間、群れは瓦解した。



「なにをしている!」


 背後から怒声。

 金の髪が月をはね返し、勇者エリオスが剣を掲げて現れた。

 遅い。導線を読めない王者は、いつだって遅れてやってくる。


「勝手な真似をするな、追放者! 功を横取りする気か!」


 鼻で笑いそうになって、やめた。

 彼はそういう男だ。

 混沌を“努力”と呼び違え、整序を“卑怯”だと断じる――王様ごっこの勇者。


「功はくれてやるよ、エリオス」

 俺は立ち上がり、指先で空を撫でる。

 焚き火、荷車、負傷者、魔物の屍。

 ばらばらだった全てが、意味のある位置に収束していく。


 彼の足元の地面が、少しだけ沈む。

 逃げ道が“遠回り”になるように。

 剣を振る角度が“味方に当たりやすい”ように。

 視界の奥行きが“誤認しやすく”なるように。


 俺は宣言した。


「――使い方を、間違えてたのはお前らだ」


「なに?」


「俺は雑用係。世界を片づける。

 お前らは混ぜた。ぐしゃぐしゃにして、偉そうに踏んづけた。

 混乱は、“片づける人間”がいないと、ただのゴミ山だ」


 エリオスの眉が吊り上がり、剣先が俺に向いた。

「減らず口を――」


「お前に向けてない」


 俺は背を向け、巣穴の奥へ視線を落とす。

 まだ残っている。歪みが。

 魔力の流れ、地脈の折れ、巣の根。

 “乱れ”の核は、地中のさらに下。


(整える)


 指先で、目に見えない“配列”を掴む。

 余計なものを捨て、必要なものを取り出し、順番を入れ替え――


「――整理整頓」


 地面が息を吐いたように沈み、次いで静かに持ち上がる。

 水は正しい川筋を取り戻し、瘴気は最短の排出口から抜け、根は絡まりをほどいて互いを支える。

 巣穴は自壊し、残党は逃げ道を失い、森は“安全”に戻った。


 作業は、終わった。



 神官が震える口で言う。

「い、今のは……」


「片づけだよ」


 簡単なことだ。

 “正しい場所”に“正しい順番”で“正しい量”を並べるだけ。

 ただ、範囲が少し――広いだけ。


 エリオスは剣を下ろさない。

 理解できないものは、彼にとって“敵”だ。

 彼は俺を斬るだろう。そういう男だ。

 だから俺は、彼に背を向けたまま言った。


「これで貸し借りはなしだ。二度と俺の名を口にするな」


「待て、逃がすと――」


 足音がはやる。

 だが、彼の足場は“遠回り”になるよう整えてある。

 追いつかれない。

 追いつかれたとしても――整える。



 森を抜け、夜明け前の蒼さが広がる丘に出る。

 風が冷たい。

 空は、広い。


 ステータスを開く。

 淡い光の中、見慣れない通知が静かに瞬いていた。


 〈整理整頓 LvMAX:構造最適化〉

 〈副効果:秩序権限(β)――小規模領域の法則変更が可能〉


「権限、ね……」


 笑うしかない。

 雑用係の延長線上に、こんな言葉が待っているとは思わなかった。

 でも、しっくりくる。

 片づけに必要なのは、腕力でも天才でもない。

 “触っていい引き出し”を見分ける権限と、

 “正しさ”に従い続ける根気だ。


 俺には、その二つがある。

 そして――使い方を間違えない。もう二度と。


 丘の向こうに、小さな村が見える。

 屋根の傾き、畑の筋、井戸の位置。

 どれも“歪んでいる”。

 だからこそ、俺の仕事がある。


「雑用係、ここからが本番だ」


 夜が終わり、東の空が白む。

 俺は外套の襟を正し、村に向かって歩き出した。


 世界を整えるために。



――――


次回 第二話「世界を整えるスキル、最初の奇跡」

村ひとつを“片づけ”たら、神殿が目を覚ました。


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