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カゾクアイ  作者: 紀章櫻子
第二章
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59話 覚悟


 結の父親を名乗る男性が現れたとき、もう先延ばしにはできないと思った。

 それでも小さな希望にすがって、結に問うた。

 結が彼を自分の父親だと答えたとき、絶望した。


 ああ、ついにこの時が来たんだな、もう逃げられないんだなって。


 私はあくまで保護者であって、結の母親ではない。

 どう頑張ったって、血のつながった本当の「家族」にはなれない。


 正直、田辺さんの話全部に納得しているわけではない。

 いくら結が小さかったからって、本当に結が大事なら結の母親に連絡して近況を聞いたり、長い期間を開けつつ継続的に結と話す機会を設けるなりして、大きくなってから事情を話す、というやり方だってあったはずだ。

 そうしたら、結の母親が結にどんな風に接しているかもっと早く気づいて、結がデパートに置いてけぼりにされるなんてことはなかったかもしれないのに。

 あんなに体が軽くなるほどお腹を空かせることもなかっただろうに。


 初めて結と会った時のことは今でもはっきりと覚えている。


 独りぼっちで大粒の涙をこぼしながらえんえん泣いていた迷子の女の子。

「行っちゃやだ」って袖を引っ張る手。

 一緒にトランプをした時の輝くような笑顔。

 でも、その体はびっくりするほど小さくて軽かった。


 「知らなかった」って何なんだろう。

 「知ろうと」しなかったくせに。


 なんて思ってみても、私にそう返すことはできない。

 私は結局他人で、田辺さんが「結と一緒に暮らしたい」と言った今、もし結も「お父さんと暮らしたい」と一言言えば、私には引き留める資格がないのだから。


 心の準備がしたくて、田辺さんには後日もう1度話をしましょうなんて言ってしまったれど、そんな準備ができる日なんてくるんだろうか。

 期限は長くても来週。

 早く、覚悟を決めないといけないのに。


「忍、今ちょっと入っていいか?」


 ノックの音でハッと我に返る。


 そうだ、田辺さんと別れてから帰ってきて、部屋に荷物と上着を置きに来たんだった。


 手元にはハンガーに掛けかけの上着。

 急いでクローゼットに押し込んで扉の向こうに返事する。


「うん、ごめん、いいよ」


 一呼吸の間の後、ドアが開いて康が中に入ってくる。

 目が合って、私たちは苦笑した。


「結は?」

「リビングでドラマ観てるよ。あのドラマ、すごい人気だよな」

「うん、会社でもよく話題になってる」

「俺も、お母さん方がよく話してるのを聞くな」


 とりとめのない話をした後で、康が静かに言った。


「……忍はこれから、どうするんだ?」


 さらりと、本当にただ私の意思を確認するような声色で。


 だけど、きゅっと胸が絞られるような痛みがした。


 大丈夫、大人として、結の母親代わりとして、私は間違えない。


「……とりあえず、結と話をしてからまた田辺さんと話して……ほら、学校の手続きとかあるだろうし、そういうことを一緒に進めていこうかなって……思ってるよ」


 声は震えてしまったけど、これが正解。

 大丈夫、間違えてない。

 心の底で叫んでる私の本音なんて今は必要ない。


 康は私の顔を見て、なんだかハッとして、なぜかどこか痛むみたいに顔をしかめた。

 大きく1歩踏み出して、私の肩を掴む。


「そうじゃなくて……! ごめん、言い方が悪かった、そうじゃなくて――」


「ねえ、それってどういうこと?」


 声がして2人で振り向く。

 康の後ろ、開きっぱなしのドアの前に、結が立っていた。

 彼女は大きな目をまん丸に見開いて部屋に入ってくる。


「ゆ――」

「学校の手続きとか進めていくって何? わたし、転校するの? おとうさんと一緒に何を進めるの?」


 その言葉に、無意識に取り繕おうとした声が出なくなった。


 ああ、今なんだ。

 本当はもう少し言葉を選ぶ時間とか欲しかったけど。

 とはいえ、これを逃したら、私はきっとこれからも逃げてしまう。

 話すなら、今しかない。


「……転校するかはまだわからないけれど、とりあえず保護者の切り替えとか、」

「どうして? どうしてわたしの保護者が変わるの?」


 食い気味に結が言葉を被せてきて、少し驚く。


「そ、れはだって、田辺さんは結の本当のお父さんだし」

「だから何? おとうさんに会ったからってなんで保護者が変わらなきゃいけないの? 忍がわたしの保護者でいいじゃん」


 私の前まで歩いてきた結が、じっと私を見上げる。

 その目は何かを訴えているみたいだった。


 だから……? なんで……?

 そんなの、当たり前でしょ?

 だって、


「私は結の、ただの母親『代わり』で……田辺さんと結は本当の家族だから――」


 その瞬間、目の前の栗色の瞳がにじんで揺れた。

 え、と思う間もなく、結は勢いよく下を向く。


「ちょ、結?」

「……は……の?」

「え?」


 視界の端に見えた結の手が、白くなって震えるくらい強く握られている。

 そんなに力をこめたら血が出てしまいそうだ。


「結、手が――」


「忍は!!」


 大きな声にビクッと体が跳ねた。

 顔を上げると、結が目いっぱいに涙をためて、私をにらんでいた。


 結が怒鳴ったことも、こんな風に見てきたことも今までなかったから、とっさに言葉が出てこなかった。

 彼女は呆然とする私に言った。


「忍は……結のこと、家族だって思ってくれてなかったの!?」


 心臓が掴まれたような気がした。

 ドクドクと体全部が脈打つ。

 嫌な汗が背中を伝った。


 家族……かぞく? カゾク?

 家族って血とか戸籍とかでつながってる強いつながりのことじゃないの?


 私と結は血がつながってるわけでもなければ、戸籍すら他人のままだ。

 どれだけ私が結を大好きであろうと、大事にしてようと、今みたいに、何かあればすぐに引き離される関係にある。

 そんなもろい関係を『家族』なんて強い言葉で表すことはできない。


 何も言えないでいると、結は力が抜けたようにまたうつむき、1歩後ろに下がった。


「……もういい」

「え」

「もういいよ。わかった。わたし、なんかかんちがいしてたみたい。ごめん、何でもない」


 いやに心臓の音が響く。

 何でもないわけがない。何もよくないしわかってない。

 それはわかるのに、何て言えばいいのかもわからない。


 わからないけど、どんどん後ろに下がっていく結に、思わず手を伸ばす。


「ゆ、結ちょっと待って、」

「もういいってば!!」


 はじかれた。

 届かなかった右手がジンジンと熱を帯びる。

 結は一瞬自分でもびっくりしたみたいに私の右手と顔を見たけれど、すぐに身をひるがえして走り出した。


「ちょ、結!」


 すぐさま康が部屋を飛び出し、私も少し遅れて部屋を出る。

 どうしよう、頭が真っ白だ。


「おい結、どこ行くんだよ!?」


 康の声に我に返ると、結はランドセルを背負って靴をひっかけ、まさに家を出ようとしているところだった。

 すかさず康が駆け寄ろうとすると、ぴしゃりと声が飛んでくる。


「来ないで!」


 康が一瞬足を止めた隙に、結は玄関のドアを開ける。

 出ていく直前、結はこちらを振り返り言い放った。


「忍のバカ!!」

ここまで読んでくださりありがとうございます。

次回も気長に待っていただけるとうれしいです。

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