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カゾクアイ  作者: 紀章櫻子
第二章
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60話 色水

前回のあらすじ:結ちゃん家出


「結!」


 康の声といっしょに大きな足音が近づいてくる。

 わたしは息をひそめて体を小さくして壁にくっつく。

 ちらりと見えた康は、わたしに気づかず急いで階段を降りて行った。

 完全に康が行っちゃったのを確認してから、わたしはふぅっと息をついた。


 家を飛び出してすぐ、後ろで忍と康の声と足音がした。

 忍も康も足が速いから、わたしが全力で走ってもきっとすぐ追いつかれちゃう。だから、階段で3階から2階まで降りた後、1階には降りずにそのまま2階のろう下に潜んでみた。

 そしたら、うまくいって、追いかけてきた康は私に気づかずマンションの外に出て行った。


 康には申し訳ないけど、今は1人になりたいから。


 ほっとしながら立ち上がって、エレベーターに乗る。


 ……忍の手、たたいちゃった。バカって言っちゃった。


 悪いことをしたって気持ちがじわっと胸に広がるけれど、一方で「でも忍だって悪い」ってムカムカする気持ちもわきあがってくる。


 忍はいつもわたしのこと大好きって、大事だよって言ってくれた。だからわたしもそれを信じて、忍はこれからもずっといっしょにいてくれるんだって、忍はわたしのこと捨てたりしないって思ってきたのに。


 今さら、わたしのおとうさんって人が出てきただけで、そんなあっさりわたしを手放そうって思えるんだ。


 1階に着いて、エレベーターを降りる。

 ロビーとオートロックを通り抜けて、外に出る。

 康がれいちゃんの家の方に行ったのは見えたから、反対方向に行こう。


 てくてくと暗い道を1人で歩く。


 「家族だと思ってなかったの」って聞いた時、忍は本当に意味が分からないって顔をしてた。

 まるで、考えてもみなかったって顔。


 忍にとって、わたしは家族じゃなかった。

 忍は本当にわたしの「母親代わり」として、仕事みたいにわたしと接してくれていたのかな。

 いっぱい色んなところに連れて行ってくれたり、いっしょに料理したり、遊んだり、優しくしてくれたりたまに叱ってくれたのも、全部義務だと思ってたのかな。


 あの日、わたしを引き取るって決めたときから。


 何もおかしくはない。

 むしろ、忍がたまたま迷子で泣いている見かけただけのわたしを育てるって決めてくれたことの方がおかしいくらいだ。

 1度引き受けたことだから、って義務感だったとしても、ここまでわたしを育ててくれたこと自体、奇跡みたいな優しさだってこともわかってる。


 ちゃんとわかってるけど……


 わがままな自分と冷静な自分の声ががぐちゃぐちゃに混ざって心に沈む。


 のどの奥がぐっと熱くなって、じんわりと視界がぼやけた。せり上がってきた熱がこぼれてしまわないように顔を上げて、さっきよりも大股でずんずん歩く。


「あれ、結ちゃん?」


 不意に、後ろから声をかけられた。

 びっくりして振り向くと、そこには目を丸くした朱音ちゃんがいた。


「こんな時間に1人? もう暗いよ。忍は?」


 朱音ちゃんが、きょとんと首を傾げる。

 「忍は……」と答えようとして、のどが詰まった。

 こぼすまいと耐えていたなみだの防波堤がとうとう決壊する。


「あかね、ちゃ、……」

「ええ!? どうしたの!?」


 朱音ちゃんのすそを掴んで、わたしは、赤ちゃんみたいにわあわあと声を上げて、夜の街中で泣いてしまった。




「うん、そういうわけで今結ちゃんはうちにいるから。……うん、話は大体聞いた。明日は休みだし、今日はうちで預かるよ。……忍、心配なのもわかるけど、いったん2人とも考えをまとめる時間を取ったほうがいいよ。いや、忍の心が決まってるのはわかるけど、忍もそれを伝える言葉を考えた方が……」


