二日目
他の宿泊客のピークを避けようと、ゆっくり気味の予定にしていた翌朝の食事は、ビュッフェ形式だった。
「朝から、食べるねぇ」
好きな物を集めたな、って感じの亮のお盆は和洋折衷としか言いようのない組み合わせで、
「一人暮らしだとメシの種類って、限られるからよ。こんな時くらい、バリエーションをつけたくならねぇ?」
と言いながら、味噌汁のお碗を持ち上げている。
「まあ、それはわからなくもないけど。私が言ってるのは量!」
「そうか? 食事はすべての基本だぞ」
そう言って亮は次に、ハッシュドポテトをお箸でちぎっている。昨日の夜も思ったけど、この細身の身体のどこに、これだけの量が入っていくのだろう?
まあ、朝ご飯を遅めにしたおかげで、私の方もそこそこお腹は空いている。
ここは牛乳の味が濃くて美味しいから、パンを主食、温野菜サラダを多めにして、目玉焼きとソーセージをつける。
"飲んだ翌朝"の、お味噌汁も魅力的ではあるけどね。それは、長距離の運転が待っている明日のお楽しみ、ってことで。
連泊なので着替えなどの荷物は部屋に置かせてもらって、今日の予定へ。
「朝ご飯が遅かったから、お昼もゆっくりめでいいよね?」
「そうだな」
日差しがあまり強くない午前のうちに……と、この旅行のメインである海水浴へと向かう。
途中、漁港の方へと迷い込んでしまって、お土産屋さんで道を訊ねる。
『有名な所じゃないからね』と、笑いながらお土産物屋の奥さんが教えてくれた海水浴場は、確かに、海の家が立ち並び、人が溢れかえっているような規模ではなくって。
家から歩いてきましたって雰囲気の小学生グループとか、砂防林の向こうに設けられたオートキャンプ場の客がメインのこぢんまりとした海水浴場なので、更衣室とシャワーは公営の管理施設を使わせてもらう。
私が着替えを終えて屋外に出ると、管理施設の庇の下で、亮は頬を膨らませてビーチボールに空気を入れていた。
「持ってきたの?」
訊ねた私に何度か頷いて見せた亮は、もう一息、と空気を吹き込む。
いい感じに膨らんだらしいボールに栓をして、バレーボールをするみたいに組んだ両手の上で弾ませる。
「やっぱり、海に来たならビーチバレーだろうがよ」
「そう? ビーチフラッグとかもあるじゃない」
中学・高校とバレー部だった亮に負けじと、走る競技を言ってみるけど
「お前相手に走ったら、遊びじゃなくなるだろうが」
と、笑われる。
「あんた相手に球技をするのも、どうかと」
「コートも審判もなけりゃ、遊びだよ」
そんなものかなぁ。
「それはそうとして、コンタクト入れたの?」
ボールを小脇に浜へと降りる亮と並んで歩きながら、さっきから気になっていたことを訊く。
「眼鏡だと、日焼けがな」
ああ、フレームの痕が白く残るよりは、焼いてしまった方がいいのか。
「でも、レンズって流れたりしないの?」
「使い捨てだから、流れても平気。予備ならあるし」
「へぇ」
そんな物が、あるんだ。自分には縁のないシロモノなので、初めて知った。
そんなことに感心していると、
「それにさ。そこまで真剣に泳ぐか?」
「競争、する?」
子供の頃は、一緒にスイミングスクールに通ってたし、今でも負けないと思う。
「そんなモン、するかよ」
「あ、なんだ。残念」
って、本気で言ったら、隣で朗らかな笑い声があがった。
波打ち際まで、あと数メートルの辺りで、他の海水浴客と程々に間をあけるようにして、荷物置きの場所取りをする。
手荷物は大きめのペットボトルを入れたレジ袋と亮のボールくらいで、パラソルもレジャーシートも持って来てないけど、なんとなく私たちの拠点って感じ。
ビーチサンダルを脱いで、軽く準備体操をしていると、
「綾、さすがにそれは脱ぐよな?」
隣で屈伸運動をしている亮に訊かれる。
「それって?」
「上に着ているヤツ」
上って……水着の上に着ているオーバーサイズのTシャツのことか。
亮だってハーフパンツ風の水着の上に薄手のパーカーを羽織っているくせに、そんな期待したような顔で言われても……ねぇ?
