2(七話目)
そんな調子で家まで着けば、みんなを俺の部屋まで案内した。
「んじゃ何か飲み物とか持ってくるから。適当に寛いどいて」
「あっ、も手伝います」
「まじ? 助かる、ありがとうね」
「いっいえ、このくらいは、なんてことないので」
そんな健気な三莉を後目に、人のベッドに腰掛けたり、椅子を占領したりラノベや漫画の入った棚を物色している三人に目を向ければ、何気ない感じでこちらを見返してきた。
「俺らは寛いでるんで、お構いなくー」
「そそっ。おっこれ先月の新刊。金なくて買えなかったんだよなーこれ」
「そうでしそうでし。ゆっくりでいいでしから」
まるでこちらの意を汲もうとしない三人に、若干の諦めが浮かびつつも部屋を出て、台所まで行った。
「三莉さんは何か飲めないものある?」
「とくにはないですけど、コーヒーは少し苦手ですね」
「オッケー。やっぱり見た目通り」
「……わざわざ少し庇った意味を汲まない新城くんはあの三人と同列じゃないんですか?」
「はいっす! なんでもないですね! それじゃあオレンジジュースとかでもいい?」
「はい。それなら問題ないですね」
三莉の了承を得れば、冷蔵庫からオレンジジュースを出し、そしてカルピスも出した。
「それじゃあ、三莉さんはコップ持ってってよ。お盆もあるし」
「わかりました」
テーブルにお盆を出してコップを置き、俺はジュースを持った。
「それじゃあ、戻ろっか」
そういって部屋に戻ろうと三莉を先導させ階段を昇れば、スカートの丈が短い三莉だったが身長差で見ることは叶わなかった。
部屋に着けば、先ほどからは想像つかない光景が広がっていた。
「戻ったぞーって。お前らどうしたの?」
三人ともテーブルに教科書を広げて必死に勉強していたのだ。
「何って。初めに約束したじゃんかよ。俺らは勉強するためにこの集まりに参加したって」
言われてから、そういえばそんな約束をしていたなと思い出した。
というか、それがなかったらずっとあのまんまだったのかよ。
「まぁいいや。それじゃあスイッチも入ってることだし、このまま勉強しちゃおうぜ」
そう言って床に座ればテーブルに教科書を取り出した。
そして、少し遅れてから少し遅れてから三莉さんが俺の隣に座って教科書を広げた。
「……三莉さんって、俺の隣が定位置だよね?」
「んなっ!?」
珍しく変な声を出して驚いたように顔を赤らめた三莉。きっと、俺の隣には意図して座るようにしてたんだろうなぁ。
「べっ別に新城くんの隣がいいからとかが理由じゃなくて、一番進みの遅い新城くんに集中するために隣にいるだけなんですからねっ!!」
「おうおう、めっちゃ早口じゃん」
「――っ、もう教えてあげませんよ!」
「ごめんごめんっ、冗談だから面倒見てくれよー」
「おまっ、それ何も知らんかったらヒモがいうセリフじゃん!」
「うっせぇ! お前は黙ってがり勉やっとけ!」
笑ってくる右田宮に怒鳴れば、勉強を始めた。
三莉の作戦が功をなしたのか、いつも学校でやる勉強よりもしっかりと進んでいき、そして頭にも記憶されている気がする。
そんな感じで充実した勉強が進んだころに。
「んじゃ俺ら、そろそろ帰るわ」
「え? もうそんな時間か?」
言われて外を見てみれば、明るかった空に夕焼けが架かっていた。
「わかった。見送りは必要?」
「いや、相方さんは集中してるようだし。勝手に帰るわ」
右田宮がそういうと、他の二人を連れて部屋を出て行った。一分ほどで玄関の開閉音が鳴って家の中が途端に静かになった。
「……勉強、逆にできねーなこれ」
部屋が静かになれば今よりもっと集中できるだろうと思っていたのだが、逆に静かになりすぎて隣にいる三莉の存在感が増している。
「ねぇ三莉さん」
「……」
「おーい」
「……」
俺の問いかけを無視するように勉強に集中していた。
この部屋には二人っきりで、三莉さんは俺の声に気づかないほど無防備で。
