二話目
学校に通う俺の脚は、普段のそれとは見違えるほどのものだった。
今にでもスキップをしだすのではないかと思えるほどに足取りが軽やかだ。
理由は、俺の鞄の中に入っている本のこと。
入っている本はラノベではあるのだが、ただのラノベではないのだ。
そう、三莉に貸し出すためのライトノベルなのだ。
「もうすぐ学校だし、もう少し早く行ってみてもいいかな」
わざとらしく鞄を揺らしながら早歩きに変える。
軽快に進む景色に、俺の心は更に高揚を増した。
*
扉の前まで着いた俺は、どうやって開ければいいものかと逡巡を繰り返していた。
普通におはようと言って入ればいいのか、何も言わずに入るか、何か一発芸をするか。
当たり前に考えれば一番のはずなのだが、どうも緊張してしまう。
扉に進む手と、引き返そうとする思考。
キリがないままに幾分かの時間が経って。
「あれ? もしかして新城くん、だっけ?」
「え? う、うん。そうだけど……そういう君は那城くん、だよね?」
「ああそうだよ。あっでも、俺のことは優貴って呼んでくれ。苗字はちょっとくすぐたくってね」
くそっ、リア充オーラが眩しすぎっ、という風に微笑みが俺の目一杯に広がる。
「それで、新城くんこんなところで何してるんだい?」
「いやー、あの……。わかるだろ?」
「……うん?」
おいおい、そんな何言ってるのかわからなーいとかいうJDとかの嫌味反応をしないでくれませんか?
ムカついてこの場で逃げ出したくなりますよ。
「新しい環境で二日目の挨拶をどういうものにするか考えてたんだよ」
「あぁ。君は失敗が恥ずかしくて完璧を目指そうとしているのかい?」
「あれ? 君そんなこと言う人だっけ? 俺そろそろ泣いてもいいんだよ?」
「まさか、冗談だよ。ほら、さっさと行こうぜ?」
泣き真似で優貴を困らせようとする間に、素知らぬ顔でドアに手を掛ける。
「ちょっ、おまえっ」
慌ててそれを止めようとてを掴むが、関係は無し
可笑しなほどの勢いで一気に引き開けやがった。
「みんな、おはよう!!」
ドン! というドアの立てる大きな音で視線は一気に集まり、隣で堂々とする優貴に引け目を覚えるように小さく会釈をした。
「っうす」
初めこそみんなは反応よりも驚きの方が強そうな顔をしていたが、次第に状況を読み込んだものから次々と優貴の元へと集まっていく。
「優貴に新城くん、おはよっ!」
「というか二人で登校とかもしかして二人同中的な何かだったりして?」
優貴という人物が一人いるだけでここまで状況が変わり果てて。
なぜかその一番近くにいた俺までもが少し誇らしく思えてくる。
「み、みんなおはよう!」
「え、あ。うん、おはよう。それでさ優貴くん!」
だというのにまさかの空気。
俺の驚愕の顔を無視するように話しかける女に、それと会話をしながらこちらにウィンクを返してくるクソハンサム野郎。
あーあ。きっと俺に構ってくれる奴なんてみんな優貴のところに行っちゃうんだろうなー。
「じゃあなハンサム野郎」
「おう、冴えないラノベ系主人公」
自分から仕掛けたことながら、その返しに「うるせぇ」と内心呪っておいた。
俺は男女の山から寂しく抜け出せば、自分の席へと急ぐ。
窓際の端の列の、一番後ろ。
よく言われるのが窓際の列の後ろから一席手前というのがよく言われることなのだが、それでも俺はこの席で今は満足をしている。
「おはようございます。朝から災難でしたね、新城さん」
後ろに振り向いて微笑んでくれる三莉がいるからだ。
「三莉さんも、おはよう。まだ髪が乱れてるみたいだよ」
「え? どこかしら」
「……そこに手鏡があるというのに、異性の俺に三莉の髪を触れというのか? 思わず鼻血とかでちゃうぞ」
「ふふ。ちょっと揶揄ってみただけですよ。ありがとうございます」
微笑めば、手鏡を手に取ってはねた毛の箇所を探すように睨めっこをする。
だが、見つかることはなく、逆にわざとらしさも感じてしまう。
俺はため息を突いてジト目で見つめた。
「ん? なんですか」
鏡に俺の顔でも映ったのか、少し引き攣ったような顔でこちらに振り返った。
