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一日目

 この日訪れたガラス工芸博物館は、この街ゆかりの蒐集家が集めた戦前からのコレクションと、戦後この街に暮らしたガラス作家とその弟子たちの作品を集めた、私立の施設らしい。

 入館時にもらったパンフレットに書かれた説明に、ざっと目を通してから展示室に入る。


「戦前って……」

「まあ、戦前ではあるよな」

 入り口で私たちを迎えたのは、古代ギリシアの遺跡から発掘されたトンボ玉で、

「日本では石、だった? よね?」

「勾玉・管玉か」

「そう、こんなニョロってした形のやつ」

 私がイメージする勾玉の形を手で表現して見せると、『ニョロって、お前なぁ』って、亮が声を殺すように笑う。

「そういえば、小学校の校外学習で見学に行ったな」

「竪穴式住居!」

 あれは確か……亮が通っていた高校の近くにあった遺跡公園じゃなかったっけ?


 そんなことを小声で話しながら、人気のない展示室を回る。

 そして、この博物館に来た一番の目的である、ワークショップの部屋へと向かう。

 さすがに吹きガラスは設備的に難しいようだけど、ここではトンボ玉のランプワークを体験させてもらえる。

 各自がそれぞれ二個ずつ作るコースで、所要時間は三十分ほど。


 私たちが部屋へ入った時、ちょうど先客のグループが、作業を始めたらしい。

 途中から合流するわけにはいかないので、待っている間に、スタッフさんの指示に従って、土台になる色を選ぶ。

 何色を作ろうかなぁ、って見本で置いてある無地のガラス玉を指先で転がしていると、

「なぁ、綾」

 隣で緑色の玉を手に乗せた亮が、こっちを見ないままで話しかけてきた。

「ん? なに?」

「二つ作ったうちの片方、交換しないか?」

「いいけど……どうしたの?」

「んー、まあ、土産、かな? お互いへの」

 一緒に来ていて、お土産もないけど。

 『亮にあげるなら……』って考えて色ガラスの集まりを眺めると、さっきとは違ったワクワクがやってきた。

 子供の頃、いつも"楽しい事"を考えていた亮らしい思いつきだなぁと、自然と頬が緩む。



「それでは、これで一時間ほど自然冷却します」

 出来上がった二つのトンボ玉を巻き取り棒のまま、教えてくれていたスタッフさんへと渡す。

 名前を書いたシールが棒の手元に貼られて、ひび割れ防止の効果があるらしい粗めの砂のようなモノの中へと、ガラスがつっこまれた。

「一時間、ですか」

 腕時計を見て、亮と顔を見合わせる。

 待ち時間があったので、思っていたよりも時間が経っている。お昼近くに開館する施設なので閉館時刻は遅めにしてあるらしいから、大丈夫として。


「チェックインは、ずらせるけど……どうする?」

「一時間、何をするかだな」

 ワークショップを先にして、展示室巡りで時間調節をすれば良かった。

 私たちの相談が聞こえていたらしいスタッフさんが、片付けの手を止めて

「ご旅行、ですよね?」

 と、声をかけてきた。


「お時間に余裕があれば、明日来られても大丈夫ですよ」

 さっき受付でもらったチケットに裏書きをしてもらうことで、日付をまたいだ再入館が可能になるらしい。

 念のため……と、訊かれた連絡先には、私の携帯番号を伝えて。

 お世話になりました、と頭を下げて部屋を出ようとした私たちに、遠慮がちな声がかけられた。


「あの、失礼ですが。織音籠の……?」

 振り返ると、さっきのスタッフさん。って、当たり前か。私たちの他に、お客は居なかったし。

 チラリと私の方へ目を流した亮の雰囲気が、柔らかい空気を孕む。火を使う作業に備えて結えていた、長い髪を解く。


「織音籠のRYOです」

 かけていた眼鏡を外した亮はそう言って、ステージの上で見せるような笑みを浮かべて、一歩、スタッフさんの方へと歩み寄った。

