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出発

 (とおる)から旅行の誘いを受けたのは、付き合い始めて半年ほどが経ったGWの頃。

 泊まりがけ三日間の仕事から帰ってきた彼の部屋で、お風呂上がりのビールを二人で楽しんでいる時のことだった。


「いつ頃に行くつもり?」

 今年度の有休は、まだ一日も使ってはいないから、彼の仕事の都合に合わせて、休むこともできなくはない。

「夏休み」

「って、一番高い時期じゃない」

 いや、それ以前の問題として。

「亮たちって、夏休みあるわけ?」


 大学卒業と同時にロックバンド"織音籠(オリオンケージ)"としてデビューした彼と仲間たちは、昨年出したセルフカバーのバラード集があたって、十年目にしてバンドの知名度が上がってきている。それに伴って、当然、仕事も増えていて。

「休みが全く無い……なんてこと、あるわけがないだろうがよ」 

 本人はそんなことを言っているけど、今までの夏とは事情が違うんじゃないの?


 とはいっても、私だって行きたくないわけじゃない。

「じゃあ、休みが決まったら早めに教えて。それに合わせて、私も休みの申請するから」

 そう答えた私に亮は

「綾と旅行って……修学旅行以来か」

 と、嬉しそうに笑ってテーブルの缶ビールに手を伸ばす。

 小学校、中学校と同級生だった幼馴染なんだから、一緒に修学旅行に行ったのは、当たり前の話ではあるのだけど。小学校の卒業間近に亮とは大ゲンカをして、口もきいてもらえなくなっていたから、改めて当時の話ができることに、こそばいような嬉しさがあるのは……亮も同じなんだと思いたい。



「そういえば、中学校の修学旅行で二組の先生が……覚えてる?」

「忘れるかよ」

 二泊三日の修学旅行。一日目の夜に泊まったのは、ちょっと古めかしい雰囲気の小さなホテルだった。

 『お化けがでるかも?』『肝試し、やらない?』って、夕食時にクラスの女子で妙に盛り上がったのだけど。あっさりと担任の先生に止められて、ブーブー言いながら、消灯時刻には部屋へと帰らされた。

 その翌朝。


〈朝っだよー。朝ぁ日ぃは、とっくぅに昇ったよー〉

 全館放送で流れてきた調子っぱずれな歌声は、恐怖以外の何物でもなかった。


 元歌すら判明しない妙な歌だったことは三十歳を過ぎた今でも覚えているけど、詳しく思い出そうとする側から曲の輪郭がぼやけてきて……ほとんど悪夢の様相。

 そんな私の言葉に亮は

「それはあまりにも先生がかわいそうだろうがよ」

 と、苦笑しながら、一口サイズのサラミを口へと運ぶ。

「それでも、気になるじゃない。あれ、何の歌だったんだろ?」

 私の問いかけに少しだけ考えるような間をおいた亮は、

「たぶん、だぞ?」

 と立ち上がって、キッチンのシンクで軽く手を洗うと、部屋の隅から型落ちのキーボードを抱えてきた。

「綾、ビールの缶を避けてくれ」

 言われるままに、ローテーブルの上を片付けたけど、壁の時計は夜の十時を軽く過ぎている。

「この時間から弾く気?」

「ヘッドホンしてれば、大丈夫」

 ほら、と差し出されたヘッドホンのジャックを差し込む間に、さっさとボリュームやら音色やらを調節している。


 オーソドックスなピアノの音色は、亮にしては珍しい選択で、片耳だけに当てたヘッドホンから流れてくるメロディに合わせて、亮が歌ってみせるけど。

「こんな曲だったっけ?」

 メロディは、微妙に似ている気もする。でも、歌詞が……うーん。おおまかな意味はこんな感じだった気もするけど。

「先生がアレンジしたせいで、字足らずとか、字余りとかになったんだろうな。そこにアドリブで歌詞を足したり引いたりしたから、ほとんど原型を留めなくなったんじゃねぇかな」

