49話 成就
「私からも、お返し」
そう言ってニッと笑ってみせたは良いものの、正直私は困っていた。
なぜかって? その答えは、この目の前の、数分前に私が告白をした相手、谷川康が固まってしまったからだ。
さっきから目がこぼれんばかりに開かれたまま、一言も発さない。ただ、じっと私を見つめるだけ。
いやちょっとその、あんまり見られると私も恥ずかしいと言いますか……あと何も言われないのも、告白したことに後悔はないけどすごく気まずい。
「あの、康……? 聞こえてた?」
「……に……?」
「え、何?」
「本当に……?」
いつもハキハキして聞きやすい康の声が、今はかすれて夜風に流されてしまいそうだ。
よく見れば、私を映す瞳も潤んでいる。
「本当、です」
言ってしまったことを無かったことにはしたくなくて、私も康に顔を近づけ、正面から……と言っても身長差があるのでちょっと下から、彼の目を見つめ返した。
「……っ」
と、その時、一瞬康の顔が真っ赤に染まったかと思うと、それを確認する間もなく、袖を握っていた私の手首に熱を感じ、急に体が傾いた。
おでこに小さな衝撃。
反射的に閉じていた目を開いたものの、視界は暗いまま。
だけど、肌に触れる布っぽい感触とそこから香る馴染みのある匂い。そして、ドクドクと速い鼓動を刻む音……
康に抱きしめられているという現状を理解するのに、そんな長くはかからなかった。
でも、受け入れられたとまでは言っていない。
「ちょっ 康!? 何して……」
「ごめん、ちょっとこのままで」
全身に熱が駆け巡り、康に負けないくらいの速さで心臓を打ちながら大暴れで脱出しようとする私を、康はつぶやくようにそう言って、腕の中に閉じ込める。
それどころか、込められる力はどんどん強くなっていく。
ちょっと苦しかったけど、私はおとなしく康に身を預けることにした。
「…………あのさ、忍」
「うん?」
しばらく無言で康の体温を感じていると、不意に康が口を開いた。
「さっきの言葉って、どういう意味?」
「……はあ!?」
思わず勢いよく頭を振り上げる。
ゴッと鈍い音がして、私の頭と康の顎が衝突した。
各々体を離して激痛にもだえながら、私はキッと康をにらんだ。
「アンタ、さっきの話ホントに聞いてた!?」
「聞いてたよ! 聞いてたから聞いてるんじゃんか!」
「意味がわからないんだけど!?」
「俺もわかんねーよ!」
最大音量の小声で言い合う私たち。
我ながらずいぶんストレートに言ったつもりだったけど、康にはまだ通じてない!? そんなことある!?
「そもそもこんな改まって言う『好き』の意味なんて、一択しかないでしょう!?」
「俺だって基本はそうだと思ってるよ! でも忍にはもうひとつ選択肢あるだろうが! 確認しとかないと怖いんだよ!」
そう言われて、「え?」と戸惑う。
私には、もうひとつ選択肢がある……? 私には?
「お盆で帰省した時の花火大会!」
考え込んだ私に、康が半ばやけくそ気味に言い放った。
「俺、一応ちゃんと告白したのに、忍は恋愛的な意味では全く捉えなかっただろうが!」
…………え?
お盆で帰省した時の花火大会って、去年のだよね。康が私に告白? 私、別にそんなのされてな――――
『俺は、忍のことが好きだよ』
突如再びフラッシュバックした例の記憶。
いやでもアレは、私がおばさんに、『みんなの迷惑になるのが怖い』って相談してたのを聞いてたから、康は忍を嫌ってないよってことを伝えるために言ってくれた言葉で、そんな意味はこもってなくて……
花火に照らされた、どこか緊張した様子の康の真剣な瞳を思い出す。
「あ、あああああれってそういう意味!?」
「そうだよ!」
「ていうか、私が勘違いしてるって気づいてたんなら言ってよ!」
「言えるか!」
だって、まさかって思うじゃない。
生まれてこの方、告白なんてされたことないし。
あれ、でも待って、それじゃ、あの日の康が言った『好き』って言葉の意味は、私と一緒? ということは……
ドッドッドッドッと早鐘を打つ胸を押さえて、康を見上げる。
康もまた、肩で息をしながら顔を赤く染めて、こちらを見ていた。
そして、大きく息を吐くと、目を逸らさないまま、はっきりと私に向かってこう言った。
「俺は、忍のことが、ちゃんと恋愛的な意味で好きだ。小学生の時からずっと、忍のことが好きなんだ」
途端、胸が締め付けられるような気がして、私はグッと奥歯をかんだ。
そうしないと、泣いてしまいそうな気がして。
だけど、それは決して嫌な感じではなく、むしろその真逆。言葉なんかじゃ言い表せないほどの喜び。
「小学生の頃からとか……全然そんな素振りなかったじゃん……!」
「いや、自分で言うのもなんだけど、結構駄々洩れだったと思うぞ。朱音にも真翔さんにもバレてたし。てか、忍こそいつから俺のこと……」
「……意識したのはお正月に帰省した帰り。でもたぶんもっと前からだと思う」
「正月!? え、3か月前……?」
「康がヘタレなんじゃないの」
「な……! うるさい鈍感」
ふと、康が私の手を取って、下から覗き込んできた。
その顔が心底嬉しそうで、優しくて、言葉に詰まる。
「忍。俺と、付き合ってください」
声に乗せられた真摯な想いは、勘違いだとか聞き間違いだとか思うことすら許してくれないほど一直線で。
緩んでしまう頬を隠せないまま、私は康の手をぎゅっと握り返した。
「不束者ですが……よろしくお願いします」
すると康はまたもや顔を真っ赤に染めたと思ったら今度は急に真剣な表情になって、私の頬に触れる。
「え、康……?」
不意に康の顔が近づいてきて、思わず目を閉じた、その時だ。
「しのぶ……?」
「! 結!」
後ろから声がして慌てて振り返ると、少しだけ開けたドアの向こうから、寝ぼけまなこの結がちょこんと顔をのぞかせていた。
しまった……! つい話がヒートアップして、声のボリュームを途中から考えるの忘れてた!
