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「我汝に厳命す、汝年老いたる蛇よ、生ける者と死せる者の裁き手、我が創造主、世界の創造主、汝を地獄に落としたまいし力もちたまう御方によりて、汝これなる神のしもべアーネスト・ジョセフ・ブラウンより疾く立ち去るべし……」
私が洗礼名まで口にしたのを耳にして、相手はいささか驚いたような表情をみせた。
生徒の緊急連絡先ファイルと教区牧師から得た情報だ。
メソジスト派だったらどうしようかと思っていたが、改革長老派教会の中年の牧師はおだやかに話を聞いて、名前を教えてくれた。そのうえ、ここ数年父子が教会に姿を見せないので気がかりなのだとも。
向うに地獄の情報網があるというなら、地上には地上のネットワークがあるのだ。
「さればこの者、汝に恐怖と悲嘆を抱きつつ、教会の懐に戻らん……」
この際彼が戻るのがどこの教会でも構わない。あの部屋にあったようなところでなければどこでも……。
「――やめろ! やめろ!! やめてくれ!!!」
パイプオルガンの不協和音のような声でブラウン氏が絶叫した。
「神父さん、どうして……」
いつのまにかダニエルが地下室に下りてきていたのに気づかなかった。
「父さん……」
「ダニー、ダメだよ!」
ディーンが彼を押しとどめる。
「だけど、なんであいつが父さんを――」
「ディーン、ダニエルを頼む」
そのときブラウン氏の頭ががくりと前に倒れた。
「――父さん!」
やがてゆっくりと顔があげられると、その表情からは狂気が消えていた。年相応の……疲れたような四十代の父親の顔。
「ダニエル……」
声も、弱々しいが、人間の声とわかる。
「俺はどうしてこんなところに……お前になにかあったのか? この人たちは?」
「父さんを放せよ!」ダニエルが泣きながら叫んだ。「神父さん!」
ノーラン氏と目が合う。彼はかすかに首を横に振った。
「ブラウンさん、失礼します」
私は十字架を軽く彼の額に触れさせた――とたんに、再び絶叫が地下室に響き渡った。地下室全体がふるえ、壁に吊り下げられていた工具のほとんどが落下した。ディーンとダニエルが耳をおさえているのが目に入る。
「疑い深いクソ野郎が!」
「――屈服すべし。我にあらずして、キリストの司祭に屈服すべし。かの御方が御力は汝をやらい、十字架の下に汝を隷属させたまわん……汝、我が罪人たるを知りたるといえども、我を卑しむべきものとみなすなかれ――」
「我は知っているぞ」また別の声が言った。
吠えるような調子はおさまって、爛々と光る眼に宿っているのは、蛇のような狡猾さだ。
「そなたの大切な“お友達”が地獄でどんな責め苦に喘いでいるか――あるいはお前の邪悪な師匠がどうしているか、知りたくはないか?」
「よけいなお世話だ」
まるでディーンのような返しだな、とちらと思う。
「そうか? だがそれはお前の本心ではないだろう。あの黒髪のお友達はお前のお気に入りだった――そこの小僧に少し似ているな。やつはあんたの前にひざまずいたのか? ――ああ、それともあんたがひざまずいたのかい?」
「黙れ!」自分でも驚くほどの声が出た。
「汝を滅ぼさん、不浄の霊よ、地獄より来れる者よ、イエス・キリストの御名において、神の子より立ち去ることを申し渡さん――」
「そんなに怒るなよ、図星か? 寂しいなら見せてやろう……」
冷気とともに視界が青白い光に染まった。周囲がぼやけて――コンクリート壁の、柱のない地下室にいるはずなのに、側廊の柱のあいだに立っている。
目の前にいるのは“彼”だった。あのときはっきり見ることのできなかった顔がこちらに向けられている。ディーンには似ていない、やさしい濃い青い双眸が悲しげな色をうかべている。
“彼”の青ざめた唇が動いた。声は聞こえない。だが動きでなにを言っているかはわかる。
『クリス、教えてほしい、僕は……』
「――マクファーソン神父!」
ノーラン氏の声ですべてがかき消えた。
「どうしちゃったんだよ、クリス、ぼーっとして!」
ディーンの悲鳴にも似た叫び。
今のあいだにブラウン氏の拘束が解かれてしまっていた。ふたりともまた床に倒れて、互いを抑え込もうとして格闘状態になっていた。今度はノーラン氏のほうが不利だった。祈りの効力が彼にも及んでいるからだ……。
「いいから続けろ! この食屍鬼を地獄へ送り返してやれ!」
「我らを侮辱するとはいい度胸だ、くたばりぞこないが!」
乱雑に積んであった角材の一本が突然床を滑ってきて、ちょうど上になっていたノーラン氏の体を反対側の壁まで吹っ飛ばした。そこへさらに雑多ながらくたが飛んできて、彼の上に山を作った。
「ノーランさん!」
「あいつならほっといても大丈夫だよ!」
「ディーン、ダニエルをつれて上へ……」
「クリスが行きなよ!」
ディーンが――人間の姿のままで――四つん這いの姿勢で床を蹴って、ブラウン氏に体当たりした。
「ディーン!」
ブラウン氏はよろめいたが倒れはしなかった。ディーンが蹴飛ばされて廃材の山に突っ込む。彼は悲鳴を上げる暇さえなかった。
「なんて無礼な友達だ、ダニエル」
ブラウン氏が作業台の上からなにかを手に取った。
「朱に交われば赤くなるとはよく言ったものだ――おまけに吸血鬼までとはな」
その手に握られていたのは杭だった。
「お前がやつらの同類になる前にこいつを打ち込んでやるのが、父親としてのせめてもの責任ってやつだろう……」
アブラハムとイサクの醜悪な戯画を見せられているようだった。ダニエルの目は恐怖に見開かれていて、その父親も息子しか目に入っていなかった。私がダニエルをかばったとき、杭の先はそれまで彼が立っていたところをかすめて、法衣の右腕を裂いた。
「ダニエル、君ひとりでも……」
最後まで言い終わる前に横殴りにされ、私たちは床に倒れこんだ。
すべてがスローモーションのように映った。
倒れたダニエルめがけて杭がふり下ろされる――その直前になにかが飛び込んできて、ブラウン氏の姿が視界から消えた。
「吸血鬼風情が、邪魔をするな!」
壁ぎわに押しつけられたノーラン氏の胸に杭が打ち込まれたのはそのときだった。彼は自分の胸から突き出したものを、なにが起こったかわからないという表情で見下ろし――ゆっくりとくずおれた。