「亮が上を着たままなのに、私だけ水着になれって?」
「じゃぁ、俺が脱いだら、脱ぐな?」
なに? その交換条件。
とは、思ったものの。
子供時代からの負けん気が勝って、Tシャツの裾に手をかける。亮がパーカーを脱ぐのを見てから、一気に頭を抜くと、
「おいー、なんで……」
って言いながら亮が、砂浜に座り込んでケラケラと笑う。
「男と海に来て、その水着って。さすが、綾」
スポーツタイプのタンキニは、色気のかけらもないだろうけど。子供の頃、亮に"男女"なんて言われたほど、凹凸には自信のない身体つきだし?
ひとしきり笑い転げた亮が、畳んだパーカーを足元に置いて立ち上がると、私の背後へと回り込む。
「久しぶりに見たかったんだけどな。水着から見える、綾の三ツ星」
そう言って、背中の真ん中辺りをすっと指先が辿る。辿る指を追うように甘い感触が走り、背中がしなる。
「亮っ!」
こんな所で、なにするのよ!
笑いながら逃げる亮を追いかけて、海へと入る。
全身に感じる水の冷たさに、心がはしゃぐ。
『本気で泳ぐかよ』なんて言っていたくせに、亮が平泳ぎを始めて。さすがに走っては追いかけられず、こっちも浮力の助けを借りて、水を掻く。
あと少しで、指が届く……ってところで亮が、一瞬潜ったように見えたあと、泳ぐのを止めて立ち上がった。
え? ちょっと待って?
亮の身長で心臓の高さまで水がきてるってことは……ここって、意外と深い?
少し焦りながら、私も海底に足をつく。水面が肩口くらいって、かろうじて溺れない深さに
「悪い。沖へ行く気はなかったのに、しくじった」
私のすぐ横まで戻ってきた亮が、心配そうに私の腕を掴んだ。
海で泳ぐ時は、岸と平行に……が鉄則と聞く。
はしゃぎ過ぎた私たちは、それなりの距離を泳いでいるうちに、岸からも離れてしまっていた。
「戻ろうぜ。これ以上、深くなったらさすがに危ない」
「そうだね」
急に深くなることも、あるらしいし。
岸へと向かって水を掻き分けるようにして歩く。
私が溺れることを心配したらしい亮に、しばらくの間、腕を掴まれたままだったけど。互いに歩きにくいので離してもらって、のんびり喋りながらの水中ウォーキングを楽しむ。
その亮は、濡れて肩に貼りついた髪を、結えたゴムのあたりから扱くように持ち上げて、水を絞っている
「あんたさっき潜ったけど、コンタクトは?」
「なんとか、付いている」
『でも、目が痛ぇ』って、あのね。
「ゴーグルなしで海に潜ったら痛くて当たり前でしょうが」
海水って、浸透圧どのくらいよ。
「いったい、なんで潜ったりしたわけ?」
軽く頭を振るようにして、濡れた髪を捌いている亮の目が、赤くなっているのがわかる。
「ちょっと岸から離れ過ぎたかな? って、深さが気になってよ」
潜ったからって……どうなんだろう?
「海の中なんて、比べる物もないのに、深さなんて分かる?」
「わからなかった。だから余計に、綾の足がつかなかったらどうしよう……って」
『焦ったぁ』って言いながら、負ぶさってくるな!
浮力の助けがあるとはいえ、おんぶなんて無理!