「それさ、わざとやって誘ったりしてるの?」
「ちっ、違いますよ! ただほんとに見つからなかっただけで」
「はぁ……ほら、頭をこっちに出して」
「え?」
「だーかーらー。髪触るぞって言ってんだよ」
「は、はい」
ちょっとちょっと、なんで先ほどまで乗り気だったあなたがこんなにも頬を赤らめているんですかねぇ。
ちょっとこっちまで恥ずかしくなってしまいますやん。
「ほら、動くなよ?」
「ん」
こちらに頭を突き出して愛を瞑る姿に若干の躊躇いを覚えつつも、そっと髪に手を伸ばす。
場所は後頭部の右部分。見えなくてもそりゃそうなのだが、いかんせん正面を向いているためにやりにくい。
「ここ、分かるだろ?」
「うん。お願いします……」
少し手先で跳ね毛を弄くり、今度は手の平で押し付けるようにして優しく手櫛で直す。
綺麗で艶やかな髪なのに、ここまで盛り上がるように毛が跳ねていることを考えれば、きっと激しい弄りに遭ったりしたのだろう。
そんなことを考えながら髪の毛を直していれば、いつの間にか俺の手の平は跳ね毛を直すものではなく、頭を撫でるものに変わっていた。
「あのぉ、新城さん。このくだりはもう何回かやってるので十分ですよ?」
「ごっ、ごめん。気持ちい手触りでちょっと夢中になってたみたいで……」
いつの間にか夢中になっていた手を除ければ、恥ずかしさのあまりに変な罪悪感が溢れてくる。
焦ったように顔が暗くなる俺を見てか、三莉は怒ったように膨らませた頬を一気に萎ませて笑った。
「冗談ですよっ。怒ってもないし嫌っていないですから。でも、ちょっとは反省してほしいですね?」
「分かってる。ほんとごめん……」
「はぁ……、違いますよ」
開きかけた顔を再度見下ろそうとした俺を、少し勢いの付いた両手で押しのけてきた。
起きた俺の背に、三莉は並ぶようにして歩いてくる。
そして丁度、肩が触れ合うぐらいの近さに。
「乙女にちょっとでも手を出したんですから、ちょっとだけでも責任、感じてね?」
あざとらしく頭を近づけてきた。
「あ、あの。俺にこれをどうしろと?」
「ほんとにもう。ヘタレにも程があるってもんじゃないんですか?」
「うぅ。ごめん」
俺がそういうと、「ほんとに謝って欲しわけではなかったんですけどね」とだけ小言で言えば、俺の隣から離れていく。
耳元から失った三莉の温かさに、若干の惜しさに伸ばした手が虚空を掻いた。
席へと戻る三莉の横顔と自分の虚しく舞った手を見返せば、自然と気分は黒く濁る。
何もなく冴えない自分と、美人で見栄えの良い彼女。
そんな風に羨んではいけないと片隅では思っていても、どこかで思ってしまうんだ。
きっとこれが、俺が彼女に感じる鼓動の正体。
劣等感なのだろう。
「あっ。そう言えばあれアレ、持ってきてくれましたか?」
「えーっと。ラノベのこと?」
「そうですそうです!新城さんさえよければ早速読んでみたいのですが……」
下手に出る三莉に、どこか他人さすら覚えてしまう。
他所他所しく臆病になってねだる三莉は、今まであまり友達などとこのように貸し借りをしてこなかったのだろう。
「うん。全然いいんだけど……だけどさ、ほんとに大丈夫?」
「前にも言ったけど、私は本を読むことに関しては得意なんだから。甘く見ないでほしいですねっ」
違うんだよ。結構誇らしげな顔をして言ってきているけど、そういうことじゃないんだよ。
俺は鞄の中に入れたラノベに、億劫ならがも手を伸ばす。
表紙には二十歳にもいかない少女が、所々布の欠如した服で淫靡な恰好をしているのだ。
三莉から聞いた話によれば、今は堅苦しいような本ばかりを読んでいるらしく、ラノベのように思春期向けの要素は一切とないのだ。
そんな女の子に、このようなエロ本ともとれるような本を渡してしまっても良いものだろうかと、俺の良心と罪悪感が……あ、あと両親の顔も浮かんできた。
ねぇねぇ早くと言わんばかりに目を光らせている三莉に、俺の腕は逆らうことを良しとしない。
じりじりと向けられる視線に、俺はただ腕を動かした。
ええい、儘よ!! そしてすまん親父!