「って、何考えてんだろ。とりあえずは再開するか」
スマホにアラームをセットすれば、勉強を再開した、
だが。そうやって再開できるものならば元から困ることはなくて。
シャーペンの音が。衣擦れが。息遣いが。
そして淡麗で整った横顔が目に入って。
「やっぱり、不釣り合いって、思っちゃう、よなぁ……」
シャーペンを置けば、頬肘をついて三莉の横顔を眺めていた。
*
私、三莉卯月はもしかしたら人生最大の分岐点に立っているのかもしれません。
勉強に集中して気づいたら、そこで新城くんがテーブルに突っ伏して寝ているんです。
「あ、あのー。新城くん?」
恐る恐る声をかけてみるが反応はなく、帰ってくるのはスヤスヤと気持ちよさそうな寝息だけです。
新城くんの無防備な横顔。普段は気づくことはないが、案外淡い顔立ちに、中々に男らしい唇。
どれもこれも普段は見ることのできないもので、謎の特別感に起こすことを躊躇ってしまっています。
「んっ、ぅおぉん」
「ッ!?」
ナンデスカ!! 反射で吹き出しそうになる笑いを堪えれば、その時には勉強のことは頭から離れていた。
「このまま何もしないっていうのは、何処か勿体ない、ですね」
そういうと、私の手が自然と彼の頭に伸びていた。
その手で髪の毛をかき上げるようにしてそっと撫でる。
髪自体は固いけど、それでもサラサラで、私のとは違う、男の子の髪の毛。
私、何考えちゃってんだろ。
でも、ここまできて引き下がれるほど欲求が薄くはなく。
「新城、くん……」
新城くんと同じように机に体を預け、顔をそっと近づけ。
髪の毛が触れるほど近くなっていた。
「ちゃんと勉強をしない新城くんに対しての、お仕置きですから……」
新城くんに多い被さるように肩に手を回して更に顔を近づけて。
直前まで進めば、静かに目を閉じて。
そして。
――ピリリリン! ピリリリン!
どこからかアラームの音が強く響き、私のキスは途中ながら中断された。
モソリモソリと動き出す新城くんの体に、私は立ち上がった。
背筋を伸ばすとかそういうレベルではなく、一気に立ち上がった。
「んぅ……。ごめん三莉さん、なんか寝ちゃってたみたい」
そう謝ってくる新城くんに、安心してそっと座った。
「気持ちよさそうに寝てたけど、最近は寝不足なんですか?」
「わかんない。多分、三莉さんがいたから安心しちゃったのかも」
そう言ってくる新城くんは上半身を起こせば、近くに置いてあったスマホのアラームを消した。
「安心って、私は他人ですけど?」
「身内じゃなくてもだよ。多分いい匂いだったからじゃないかな」
「そ、そうですか」
きっと寝ぼけているだけなのでしょうけど、本心で出てきた言葉ならと、自然と頬が熱くなるのを感じる。
それを言った張本人の新城くんはそれを考える素振りもなく背を伸ばして、立ち上がった。
「それじゃあご飯、食べに行こうよ。いい時間だし」
「あー、それなんですけど……」
私のスマホに着信があってみてみれば、お母さんが夜ご飯作ってあるから程々に帰ってきてね、ということで、そのままを私は新城くんに話した。
「そっか。それじゃあどうする? もういい時間そうだけど」
「はい。そろそろ帰ろうかなって思ってました」
私は自分のプリントを見た後、新城くんのプリントを見た。、
進みはまるで違うのだが、前に比べて間違いはなくなって、正解率が上がっている。
その進歩に、どこか安心して微笑みが浮かんだ。
「それじゃあ、私は帰ります。わかっているでしょうけど、私が帰った後もしっかりと勉強はしてくださいね?」
「おう。ここまできて赤点は恥ずかしいもんな」
「よろしいっ」
帰りの準備を始めるべく、プリントやシャーペンなどを纏めて鞄に入れた。
そして帰るために立ち上がれば。
「あ、待って。送っていくよ」
「……はい?」
「だから、もう暗くなっちゃってるから、家まで送ってくよ」
……はい?
