番外編 結と玲
番外編その2です!
結と忍が出会う少し前、結と玲ちゃんが仲良くなったきっかけのお話です。
それは、ようち園に入園してまだ1、2週間くらいのある日のことだった。
その日は母ちゃんの自転車が急にパンクしたとかで、「おむかえが遅くなるからしばらく待っていようね」と先生に言われ、アタシは母ちゃんを待つ間、先生とすべり台やブランコ、鬼ごっことかをして遊んでいた。
何回目かの鬼ごっこをしようと先生に言った時、先生に、その前に水を飲んでおいで、と言われ、たしかにのどは乾いていたので、アタシは素直に自分の教室に戻ることにした。
教室に向かって走っている時、すれ違った先生2人のヒソヒソ話が聞こえてきた。
「島田さん、またお迎え来てないんですけど」
「あの人、良い噂聞かないわよ。結ちゃんもかわいそうね」
その声は、いつもの優しい先生の声とは全然違っていて、でもアタシは特に気にすることもなく2人の隣を駆け抜けた。
「とうちゃーく!」
風になった気持ちで教室に飛び込む。
だけど、そこで固まってしまった。
誰もいないと思っていた教室。
そこには1人の女の子がいた。
くるんっと丸を描いているふわふわで栗色のかみのけ。
真っ白な肌と、細ーい手足。きらきらと輝いた目。
クリスマスの絵本に出てくる天使みたいだと思った。
でも、天使にしては体が細くて小さすぎて、ようせいの方が似合うかなとも思った。
改めてまじまじと見たことは初めてだったけど、彼女は同じ組の島田結だった。
こうして、アタシ、有川玲と結は出会った。
結は教室に入ってきたアタシをびっくりしたように見つめていて、それから、ふにゃんとかわいい笑顔になった。
「れいちゃん、きょうは、おむかえおそいの?」
「う、うん。かあちゃんのじてんしゃ、こわれちゃったんだって」
「えー! それはたいへんだー!」
結は、意外にも大きな声が出せて、明るい子だった。
「ゆいちゃんは? おかあさん、おむかえこねーの?」
「えーっとねー、ゆいのおかあさんは、いっつもまだまだこないよ。だからゆいね、おえかきして、まってるの!」
じゃじゃーんっと見せてもらった絵は、今思えば……うん、「うさぎ」を書いたと言うにはなかなかの画伯だったと思う。
でもその時のアタシはその絵がめちゃくちゃかっこいい絵に見えて、「すげー!」とほめまくった記憶がある。
その反応に、結はうれしそうに笑い、そして言った。
「れいちゃん、いっしょにあそぼ! ひとりでまつよりふたりでまったほうが、きっとたのしいよ!」
「え」
アタシはまた、びっくりして固まってしまった。
実を言えば、ようち園に入園して数日経って、アタシはほかの園児たちから遠巻きにされていた。
原因はアタシ。
というのも、母親の影響でアタシはかなり男勝りな性格に育ったからだ。言葉遣いも、女子としてはあまりきれいじゃない。
そのうえ、男女の体の大きさにあまり違いがないようち園の時は力も強くてケンカも男子相手に負け知らず。
自分から手を出したことはなかったけど、やり返したらみんな泣いてしまって……あとはたぶん親が何か言ったんだろう。アタシを遊びにさそってくれる子なんていなかった。
だから、結があまりにも無邪気にさそってくれたから……
「……いや?」
何も言わないでいたら、結が今にも泣きだしそうな顔で聞いてきた。
アタシは慌てて両手を横に振った。
「ちがっ そうじゃない! れいもゆいちゃんと、いっしょにあそびたい!」
そう言うと、結はまたふわっと花でも咲きそうな笑顔になって。
アタシと結は、母ちゃんが迎えに来るまでひたすら一緒に遊んでいた。
そうして、アタシと結は仲良くなった。
だけど、ようち園という場所は良くも悪くも言葉が直球な場所だった。
「ねえねえ、ゆいちゃんはれいちゃんのこと、こわくないのー?」
結と一緒にいるようになってから数週間。
大人しくてかわいらしい結と、がさつでガキ大将的なアタシの少し変わった組み合わせがだいぶ定着してきた頃のことだった。
アタシの目の前で声高らかに叫んだのは同じ組の女の子。
彼女は無邪気に笑って首を傾げる。
本当に、これっぽちも黒い気持ちを持っていない、そんな顔。
アタシたちが唖然として何も言えないでいると、話を聞きつけた教室中の子たちがわらわらと集まってきた。
「れいちゃんって、おんなのこなのに、しゃべりかたとか、おとこのこみたいでなんかこわいよねー」
「このまえおれ、れいちゃんにおもいっきりたたかれてめっちゃいたかった!」
「えー、ひとをたたいちゃダメだってママがいってたよ!」
「れいちゃんわるー!」
気づけば囲まれて、好き勝手に投げつけられる言葉たち。