体勢を崩して膝をつくと、背中から重みが退いてくれた。
「あのねぇ。小学生の頃なら、私の方が大きかったから支えられたかもしれないけど。自分の体格、考えなさいよ」
あんただって、男性の平均身長、軽く超えてるでしょうが。
「確かにな」
そう言って隣から伸びてきた手に、助けられるようにして立ち上がる。
一度離れた手が、今度は膝の裏を掬って。お尻の下くらいの高さまで下がっていた水面から抱え上げられる。
「え? ちょっ? ぎゃー」
いわゆる"お姫様抱っこ"って状態で抱き上げられて、思わず悲鳴を上げてしまう。
「暴れんなよ。落とすぞ?」
「いや、『落とすぞ』じゃなくて、下ろしなさいよ」
「だから、暴れんな」
埒もない言い合いをしながら、そのまま岸へと運ばれて。
やっと下ろしてもらえたのは、ふくらはぎの辺りまで浅くなってからだった。
浜に上がって、水分補給としばしの休憩を挟んで。亮が用意してきたビーチボールでバレーボールの真似事をする。
「おまえってさ」
軽く打ち下ろされたボールは、狙ったように目の前に落ちてきて、手を伸ばすだけでいい感じに亮の方へと返っていく。
「な、に?」
「苦手な、競技とかって、ないの?」
「はい?」
うわ、今度は遠い。追いかけようとして、砂に足を取られる。
転がっていったボールを追いかけて戻ってきたら、亮はちゃっかりとスポーツドリンクを飲んでいたりする。
差し出されたボトルを受け取って、私も一休み。
「で、苦手な競技がどうしたって?」
途切れてしまったさっきの会話を、引き戻す。
「子供の頃から、綾って体育、得意だっただろ?」
「ああ、まあね」
母に言わせると、『綾子は本当に落ち着きのない』子だったし。
「オールマイティに、なんでもこなすのかな? って……ちょっとした好奇心?」
と言いながら首を傾げた亮の顔が、妙にかわいい。
その表情に、ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ、胸がトキメク。
「ラケット系はあまり経験がないから、得意とは言えないかな?」
微かに感じたトキメキは、スポーツドリンクと一緒に飲み込んで。
「そう言う、あんたは? オールマイティなんじゃないの?」
「うーん。接触系スポーツより非接触系スポーツの方が好きかな?」
完全に組み合う柔道に比べたら、時々ぶつかる程度に接触の限られているサッカーやバスケットの方が好きで、相手との間にネットを挟むバレーボールやテニスが一番好きってことらしい。
なんとなく、二人並んで座り込んだままスポーツ談義に花が咲く。
そういえば今まで、こんな話をしたこともなかったなぁ。
海に浸かって、砂浜で遊んでを繰り返しているうちに、お昼を過ぎて。日差しが少々肌に痛くなってきた。
三十路過ぎのお肌にも、亮の"商売道具"の顔にも厳しい感じになってきたので、そろそろ引き上げて、お昼ご飯へ。
来る途中に道を訊ねた海産物メインのお土産屋さんが食堂も併設していたので、そこへと再び向かう。
オーダーストップ間近の限られたメニューの中で、“おまかせ海鮮丼”を頼んで、器から溢れそうなお刺身に舌鼓を打つ。
会計をしてくれている亮を待つ間、お土産屋さんの方も覗いて、美味しそうな一夜干しを発見。満足したお腹を抱えていても、食指が動く。
これは両親が好きそうだと、実家へと宅配便で送る。
少し多めに買ったのは、母にとって長年の"ママ友"である亮のお母さんにも、お裾分けがいくかな? ってことで。
送り状を書いている横に亮がやって来たので、そんな話をすると、
「だったら地酒は、俺の実家に多めに送るようにするか? 魚と交換するだろ? あのオフクロたちなら」
って、提案してくる。送料はその方が安くはなるし、一緒に旅行に来ていることのカムフラージュにもなるだろうけど。
「それは…….どうだろう? お酒まではお裾分けしないと思うよ? うちは、お父さん宛に送るし」
「それもそうか」
まさか、徳利を抱えて、互いの家を行き来はしないんじゃないかな?