 電話で話している朱音ちゃんの声を聞きながら、いれてもらったココアを飲む。

 ココアはあまくてあったかくて、じんわりと心にしみこんだ。

 ついでに、湯気もさっきまで泣いてた目にしみこんでいく感じがした。

 鼻をすすっていると、電話を終えた朱音ちゃんが戻ってきた。

 朱音ちゃんはわたしの向かいのいすに「よいしょ」と腰かけて、ふくらんだお腹をぽんぽんと優しくたたく。


「……いつ生まれるんだっけ」

「んー、あと2,3カ月かなぁ。順調に元気に育ってるよ」


 朱音ちゃんのお腹には今、赤ちゃんがいる。男の子らしい。

 わたしもこうやって生まれたというのはわかるけど、このお腹のふくらみに赤ちゃんが入っているって思うと、なんだかふしぎだ。


「結ちゃん、今日はうちに泊まっていきなね。もう夜も遅いし、忍には連絡したから」

「……うん、ありがとう」


 ココアに口をつけるふりをして、こっそり朱音ちゃんの顔をぬすみ見る。


 お腹の中のわが子を見るお母さんの目って、みんなこんな優しいのかな。

 愛おしさがあふれてるみたいな、あったかい目。


「ねえ、朱音ちゃん」

「んー、なあに、結ちゃん」


 わたしの声に、朱音ちゃんがこちらを向く。

 違う。わたしに向けてくれる朱音ちゃんの声も顔も、たしかに優しいけど、やっぱり何か違う。


 思わず、声に出して聞いていた。


「なんでどんな子かもわからない子を大事にできるの?」


 子どもができて、朱音ちゃんは変わった。

 前はもっと元気いっぱいの明るいお姉さんって感じだったけど、今は少し落ち着いた、でも、もっと優しくて頼もしい雰囲気になった。

 なんとなくだけど、朱音ちゃんはきっと、何があってもお腹の子どもを守ろうとする。


 どうしてそんなことができるの?


「もしかしたら、すっごく悪い子かもしれないよ」


 わたしの言葉に、朱音ちゃんは少し目を見開いた。

 しん、とした空気になって、わたしはやっと言っちゃいけないことを言ってしまったことに気がついた。


「ご、ごめんなさい!」


 最悪だ。

 すっごく悪い子かもしれないなんて、朱音ちゃんだけじゃなくてお腹の赤ちゃんに聞こえてたらどうしよう。

 まだ生まれてきてもない子なのに。


 嫌な汗がじわりと吹き出て、心臓が早く、うるさくなる。

 うつむいて、朱音ちゃんの顔を見れない。


 わたしはなんて嫌な子なんだろう。

 それじゃ、おかあさんに捨てられたのも、忍に家族だと思ってもらえなかったのも当然だ。

 1番の悪い子は――わたしだ。


 収まっていた涙がまたせり上がってくる。

 やだやだやだ、わたしが泣いちゃダメだ。泣いてごまかそうとしてるなんて思われたくない。


「んー、悪い子だったらかぁ」


 聞こえてきたのは、予想していたのとは全然違う、のんびりとして明るい声だった。


 顔を上げると、いたずらをたくらむ子どもみたいにどこか楽しそうな笑顔と目が合った。


 あ、この顔、知ってる。

 朱音ちゃんたちに子どもができる前、よく一緒に遊んでた時の、明るくてパワフルな朱音ちゃんがわくわくしてるときに見せる笑顔。


「そりゃあもちろん、家が大騒ぎになるんだろうなぁ」


 想像したのか、朱音ちゃんは声を出して笑う。


「もうさ、今から何となく予想できるんだよね。お腹にいる時点で大暴れだしさ。あたしも――なるべく気をつけたいところだけど――忍みたいに冷静に物事が見れるタイプじゃないから、たぶん1番大変なのは真翔になるね」


 わたしも想像してみた。

 大きな声で言い合いながらわちゃわちゃと攻防する朱音ちゃんと小さな男の子、そしてそれを苦笑いで止めに入る真翔さん。あ、男の子が真翔さんに泣きついて、なんでか真翔さんが朱音ちゃんににらまれてる。

 失礼だとは思いながらも、簡単に思い浮かんで笑みが浮かぶ。


 そんなわたしを見て、朱音ちゃんは「でもね」と続けた。


「『悪い子』は絶対に生まれないと思うんだ」

「え?」


 彼女はお腹に目を落とし、優しくなでる。


「はじめっから悪い子なんていないよ。どんな子になるのかは親……ううん、育て方次第」


 考えたことがなかった。

 良い子悪い子は、その子本人の問題じゃなくて、育て方?