私は人生初、男の人に帰り道をエスコートされることになってしまいました。
「……よろしく、お願いしますね?」
「任せといて。わざわざ来てもらってるからね。それくらいはやるよ」
私と新城くんは、二人で家を出ることになりました。
*
女性をエスコートするコツは、友達のお兄さんから教えてもらってるから平気なはずだ。
道路側を歩かせないとか、歩幅を合わせるとか、そういう常識的なものは当たり前で、必ず笑顔で接したり、安心させるように手を握ったり。
やれることはやっているつもりだけど、不安が募る。
どうして喋らないんだよぉ!
「しっかし、三莉さんのお母さんって優しいんだね。近くの駅まで車で迎えに来てくれるなんて」
「はい」
「俺の母さんなんていっつも顎で使わされちゃってさ」
「はい」
きっまずい! マ・ジ・で!
なんとなく、三莉がこうなっている理由はわかってる。
アラームが鳴る前の出来事だろう。
実は俺はアラームが鳴る前から起きていて、キスしようとしたこととか流そうと対応したけど、三莉の方はそれでも恥ずかしいらしく、このように生気の宿った返事が返ってこない。
こんな調子のまま街灯の照らす道を歩いていけば。
目の前の暗がりから足音が聞こえた。
「おっ、こんな時間に会うなんて、珍しいじゃん!」
そんな声が、輪郭しかわからない男からした。
俺は自然と身で隠すように立てば、三莉も気づいて俺に隠れるようにして腕に手を絡めた。
「あれ? なんか反応薄くない? って、そっちからじゃ見えないのか~」
そういうと、足音は走ったように近づき、足元から男の体は街灯によって照らされた。
高そうな靴に、黒のチノパン。どこかのブランドの白地のシャツにジャケットを羽織って。
そして顔が見えた瞬間に俺は警戒を解いた。
「なんだ、吾妻兄さんじゃん。変に脅かさないでよ」
「ごめんごめん。それでさ。ちょっと話したいことがあるんだけど……今はやめとくよ」
「あー、すみません。とりあえず三莉さんを駅まで送るだけだから。そこのコンビニで待っててくれれば」
「わかった。待ってるから忘れて帰ったりはしないでね。そしたら俺泣いちゃうから」
「大丈夫ですよ。それじゃあ自分はこの子送るんで」
「うん。それじゃあまたあとでな~」
吾妻兄さんと別れれば、そのまま手をつないで歩いていく。
先ほどの出来事があったおかげか、普通に話せるくらいになっていた。
「まさかあそこで知り合いが来るとは思ってなかったよ」
「そうですよ。突然目の前に新城くんが立ってくれて。怖いと安心が同時に感じた瞬間でした」
「あれ? それって俺はどっちの捉え方をすればいいの?」
「えーっと。頼りにされているって思っておいてください」
「ほー。ちょっと嬉しいわ」
「それならよかったです」
微笑みな顔を向けてきては、握る手を、少し強くしてくる。
「もうすぐで駅に着くね」
「はい。新城さんの家から近かったですね」
「近い方が何かと楽だしな」
ここの信号を超えれば、駅の入り口。ホームやターミナルとは違うところだが、明かりがあって人がいるというだけでなぜか安心する。
「もうお母さんついているのかな?」
「わからないです。それじゃあ新城くんはどちらがいいですか?」
「……正直な答えでもいい?」
「むしろ私はそれを所望します」
胸を張って言ってくる三莉に、より手を絡めるように握った。
「っ!?」
恥ずかしそうに顔を赤らめると、拒絶をせずに握り返してきた。
反対側の信号が変わり、そろそろこちらの信号も青になってしまう。
そんなときに。そんなときだからこそ
俺は口を開いた。
