月の女神
「庭園に行けるの?本当に?」
「はい。今ならユア殿が令嬢達のお茶会に招かれていますので鉢合わせることもありません」
「花を見て何が楽しいのだ?」
「愛でる気持ちのないシェイドは来ないで」
「では私がお供致します」
私は何気なくこうして暮らしているけど、あのあと頑張った休息でもある。
神官を殺さないでとお願いすると「無理」ではなく「嫌」と子供のような答えが返ってきた。
神官長として、聖女でっち上げは許し難い愚行ではあっても、命を奪うほどではない。
友愛に見せた慈悲深さは皆無。
そこからは終わりのない問答が続いた。
関わり合いがないとはいえ、一度でも知り合ってしまった人が、深く関わってしまった神官長の決定で殺されるなんて目覚めが悪い。
事情があるにせよ、やはり命は大切にして欲しいのだ。
どれだけ頼んでも神官長の決定は覆らなかった。
諦めた最後まで。
名前を呼ぶと死刑を撤回してくれた。そこからは早かったな。
死刑は見世物ではないため神殿の裏手でひっそりと行われる予定で、準備をしていた神官に中止するように伝えた。
脱走出来ないように手足を縛られ、食事も与えられず一室に閉じ込められていた神官の命はひとまず繋がれた。ひとまず。
聴取はせずに起こった事実だけを見て、神官への新しい罰を決めた。
国民を混乱させた罪は免れず名前の剥奪。
神官長は役に立たない神官をどうにか排除したかったけど、甘く優しい父親でもある神殿長が首を縦に振ることはなかった。
そんな中、得られた大義名分。神官長の喜びのゲージはMAXを突き抜けただろう。
感情には出さずに淡々と刑罰を宣告する神官長の判断がやりすぎだと思う神官はいなかったようだ。
そして神官は同じ罪を犯さないように国外追放。
誓約書通り、その身一つで放り出された。安全な国境付近ではなく、わざわざ魔物がはびこる森の中に放置する辺り、約束を守らなかった人は同じ目に合わされるのだと推測出来る。
神官長である弟が庇えば追放されずに済んだ。平民としてだけど下町で生きられる。
その日暮らしで生活水準は下がるけど、死の危機に直面するわけではない。
質素に生きていけば、祈り続けてきた神様の御加護が得られたのかも……。
二人は仲が良かったわけではないけど悪かったわけでもない。
ただ、存在が邪魔だっただけ。お互いに。
立場的にも顔を合わせる回数も少なく、いない者として扱うのは簡単。
が、今回の事件で神官長の恨みを深く買い、救いの手を差し伸べてもらえなかった。
神殿長は全てを神官長に一任しているからと、関与さえしていない。
「って、ちょっと待って!」
庭園に行くだけなのに着飾らせようとするラヴィを止めた。
実は、召喚された私達には買い物が出来るようにドレスや宝石のカタログが渡されていたのだ。私はそんなもの貰ってないし、今になって初めて知った事実。
部屋を移る際にキースが言っていたのはそのことだった。
どうせ買わないからいいんだけどさ。
似合わない物を買って無駄遣いさせるぐらいなら、私は何もいらない。
陛下達には気に病んで欲しくなくてそう言うと、王妃様が贔屓にしている店からドレスが届く。
私の気にする体型が隠れ、それでいて私にも似合っていた。
私のためにと王妃様自らがドレスを考案してくれたとか。
美しい人はセンスもある。
収納スペースがないため、シェイドが亜空間?異空間?にしまってくれている。
必要なときはこうして取り出して、ラヴィがドレスや小物を真剣に選ぶ。
男性陣の意見が反映されないのは、キースは自身のお洒落にも無頓智。
王子時代は周りが服を選んでくれていた。騎士になってからは、ほとんどの時間を制服で過ごすため私服はあまり必要ない。
シェイドに至っては私なら何を着ても似合うと最上級の褒め言葉を貰い、ロクなことが言えないなら口を閉じていろとラヴィに怒られていた。
私としては怒る理由はそこまでで良かったと思っている。
その後に「そんなわかりきった意見は求めていない」と付け加えた。
わかりきったって何!?その逆でほとんど何を着ても似合わないよ!