「実はこんな感じの表紙なんだけど……大丈夫?」
「……」
「あのー、三莉さん?」
「……なにかしら」
「現実逃避のような言葉とその冷たい視線をやめたら手に持つ本をそっと返してくれないかな?」
「あら。どうして返す必要があるんですか? まさか。私が表紙の印象に食わず嫌いをするとでも思っているんですか?」
「うわー。何この食い気味な面倒くささ」
俺がため息まじりで笑うと、三莉も笑う。
さっきまで心配をしていた思いは三莉の笑顔ひとつで綺麗に吹き飛んでしまった。
受け入れてもららったことに対してなのか、心の底から溢れるような嬉しさが子供のように思え、すこし恥ずかしい。
けど、ちょっと嬉しい。
「あっ。私もって本持ってきていたの忘れていましたね。どうぞ、これです」
そういって渡してきたのは、表紙には厚手の紙で、横からでもページ数がラノベの三、四冊分程あることが分かるほどの厚さで……。
読む前から重てぇ……。
「あれ? もしかして私に表紙がエッチなやつを読ませようとせがんできたのに、それなのに新城さんは私の本を読んではくれないのですか?」
「あれ? ねぇちょっと怒ってる? おこですよね?」
「いいえ? ただここでセクハラって叫んだらどれだけ楽しいことになるのかなって考えてるだけですよ?」
「うわー、これ絶対「私怒ってないよ? 怒ってないって言ってるでしょ!」ってやつじゃん」
はぐらかそうと冗談を並べてみれば、三莉は頬をむっとさせるように膨らませて可愛い顔になった。
「冗談だよ。そんな可愛い顔しても怖くないし。それに本は読むって約束したしな」
「……うん。わかってるなら、いいんですけど……」
「あれ? もしかして照れちゃった? あれ? 絶対照れちゃってるよねぇ!」
「うっ、うるさいですよ!?」
「ほらほらー、薄情しちゃえよぉ」
「だーかーらー。うるさいです!」
目を睨みを利かせて、肩を大きく広げて腕を振りかぶって。
「――あっ……」
周りの視線が一瞬で収束し、教室内がシンと静寂に包まれた。
「そ、そのっ……っ」
ごめんなさい!
そんな言葉を、俺は言わせなかった……いや、言わせたくなかった。
だって俺のせいだから! だから、だから……。
「左を叩かれたならば、右も差し出す! さぁ! もっとぉ! 私を叩いてぇ!!」
気持ち悪く腰をくねくねと左右に揺らし、ワザとらしく右の頬を差し出して三莉に叩くように催促する。
その姿はまるで遊んでいるようで。
――なんだ、遊んでただけじゃん、と。
すぐに教室は喧騒に包まれて。
ありがとう。
そう口を開いた三莉に、俺は更に腰を震わせた。
「ほら、もっと……これを収束させてほしいんだけど……」
「自業自得じゃないですか? あと、すごい気持ち悪いですし」
「ちょっと彼女ぉ、冷めすぎじゃなーい?」
プリプリプリとケツを二、三回振れば、猫のような撫で声を出してみる。
出来栄えは自分でも笑ってしまうようなものだったが、それでも三莉は嗤うことはなく。
「ホームルームはもう始まっているぞ? 新城」
「ひゃうっ」
俺の真後ろから威圧的な声と共に、振っていたケツを両手でがっちりと握られた。
ニギニギとまるで尻の感触を覚えるかのように執拗に握られ続ける尻は、いつしか恐怖の文字が刻まれていた。
「お前は少し熱くなり過ぎだと思うのは、俺だけか?」
「い、いえっ! 自分でも羽を外し過ぎていたと感じていますっ!!」
背に流れる冷や汗の感覚に身を任せ、ただただ声の出るがままに言葉を紡いだ。
さながら気分は、戦闘物の作品に出てくる悪役の命乞いをしているようなものだ。
先生は何度か尻を揉めば満足し、パっと俺の尻から手を離した。
「なら、罰として放課後の書類整理、やってくれるよな?」
「はい! 喜んでやらせていただきますっ! ……ってえ? 今なん、て……」
「いやぁー、助かったよ! 今日はどうにも外せない用事が入ってたからねぇ。君が学校で虚しく書類整理をしている時には俺は麗しきレディとのディナーを楽しんでいるころだろうねぇ!」
耳元に口を近づければ、皮肉なまでに「感謝してるぜ?」と煽ってくる。
入学して早々だったためにこの先生がこういうキャラであることを知らない俺はただ謝ることしかできないところに付け込んで来て。
せっこ! めっちゃ卑怯じゃね!?