「それ……アレンジって言うわけ?」

 思わず突っ込んでしまう。


「斬新アレンジってやつだろうよ」

 ケラケラと笑いながら、亮がキーボードの電源を落とす。差し出された手に、ヘッドホンを返す。

「斬新すぎ。よく分かったわね」

「俺が子どもの頃、うちのおやじが、よく歌ってた曲でよ」

「あのおじさんが?」

 亮のお父さんは、近所の子どもたちの間で有名な"クマおじさん"で、鼻唄を歌っているところすら想像ができない。


「日曜日にいつまでも寝てたら、歌いながら部屋に入ってきてよ。ヤベぇって思った時には、布団を剥がされる」

「あ、なんか。それなら、想像できた」

 実力行使で来そうな雰囲気なのよね。亮のお父さん。柔道の師範だとかって、聞いたことがあるし。



 今年、亮の"夏休み"は、お盆の終わりがけの三日間。海まで車で一時間弱、って温泉街を旅行の行き先として選んだのは、私の働いているグループ会社の保養施設があったから。

 そして。


「花火?」

 ストレスを感じない程度に流れている高速道路の運転中、助手席から亮に訊かれる。

 電子楽器のアフターサポートって仕事柄、日頃から会社の車を運転をしている私と違って、亮は運転免許を持っていない。学生時代はバイトとバンド活動で忙しくって、自動車学校へ通う時間もなかったらしい。