お世辞ではなく、本気でそう思ってくれているからこそ恥ずかしさも頂点に達する。
運動がてら庭園には歩いて行く。そのために汚したくないドレスではなく、動きやすいジャージを選んだ。
誰かと会うわけではないし慣れた恰好のほうがいい。
ラヴィは文句は言わなかったけど、ものすごく言いたそうな顔で見つめられた。瞬きもせずに。
強すぎる圧から逃げるように……というか、逃げた。根負けしてドレスを着ないように。
転ばないようにと手を繋いでのエスコートは恥ずかしい。それが騎士の仕事だとしても、私なんかを相手にしなくてはいけないなんてキースは嫌ではないのだろうか。
ブヨブヨした私の手とは違ってキースの手は固くて大きくて男の人の手だった。
「すご…」
花のアーチを抜けると宝石でも散りばめていると錯覚するほどの美しい花々が咲いていた。
思わず心の声が出てしまう。
よくテレビで世界の絶景スポット特集なんてやってるけど、それに似た感動がある。
画面越しに見ても綺麗と思うのに、実際に美しい景色を見たら心が震える。
感動のあまり泣きそう。
「私は向こうにいますので、帰るときに声をかけて下さい」
「う、うん」
グランロッド国では季節関係なく色んな花が咲く。それも異世界ならではだ。
花の種類は元いた世界と同じ。夏にしか咲かない花と冬にしか咲かない花を同時に眺められるなんて奇跡に等しい。
庭師がいるにしても王妃様の手で毎日手入れをしている。
子育てのように、愛情を持って育てているから花も応えてくれる。だからこんなにも美しいんだ。
王宮は人の欲が渦巻く。きっと、そんな暗くなりがちな王宮に少しでも明るさを取り入れたかったに違いない。
「百合…?」
白くて可憐な百合の花。
必死に思い出さないようにしていた記憶が蘇る。
向き合わなければいけないのに追ってくる記憶の影から逃げ出した。
記憶の中にいるのだから逃げたところで、逃げ切れるわけもなく。
追ってくる影に捕まってしまったら恐怖のあまり、精神がどうにかなってしまいそうだった。
無我夢中で走って、走って、走った先では、お茶会が開かれていた。それもラヴィの言っていた友愛を招待したお茶会。
王宮で開いているのだと思っていたのに。
「ちょっとそこの貴女!そんなみすぼらしい恰好で私達と同じ空間に入らないでくださる?」
蔑むような目が耐えられない。慣れているはずなのに……。
思い出す。あの日を。
「泣けば済むと思っているの!?」
「やめて下さい!!心音ちゃんは私の親友なんです。間違ってここに来ちゃっただけなので怒らないであげて」
「まぁ……!ユア様はなんてお優しいのかしら」
「平民でさえもっとマシな姿だというのに。あれではまるで……」
「あんなのがユア様と親友だなんて信じられません」
悪口を言われるのが辛いんじゃない。
私だって早く泣きやみたい。溢れる涙のせいで上手く喋れない。
立ち止まった私に影は追いついた。
伸ばされ、もう逃げられないように体に腕が巻き付かれる。
所詮は記憶。恐怖による残像にすぎない。
わかっているのに恐怖は拭えなかった。
私は強くはないのだ。怖いものを克服しようとしても、そんな簡単にいくものでもない。
「本当に醜いわね」
凛とした声の持ち主は艶のある長い黒髪をなびかせ扇子で口元を隠した。愛らしい友愛とは真逆の美しさを持った女性。
例えるなら、友愛は太陽でこの人は月。
静寂な夜を明るく照らしてくれそうな、そんな雰囲気が漂う。




