自惚れてしまいたい【キース】
「わ、わた……」
怯え潤む目はカイザーに助けを求める。
「キース!!奇跡とは」
「頻繁に起きない、ですか?ですが治癒は一日に一人、治せるのでしょう?」
祭りの日の出来事は神官長から聞いた。
平民の前で目を治す奇跡を起こし、神官長によって怪我をしたその男性の足は治さなかったと。
そのときにカイザーは言ったそうだ。
治癒は一日に一人、と。
ではなぜ、あれから何十日も経っているのに男性の足は未だに治っていないのか。
聖女ならば翌日に男性の元に足を運び、怪我を治してあげるべきなのに。
コトネ様ならそうする。
寝ずに朝を待ち、シェイド殿にお願いし瞬間移動で駆け付けるだろう。
「くっ……。ユアは既に治癒を使っている!!お前の目は治せない!!」
「それはそれは。一体誰に使ったのか、ぜひともお聞かせ願いたい」
「俺に決まっているだろうう!!」
「聖女の治癒が必要なほどの怪我を負ったと?ご存知でしたか?陛下」
「いいや。初耳だな」
「俺の不注意故に報告の義務がなかっただけだ」
苦し紛れの言い訳。
証言が嘘であると裏を取るのは簡単。
バレないとタカを括っているのか、考えなしのバカな発言か。
どちらにせよ、カイザーの言葉に耳を傾けるつもりはない。
「ユア殿。治してはくれないのですか?」
「しつこいぞ、キース!!」
滴る血がユアの手に落ちる。
このまま放っておいても出血死はしない。運が悪ければ失明する程度。
片目だけでユア殿が偽物であると証明されるなら安い対価。
「キース!!」
私を呼ぶその声に思わず反応して振り向いた。
愛しいくらいに泣きそうな顔を浮かべ、私よりも小さな手が右目を覆う。
痛みが引く。温かい光が傷を癒す。
血が止まり視界が開ける。
奇跡を起こしたばかりのコトネ様は相変わらず泣いてしまいそうで。
「大丈夫!?まだ痛い?」
「いえ。もう大丈夫です」
「良かった。良かっ……」
安心から足の力が抜けて倒れそうになるコトネ様に手を伸ばす。
腕を引っ張り腰に手を回すと、自然と距離が近くなった。
互いの息が交わる。
「お怪我はありませんか?」
「う、うん。ありがとう」
名残惜しさを感じながらも手を離す。
熱が冷めていく手に寂しくなりつつも、このままではこまらせてしまうから。
「コトネ様。なぜこちらに?」
「キースが!!あんなことするから……」
いつものように見ていてくれたのだろう。私が理不尽に攻撃されないか心配で。
コトネ様の優しさに私のほうが泣きたくなる。
「もうしないでね。やだよ私。キースの目が見えなくなったら」
「左目が失くなっても右目があります。完全に見えなくなるわけではない、ので……」
違う。そうじゃない。
嫌なんだ。コトネ様は。私が傷つくことが。
それは優しさからくるものであり、私個人を特別扱いしているわけでない。
理解しているのに。自惚れてしまいたくなる。少なくとも今、この瞬間だけは……。
「二度としないと約束します。だから……。そのような顔をしないで下さい。笑って欲しいです。コトネ様には」
「ん……」
──愛おしいな。
照れたように口数が減ったコトネ様の可愛さに微笑んでいると、公爵から禍々しいほどの殺意が飛んでくる。
コトネ様に触れるなと強く念じてくる公爵に悪友のレオンハルト様も引いているのは気のせいではない。
「ハッ!!やはり仮病ではないか!!」
「何が精神的ダメージを負っているだ。ピンピンしているではないか!!」
コイツらの目にはそう映るのか?
こんなにも顔色が悪く、やつれているというのに。
嘲笑う醜悪な態度や言葉は凶器となりコトネ様を傷つける。
再び剣を抜こうと構えた手を、コトネ様は止めた。
「いいよ、キース。何もしないで」
「しかし!!」
「彼らにとって私は母親殺しの罪人。私はそれでいいと思ってるわ」
こんな連中のためにコトネ様が諦めることは一つもない。
何も理解しようとしないのであれば、黙らせればいいだけのこと。
私なら斬れる。罪悪感を抱くことなく。
心ない言葉で傷つけるだけの人間など、いなくなってしまえばいい。
大切なのはコトネ様の心の平穏。
「私はね。信じて欲しい人達に信じてもらえたら、それでいいの」
空気が澄んだ。後光が差したかのように眩しい。
「キースとラヴィは信じてくれるんでしょう?それだけで私はいいの」
「もちろんです」
目頭が熱い。瞬きをしようものなら涙が溢れる。
特別なのだ。私はとっくに。
コトネ様の大切な存在になっていた。
自惚れで構わない。私がそう思いたいだけ。
「コトネ様。私はその中に入っていないのですか?」
意地悪そうに聞く神官長はコトネ様の答えを知っている。
それでも聞きたいのだ。コトネ様の口から。直接。
「神官長もレオンハルト様も、当然のことながらレイチェスター公爵も、私のことを信じてくれるのですよね?」
「もちろんだよコトネ。父親が……家族が。君を信じないなんてありえない」
バカでもわかるように線を引いた。
レイチェスター家はただの後見人ではなく、コトネ様は守るべき家族の一員。
今後、傷つけるようであれば公爵家を敵に回すと思え、と。
「こ、心音ちゃ……」
「友愛。大変だろうと思うけど、聖女として頑張ってね」
「が、がんば……?」
「友愛を聖女だと信じてくれる人達をガッカリさせて裏切らないように」
「醜い豚の分際で誰に意見している!!!??」
