(1)森の中
~チトセ視点~
人のいないところに行ってみたい。
面倒な人間関係に振り回されず。
騒音にも乱されず。
ただ、今日を精一杯生きることのできる場所。
そんな場所へ行ってみたい。
かつて、私はそう考えていた。
自然のなんとも言えない心地よい匂い。
さらさらと頬をくすぐる風の感触。
木々の間から差し込んでくる日の光の暖かさ。
それを感じながら、私はなぜか見知らぬ森のなかに寝転がっていた。
意味がわからない?
私もわからない。
いつも通り行きたくない学校に行き、話したくもない進路の話をして、帰りたくもない家に帰った。
家では国立の医大に通う兄たちと私を比べ、説教垂れる親の話を右から左へと聞き流す。
そんな日々を嫌々ながらも送っていたはずだ。
だというのに、気づけば森の中にいる。
本当に意味がわからない。
まるで、小説のようだと思った。
友達が読んでいたライトノベルのような。
とはいっても、直接目を通して読んだことはない。
昔ファンタジー小説を買ったことはあるけど、本に対して偏見の固まりみたいな両親に「こんなものを読んだらバカになる」と言われながらビリビリに破かれてからは買おうとも思わなかった。
…………ここはいったいどこなのだろう?
改めてそう思いながら、背負っているリュックを開けてスマホを取り出して電源をつける。
表示された単語は一つだけ。
圏外。
この言葉だ。
ふざけんじゃねぇと思いながら投げようと振り上げたけど、やめて腕を下ろす。
物に当たっても意味はないし、森の中なんて電波が通っていなさそうだから。
『#迷イ仔__まよいご__#だわ』
『あら、本当だわ』
どうしようかと思っていれば、頭上からそんな声が聞こえてきた。
頭を上げれば、絵本に出てくる背中に羽がある妖精のような生物がいた。
青色と赤色と緑色の三匹だ。
「匹」という単位でいいのかわからないけど。
『あの仔が来て、まだ五年しか経っていないのに』
『ずいぶん早いのね』
珍しいものを見たと言いたげな表情で見下ろしてくる、三匹の妖精もどき。
何がそんなに物珍しいのかが理解できない。
ここに人間が来ることが珍しいのだろうか?
それとも、ここで寝っ転がっていることが珍しいのだろうか?
まあ、どちらともって言うのはあり得そう。
日本にも進入禁止の場所は数多くあるから。
もしかしたら、ここもその一つなのだろう。
「あなた達は……」
『うん? 妖精に精霊……色々な呼び方があるわね』
『決まった固有名称なんてないわ』
「名前も?」
『ええ、ないわ』
『名前は特別なものだもの』
『ええ、特別』
『私たちに名前がないのは普通よ』
『そう、普通』
『ちょっと行ってくるわね』
『いってらっしゃい』
私の質問に首をかしげながら答えてくる妖精もどき改め精霊たち。
名前を聞けば、名前がないのが普通と来た。
名前がないのが普通?
それは精霊たちの中での普通なのだろうか?
そういえば、田舎に住む父方の祖父母が「人ならざる者達に名を名乗ってはいけない」と言っていたことを思い出した。
そう思っていれば、緑色の精霊が離れていった。
でも、私としてはもう少し情報を集めたい。
ここがどこなのか?
日本なのか?
いや、そもそも地球なのか?
明らかに、目の前には科学的には説明できない存在が宙に浮かんでいる。
恐らく、友人が言っていたライトノベルの種類にある「異世界転移」という奴なのだろうか?
少なくとも、わりと摩訶不思議な現象が普通に起きる空間なのだろう。
でなければ、目の前に重力を無視して宙に浮かんでいる生き物がいるはずないだろうし。
「ここが何処かわかりますか?」
『敬語なんて要らないわ』
『ええ、要らないわ』
『ここが何処か?』
『固有名詞はないけれど、他の種族は【神の森】って呼んでいるわね』
「あの……人間がいるところに行きたいの」
『ええ、行きたいの?』
『あなたも、あの仔と同じなのかと思ったわ』
「あの仔?」
『ええ、あなたと同じ立場の仔』
『人間? あなたもあの仔も人間と言うの?』
「え? 人間って知らない?」
『知らないわ』
『ええ、知らない』
『あなたと同じ特徴を持つ仔は、あの仔しか見たことないわ』
私の質問に、青色と赤色の精霊たちが口々に教えてくれる。
話を聞いた限り、私と同じ特徴を持つ存在__人間はもう一人いるらしい。
でもそのもう一人の存在を知っている割に、【人間】という種族名は知らない。
もしかしたら、この世界には人間がいないのだろうか?
確か色々な作品の中には、人類が滅亡してしまった終末世界の話を題材にしている作品もあったはず。
その世界、もしくはそう言った終末の世界に類似した状況の世界に来てしまったとか?
そう思っていれば、緑色の精霊の言葉と共に聞き覚えのない男性の声が聞こえてきた。
『こっちよ、こっち』
「なんなんだ、いったい!?」
『ほら、この仔』
『あなたと同じ仔』
「は? …………セーラー服?」
「えっと…………」
「ああ、うん。そういうことか」
草木をかき分けて近づいてきたのは、うなじまでの黒髪の黒い瞳の男性だった。
白いワイシャツに、青色のズボンという動きやすそうな服装だった。
そんな男性は精霊を睨んだ後、私の方を見て驚きの表情を浮かべた後に何かを察したのか頷いた。
もしかしたら、彼が精霊たちが言っていた【あの子】なのかもしれない。