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5-3

「……クリス! クリス、大丈夫?」

 揺さぶられて目が覚めた。ナイトランプのオレンジ色の光に照らされて、ディーンの顔が浮かびあがる。

「勝手に入ってごめん……。トイレに起きたらさ、なんかすごい苦しそうな声が聞こえたから……」

 枕元の時計に目をやると午前三時だった。

「……私はそんなにうなされていたのか?」

「うん。……たぶんストレスだと思うな。俺もさ、テストの前にそうなったことあるもん」

 ディーンは微笑んだ。

「……起こしてくれてありがとう。もう大丈夫だから、戻って休みなさい」

 そう言ったあとで、初夏だというのに体が冷えているのに気づく。ひどい汗でパジャマが肌に貼りついている。

 ディーンは黙ってベッドの足元に腰かけた。黒い瞳でまっすぐこちらを見つめ、

「……なあ、クリス、あんた、大丈夫じゃないだろ」

「…………」

「あの吸血鬼野郎に血を吸われたからってわけじゃないのはわかるよ。そういう匂いはしないもん。そうじゃなくて……なんか悩みがあるんじゃないかって。……あ、俺の食費のこともあるだろうけどさ」

 照れ隠しのように両手を振る。

「子供なんだからって言うんだろ。わかってるよ。兄貴たちはいっつもそう言うんだよな。俺だって一族クランなのに。それに、十六っていやあ十分大人だと思うぜ」

 唇を尖らせる様子は当人が言うほどには大人びていないのだけど。

「あの野郎が初めてウチに来たとき、クリスが俺のこと、家族だって言ってくれただろ。あれ、すげえ嬉しかったんだよね。だからさ、俺もあんたの力になりたいんだよ。具体的にどうすりゃいいのか全然思いつかないんだけどさ、でも、悩みがあるなら誰かに話せ、話す相手は犬でもいい、って言うだろ?」

 ――主よ。

 視界がオレンジ色ににじんだ。

「――わ、なに、クリス、俺なんか悪いこと言った?!」

「いや……」

 じゃあいきなり泣くなよ、びっくりするじゃん、と言いつつ彼は立っていき、少しして、電子レンジで作ったホットミルクのカップをふたつ持って戻ってきた。

「……なぜ?」

「知らね。あんま覚えてないんだけど、俺がほんとちっちゃかったころ、夜中に腹が減って鳴いてたら、おふくろが作ってくれたような覚えがあるんだよね。だから」

「ディーン、お前はきっといい夫……父親になるだろうね」

「なんでだよ」

 ディーンは怪訝な顔をして、自分のカップをすすった。

 湯気の立つカップのおかげで冷えていた指先に体温が戻り、汗がひいていくのがわかる。

「お前が今使っている部屋……あそこは亡くなったレオーニ神父の部屋だったのは話したね?」

「うん。クリスが来る前にこの教会にいた神父だろ」

「そう。彼はとても信仰が篤くて、見かけによらず……と言っては失礼になるけど……博識で、そしていつも、一番弱い人たちのことを考えていた。もっと大きな教区の司教に、枢機卿にだってなれたかもしれないのに、貧しさゆえに生まれ育った場所を出ていきたくても出ていけない人、教会から最も遠いと思われる人たちを救いたいと、小さな町の神父のままでいることを望んだ」

「教会から最も遠い人たちって……誰? 犯罪者とか?」

「同性愛者だよ」

 ディーンの目と口が丸くなる。

「なんていうかさ、カトリックの神父でその考えは……イタン(・・・)だよね」

「異端ね」

「そうそれ。……クリスはさ、そのこと、知ってたわけ?」

「あとで知ったんだ……私がここへ来ることになったときにね。きっかけはある若い男性の悪魔祓いで……」

 喉元の塊と一緒にホットミルクを飲み下す。私が再び話し出すまで、ディーンは黙ったまま、首をかしげて待っていた。

「レオーニ神父と同じイタリア系の出身でね、大学生だった。お前と同じ、ちょっと癖っ毛の黒髪で、青い目の……。なんの理由もないのに授業中に失神する、引きこもっているかと思えば人が変わったように暴言を吐く、精神科医にみせても原因がわからない、良くならないからといって、心配した両親が教区の司教に相談して……それで私のところへ紹介されたんだよ」