「口を慎め!!カイザー!!」
「意見ではなく激励ですよ。友愛はいつだって誰にでも優しく、まさに天使のような存在でした」
コトネ様が褒めれば褒めるほどユア殿の顔は綻んでいく。
嬉しいからではない。
コトネ様がまだ自分の手の中にいると思い込んでいるだけ。
偽物だからこそコトネ様を利用するしかない。
──何の力も持たない穀潰し如きが。
「だからきっと。何があってもユアは皆さんのことを見捨てたりしません」
それは意思表示。
コトネ様を信じない者に救いの手は差し伸べない。
伝わっているかはさてとき、コトネ様が自分で決めたのであれば、もう心配することはない。
優しすぎるが故に傷つくことはなくなったのだ。
「コトネ様。すぐに帰りますので、先に戻っていて下さい」
「キースも一緒に」
「気持ちだけ受け取っておきます」
陛下がまだ帰るなと訴えていた。
無視するにはあまりにも強く念じられている。
「いつものを用意して待ってるね」
「はい」
コトネ様がいなくなると空気が一変。公爵が怒りをあらわにした。
それだけで留まっているのは一度目は許す。そういうことだろう。
空気が読める王族派は真っ青になりながら口を噤む。
「キース。すまないがこれをコトネ様に渡してくれるか」
お茶会への招待状。あのパーティー以来、召喚されたコトネ様……とユア殿に誘いが相次ぐ。
本人に直接、渡すことが禁じられているため陛下を経由する。
コトネ様のために代わりに断りを入れてくれていたが、あまりにも多く届くため何人かは招待を受けて欲しいそうだ。
王妃陛下が選んだ令嬢なのでイレギュラーが起きるわけはない……はずなのだが。
どちらか一方だけを出席させるわけにはいかず、二人を同じお茶会に出席させることが条件でもある。
女性だけの集まりということで男子禁制。カイザーの同行も認められていない。
それだけは救いではあるものの、ユア殿が一緒だからな。
我々の目が届かない所で危害を加えられたらと不安になるのも無理はない。
侍女としてラヴィは同席するが、それはユア殿も同じ。
ユア殿を中心に考える侍女が大人しくするはずもなく。
──頭の痛いお茶会になりそうだな。
「こちら、コトネ様にお渡ししておきます」
話し合いは終わり、退室のためにそれぞれが立ち上がる。
カイザーを傀儡にしたい王族派はいの一番に出て行く。
公爵に睨まれて生きた心地がしないのだろう。
「クラーク殿下。貴方はコトネとユア殿。どちらを聖女として認めますか」
唐突な質問。公爵の冷ややかな目にクラーク様は物怖じすることはない。
チラリとユア殿を見ては目を伏せた。
マズいな。魅了はコトネ様よりも先にユア殿を見たらかかる。
今日が初対面だったとはいえ、先に出会ったのはユア殿。
既に神殿がコトネ様を聖女てして認めている以上、その決定が覆ることはない。
……が。
一国の王がカイザーと同じくユア殿と聖女として崇めるだけでなく、取り返しのつかないほどポンコツになってしまったら……。
そのときはもう、私が国を総べるしかない。
今まで散々、逃げてきた割にその未来をアッサリと受け入れる自分がいた。
残された選択肢がコトネ様のためになるからだ。
皮肉なことに私の選ぶ未来がカイザーと同じく“愛”てあることに笑ってしまう。
「私はコトネ様が聖女であると考えます」
なんとも予想外の答え。
先に出会ったからといって必ずしも魅了にかかるわけではないとレイチェスター公女が証明しているとはいえ。
異性は無条件で惹かれるのだと思っていた。
「それは……。コトネが愛し子だからですか?」
先程の発言に反応したのはそういうことか。
会ったこともない大切な娘を、神殿が認め、精霊王の愛し子だからという理由だけで聖女として見ないのであれば……支持するに値しない。
失望させるだけの主君は切り捨てる。
「兄上……」
「クラーク様。私のことはキースとお呼び下さい」
「わかりました。キースの怪我を見て、ただ泣くだけのユア殿と、自分のこと以上に心配をしてもう怪我をして欲しくないと願うコトネ様。どちらが聖女かは考えるまでもないかと」
公爵の口元が緩む。
上辺だけではなく中身を見るクラーク様への信頼は上がる。
恭しく頭を下げてはカイザーを煽るように
「我がレイチェスター家はクラーク殿下を支えます。他の誰も貴方からその座を奪えぬように」
冷静さを欠いたカイザーは頭に血が上った状態で椅子を持ち上げた。
誰に振り降ろすのか。体の向きから公爵であるとわかる。
襲われているのに涼しい顔で、まるで傍観者のように微動だにしない。
それもそのはず。私やアーサー卿が動かずとも
「大丈夫ですか。レイチェスター公爵」
レオンハルト様が一切無駄のない美しい蹴りをカイザーに食らわせた。
腹ではなく高く上がった手を狙ったのは、自らが持ち上げた椅子を頭に落とすため。
中々に良い音をさせながら頭を強く打ち、気を失ったカイザーを誰も介抱しようとしない。
「頭のコブは明日にでも治して差し上げたらどうですか?聖女ユア殿?」
嫌味を含んだ言葉はしっかりと届き、何も言わず唇を噛んで俯くだけ。
心配を見せるクラーク様の背中を押して、陛下と王妃陛下は先に退室をした。
全てはカイザーの自業自得。
怒鳴り散らすだけならまだしも、暴力という最低な手段を用いたのだ。同情の余地はない。
誰もが声をかけることなくその場を後にした。