アタシは、ぎゅっとこぶしを握りこむことしかできなかった。
男子みたいなしゃべり方は、たしかに女子としては変かもしれないけど、強くて優しい母ちゃんが大好きで、カッコいいと思うからマネをした。
そこの男子を叩いたのも、もとはと言えばソイツが遊び半分で毛虫に触ろうとするのを止めたのに、言うことを聞かなかったから、とっさに手が出てしまった。しこたまソイツの前で母ちゃんと先生に怒られた時、ちゃんとそう説明したはずだ。
そう言いたくて、だけど、声にすることはできなかった。
のどの真ん中あたりがキュッとふさがって、無理やりしゃべろうとしたら涙が出てしまいそうだったから。
ただ、全身が熱くなるのを感じながら、こらえていた。
「ちょっとみんな! 何してるの!」
その時、先生が割って入ってきた。
輪の中心のアタシの傍に立ち、ちょっと怖い顔であたりを見回す。
「こんなふうにみんなで誰かを責めるのは――」
「こわくないよ」
先生の声に被せて、よく通る声がそう言った。
隣を見れば、結が真剣な表情で、最初に声を上げた女子を見つめている。
「れいちゃんはね、こわくないよ。れいちゃんは、すっごくやさしいんだよ」
最悪な空気をものともせず、結はマイペースに指折り話し始める。
「まずね、おかあさんがおむかえにきてても、ゆいとあそんでくれるところでしょ。それから、ころんだとき、すぐにきてくれて、だいじょうぶっていってくれるところでしょ。あ、あと、あぶないことをしているこがいたら、ぜったいにとめてあげるところ! それからねぇ……」
止まることなくアタシの「やさしいところ」を挙げて言っていた結は、途中でこれ以上指で数えることができなくなったことに気づき、顔の横でパッと両手を広げて笑った。
「れいちゃんね、もっともっとやさしいところあるんだよ! だからゆい、れいちゃんのことこわくないし、だいすきだよ!!」
「ね!」と、結が笑顔のまま、こちらを見上げる。
きっとアタシは、その笑顔をずっと覚えていると思う。
結の手を強く握ると、結はさらにまぶしくにひっと笑ってアタシの手を握り返してくれた。
その後のことはあまり覚えていないけど、先生に注意されて、みんなはアタシに謝ってくれた気がする。
そして、その日から、結のおかげでアタシがみんなから遠巻きにされることは少なくなった。
しばらくして、アタシは結が実の母親からひどい目にあわされていることを、何かの拍子に知った。
結がアタシを助けてくれたように、何かできることをしてあげたくて、でも何もできなくて、ずっと歯がゆかったけど……
『綿野』と書かれた表札の下のインターホンを押す。
すぐに扉が開いて、中からきれいなお姉さんが出てきた。
「忍さん、おはよう!」
「うん、おはよう玲ちゃん。結、すぐ来るからちょっと待ってね」
彼女の名前は綿野忍さん。
最低な結の母親から結を引き取り、大事に育ててくれた人。
忍さんの家に引き取られた後の結は、前よりもずっと幸せそうだった。
アタシにはできなかったことをしてくれた忍さんを、アタシは尊敬してるし、たまにこっそり拝んでいる。
「玲ちゃん、おまたせ!」
忍さんの横をすり抜けて、結が飛び出してくる。
そのまま忍さんを振り返り、
「忍! いってきます!」
忍さんもまた優しく微笑んで、
「いってらっしゃい。2人とも、気を付けてね」
「「はーい!」」
元気よく返事をして、並んで歩きだす。
いつも通りの平日の朝。
幼稚園を卒業し、学校に一緒に行くようになって、もう4年。
ちらっと隣を見ると、結はすぐに気が付いて、「ん?」とアタシを見上げる。
結は幼稚園の頃よりももっともっとかわいくなった。
実はこっそり男子からもモテている。
本人は告白されるまでは全然気づかないけど。
かわいくて、優しい、ちょっと天然なアタシの親友。
だけど、それだけじゃないことも、アタシは知っている。
だから、結の見た目から結を好きになる男子たちが、アタシは正直気に食わない。
「結、もし誰かを恋愛的に好きになるなら、アタシを倒せるヤツにしろよ?」
「えぇ……どしたの急に」
唐突にそんな話をしたアタシに結はクスクスと笑った。
そして、うーん、と悩むように首を傾げる。
「でもそれならわたし、一生好きな人できないね」
「え、なんでさ」
「だって、玲ちゃんを傷つける人を好きになるとか、ありえないもん」
そんな言葉を、結は時々さも当然のように言ってのけてしまう。
アタシはこの天然たらしな親友の、ずっと昔から変わらない強さとカッコよさを知っている。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次話から本編再開です!
気長に待っていただけると嬉しいです。