「ごめん結っ 起こしちゃった?」
「んーん、ゆい、のどかわいたの。……あれ? こう?」
「あ、そ、そう! 結、康がバレンタインのお返しにバームクーヘンをくれたよ。明日一緒に食べようね」
「ばーむくーへん? ゆい、たべる!」
︎ バームクーヘン、何かわかんなかったか……。
それでもとりあえず食べようって笑顔になっちゃう結がかわいい……。
悶絶したい衝動をなんとか抑え、改めて康にお礼を言おうと振り返る。
結からもちゃんとお礼を言った方がいいもんね。
「って康、何してんの?」
見れば、康はなぜか顔を手で覆ってしゃがみこんでいた。
「康?」
「いや、ごめん、ちょっと自分の理性の馬鹿さ加減が信じられなくて、うん、ほんと、気にしないでいいから」
「「?」」
もにょもにょとよくわからない文をつぶやいている。
康の今日の情緒はジェットコースターみたいだ。やっぱり仕事、大変なのかな。
「こう、だいじょうぶ? あのね、こう、ばーむくーへんありがとお」
「あ、ああ、こちらこそバレンタインありがとうな。おいしかった」
結に覗き込まれ、康は結の頭を撫でながら立ち上がった。
「それじゃ、忍、結。今度こそ俺は帰るな」
「あ、うん。気をつけてね」
「おう。おやすみ」
「ばいばーい」
手を振りながら、康が階段の陰に消えていく。
姿が見えなくなったから、私は結に目を向けた。
「さ、結、私たちも部屋に入ってお水飲んで寝よっか」
「うんっ」
家の中に入り、結のコップに水を注ぎながら、私は改めて先ほどの康の言葉を思い出した。
『俺は、忍のことが、ちゃんと恋愛的な意味で好きだ』
『忍。俺と、付き合ってください』
思い出した瞬間、カッと体が熱くなる。
お、思い出すだけで恥ずかしい……!
というか、『付き合ってください』って言われて、私それに『はい』って答えちゃったから、今私は康と、いわゆる彼氏彼女ってこと……?
意識すれば意識するほど心臓はバクバクするし、3月のくせにどんどん熱くなってくる。
私別に伝えられたらいいやって、その後まさか康も好きだって返してくるなんて考えてもいなかったから。
私、どうしたらいいの……!?
「……のぶっ しのぶっ おみずこぼれちゃうよ!」
「わ!?」
結の声に我に返る。
手元を見やれば、コップのふちまでなみなみと注がれている水。
「あぶなっ ごめん結! ちょっと考え事しちゃって」
慌てて水源であるペットボトルをコップから離し、少しだけ別のコップに水を移して適量にしたコップを結に手渡す。
「はい、どうぞ」
「…………ありがと」
……?
なんだか、結の表情が暗い気がする。
布団に入るまではいつも通りだったのに。
「結、どうし――」
「ぷはっ ごちそーさま! それじゃ、ゆいはまたねます! おやすみ!」
「え」
私が聞くよりも先に、結は水を飲み干していつものようにニパッと笑って、とたとたと寝室の方に駆けていった。
……気のせい?
だけど、今の「感じ」は身に覚えがある。
遠い昔、学校で授業参観のプリントをもらった時。
雷雨の日に家に独りでいた時。
風邪をひいて熱を出した時。
私はお父さんに本音を隠して、いつも通りに、平気な風に振舞った。
だから、もしかすると。
結は私に、言いたいけれど言えない何かを隠してる……?
お待たせしました!
ここまで読んでくださりありがとうございます。
次回も気長にお待ちいただけると幸いです。