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カゾクアイ  作者: 紀章櫻子
第二章
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58話 おとうさん


「私の名前は田辺正晴。――島田結の実の父親です」


 そう言って街灯の下に照らされた男の人の顔は、確かに見おぼえがあった。


「おとう……さん……?」


 昔、住んでた家、忍の家じゃなくて、わたしが5才まで過ごしたお家。

 そこの玄関に1枚だけぽつんと置かれていた写真。

 きれいなワンピースを着てほほえむおかあさんと、まだ歩けもしないくらいの小さなわたし。

 そんなわたしを抱き上げてカメラに笑いかける男の人。

 その人こそが、田辺さん――わたしのおとうさんだった。


 でも、わたしはおとうさんとの思い出なんて全然覚えてない。ただ、おかあさんとわたしが一緒に写っている写真に、1人だけ男の人が写っていたから、なんとなくこの人がおとうさんなのかなって思ってたくらいだ。

 わたしが物心ついた時にはもう、彼は家にいなかった。

 小さい頃、忍と出会う前の思い出と言えば、暗いひとりぼっちの部屋とぽつんと残されたパンかカップ麺。すぐに怒鳴って手当たり次第に物を投げて壊すおかあさんと、たまに機嫌がよくて優しくなるおかあさん。あとは、おかあさんが家に連れてくるコロコロ変わるカレシ。


 もうあんな生活から離れて何年も経つのに、いまだに思い出すだけで苦しくなってくる。

 とにかく、この田辺さんという人は、わたしが1番助けを必要としていたであろう時には顔すら見せなかった人だ。


 そんな人が今、わたしの「父親」を名乗って現れた。


 なんで、いまさら。


 不意に左手が痛いくらいに握られた。

 ハッとする。

 そうだ、今のわたしには忍がいる。震える必要も、もやもやする必要もない。いつだってあったかい忍の手がわたしを包んでくれるから……あれ?


 忍の手、冷たい?


 顔を上げると、街灯のせいか忍の顔が、いつもより青白く見えた。


 視線に気づいたのか、忍もわたしを見る。

 忍はなんだかおそるおそるといった様子で口を開いた。


「……結、この人、結のお父さんなの?」

「え、うん、たぶん……昔住んでた家の玄関にわたしとおかあさんと3人で写った写真があったから……」


 でも、わたしは全然覚えてないのって続けようとした時、不意に忍の顔が泣き出しそうに見えて言葉を止めた。

 つないだ忍の両手が震えてる。


 忍……?


 どうしたのって言う前に、忍が1歩前に踏み出した。

 両手がつながってたせいで、わたしはよろめいて忍に軽くぶつかる。


「えっと、田辺さん、もう暗いですし路上で話すのもどうかと思うので、近くのカフェででもお話聞かせてもらえますか?」


 聞こえてきたのはいつもの落ち着いた忍の声。完全に営業スマイルだけど、笑顔も浮かんでいる。


 気のせい……だったのかな。


「あ、そうですね、すみません、急に声をかけてしまって。どうしても声をかけなくては、と気が急いてしまって……すみません、まるきり不審者ですね……」


 おとうさんもははは……と気まずい笑顔を浮かべる。

 忍はにっこり笑って携帯を取り出した。


「すみません、私もまだ判断に困ってまして、結の反応を見ると本当に結のお父様みたいですが、念のため私の……幼馴染にも同席してもらってもいいですか? 彼にとっても大切なことなので」




「ごめん! 遅くなった!」


 ファミリーレストランのドアのベルを少し大きく鳴らして康がかけよってきたのは、忍とおとうさんがお互いに改めて自己紹介をして、せっかくだからと注文した晩ごはんが全員分運ばれてきた直後だった。