「おいおいそんな怒んなって。元はお前が俺の授業を受けないような態度をしていたからだろう?」
牙を向く俺に、先生は小型犬でも宥めるかのような扱いで軽く頭を叩いてくる。
手を素早く振り払おうとするも、払える直前で予測していたかのようにタイミングをずらして叩いてくるのだ。
「もうわかったよ! 早く授業を始めてくれぇ!」
「ふふーん。元よりそのつもりさ」
バン! と立ち上がる俺を他所に、それすらも予測していたようにスーツの袖を翻して黒板へと向かっていた。
してやられた、という感情と、周りから見つめられる視線に顔を羞恥に染めながら静かに座る。
「先生、まるで新城くんのことを飼い馴らしているようでしたね」
「卒業までには喰らい掛かってやればいいんだよ」
笑ってくる三莉に、俺は拗ねたように顔をそむける。
その反応に、三莉はさらに面白がるように笑い声がこぼれた。
「先生の方が何枚も上手ですけど、どうにかできるんですかぁー?」
「な、なんだよ。三莉まで俺のことを馬鹿にしてくるのかよ」
「それは心外ですよ。ただの友人ジョーク、ですよ」
「友達ジョーク、ね」
「仲良しジョークがよかったですか?」
子供を遊ぶようにいじってくる三莉に「馬鹿言え」と区切りをつけた。
だって先生の目が怖いんだもん。
先生黒板で俺ら後ろなのに、まるで鋭い目つきが向いてるかのような感覚があるんだもの。
「えー、それじゃあ授業を始める前に自己紹介からってことで。黒板に書いた内容を一読はすること! 因みに、先生の個人メールが欲しい人がいたら、可愛く強請ったらくれてやらんこともないからなー」
まるで遊ぶかのような先生の言葉に、周りの生徒は「パパ活じゃん」や「へんたーい」などという歓迎するような黄色い声が飛び交っている。
「俺の名前は|充嗣〈みつぐ〉浅葱〈あさぎ〉。趣味は女遊び、彼女は常に募集中で、担当科目は今回の現代文と日本史だ。それ以外に質問はあるかー」
「何歳ですかー!」
「そこの君! えーっと、戒吹くんかな? 実にいい質問じゃないかよぉ!」
おふざけ半分で質問した戒吹にとっては、読めもしない切り返しであり、咄嗟なことで顔を惚けさせるも、すぐさま喜んだように顔を崩す。
「俺の年齢は、今を生きる27歳だ!」
若い、のか……?