 交通網が整っている街で暮らしていると、そもそも車に乗る必要がない。

 私も車を持ってはいないので、この度の旅行ではレンタカーを借りている。


 つまり……亮を隣に乗せて、ハンドルを握るって経験が、実は今回が初めてだったりするわけだけど。

 彼は私の運転を信頼してくれているらしく、鼻唄混じりで今夜泊まる宿の、簡単なブックレットをめくっていた。

 そして、どうやら観光案内のページに興味を引かれたらしい。

「そう。隣町が主催の花火大会が毎年、この時期にあってね。今年は、明日の晩なんだって」

「へぇ」


 花火大会なんて、私たちの住んでいる楠姫城(くすきのじょう)でも、そこそこの規模で行われてはいるのだけど。

「同僚たちと二年前……だったかな? 見に行ったのよ」

 この日だけは特別に屋上を開けてくれる保養施設からの花火鑑賞は、少し迫力には欠けるものの、人混みとは無縁の特等席で。

 ビール片手に夜風で涼みながら、夜空を飾る風物詩を独占できる。

 『亮と二人で楽しむのも良いなぁ』って、思ったから、行き先の候補に加えたのよね。


 『明日は晴れるらしいから、絶好の花火日和』とか考えながら、チラリと助手席側のドアミラーを確認する。

 うん。後ろからバイクの接近はなし。

 ついでに亮の表情(かおいろ)を……なんて、思ってしまったのだけど。

 身長に見合った長い足の持ち主は、座席を一番後ろまで下げていて、さりげなく様子を伺うのは無理そうだなと、視線をフロントグラスへと戻す。

 脇見運転は、事故のもと。

 あと少し。次の分岐で、休憩予定のサービスエリアだ。



 適度に休憩やお昼ご飯を挟みつつ、予定通りのペースで目的地を目指す。そろそろUターンラッシュが始まっているらしくて、逆車線はノロノロとした渋滞が起きている。

 最後の休憩のつもりで立ち寄ったパーキングエリアを出て間も無く、隣から静かな寝息が聞こえてきた。

 どうやら亮は、窓枠にもたれるような姿勢で眠ってしまったらしい。

 昨日は急に入ってきた仕事で、帰るのが遅かったと話していたのは、最初のサービスエリアでコーヒーを飲みながらだった。来月には、初の三都市ツアーだとも聞いている。


 去年とは、やっぱり仕事の密度が変わってきているんだろうなぁ。

 それでも、旅行をキャンセルしたりしないのが、子供の頃から変わらない亮らしいトコロだと思う。

 疲れていても、周りを楽しくすることを最優先するんだよね。

 彼の眠りを妨げないよう、一段と神経を使ってハンドルを握る。

 そうでなくても、高速道路。

 急ハンドル・急ブレーキは事故のもと、だし。



「悪い、寝てた」

 アクビ混じりの声がしたのは、高速を降りて、地道へと出る交差点の信号待ちで、だった。

「疲れてるなら、旅館に直行する?」

 伝えてある到着予定時刻よりは早いけど、チェックインはもうできるはず。

 眼鏡を外して目を擦っているらしい亮に、言ってみる。

「いや、ちょっと眠ったらスッキリした」

 眼鏡をかける気配とともに、確かにスッキリした声が返ってきた。

「そう?」

「予定通り、博物館? だったか。行こうぜ」

「うん、分かった」

 この丁字路を左折、国道沿いに西隣の市へ入って……と、ざっくりした道順を頭の中で復習する。

 

「あ、亮」

 ペットボトルの蓋を開けている気配のする助手席へと、声をかける。ゴクリと、喉の鳴る音を聞いたような気がする。

「うん? どうした?」

 少しだけ間を置いて返事が返ってくるあたり、お茶を飲んでいたらしい。

「さっきの……」

 言いかけたところで、左側をすり抜けようとしているスクーターに気づく。これは、やり過ごしてから、曲がらないと。

 意識を、亮から信号へと切り替える。そのタイミングで信号が、青に変わる。サイドブレーキを下ろす。


「で、さ。亮、さっき見てた旅館の施設案内なんだけど」

 国道の流れにのった所で、改めて話しかける。

「施設……? ああ、花火が載ってたやつか?」

「そうそれ。それに、これから行く博物館までの地図をプリントアウトしたのを挟んであるから」

「プリントアウト?」

 どれだ? とか言ってゴソゴソとしている。

 明日行く予定の海水浴場への地図とか、高速道路のロードマップとかまで挟んでいたからなぁ。

「わからなかったら、次の信号で見るから、いいよ」

「あ、いや。あった。かも?」

 目の隅で屈み込む亮。ああ、シートベルトが……。


「足元に落ちてた」

 そう言って、拾った紙を指先で軽く叩いている。

「ガラス工芸の……だよな?」

「うん。その地図を見ておいてくれる?」

「了解」

 『高速を降りて……国道で……』って、ホームページから拾ってきたアクセス案内を、小さな声で読み上げている。

 運転こそしないものの、亮の方向感覚は多分、私よりも優れている。子供の頃から社会科が学年トップだっただけあって、地図を読むことなんてお手の物。


 その証拠のように、

「今の信号が……ここか」

 って、呟いているってことは、もう地図と現在地が一致しているのよね。

 道案内は任せた。と、運転に集中する。


 実際、亮の道案内はすごく助かった。

 おおよそのルートは頭に入れているつもりではあったけど、早め早めに

「ここから三つめの信号を左、な」

 って感じで教えてくれるから、車線変更もスムーズで、知らない道を運転する時に感じるストレスがかなり楽な気がする。

 最近、一般的になってきたと聞くカーナビってこんな感じかな? 仕事の車にも一台……なんて考える余裕すらある。


 亮が仕事で使っているキーボードが、うちの会社の製品で、メンテナンスなどを請け負う技術者である私に、亮は付き合う前から名指しで依頼を寄越していた。

 会社は当然、付き合っていることなんか知らないけど、いつの間にか私は"織音籠の担当窓口"みたいな扱いになっていて、彼らの仕事の都合に合わせて担当エリア外まで出張になることも出てきた。

 そんな時には、こうやって道案内をしてくれる存在が欲しいなぁ。



 ガラス工芸博物館へは、歩道のない生活道路を抜けるような少し神経を使う場所もあったけど、亮のおかげで迷子にもならずに到着。

 車を降りて大きく伸びをすると、アクビをする犬みたいな声が出て、背骨も心地良い音を立てる。

「長距離、お疲れ」

「混んでなかったから、思っていたより、早く着けたね」

 私の言葉に頷く亮の、労るような眼差しに、年甲斐もなく照れてしまって。薄茶色の瞳から、目を逸らす。


 駐車場を囲む森からは今を盛りと、蝉時雨が降り注いでいた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 園田 樹乃 様 興味深い作品ですね! またゆっくり読ませて頂きます♪
2020/09/10 12:21 退会済み
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