「もちろん、全部が全部親のせい、育て方のせいって言うわけじゃないけどね。この子が大きくなって、あたしたちの目の届かないところでどんな人と出会って、どんな影響を受けるかはこの子次第だけど」


 朱音ちゃんがちょいちょい、と手招きする。

 呼ばれるまま側に行くと、朱音ちゃんはポン、とわたしの頭に手をのせた。


「どういったことはしちゃダメ、人と接するときはどうするか、人の気持ちを考えるとか、そういう常識というか……その人の根っこの部分にあるようなものを作るのは、特に子どもは、良くも悪くもどんな環境で育ったか、どう教え育てられたかに染まりやすいんだよ。だから、あたしも真翔も、どんな性格の子が生まれたって絶対大事にするって決めてるんだ」


 乗せられた手が優しく動く。

 悪い子なのは、子どものせいじゃない……。


「人の内面って、絵の具を落とされた水みたいなものだってあたしは思う。どんな環境で、どんな人と出会って、どんな経験をするか、いろんな色の絵の具を落とされて、たまにかき混ぜられたりして、その人の色に染まってく。生まれたばかりの子どもはね、その水がまだ透明なの。だから、少しの絵の具ですぐに色が変わっちゃう」


 透明の水の中に、オレンジ色の絵の具が落とされて、暖かい色が広がるイメージが頭に浮かんだ。


 もし、わたしが生まれながらの『悪い子』じゃなかったなら。

 もし、本当にどんな環境で育ったかが今のわたしを作ってるなら。


「でも、それならやっぱり、わたしは悪い子だね。透明の水が染まりやすいときに、()()おかあさんに育てられたんだもん」


 不意に、朱音ちゃんがわたしを引き寄せた。

 肩をぎゅっと抱きしめられて、わたしのお腹が彼女のふくらんだお腹に触れた。


「結ちゃん、するどい! でもね、それも違うんだよ」

「え」


 明るい声の意味がわからなくて、声が漏れる。

 朱音ちゃんはまだわたしの頭をなで続けながら言った。


「透明の水はね、たしかにみんな最初は透明だけど、水質は違うんだ。どんな温度か、どんな成分が多く含まれているか――硬度って言うんだけどね、それによって染まりやすい色や種類の絵の具、混ざり方が変わってくる」


 少し難しくて首を傾げると、「たとえば」と続けてくれた。


「叱るよりほめて伸ばそうと思った人が、子どもをたくさん『よくできたね』ってほめるとするでしょ。そしたら、ある子は思った通り『もっとほめられたい! 次もまた頑張ろう! やってみよう!』ってなんでもやる気を出して頑張る子になるかもしれない。でも、ある子は『次も失敗しちゃいけない』って成功した分逆に失敗を怖がっちゃう完璧主義な子になっちゃうかもしれない。これはその子の性格次第なんだけど、そこが悪いなんてことはないでしょ?」


 わたしは黙ってうなずいた。

 なんにでも挑戦することも、完ぺき主義で慎重になっちゃうことも、別に悪いことじゃない。


「結ちゃんは、あたしから見てすっごくいい子なんだけどね、それってたぶん、お母さんにひどいことをされても『人に期待しちゃいけない』とか、『友達や他の人にお母さんと同じようなことしていいんだ』っていう、いわゆる『悪い考え』に染まりにくい性質だったからじゃないかな。それって、とってもすごいことだと思うよ」