そんな疑問を心の内にしまえば、数分も経たずと授業が始まった。
やはり内容は濃く、そして早い。
ほんの少し背伸びしてはいったけど……。
「やる気、でるわぁ……」
黒板に書かれた内容を頭で理解し、自分なりにノートに纏めていく。
たったそれだけの行為のはずなのに、情報量が多いせいで纏めていけば纏めていくほどピースが嵌っていくような感覚で題材の根底を暴いていく。
そんな感じがして。
「それじゃあ今日はここまでだ。終了まであと10秒。よし、日直!」
「はっ、はい!?」
日直の子が、突然のことで声を上げていた。
それは俺もだ。
いつの間にか時間が過ぎているような感じで。
それでも内容はしっかりと頭に入っていて。
「起立――」
日直の声とともに体を動かし、礼をし終わった刹那に、チャイムが鳴った。
「俺の授業に関心を持った可愛い子ちゃんは、あとで連絡先、教えてくれたっていいんだぜっ!」
帰り様に手を振ると歓声が上がり、背中に満足感を醸し出しながら教室を出ていく。
授業が終わり先生がいなくなった後の教室でも、先生の話題で持ち切りの状況だ。
現に俺も、先生の授業に対して感激を覚えていた。
「三莉さん。さっきの授業どうだった?」
「どうでしたって。それはちゃんと理解できているかどうかということですか?」
「そうっちゃ言やそうだけど。なんかすげー分かりやすくなかった?」
「そうですよね。知らぬ間に内容が理解できていて。滑り止めで受けた高校だからと高を括っていたのが恥ずかしく思うくらいですよ」
どこか言葉に角を付けたように言う三莉はこちらに向かずにノートに筆を走らせていた。
「あれ? なんか怒ってる……? てか三莉さんここ滑り止めで受けたんだ。それじゃあ落ち――」
「落ちてはないですよ。ただ嫌な人がいたのでそれを避けてきただけですので」
「食いつき凄いな!? 三莉さんがそこまで言う奴ってどんな奴だったの?」
「どんな奴、ですか……」
考えるためにノートに走らせる手を休めれば、難しそうな声で唸りだす。
悩むようにシャーペンをノートに二、三度突き、、突然と後ろを向きだした。
「悪く言えるところは私のことを好きすぎて困るくらいのイケメンですね」
「……それ嫌な奴なの?」
「みんなそう言うんですよね。実際に付き纏われれば、うざさも周りの目にも嫌になるし。デメリットが多いっていえばわかりますか?」
「あー、オッケーオッケー。その眼の色を見れば大体は察せれるよ」
少しばかり重い話になったようなものを、咳払いで誤魔化す。
三莉はどこか苦手そうな顔をするし、俺も息が詰まったように言葉に重みを感じてしまう。
「な、なぁ」
「なんですか?」
「結局はさ。その男のことは好き、なの? ……好きだったりとかさ?」
何か会話は無いかと探って口から出たのはこれだけという俺の低能さに悩まされる。
「それをこの空気で聞けるのって、すごいことですよね?」
「あれ? もしかして結構深い地雷踏み抜いちゃった?」
「地雷ってほどじゃないですけどね」
ほんとにこの俺の低能さと言ったら。
十年ちょっと前に俺を生んでくれた両親にもっと上質な子種を恵めと手紙をバックなフューチャーで送っておこう。
「なら聞くけどさ。結局どうなの?」
「好きじゃないですよ、全然。むしろ嫌いって言えるほどに、ですよ」
「嫌いって、すんごい大きく出だな」
「嫌いって思える過去があったんですよ。それより、次は移動教室みたいですよ」
促されて辺りを見渡してみれば、クラスの半分ほどはすでに移動しており、残っているものも準備をしていた。
「そうだな。後でまたなんか掘り起こしてもいい?」
「素直に私と“楽しく”お喋りをしたいって言ってくれたならいいですよ」
「うーん……やっぱりまだ怒ってるでしょ?」
「さぁ? 私は準備ができたので先に行ってますね」
「あっ。おう」
突き放すような態度で席を立てば、足早に教室を出ようとする。
やっぱり怒らせてしまったか、と内心後悔を抱いてしまう。
「なぁなぁ新城。早速彼女でも作ったのか?」
「なんだ優貴。彼女のかの字もない中学生活を卒業してきた俺にそんな言葉かけちゃってもいいんですかねぇ」
「それは、その……謝っても大丈夫?」
「ダメに決まってるだろ。せめて笑い話にでもしろや」
俺がそう言えば、優貴は面白がったように笑う。
一呼吸置けば、場を整えるように咳払いをして俺の机に手を乗せてくる。