 息が切れてる。走ってきてくれたんだ。


「ううん、大丈夫。こっちこそごめんね、仕事終わりに呼び出して」

「いや、大丈夫。呼んでくれてありがとな」


 康は店員さんが持ってきてくれたお水を一気に飲み干して、一息つくと、そのままおとうさんに頭を下げた。


「はじめまして。忍の幼馴染の谷川康と言います。結……ちゃんのことは俺にもすごく関係があることなので、今回同席させてもらいます」

「あ、そんなご丁寧に。綿野さんからはお話を聞いています。私は結の父親の田辺正晴と言います。こちらこそ突然押しかけてしまい申し訳ありません」


 おとうさんも立ち上がって、ぺこぺこと頭を下げる。


 康は忍のとなりに座るわたしの隣に座って、自分の分のハンバーグを注文した。


 6人がけのテーブルに3対1で座っているのがなんだかおかしいし、ちょっとせまいけど、このぎゅっとくっついている感じがほっとする気がする。


 康のご飯も運ばれてきて、とりあえずみんなで他愛のない話をしながら食べ終わった後、忍が改めて話を切り込んだ。


「それでは田辺さん、聞かせてもらえますか? どうして今になって、結と会おうと思ったのか。――どうして、今まで結に会いに来なかったのか」


 その言葉にわたしは顔を上げる。

 おとうさんも一瞬ためらうようにうつむいたけど、ぐっと背筋を伸ばして、覚悟を決めたみたいに口を開いた。


「知らなかったんです。結が母親から……ひどい扱いを受けていたことを」


 今から15年くらい前、おとうさんとおかあさんは出会って恋に落ちた。その後1年付き合って結婚。私が生まれてからも最初は順調で幸せな生活だったらしい。

 だけど、わたしが2才になったばかりのとき、おとうさんの仕事が忙しくなって、おかあさんとのすれ違いが増えはじめた。そして、帰ってくるのが遅いおとうさんに、おかあさんが浮気をしてるんじゃないかって疑いをかけたことがきっかけで大ゲンカして離婚。

 おとうさんはわたしとおかあさんを残して家を出ていき、そのまま転勤になって遠くに引っ越したそうだ。


「結の母親は、私が知る限りではまさか育児放棄をするようには見えなかったんです。きっと結のことをきちんと育てていると思っていた。だから、私がすぐに会いに行ってしまっては、結も小さかったですし混乱してしまうのではないかと……でも、今回長期出張でこの街に戻ってくることになったので、もうそろそろ会いに行ってもいい頃かと連絡をしたら……『結はもう家にはいない』『育てるって怒鳴り込んできた人に渡した』と返ってきて、あちこち探し回ってやっと下校中の結を見つけたんです」


 いつもれいちゃんと一緒に帰っているからなかなか声はかけられず、今日はわたし1人だったからこのチャンスを逃せない、と声をかけようとしたらしい。

 結果、れいちゃんから水筒アタックを食らったけれど。


 忍も康も、黙っておとうさんの話を聞いていた。

 わたしは空になったカレーのお皿をぼんやり見ていた。

 あ、このカレーの跡、ハート形っぽい。


 おとうさんの話を聞いた正直な感想は、「何それ」だった。


 仕事が忙しくなっておかあさんとのすれ違いが増えて、離婚したのはわかる。転勤になって遠くの街に引っ越しちゃったことも。

 だけど、「イクジホーキするようには見えなかった」って何? おかあさんがおとうさんのしてもいない浮気を疑ってケンカになったということは、おとうさんは知ってたはずだ。おかあさんは怒ると人の話をまったく聞かなくなって、怒鳴り散らして、少なくとも「きちんと」こどもを育てられるような人じゃないことを。

 会いに来なかったのも、ほんとは気まずかったり面倒だったりする気持ちを、「(わたし)のため」って言い訳しているようにしか聞こえない。

 今さら会いに来たのだって、わたしが大きくなったからじゃなくて、偶然出張でこの街に戻ってきたついでか、わたしをおかあさんに任せた罪悪感からでしょ?


 自分を正当化するのにわたしを利用しないでよ。


 モヤモヤイライラして、もうおとうさんの方を見る気も起きない。


 ポン、と肩をたたかれて顔を上げると、康が優しくほほえんでいた。

 目があえば、「大丈夫だ」とうなずいてくれる。


「…………お話はわかりました。それで、1つお伺いしたいのですが……」


 隣で、忍が口を開いた。

 おとうさんは「はい」と続きを待つ。


「田辺さんは、結が母親からひどい扱いを受けていた、と知った今、結を今度は自分のもとで育て、一緒に暮らしたい、とお考えですか?」


 え?


 あわてて振り返ったけれど、忍の顔は髪の毛に隠れて見えない。

 忍、待って、まって、


「えっと……そうですね、結がそう望んでくれるなら」


 は?


 おとうさんの言葉に忍は深く息を吐く。

 長くてさらさらの髪を耳にかけて、彼女は顔を上げた。

 その顔は……完全にお仕事向けの笑顔。


「わかりました。今日はもう遅いですし、私達としても少し考える時間が欲しいので、また後日話し合いませんか? 長期出張中なんですよね、いつまでこちらに?」

「えっと、来週までです」

「では、それまでに都合が合いそうな日を探しましょう。連絡先を教えていただけますか?」

「は、はい」


 淡々と連絡先を交換して、次の日取りを決める忍を、わたしはボーゼンと見つめることしかできない。


 ねえ、忍、どうしてその人にそんなこと聞くの?

 

 じわじわと嫌な予感がせりあがってくる。


 きっぱり、追い返してくれると思ったのに。


 忍はわたしに、その人と一緒に暮らしてほしいの?

大変お待たせいたしました!

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

何やら不穏な雰囲気ですが、物語も終盤、見守っていただけると幸いです。

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