 『ファンなんです』と歓声を上げた彼女に頼まれて、手近にあった私物らしいクリアファイルへとサインをしている。

 さすが、プロ。眼鏡と瞬き一つで、山岸 亮から"織音籠のRYO"へと顔を変えたた。


「プライベートな旅行なので……ね?」

 と、小首を傾げてナイショって仕草をしてみせた亮は、ウインクの一つでもオマケしそうな雰囲気を漂わせながら、私に預けていた眼鏡をかけ直す。

 改めて、お世話になったお礼を言って、『明日また……』と、博物館の出口へ向かった。



 最近では珍しい手動のドアを出た途端、むっとした夏の空気に包み込まれて、首筋に滲んだ汗をハンカチで押さえる。

「いやぁ、珍しいものを見た」

 ハンカチをバッグへと戻すついでに取り出した、車の鍵を手の中で弄びながら言ってみる。

「亮って、楠姫城(くすきのじょう)では、ファンに声をかけられることって無いよねぇ?」

 私が知らないだけかもしれないけど。

「そりゃな」

 "亮の顔"に戻った彼が、ニヤって笑う。

 眼鏡をかけて、こんな笑い方をしてたら、"織音籠の色気担当"には、見えないだけなのかもしれないけど。

「地元じゃ、俺たちなんて日常だろうがよ」

「ああ、そっか。そんなこと、言ってたよね」

 旅行の計画を立てている時のことだったかな。

 『学生時代からの住人なんだから、家族や彼女と歩いていても、誰も騒がない』とか、なんとか。


「でも、旅行先。違う所の方がよかった?」

 木を隠すには森。もっと、人が多い賑やかな所の方が良かったかも……って、考えた私の背中を軽く叩いて、

「いや。むしろ俺は……売れてきた実感を貰った、かな。こうやって、声をかけてもらえて」

 そう呟いた亮は、足を早めて助手席側へと回り込んだ。

 初めての三都市ツアーを控えて、少しだけナーバスになっているのかもしれない。

 いつでも自信満々な彼にしては……珍しいなぁ。


 車に乗り込んで、シートベルトを止めるついでに、そっと隣を盗み見る。

 いや、ナーバスではないか。

 相変わらず楽しそうな瞳が、眼鏡の奥で踊っている。膝の上に置いた手が、軽く鍵盤を弾くように動いている。

 これは、本気で楽しみにしている時の顔だ。



 この日の予定はこれで終了、と、ホテルへと向かう。ここからしばらく西へ向かって、県道に出たら山の方へ。山の麓の小さな町が、目指す温泉街だ。

 途中の信号待ちで、そろそろ低くなってきた日差しが眩しくなる時間帯が近いから……と、念のためにサングラスをかけると

「お前、サングラス使うんだ?」

 亮が驚いたように言って、こちらを覗き込んだのがわかる。

「似合わない?」

「いや、そういうわけじゃないけどな」

 博物館で車に乗る時、バッグから取り出した眼鏡ケースをダッシュボードの小物入れに置いたことに、亮は気付いていなかったらしい。

「視力は、悪くないよな? 眼鏡慣れしてないのに、大丈夫か?」

「眼鏡慣れって」

 そんな慣れ、あるか?

「いや、うちの若菜がさ」

 彼の妹が卒業旅行で海外へ行った時に使ったサングラスで、耳が痛くなったとか。


 亮自身、視力はかなり悪い。

 度のきつい眼鏡は重たいと聞いたことがあるから、オフには眼鏡で過ごしている"眼鏡慣れ"した亮にも、眼鏡を負担に感じることがあるのかもしれないけど

「普段から、こんな時刻に運転する時には、なるべく使うようにしているから、慣れてはいるよ」

 信号は見やすくなるし、目の疲れも格段に違う。

「それに、リゾート地とは違って、長時間は使わないし」

 完全に日が落ちて辺りが暗くなれば、逆に邪魔になる。



 夕陽が眩しくなり始めた頃に着いたホテルは、温泉街の東端に建つ七階建てで、駐車場の空き具合から今夜の泊まり客はさほど多くはなさそう。

 亮にはロビーのソファで荷物番をしてもらっておいて、私はチェックインの手続きをする。予約が私の名前なのと、亮は書き文字が個性的すぎて、あまり人前では文字を書かない。織音籠のRYOとしての、イメージが……ねぇ?