「俺はまだ一緒にいたい。一緒にいて、俺は君を独り占めしたい」
「……そんな回答が来るんだろうなぁとは予想してました」
平然と答えて見せる三莉だが、顔は嬉しそうに朱色に染まっていた。
丁度信号が変わり、俺は急ぎ足で三莉を引っ張った。
「ほら。一緒に答え合わせ。言ってみようぜ?」
「……ふふっ、そうですねっ」
「あれ? 何か今俺のこと子供っぽいとかって思ったりしました? しましたよね?」
「そういうところも、子供っぽくて、私は好きですよーっ!」
「こら! 女の子が好きとか気軽に言うんじゃありません!」
「なら気に言ってるの方がよかった?」
「それだと純情な男心がもっとくるすられるんだけど」
横断歩道を渡り終え駅を潜り抜け、三莉のお母さんが待っているであろうターミナルに着く。
駅を通り抜け、段差を下れば、その先にはターミナルが見えて。
「答え合わせは?」
そう聞くと、逡巡するような顔で、こちらに申し訳なさそうな顔を向けてくる。
その反応だけでわかってしまうあっけないことの結末。リアルなんてこんなものだろう。
心の中で理想との決別を告げるが、三莉の向けてくる表情を見ていれば、こちらまで悲しくなってしまう。
「新城くんは勉強と一緒でこっちのほうを苦手みたいですねっ」
あまり顔を作ろうとしないでくれ。震えている声でわかるから。
きっと三莉の心の色は、俺と一緒なんだって。
ちゃんとわかってるから。
慰めよう、そんな言葉を駆けようとすれば、近くに止まっていた車に背を預けていた女性が、「おーい」と声を上げながら手を振ってきた。
「あれが私のお母さん」
「そっか。三莉さんに似て美人だね」
「あまり人のお母さんを色眼鏡で見ないでほしいんですけどー」
「ごめんって。それに、調子を戻してほしくって」
そういうと、三莉はどこか情けない顔で手を離した。
「最後まで心配、かけちゃいましたね。すみません」
「謝らなくていいよ。それに、俺は三莉さんのことをいつでも心配したいから」
「……それは、どういう意味でですか?」
「それは……俺が三莉さんのことを――」
好きだから。
そのひところを言おうとした瞬間に、俺の視界には三莉に似たような女性が目に入った。
「あっれー? もしかして、これがうずのよく言う気になる人?」
「……新城さん。こんな状態で続きを求めるほど私は鬼ではないので何も言いませんが」
「おーいうずちゃーん? 迎えに来たお母さんにありがとうのスマイルはー?」
「でも必ず、続きを言ってほしいです」
「あれ? 顔赤らめちゃって。もしかして私お邪魔な感じ?」
「……どうも、卯月のお母さん。初めまして」
「うん! 初めまして! 君のことはよく娘から聞き及んでおります!」
「ちょっとお母さん! あまり余計なことに口を開かないでください!」
「えーでもー! 娘の彼氏になる人かもしれないんだよ? 知っておきたいじゃん!」
「もも、もう! 早く帰りましょう! おお母さん!」
「はいはい、わかったからっ」
宥めるように三莉の頭を撫でるお母さん。姿形は似ていても、やはり包容力が違う。いいお母さんなのだろう。
「それじゃ彼氏候補さんっ、何かあったらまたよろしくねー!」
「はい、わかりました」
きっと俺と三莉が一緒に何かして送ってきたというのも、何から何まで見抜いているのだろう。
手を振ってくるお母さんに会釈をすれば、車に乗り込んで颯爽とターミナルを抜けていく。
嵐のようなひとだったな。
「……さて、吾妻兄さんのとこに行くかぁ」
未だにうずく左手を淡く握りしめて、吾妻兄さんのいるコンビニへと向かった。