私たちが地酒の話をしていたのが、お土産屋さんにも聞こえていたらしい。オススメの地元の酒屋さんなんて所も教えてもらって。
酒屋さんの後は、昨日のガラス工芸博物館へと向かう。
「お待ちしていました」
ワークショップの部屋で私たちをにこやかに迎えてくれたのは、昨日とは別のスタッフさんで、窓際のテーブルへと案内される。
昨日、私たちが使った作業机はその奥。今日は数人の小学生くらいのグループが使っていて、彼らに指導しているスタッフさんと目が合う。軽く会釈を交わしたこの人が昨日、亮にサインを頼んだ人だったように思う。
真剣な顔で炎とガラス棒を見つめている女の子たちをなんとなく眺めて、『夏休みの宿題には最適だろうな』って思ったからだろうか。
作業机の質感って、大学の実験室の机と似ていたような……気がする。おそらく、防炎加工だろう。
私たちが案内されて座った席は、それとは対照的な無垢材のテーブルで、様々なアクセサリーパーツが値札の貼られた仕切り付きのアクリルケースにいれて置かれている。出来上がったトンボ玉と組み合わせることで、キーホルダーなどの作品を作ることができるらしい。
クリアケースに入った"作品の作り方とコツ"のプリントを読んでいると、部屋の入り口近くのカウンター内からスタッフさんが戻ってきて
「きれいに仕上がってますよ」
私たちの前に、それぞれのトンボ玉が入った布張りのトレーをそっと置く。
私が作ったのは、細かい銀色の粒々をまぶすようにした紺色の玉と、茜色に四つの花火模様を入れた玉の二つで。亮にあげる予定で作ったのは、紺色の方。
銀色の帯が横切るトンボ玉が天の川のようにも見えて、思っていた以上にキレイだと嬉しくなる。
「俺は、キーホルダーにするな。二つとも」
あ、出遅れた。
トレーの上でトンボ玉を指先で転がして、眺めている間に、亮はさっさとキーホルダーパーツを選んで手元にそろえている。
「じゃあ、私は……」
アクセサリーにするなら、ブレスレットかな? でも、亮には……うーん、どうだろう? なんか、違うか。
せっかく作った"お土産"なんだから、なるべく身につけて欲しいなぁ。
結局、亮にはストラップを作る。別売のガラスビーズもいくつか買い足して。
途中、作業を終えた小学生たちが、私たちの横を、『え? 男の人?』『髪、長いのにね』って、コソコソ言い合いながら、通っていく。
『楠姫城じゃ、俺たちなんか日常』って、亮は言ってたけど、他所の小学生にとっては異質なんだろうなぁ。
私がショックを受けることでも、ないんだけど……と、密かにため息を飲み込んだところに、トコトコと一人の子が戻ってきて。
「おじ……おにいさん。きれいだね」
と、亮に話しかけてきた。
「ありがとう。そう言ってくれると、嬉しいよ」
何がキレイなのかも突っ込まず"RYOの声"で応えた亮が、女の子に笑いかける。
うわっ。本気の"織音籠の色気担当"の顔だ。
真っ赤な顔でペコリと頭を下げた女の子が、友人たちを追いかけて部屋から足早に出て行く。
「あーあ。亮ったら、悪い"おじさん"だねぇ」
幼気な子どもをからかって。
「からかってなんか、ないだろうがよ」
「まあ、からかわれたとは思ってないだろうけどね」
それでも、軽く魂抜かれちゃってるだろうなぁ。
帰り道、事故に気をつけるんだよ。
そんな軽口も叩きながら出来上がった作品を、その場で、互いに交換する。
亮が私にくれたトンボ玉は、草色をベースにして二種類のモチーフが交互に配されていた。
「鳥の羽と、渦巻き?」
二個ずつ、合計で四個のモチーフの関連に首を傾げる。
「なんていうかさ……お前の、イメージ?」
「イメージ?」
何がだ? って、しばらく眺めて。
この緑色の濃さは、中学で着ていた陸上部のユニホームの色だなって思ったら、『お前、走るの早かったよなぁ。足に羽が生えてるみたいだった』って、かつて亮に言われたことを思い出す。
愛用していたスパイクのブランドのロゴが、たしか……勝利の女神の羽がモチーフだったっけ。
だったら、渦巻きは風だろうか。
そうか。
私のイメージって、これ、なんだ。
昔のことなのに、よく覚えていた……いや違うか。
亮って、意外と私のこと見てたんだなぁって、嬉しくなる。
「で、お前の……これは?」
亮はそう言って、ストラップの紐を指で挟むようにして、掌の上で私が作ったトンボ玉を軽く転がしている。
「織音籠の……ほら、ホームページの……」
「ホームページ?」
織音籠のホームページを開くと、真っ黒な背景に銀色の文字で『織音籠』の文字が書かれるアニメーション画像が流れる。メンバーが実際に書いた文字をトレースしていると聞いたことがあるけど、まさに"流れるような"筆運びが印象的。
その印象を象った……つもりだ。
「さんきゅ。大切にする」
そう言って亮が、ニッコリと笑って。ストラップを握り締めた手を、ゆっくりと顔の前へと持ち上げる。
そして、"悪いオトコ"の顔で、その拳に口づけた。