 その意味でも、さっき博物館で彼がサインをしたのはレアな出来事と言える。


 宿帳に記入をしつつ、フロントのスタッフとささやかな情報収集を兼ねた世間話を交わす。

「以前、利用した時に、ここの屋上から花火を観せてもらったのですけど」

「ああ、明日の花火大会ですね。屋上からでも観ていただけますが、送迎バスも出ますよ」

 おお。それは便利だ。

 近くで観るなら自分で運転すればいいのだけど、駐車場を探すのが煩わしいし、夕飯で飲むわけにもいかなくなるし。

 


「お待たせ。って、何を見てるの?」

 鍵を受け取って、ロビーに三セット置かれたソファのうちの一番手前、亮の座っているソファに近づいてみると、彼はテーブルに数枚置かれたラミネート加工のチラシの一枚を手にしていた。

「街歩き用に浴衣の貸し出しがあるらしいぞ?」

 ほらって、差し出されたのは女性観光客を対象にしたチラシで、温泉街観光局のロゴが入っている。

「へぇぇ」

「借りてみるか?」

「いや、いいよ」

「いいのか? 本当に?」

 隣に立つ私を下から覗き込むような体勢で、亮の眼が私を見つめる。

 しばらく、にらめっこをして……負けた。

「まぁ………着たくないわけじゃないんだけど」

 少しだけ言い淀んだのは、子ども時代にやらかした彼とのケンカを思い出してしまったから。


 亮は、そんな私の内心も知らず、

「なら、着ればいいじゃねぇか」

 って、軽く言ってくれるけど。

「サイズの合わない可能性が、ね?」

 身長を測るようなイメージで、自分の頭を軽く押さえてみせる。

 最近、身長を測ったのは、去年の社員検診。その時の結果は、同年代女性の平均身長を十センチほど超えていた。

 中学生までは亮よりも高くって、それが原因でケンカをしてしまった。挨拶一つ交わせない関係が大学生になるまで続いてしまうほど、ひどいケンカを。


 亮も、当時のやり取りを思い出したのか、

「あー、サイズか」

 って、唸るように言って、チラシをテーブルに戻した。

 立ち上がった亮が荷物に手を伸ばすのを見て、私も隣に置いてあった自分のボストンバッグを手に取る。


 五階で降りて左側へ、鍵に書かれた部屋番号を確認しつつ進んで、廊下最奥のドアをひらく。

 空調で冷やされた和室が、私達を迎えてくれた。 



 大浴場で一日の汗を流して、疲れを解す。

 渋滞はしなかったとはいえ、やっぱり肩とか背中とかが強張っている気がする。

 ここの温泉は疲労回復と美肌効果、だったかな? とか考えながら、ジェットバスに全身を揉んで貰い、露天の転び湯で脱力を楽しむ。


 岩風呂部分には付いている雨除けらしい屋根が、転び湯には付いていないので、星空も見ることができるのが、ちょっと贅沢をしている気分を味わえる。

 プラネタリウムのある科学館で学芸員をしている妹なら、垂涎のお風呂だろうな……って考えながら、無意識で目が、オリオン座を探す。


 見つからないのは、少し明るすぎるからだな。まだ数える程しか、星が出てないし。だったら、寝る前にもう一度……って考えたところで気がついた。

 真夏にオリオン座は、見えないってば。


 『お前の背中、オリオンの三ツ星みたいなホクロがあってよ』

 不意に亮の声が脳裏に響いて、身体を起こす。


 亮の

 亮に繋がる

 "織音(オリオン)"を探していた。


 お湯にのぼせただけじゃない、顔の火照りを自覚する。