 たしかに、おかあさんにされたことを、当然だと思ってはいたけれど、誰かにしてやろうって思ったことはなかった。


「わたし、ずっとおかあさんに構ってほしかった。笑ってほしかった。ほめられたかった。だから、おかあさんが大人しくして、静かにしてって言うのも聞かずに追いかけて話しかけたの。それも、悪いことじゃない?」

「まったく!」


 わたしの問いかけに朱音ちゃんがすぐに首を振る。

 肩に回された手は、まだ力がこもっている。


「きっと結ちゃんは、お母さん大好きって気持ちに染まりやすかったんだね。結ちゃんのお母さんも見る目がないなぁ」


 こんなに素敵な娘さんだったのに。

 朱音ちゃんの声は、少し怒ってるようだったけど、わたしに触れる手は優しかった。


「……ねぇ、結ちゃん」


 朱音ちゃんが改めてわたしの名前を呼んだ。

 少し体を離して、間近で視線が交わる。


「結ちゃんはずっと自分が悪い子だって思ってきたみたいだけどね、本当に悪い子は自分が悪いってことに気づかないよ。それに、結ちゃんの透明な水を染めたのは結ちゃんのお母さんかもしれないけれど、その後だって、今だって結ちゃんはまだ子どもで、まだ染まりやすいことに変わりないんだよ。むしろ、物心がついてからの方が変わりやすいの。その時期に、結ちゃんの1番近くにいたのは誰?」


 そんなの、決まってる。


「忍」


 忍に手を引かれて忍の家に行った日から、忍のご飯を食べた日から、わたしの毎日には必ず忍がいた。

 この人みたいになりたいって本気で思えるすごい人。

 すぐに自信をなくしちゃうわたしに、何度も何度も『大好き』を伝えてくれた人。


 そうだ、忍にとってわたしは家族じゃなかったとしても、わたしにとって忍は家族よりも大事な存在だってことは変わらない。

 それにね、本当は気づいてた。

 わたしが手をたたいちゃったとき、忍は泣きそうな顔をしてた。家族じゃなくても、忍にとってもきっと、わたしはすぐに手放せる存在なんかじゃない。そう信じたい。


 朱音ちゃんはわたしの顔を見て微笑んだ。

 

「忍はさ、しっかりしてるようで本当自分の気持ちを伝えるのはドへたくそだからさ。じれったいかもしれないけど、結ちゃんが根気強く聞き出してあげて。あの子、結ちゃんに関しては絶対にウソは言わないから」


 強くうなずくと、朱音ちゃんはまたわたしを抱き寄せて頭をなでてくれた。

 忍の少しひんやりとした手とは違う、あったかい手。

 わたしの中にあるお水が今どんな色をしているのかはわからないけれど、きっと今、朱音ちゃんみたいな明るくてあったかい色の絵の具が広がってる。


「あのね、朱音ちゃん」

「うん?」

「お腹の中の赤ちゃんも。さっきは、悪い子かもしれないなんて言ってごめんね」

「あはは、うん、大丈夫だよ」


 不意にお腹に小さな衝撃があった。

 びっくりして朱音ちゃんから体を離すと、少しして、朱音ちゃんが吹き出した。


「あははははっ うちの子も『気にすんな』だって!」

「えっ」


 朱音ちゃんに手を引かれるままに大きなお腹に触れると、しばらくしてまた、手に衝撃があった。


「朱音ちゃん、これって……」

「言ったでしょ、うちの子、元気いっぱいなんだ」


 そう言って笑う朱音ちゃんは、優しくて、ほこらしげで、嬉しそう。


 たしかにそこにある命の感触がすごく不思議で、でもなんだか感動して、真翔さんがお仕事から帰ってくるまでわたしは朱音ちゃんのお腹に触れていた。

 

本当に本当に大変長らくお待たせいたしました。申し訳ありません。

久々の朱音が赤ちゃんを宿して登場です。真翔さんは育休を目いっぱい取るために仕事を終わらせるべく、泣く泣く働いてるんだろうと思います。

これからもマイペースに投稿していきますが、今回ほど長く空けることはないように気をつけます。

ここまで読んでくださり本当にありがとうございます。

次回も気長にお待ちいただけると幸いです。

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