「ちょっと待って、私に(・・)紹介されたって言ったよね。クリス、悪魔祓いしたことあるの?」

「あるよ」

 私を祓魔師に任命したのはフランチェスキーニ司教だ。

「その人には本当に悪魔が憑いてた……?」

 私はうなずいた。

「といっても、ダニエルと同じように、ずっととりついているという感じのものでもなかった。何度か悪魔祓いを行ったあと、彼はふつうに教会にやってくるようになった。そのころには、私たちは友人になっていて……彼は私に告解をしようとはしなかったけどね」

「そりゃそうだよ。ニックのやつ、よくあんたに面と向かって犯罪を告白しようって気になるよな。まあ、あいつの場合は自慢話に聞こえなくもないけど」

 ディーンが大げさに顔をしかめたので思わず笑みがこぼれた。

 子供みたいなふるまいと率直な物言いに、レオーニ神父を失ったあと私がどんなに慰められているか神に感謝していると言ったら、ディーンは言うだろうか――「神じゃなくて俺に感謝しなよ」と?

「……あ、ゴメン、続けて」

「でも」私は一呼吸おいて吐き出した。

「彼は大学四年のときに自殺した」

「……どうしてさ?」ディーンがおずおずと尋ねた。「悪魔のせい?」

「いいや」

「それじゃ、クリスは腕のいいエクソシストってことじゃないか。なんで、バスの中で、ほかのやつを紹介するなんて言ったのさ?」

 不思議そうな――ちょっと悲しげですらある――ディーンの顔立ちが、一瞬、“彼”のそれに重なる。

「……私は逃げ出したんだよ」

 司教からも、自分の教区もすべて投げ出して、ここにはいられないと訴えて、そうして、行ってみろとすすめられたのがレオーニ神父のいるこの教会だった。

「じゃあさ……その人、もしかして、クリスのことが好きだったりした? それで、フラれたとか」

「彼が同性愛者ゲイだったのは事実だけど、彼が恋したのは私じゃないよ」

 なぜだかディーンはほっとしたように息を吐いた。

「彼が亡くなったのはね……両親に、同性愛者であることが知られてしまったからだよ」

 ディーンはよく吞み込めないという顔で首をかしげた。

「知って……って、それでそいつの親がどうしたっていうのさ?」

「彼を拒絶したんだ」

 話そうと思ったのに、ひとつひとつの言葉が鉛の塊のように喉に詰まる。私は彼の両親も知っていたし、とても気さくでおだやかな人たちだったからだ。人種差別的なほのめかしの言葉すら、口にすることはなかった人たちだったのに。

「司教と私の前で母親が泣き叫んでね……あの子はわたしたちの子供じゃない、あんなのはわたしの息子じゃない、あんな子を産んだ覚えはない、なんて汚らわしい、どこで間違ったんでしょう、神様……と言ったんだ」

「……クリスはなんて言ったの?」

「なにも言えなかったよ。彼女は私も疑わしいと言ったんだ。動揺のあまりね。後日謝罪されたよ。誰だって……気持ちがふつうでないときには、心にもないことを口にしてしまうことがあるからね。……でもそんなことはどうでもいいんだ。私が恥じているのは……」

 長い沈黙がおりた。

 私は黙って耳を傾けているディーンの目を見ることができなくなっていた。

「……私が恥じているのは、家を追い出された彼が訪ねてきたとき、教会と母親の言葉にとらわれて、話を聞くのもうわの空でいたことと、本当の気持ちを言わなかったことだ」

「……本当の気持ちって?」

 ディーンの大きな黒い眼はなぜか涙で潤んでいるように見えた。

「教会がなんと言おうと私は彼を愛しているし、主もまたそうである、と。もしあのときそう言えていたら、彼は思いとどまったかもしれない……。でも彼は自分の両親を愛していたから、教会と両親に背いて生きるのは辛かったんだろう……」

「そいつの親父とおふくろは自分の息子を追い出したの?」ディーンは涙声だった。

「ゲイだってバレただけで? 家族はそんなことしちゃいけないんだよ。だって家族だろ。そいつがどんなろくでなしでも、家族なら守ってやらなきゃ……」

「みんながお前のようなら……」思わず手を伸ばして、ディーンの寝癖のついた頭を撫でていた。

「子供扱いするなよな」

 振り払われた。

 ディーンは洟をすすって続けた。

「俺には神様のことはよくわかんないけどさ、その、レオーニ神父もクリスも、ゲイだろうがなんだろうが神様は気にしないって信じてるんなら、その人たちにとってはいいことだよね」

「…………」

 そう思えたらどんなにいいだろう。

「……どうしたの、クリス?」

 またあの底冷えのする冷たさが戻ってきていた。

「……墓からよみがえった死者の中に、レオーニ神父がいたんだ」

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