 そっと背中の真ん中、"三ツ星みたいなホクロ"のある辺りを指先で辿って……昼間の駐車場で、私の背中を叩いた亮の手の感触が蘇る。

 あの指の長い手が、鍵盤を弾くようなタッチで……。


 あああ、止めよう。いや、止めた。って言うか、何してるの私。

 お湯から立ち上がって、浴室へと戻る。サウナ室の横にある冷水浴の浴槽から手桶に一杯、水を汲む。

 水温に、身体を慣らしながら……一杯、二杯。ついでに、そろっと足も入れてみる。

 きゅっと肌の縮む感じに五秒ほど耐えて、浴槽から出る。

 うん、もう大丈夫。


 私が浴室を出たタイミングで、脱衣室へと親子が入って来た。

 広いお風呂にはしゃぐ幼子の声を聞きながら、浴衣を纏って髪を乾かす。

 背中の中ほどまで髪を伸ばしている亮とは違って、ショートボブの私の髪はすぐに乾く。

 長湯はしていないと思うし、私の方が亮よりも先に上ることになるかもしれない。


 待ち合わせ場所にしていた大浴場の休憩スペースへと、スリッパを鳴らしながら向かうと、既に亮はそこにいて。縁台っぽいところに腰かけて、新聞を広げていた。

「お待たせ」

「意外と早かったな」

「そう?」

 なんて言いながら、隣に座る。その内心で『あー、負けた』って悔しがるのは、亮と一緒に居る時限定のお遊びで。ほんの一呼吸分だけ、小学生の私に戻る。



 明日の天気予報なんかをテレビで確認しつつ、夕食まで部屋でくつろいで。

 そろそろ時間だ、と向かったエレベーターホールで、

「お前のその浴衣、短いか?」

 亮が私を上から下まで眺めて首を傾げる。

「おはしょりが無いからね。普通の浴衣のジャストサイズとは言えないかな?」

「あー、女の浴衣って……そうか」

 部屋に備え付けてあった二枚のうち、Lサイズの浴衣を私が着て、Mサイズの方はLLサイズと交換してもらって亮が着ている。

 亮はそれでも、少し短めかな?



 メインダイニングでの夕食は、混み合っていないおかげか、他の宿泊客と顔を合わせないような絶妙なテーブル配置で、食べ切れないほどの料理に舌鼓を打つ。

 合間に冷やで楽しむ地酒も、舌に残る微かな味わいが、次の料理へと箸を促す。

「辛口って苦手だったけど……美味しい」

 亮が注文したお酒を味見するだけのつもりが、注がれるままに杯を重ねる。

「土産に買いたくなるな、これは」

「実家へのお土産には、ちょうどいいかな?」

 なんて言いながら、亮のグラスへとお代わりを注ぐ。


 お酒に添えられたカードには、簡単な蔵元と商品についての紹介と共に、ガラスの酒器も地元で作られていることが書かれていて、

「チロリって言うんだね。お酒の入っているこれ」

「氷で薄まらないのが、いいな」

 と言って亮が、手にしたチロリを灯りにかざす。彼の眼がガラス薄緑色と、思わぬコントラストを見せて、鼓動が跳ねる。

 何気ない仕草や表情が絵になるのは、職業柄なのかなぁ。


「なんだ。もう酔ったか?」

 笑いを含んだ声に訊かれて、火照りを感じる頬に左手の甲を当てる。

「まだ、これくらいじゃ……飲んだうちに入らないし」

 実際、一合のうち半分も私は飲んでない。

「なら、残り入れるぞ?」

「うん」

 チロリに残っていた分を、互いのグラスに注ぎわけた亮は、お酒のお代わりを注文した。

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