「それじゃあ仕切り直しで……。なぁ新城」
「どうしたブラザー」
「早速、彼女でも作っちまったのかい?」
「まさか。これがソレに見えたのなら、きっとお前の脳みそと眼窩ん中は甘いシロップが詰まっていることだな」
「そりゃひでぇ言い分だぜ。それより、喧嘩でもしちまったのか?」
「まあな。ちょっとした地雷をな。プロとして情けない限りだぜ」
「衛生班が必要か?」
「……」
「どうしたブラザー? ……くそっ、こんな時にジャミングかよ!?」
「……」
「応答っ、してくれよぉ! お前の一言を! 助けてくれでもなんでも! たったの一言だけで俺はッ!」
「……今まで、楽しかったぜ」
「言うなよ! 俺はそんな言葉を望んでなんかいない! 俺はっ……俺はぁ……っ」
「……」
「おいっ、目を覚ましてくれよぉ!!」
「……」
「……」
無言が流れる。
当然と言えば当然なのだが、いかんせん優貴の頭のねじが飛んでいるような子だったらしく常識が通じなかったのだ。
「これいつまで続けるんだい?」
「そんなもん俺に聞くなよ。」
そっちが勝手にやり始めたんだろ。と締め括り、俺は教材と筆記用具を持って立ち上がった。
「ちょっと待って。俺も一緒に行く」
「はぁ……。だったら早く準備しろよ」
「さっすがー! 面倒見がいいことだな」
「まぁな」
優貴を急かすように俺はドアの外に出てみると。
「……おっ?」
「……遅いですよ」
少し前に教室出たはずの三莉がドア近くの壁に寄り掛かっていた。
教材を胸の前で小さく抱え、こちらを間が悪いよう顔で覗いてくる。
「……なんですか?」
「いやぁ? べっつにぃ」
「むぅ……。なんかすごい馬鹿にされているような気がしているんですけど」
「結構なかまってちゃんなんだなぁって思っただけだよ」
「もう! それが馬鹿にしてるって言うんですよっ!」
ごめんごめん、と顔に笑みを浮かべながら近づければ、軽い動きで壁から背を浮かばせる。
「ほら、行きましょ?」
「あー、ちょっとだけ待ってもらってもいい?」
そのまま歩き出そうとする三莉を呼び止めると、困惑した顔を向けられた。
「忘れ物でもしましたか?」
「いや。ただ、もう一人くるってだけだよ。そろそろのはずなんだけどな」
「そうですか……」
明らかなほどの落ち込んだ顔をすれば、気づかないくらいのため息とともに体を脱力させて拗ねるように壁に背をもたれる。
おいおい、そんな落ち込んだような顔をしてくれるなよ。
唇を尖らせる三莉に、声をかけようとする俺の口は気まずさで開かない。
なぜなら今の三莉からは、はなしかけるなオーラがすごい溢れているのだ。
もしこんな状態で優貴が来たりなんてしたら、きっと大変なんだろう――。
「あっ、おっまたせー!」
「……なーって思ってたんだけどさ、なんなのほんとに。カラオケの時と言って俺の思い浮かべるフラグとかを毎度回収してくれちゃってさぁ」
「えっ? なになに……?」
俺の突然な言い分に、戸惑った顔のままで理解しようとしてくる。
ほんとそういうところだよ、リア充っつうもんは。
「三莉さーん。優貴も来たところで早速行こうぜ?」
「待ち人はその人でしたか」
「あれ? なんか卯月ちゃんに嫌われちゃってる?」
「気軽く名前で呼んでるからじゃね?」
「あれ? 新城くんはまだ苗字読み?」
「悪いかよ、けっ」
三莉の方を見てみれば、確かに優貴に名前で呼ばれて不機嫌になっている、ということはなく、むしろ優貴が現れた時点から嫌っていたといえるものであり、名前読み以前の問題というところだ。
「ねえ卯月ちゃん。俺何かしたっけ?」
「……忘れた、なんて言わないでほしいです。あたなが昨日のカラオケで私に恥をかかせたことを」
「あれ? それ怒っちゃうとこなんだ。俺卯月ちゃんが歌うまいって聞いててそれならって思ったんだけど」
「……はぁ」
「迷惑、だった……?」
「いいですよ、もう。過ぎたことですし許してあげます」
「ほんと!?」
驚くと同時に、優貴は俺の肩に組み合わせてきて「やったぜ」と嬉しそうに笑顔で伝えてくる。
先ほどまで凍えるほどの視線を送ってきた三莉でも、これほどまで喜ばれたら無表情ではいられずに、表情を柔らかくして微笑んだ。
「ほら新城さん。那城さんが来たから移動するのでしょう?」
「そうだったそうだった。ほら二人とも、行こうぜ!」
忘れてたといわんばかりに取り繕って先頭に立てば、それに続くように三莉と優貴が小走りで着いてきた。